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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第9章】物語の続きは腕の中で
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9−44 この上なく耽美な光景

 鼻を頼りにプランシーの匂いを辿ると、彼は中庭を抜けた先の1番大きな病棟にいるらしい。そして……中庭から見える他の2つの建物も、何やら物騒な空気を醸し出しているが。今はとにかく、プランシーと合流する方が先か。

 妙に嫌な匂いを2つ感知しつつも、それを振り切るように中庭を抜けて、目的の建物に足を踏み入れる。一際大きな建物はメインの病棟になるようだが、お役所の管理人さんも隅々まで調査することはなかったんだろう。こちら側の「隠されていた部分」には手が入っていなかったらしく……プランシーの匂いを辿っていると、彼が通ったであろう隠蔽されていたらしい扉が半開きになっていて。そして……向こう側にはただただ、異常な光景が広がっていた。


「悪魔の旦那。ここ……本当に病院ですかい? にしては、何というか……」

「えぇ。どちらかというと、研究室というか……」


 大きな円柱状の水槽は悉く割れており、そこに何がいたのかは見当もつかないが。中で泳いでいたのが、平凡な観賞魚の類じゃないことは、すぐに分かる。薬品の匂いが微かに残っているのを考えても、つい最近まで何かの実験をしていたことは明らかだろう。

 そんな事を考えていると、何かに睨まれているらしい事にもすぐに気付く。姿は見えないが、確かに存在する何か。……床? ……壁? いや、天井か……?


「2人共、詮索は後だ。……とにかく、この場は俺から離れるなよ……。幽霊さんは相当、空腹らしいから」

「えっ?」


 俺が天井を睨みつけているのに気づいたハンナとダウジャが異形を認めて、縮み上がっているのが伝わってくる。正直、頭上から逆さまの視線で舌舐めずりしながらこちらを見つめる彼女には、俺も恐怖しか感じない。


「これは、一体……?」

「ここの水槽でダイビングしていた子かもな。……なるほど。精霊を作る実験とやらを、こんな街中で堂々とやってたのか……あいつらは……!」


 体の大きさからして、おそらく元は小さな子供……しかし下半身は何かの精霊と繋ぎ合わされたのか、赤黒い肌の先は蜘蛛の様な形状をしている。この姿は……元は妖精族のアラクネだろうか。


「この様子だと、話を聞いてくれそうにないな……。しかし……」

「悪魔の旦那! モタモタしていたら、やられちまいますぜ⁉︎」


 臨戦態勢に入る事を躊躇う俺を他所に、こちらを捕食する気満々な彼女が、口から勢いよく糸を吐き出してくる。侵入者のハンティングは、精霊本来のやり方に倣うと言う事なのだろうが。……少し確認しないといけないこともあるし、ここは一旦、焼き払うのがいいだろうか。


「ダウジャ、攻撃魔法を頼む! 多分、元は地属性だろう……糸は焼き払うに限る!」

「よっしゃ、行きますぜ! 紅蓮の炎を留め放たん、魔弾を解き放て! ファイアボール……ダブルキャスト!」

「よっし! グッジョブ、ダウジャ! そんで、2発目はハンナの防御魔法で凌ぐぞ!」

「はいッ! 空を染める赤き夕弦よ、我を護りたもう、ここに柔らかなる慈悲を示せ……プロテクショントワイライト!」

「ハンナもいい感じ! それじゃ、最後は俺が……っと!」


 第1陣を焼き払い、第2陣を防御魔法で凌ぐ。アラクネ本来の性能からすると、特殊状況下でない場合は一連の糸攻撃は3回セット。そして3回目で細工をすれば、彼女を抑え込めるはず……!


「フシャァァァァァア‼︎」

「清廉の流れを従え、我が手に集え! その身を封じん、アクアバインド!」


 来る3回目の特殊攻撃をアクアバインドで糸ごと捕まえて、彼女を引き摺り下ろす。キッチリと糸に仕込まれていた銛……ではなく、彼女の長い舌を封じてしまえば。……後はそこまで手荒な事をしなくてもいだろう。


「さて、と……」

「悪魔の旦那……どうして3回目まで攻撃を許したんです? 旦那だったら、1発で氷漬けとかにできたんじゃないんですかい?」


 アクアバインドに囚われたままの彼女を見つめながら、ダウジャが不思議そうに尋ねてくる。確かに、それは至極真っ当な指摘だろうが……。


「……この子に繋がれたのは多分、アラクネという精霊でな。アラクネは本来霊樹・グリムリースを守護する蜘蛛の精霊なんだ」


 どこかから湧いてくる、俺の潜在知識によれば。

 アラクネは侵入者を狩り取って捕食する役目も担っており、彼女達は捕食した侵入者の性能を丸ごと一定期間……腹の中で消化するまで、コピーする能力があったはず。だから、この子が何かしらをここで捕食していたら、それが分かるかもと思って様子を見ていたが……。


「ただ、ごくごくノーマルの攻撃を仕掛けてきたのを見ても、こっちで捕食した相手はいなさそうだな。だとすると……ここでお目覚めになったのではなく、誰かに呼び出されたと見て間違いないだろう。しかし……ここまで理性も吹き飛んでいるとなると、元には戻してやれないんだろうし……。仕方ないか……」

「……元には戻れないんですね……。この子も、アラクネさんも……」

「あぁ。こんなトチ狂った事のために、少なくとも2人の犠牲を払わないといけないなんて……本当に馬鹿げているよな」


 そう言いながら、心ばかりの鎮魂の言葉を述べたところで、スリーピングミストを発動させる。そして……。


「……ハンナ、ダウジャ。ちょっと目を閉じてて。……すぐに終わらせるから」

「はい……」

「……初狩の鐘を打ち鳴らさん、弓付きの刃を振り降ろさん。我は死を望むものぞ……ジャッジオブデス」


 やりきれない気分いっぱいの俺の魔法に応じてやってきた死神が、異形ながらも、少女の面影を残した彼女の首に鎌を振り下ろす。そうして対象の命を刈り取ると同時に、肉体をも綺麗さっぱり黒い霧に包んで持ち去って、その場で死神の身ごと綺麗に搔き消えた。

 ジャッジオブデスの成り立ちとしては、レヴナント……死者の魂の集合体を一時的に呼び出す、召喚魔法に近いものだが。あまりに無慈悲な手際の鮮やかさは、熟練の死刑執行人のそれを思わせる。


「お待たせ。この感じだと、プランシー達は更に奥みたいだし……このまま進むぞ」

「はい……。この先は悲しい思いをしている精霊さんに、会わなくて済むといいんですけど」

「そればっかりは、保証できないが……俺もそう思うよ。できれば、2度と彼女みたいな存在に遭遇したくないな」

「悪魔の旦那……。奴らはどうして、平気でこんな事ができるんでしょうね? 俺、信じられないよ……」

「そうだな。どうして、こんな事ができるんだろうな? 何が楽しくて……こんな残酷な事するんだろうな」


 そんなことを話しながら、ハンナ達と意を決して歩みを進める。怒りを通り越して……ただ虚しさが胸に閊えて、とにかく辛い。かつては俺も、魔界で仕方なしに人間を捌いていた事はあったけど。幾ら何でも、ここまで残酷な事は魔界でもお目にかかった事はなかった気がする。悪い事をしてないのに堕ちる地獄が……人間界にあるなんて、思いもしなかった。


***

「いいのですか? このままだと、重要な拠点を抑えられてしまいますよ?」

「……ダッチェルか。別に構わんよ。今日は小娘の初陣なのだから、ある程度のロスは承知の上だ。設備自体は大したこともないし……研究成果もそれなりに出た後なのだから、くれてやっても惜しくはなかろう」


 真っ白な空間であの人の思惑を読み解こうと、その背に視線を投げるダッチェルだが。今ひとつ、彼女の思想は見えてこない。ヴァリアントマナに仕込まれている、マナツリーの化石経由の情景を見つめながら。尚も落ち着き払った様子に……ダッチェルは焦燥を隠せずにはいられなかった。


「……心配しているのか? あぁ、いや。違うな。お前はティデルが自分を追い抜くのが、怖いのか」

「いいえ。そのような事は、決して。ただ、彼女が必要以上の情報を漏らすのではないかと憂慮しているだけです」

「フン、おこがましい事を。まぁ、いい。どの道、ティデルにはそこまでの情報は与えておらん。あの手駒もお遊びで与えてやったに過ぎぬ。とは言え……よくもまぁ、あそこまで我流で改造したものだな。そのセンスと手腕と……残虐さは多少、買ってやってもいいかもしれん」


 元からティデルにかなりの残忍性と才能があったのは、事実だろう。回収して保管してあったはずのノクエルの骸を見事に再利用し、化け物として息を呼び戻したのには……天賦の才と手を血に染める狂気がなければ、なし得ない事だ。

 ただマナの戒めから解放されてからというもの、輪をかけて傲慢に振る舞い始めたティデルの様子が、ダッチェルには危ういものに見えてならない。高慢さが加速したティデルは、アヴィエルをオモチャにするだけでは飽き足らず……ダッチェルの元から勝手にノクエルを押収すると、手駒と称して改造し始めた。こちら側でも、そして神界の暦からも圧倒的に先輩のダッチェルを嘲笑うかのように、さも当然のように。

 ダッチェルは程度のことは取るに足らないと感じているし、ティデルの様子からしても、いずれ彼女が自滅と予測はしているのだが。選りに選って、ノクエルを持ち出される事だけは彼女にとって、唯一、都合が悪いことだった。


「ふむ、あの神父……既に怒りをコントロールする術を身につけておるのか。悪魔共も意外とやりよる。ほら、ダッチェルもしかと見届けるとよかろう。天使と悪魔とが、こうして共に我らに仇なす姿を。実に愉快で……この上なく耽美な光景ぞ」


 そのお言葉に……ダッチェルはいよいよ、自分の中の何かが音を立ててプツリと途切れるのを感じていた。しかし、ダッチェルの「諦め」など取るに足らぬとばかりに、さも面白そうに「耽美な光景」を見つめる……ハミュエルの肉体を使いながらも、別の意思を宿す名前すら分からない、おぞましい存在。中身が誰なのかも、分からないが。ダッチェルには、到底敵うべくもない相手であることは、明白だ。


「……これ以上は無駄でしょう。ティデルは子供相手ですら、うまく扱えていない様子。きちんと契約ができない状態の試作品を扱わせるには、まだ早かったように思います」

「そのようだな。もう少ししたら、退かせるか。傾向も把握できたし、何より……この様子であれば、次はティデルにジャバヴォックを材料に与えてやってもいいかも知れんな? 実に面白そうだ」


 あの方はダッチェルの思惑を見透かすように、ティデルに更なる材料を与えるつもりらしい。辛うじて、ノクエルを失う事だけは避けられそうだが……更にノクエルを弄られるのは、避けられないようだ。

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