2−1 これが噂のイヤイヤ期
エルノアが竜界に帰ってから、3日が過ぎた。それからというもの、家の中が急に寒くなったように思えて、妙に落ち着かない。タルルトの孤児院も既に空だし、特別する事もないのに気づくが……毎日って、こんなに退屈だったっけ?
(あぁ、そうだ。折角だし……そろそろ、こいつを使ってみようかな)
思い出したように、首に掛けていた例の鍵を取り出す。預かってから、一度も使っていなかったが。確か、どのドアでもいいから、鍵穴に挿せばいいんだっけか?
存在を知ってはいても、実際にサンクチュアリピースとやらを初めて持たされたりしたもんだから、未だにちょっと便利さが信じられないでいる。そんな疑心暗鬼の状態で、試しに自分の部屋の鍵穴に差し込んでみると……開かれた先には、しっかりとマホガニーブラウンの空間が広がっていた。
(おぉ〜、本当に繋がったし!)
さっきまで疑っていた事をちょっと申し訳なく思いつつ、感動しながら「向こう側」に足を踏み入れる。
「お邪魔しま〜す」
「まぁまぁ、いらっしゃいまし」
「お! 奥さん、久しぶり! エルノアの様子を見に来たんだけど、お邪魔じゃなかったかな?」
「邪魔だなんて、とんでもない。エルノアはお陰さまで先日、目を覚ましました。これから丁度、お茶の時間ですの。よろしければ、ご一緒にいかが? エルノアも喜びますので、是非に会ってやって下さい」
「そんじゃ、遠慮なく」
そうか、エルノア……目が覚めたんだな。大丈夫だろうとは思っていたが、やっぱりそう言ってもらえると安心する。
まるで自分の事のように胸を撫で下ろしながら、奥さんの後に付いていくけれど……前回とは違う道筋なので、今回は別の部屋に通してくれるのだろう。
「こちらですわ、どうぞ。……エルノア、入るわよ〜?」
奥さんの呼びかけに、中から聞き覚えのある元気な返事が聞こえてくる。……なるほど。ここはエルノアの部屋なんだな。
「お邪魔しま〜す。おぅ、エルノア。元気だったか〜?」
「うん!」
満面の笑みでコロコロと笑うエルノア。その様子に、奥さんもとても嬉しそうだ。
「すぐにお茶を用意しますね。ハーヴェン様、どうぞ掛けてお待ちになって」
「あ、お構いなく!」
一礼して部屋を後にする奥さんを見送った後、ソファに腰を下ろして改めて部屋を見回す。
子供部屋にしては、随分と広い。ベッドは天蓋付きの豪奢な彫刻が施された、いかにも高級そうな設え。天蓋からは、洒落た感じの月と星を象ったモビールが下げられている。ベッドサイドにはステンドグラスのランプが置かれており、こちらも月と星の模様で彩られていた。そして、当のエルノアは白いネグリジェを着せられていて。その純白が、深いネイビーの寝具の上で一際目立つ。
「ハーヴェン、ルシエルは元気?」
「おぅ。相変わらず難しい顔をしているけど、元気だよ」
「そう、良かった。……私、あの時あんまり役に立てていなかったよね」
「そんな事ないぞ。寧ろ、痛い思いさせて済まなかったな……大丈夫だったか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
それは何よりだ。とにかく両親の元に返してやれたのだから、今はそれ以上を望む必要はないだろう。
「お待たせいたしました。今日のお茶はラグーンドリップですよ〜」
「ラグーンドリップ?」
前回の消耗した表情からは随分と明るい様子になった奥さんが、お茶を運んできてくれる。しかし、お茶の名前に聞き覚えがなかったせいで、勢い、変な声を出してしまった。そんな間抜けな俺の問いに対しても、これまた嬉々としてお茶の説明をくれる奥さん。
「こちらは竜界の潮風で育まれたお茶で、まろやかな口当たりと微かな塩味が特徴なんですよ。お茶には魔力回復の効果がありますので、食事を摂る必要がない私達も、お茶だけは頂くことが多いのです」
「そうなのか?」
「えぇ。でも、それだけでは味気ないので、お菓子を食べることもありますが……それ以外は殆ど摂取することはありませんわ」
そう言いながら、奥さんが出してくれたお茶は見たこともない不思議な青色をしている。程よい塩気を帯びた風味も完全に未体験のもので、ガラスの茶器に揺れるそれは、正に海の色だが……。
「……なぁ。ここって、人間界の上空に浮かんでいるんだよな?」
「えぇ、そうですわ」
「その竜界に……潮風?」
「そうですね、確かに、竜界に海はありません。ですが、ここより北方の地に広大な塩湖があるのです。水のエレメントマスター・ラヴァクール様が治めている銀の氷原は塩湖の潮風が心地良い、神秘的な場所だと聞いております」
「ほぉ〜。そういや、ゲルニカは炎のエレメントマスターだったっけな。やっぱり、他のエレメントマスターも強かったりするんだろうか?」
「もちろん、父さまが1番なんだから! 他の3人には負けないもん」
俺の質問に、自信満々でエルノアが胸を張って答える。しかし自信満々で答えたはいいが、彼女の答えは母親的には不合格なのだろう。そんなエルノアをすかさず、奥さんが窘める。
「いけませんよ、エルノア。そのような事を、軽々しく申し上げるものではありません」
「ムゥ〜……」
自分の自信をへし折られて、怒ったように頬を膨らませるエルノア。そんな娘の様子に、ちょっと困った顔の奥さんが俺に向き直り話を続けてくれるが……何だろう、奥さん的には織り込み済みだったりするんだろうか。
「竜界にはお察しの通り、4人のエレメントマスターがおります。母上……いえ、ドラゴンプリエステスに仕える彼らはそれぞれ竜界の東西南北の地を治め、受け持つ地の魔力の調律をするとともに、女王から与えられた命を果たす事でより多くの魔力を拝受しています」
「魔力の調律?」
「竜族はもともと、あらゆる世界の守護を担う精霊でした。その名残でしょう。大なり小なり、今も竜族は角で魔力の淀みや穢れ……瘴気を浄化し、力を鱗に蓄える事ができるのです。かつては鱗を他の種族にも分け与える事で、魔力の格差を埋める役割を果たしていました。しかし……時が経つにつれ、魔法技術の進歩とそれに伴う大量消費、エネルギー資源を巡っての種族間の戦争が起こるようになり……竜族は魔力を補充するための材料として、狩り取られるようになってしまったのです。……私達は争いを好みません。そんな事が続き、竜族はとうとう外部との交わりを捨て、自分達の世界に籠るようになりました」
「……」
「何かを守ることを忘れた竜族は、だんだんと魔力の調律……世界の魔力濃度を調節する事も一緒に忘れていきました。しかし、まだその役目を完璧に果たせる強力な魔力を持つ者が、エレメントマスターとしての任を継続しているのです。主人はエレメントマスターのうち、竜界の南方……つまり、この屋敷が位置している黒の霊峰を治めています。実は、この屋敷は火山湖に建てられているのですよ?」
上空からこの屋敷を見た時に、城みたいだと思ったが。まさか、その広大な建造物が火山の上に建っているなんて、思いもしなかった。
「ラヴァクール様の他にも、東方の白の樹海を治める大地のオフィーリア様と、西方の金の砂漠を治める風のマハ様がいらっしゃいます。いずれも強力な魔力を持つ、立派なお方なのですよ」
「私、爺やは好きだけど……マハは嫌いだもん」
そんな奥さんの説明をちょっと否定するように、まだご機嫌斜めらしいエルノアが、お茶を飲みながら口を挟む。
「こら、エルノア。先ほども申したでしょう? そのような事を言ってはいけません」
「だって、マハは父さまのことあおにさんとか言って、バカにするもん」
「爺や? あおにさん⁇」
エルノアの言葉に、奥さんが今度は深いため息をつく。
「……この子の言う爺やとは、オフィーリア様の事ですわ。オフィーリア様は先先代のドラゴンプリエステスのご子息であると同時に、現在の竜界最年長の竜族で……女王の補佐役としても、竜界を支えていらっしゃます。エルノアのこともとても可愛がってくださるので、この子も懐いているのです」
相手の悪意を読み取るエルノアが懐いていると言うことは……爺やとやらは多分、悪い相手ではないのだろう。それじゃ、マハって奴はどうなんだ?
「そして、エルノアの言うあおにさん、とはおそらく……青二才と言いたいのだと思います」
「青二才? ゲルニカが……か?」
「主人はエレメントマスターの中で、最も若い個体なのです。力こそ、それなりにあるのかもしれませんが……きっと、経験豊かなマハ様の目に主人は未熟に見えるのでしょう。私もマハ様はちょっと苦手ですけれど……エルノア、父さまが好きなのは分かりますが、他の方を悪く言ってはダメよ。分かったわね?」
未だにむくれているエルノアを見る限り、あまり分かっていなさそうだ。人間界にいた時は素直な子だと思っていたが……母親の前だからだろうか。ちょっと聞き分けのない様子は、幼児退行を起こしたみたいに、難しいお年頃に逆戻りした感じだ。これが噂のイヤイヤ期というやつか? でも……奥さんは奥さんで、ちょっと苦手とか言うのを聞いている限り、マハというのが嫌な奴なのかもしれない。
「そういや、ゲルニカはいないのか?」
「主人はあいにくと、出かけております。何か言伝があれば、お預かりいたしますわ」
「あぁ、大したことでもないし……大丈夫」
ちょっと聞きたいことがあったんだが、本当に大した内容でもないし……仕方ない、出直そう。
「……さて。エルノアが元気なことも分かったし、俺はそろそろ帰ろうかな」
「え〜、もう帰っちゃうの?」
「あぁ、ルシエルの夕飯を用意しないといけないからな」
俺が何気なく放った夕飯のフレーズに、思うところがあったのだろう。エルノアがしょんぼりした様子で、小さく呟く。
「……いいなぁ」
「もうちょい元気になったら、食いに来いよ。いつでも待ってるからさ」
「うん!」
「本当に、この子ったら。……ハーヴェン様、今日は大してお構いできなくて、申し訳ありません」
「いや。お茶、美味しかったよ。ごちそうさまでした」
俺の返事に、嬉しそうに柔らかく応じる奥さん。最後の最後まで丁寧な態度を崩さない彼女の様子に、ちょっと羨ましいものを感じる。この奥さんはゲルニカに対しても、こんなに従順なんだろうか。……俺のツレは何だかんだで素直じゃないし、凶暴だからなぁ……。
「また、是非にいらしてください。いつでも、お待ち申し上げておりますわ」
「ハーヴェン、元気になったら会いに行くから、よろしくね!」
「おう! こっちも、いつでも待ってるぞ」
そんな事をぼんやり考えながら、夕食のメニューに考えを巡らす。例え、素直じゃなくても、凶暴でも。そんな彼女もなんだかんだで、俺の夕食を楽しみにしてくれているみたいだし。だったら……得意分野で好感度を稼ぐのが、とっても賢いやり方だよな。




