9−16 プラリン・ルージュ
「はーい、お待たせ。今日は、奥さんからもらった竜界産のお茶にしました〜。冷めないうちに、召し上がれ」
しばらく奥に引っ込んでいたエルダーウコバクが、ようやく色々と抱えて戻ってくる。そんな奴がテーブルに並べ始めたのは、初めての香りを漂わせているお茶と、これまた初めて見るおやつとやら。
初体験に警戒するあまり、俺が居心地が悪い思いをしているを察知したのか……エルダーウコバクがお茶と取り皿を用意して、試しに1つと言わんばかりに……真っ赤なソースが乗った、よく分からないものを取り分けてくれる。
おやつの正体はともかく……あ、俺も混ざっていい感じか、これは。仕方なしに、お茶の方を啜るが……うん、これは美味い。香りもいいし、何となく酸味も丁度いい。ここはお茶をもらうだけでも、十分か。
「それで? お前達、マモンの何がそんなに珍しいんだ? 俺としちゃ、ベルゼブブの方が圧倒的に怪しいと思うけど」
さっきから、相当に気を遣ってくれているらしい。エルダーウコバクがベルゼブブを引き合いに出して、話を逸らそうとしてくれる。この辺はやっぱり、ナンバー2の機微ってヤツなのか? この気遣い、ダンタリオンにはない感じだなー……。デキるナンバー2がいる真祖って、何かと得してる気がする。
「もぅ〜。ハーヴェンは相変わらず、イケズなんだから〜。僕のどこが、どう怪しいのか……言ってみそ?」
「服装の色合いが変、触覚の動きが気色悪い。そんでもって、言動が浮ついていて……100%怪しい」
「……って! ほぼ、全否定じゃない!」
「ベルゼブブ。まさか、お前……今まで、自覚なかったのかよ……?」
「えぇ〜⁉︎ マモンも酷〜い! もう、いいもん。いいもん。僕、悔しいから、おやつたくさん食べて帰るもん」
プンスコと怒るふりをしつつ、おやつの大部分を持って行こうとするベルゼブブ。
「あっ! おじちゃん、ずるい! 私もたくさん食べる!」
ベルゼブブを真似して、おやつをガッツリ持って行こうとするエルノアちゃん。……確かにソックリだな、これは。
「あぁ、あぁ、もう! そんなに競って取らなくても、まだたくさんあるから! ……ったく。エルノアとベルゼブブが揃うと、落ち着いてお茶できなくなるんだよなぁ……」
そんな彼らの様子に、困った顔で頭を掻くエルダーウコバク。……こいつ、こんな所でもベルゼブブに苦労させられてんだな。しかも、ベルゼブブがエルノアちゃんに悪影響を及ぼしている気がする。色々と大丈夫か、これ。
「ところで、ハーヴェンさん。今日のおやつ、出されるのは初めてですよね?」
「あ、そうか。おやつの説明がまだだったな。こいつはプラリン・ルージュっていう、菓子パンの一種でな。バターたっぷりのブリオッシュに、赤く焦がしたアーモンドキャラメリゼをトッピングしたお菓子だぞ」
「これはこれは……また手の混んだ1品ですね。小腹が空いた時にもピッタリでしょうな」
「あい! お頭のおやつは、いつも美味しいでヤンす」
エルダーウコバクの説明に、他の奴らも嬉しそうにプラリン・ルージュとやらを齧り始めるが……どうしよう。これもきっと甘いんだよな? 俺、甘いのは食えないんだけど……。
「マモン様? はおやつ、食べないのですか?」
「え?」
俺がお茶を啜るばかりで、おやつに手を出さないのに気が付いたらしい。銀猫がおずおずと尋ねてくる。さっき意図せず怖がらせたし、ここは素直に応じてやるか。
「あ、俺は甘いものがトコトン苦手でな……」
「そうなんですかい?」
俺がすんなり答えたのに、黒猫が自然な口調で声をかけてくる。なんだか楽しそうな空気を壊さないためにも、ちゃんと答えた方がいいんだろうな。……面倒くさいけど。
「端的に言えば。このベルゼブブに悪趣味なチョコレートを振舞われてから、甘いものが食えなくなりました、っと。……そんなとこだな」
「悪趣味なチョコレート……?」
「はて。チョコレートがどう悪趣味になるのでしょうか?」
俺の何気ない答えに、男の子と爺さんも不思議そうに首を傾げている。爺さんは雰囲気からして、中身は悪魔だろうが……。こっちの世界に随分と馴染んでいるし、魔界のというよりは、この家の住人なんだろう。
「えぇ〜? マモン、あれのどこが悪趣味なの? ちゃんとおもてなししようと、用意してたのに〜」
「……お前、さ。明らかにあの形しているチョコレートとか、完璧に嫌がらせだろうが。……干し葡萄入りとか言われても、見た目からしてアウトだろーよ。あの時は無理して食べたけど、気分的にも最悪で……俺はあれ以来、冗談抜きで甘いもの食えなくなってんだぞ?」
「そうなの? そうなの〜?」
根本的に自分の悪趣味が分かっていないベルゼブブに、もう何を言っていいのか分からない。一方で、俺達の会話に思うところがあるらしい。俺が言わんとしている事を理解して、涙目のウコバクが口を挟む。
「あい……あの、マモン様」
「あ?」
「……心中、お察しするでヤンす。これに関しては間違いなく、ベルゼブブ様のセンスが悪いです……。おいらもベルゼブブ様のおかげで、茶色い布が妙に苦手になったでヤンす」
「あ、そうなんだ……。何だ、お前達も苦労してんのな……」
「あい……」
変な所で同志を見つけて、2人で互いに慰め合うように頷き合う。きっと、俺達の会話が何を意味するのか、薄々察知したんだろう。同じ暴食の悪魔でもあるエルダーウコバクが、これまた切なそうな表情をするついでに気を利かせて……さり気なく場を繕ってくれるが。……あまりに丁寧なフォロー具合に、ソリが合わないとか勝手に思ってて、少し申し訳ない気分になる。この調子であれば、リッテルの事について教えてくれるだろうか。
「そういう事……。それじゃ、マモンは無理して食べなくてもいいよ。代わりに、お茶をもう1杯いかが?」
「あ、うん。折角だから、貰おうかな。……で、さ」
「うん?」
「実は、エルダーウコバクに聞きたいことがあって、ベルゼブブに付いてきたんだけど。ちょっといいか?」
「もちろん、構わないけど。あ、それとな。俺のことはハーヴェンでいいから。そっちの名前で呼ばれると、違和感があるし」
「そういうもんか?」
「そういうもんだな。エルダーウコバクは悪魔としての種類名だから。妙に嫌われている気がして、却って落ち着かない」
何かを見透かされたように、そんな事を言われるが。個体名ってのは、意外と大事な要素みたいだなー。
(俺は個体名しかないから、今ひとつ、ピンと来なかったが……。そうか。……そういうもんなんだな)
それにしても、名前か。グレムリン達も個体名に舞い上がっていたフシがあったし、あいつらの馴れ馴れしさは名前をやってから加速した気がする。今はリッテルがいなくなった事もあって、俺に甘えているのだろうが。名前があるって事は、ちょっとした安心材料になっていたりするんだろうか。しかし……リッテルがいなくなって、1番甘えたいのは俺の方なのに。……どうして、あいつらは空気を読まないんだろう。
「ね、悪魔のお兄ちゃん。もしかして……お兄ちゃんは恋とかってした事あるの?」
「……へっ?」
リッテルの事を思い出していたら、俺の心情から面倒な事を拾って、エルノアちゃんが迷惑な事を聞いてくる。まさか、ここで恋バナを振られるとは思いもしなかったが……何、このトラップ。
「えっと……」
「エルノアちゃんがそう言うってことは……はは〜ん。マモン、リッテルちゃんの事、考えてたでしょ?」
「ゔ、うるさいな。……別にいいだろ、今は会いたくても会えないんだし。……少しくらい、考えたって」
「リッテルさんって……確か」
「ギノはその方を知っているのかい?」
「はい。以前、マスターの同僚さんという事で、お食事に来たことがありましたけど……」
「そうそう! リッテルさん、すんごい綺麗な人だったよね! あ、そっか! 綺麗なリッテルさんに、お兄ちゃんは恋をしているの? いいな、いいな〜!」
「恋、と言うか。えぇと……」
ベルゼブブがリッテルの名前を出した途端、彼女と面識があるらしいエルノアちゃん達がワクワクした様子で俺の言葉を待っている。面識がある事自体は、ルシエルちゃん繋がりで自然なのかもしれないが。ここで彼女との関係を色々と掘り下げられるのは、流石に恥ずかしい。
「リッテルはマモンのお嫁さんなんだよ。訳あって、彼女の方が神界から出られなくなっててな。それで、離れ離れになっちまってるんだ」
「そうなんですかい? 悪魔の旦那」
「うん。まぁ、詳しい事情は俺も知らないけど。マモンは奥さんがどんな風に神界で過ごしているか、心配で仕方ないんだろうな」
「そう、だったのですね……。まぁ、なんてお寂しい事でしょう……」
「あい……。怪盗紳士グリードの気持ちが、分かる気がするでヤンす……」
新しいお茶を出してくれつつ、サラリとフォローするエルダー……じゃなくて、ハーヴェン。この場合は簡潔にそこまで言ってしまった方が、色々と余計な事を聞かれなくて済むという判断なんだろう。
彼の言葉が功を奏したのか、悪い事を聞いてしまったと口を噤むエルノアちゃんに、変な方向に勘違いして目を潤ませている猫2人。更にウコバクが少し、身に覚えのある事を言い出したが……これは放っておこう。そうして情報発信源のハーヴェンはそこまでオープンにしたついでに、責任を取るつもりなのか、リッテルの現状もフンワリ教えてくれる。
「ちょっとしたトラブルで、リッテルは謹慎期間中らしいんだけど……ルシエルの話では、そんなに長期化しないって事だったし、ちゃんと魔界に帰してくれるって言ってたぞ。具体的な期間は知らないし、魔界の時間だと結構な長さになるだろうけど。多分、そこまで心配しなくても大丈夫じゃないかな」
「本当か、それ……?」
「本当。あっちはあっちで、ルールがある中で手を尽くしてくれているみたいだから。そんなに気を落とさずに、もうちょっと待っててやってくれる?」
「そうか。リッテル、無事なんだ……」
「ふふ、良かったねぇ、マモン〜」
「……そう、だな。とりあえず、それが聞けただけでも、良かったかな……」
リッテルは無事。しかも、きちんとこっちに帰してもらえるらしい。そうと分かれば、いくらでも待っていられる気がする。
「そっか。マモンが俺に聞きたい事は、リッテルの事だったんだな。随分、しょんぼりしていると思っていたが……それは心配で仕方ないよな。でも、どう? 少しは気が晴れたか?」
「あ、あぁ……そうだな。……大分楽になった。今日は突然、邪魔して悪かったな……俺はそろそろ帰るよ。グレムリン共を留守番させたままだし、魔界の時間は進みも早いし」
「そう? あぁ、そうだ。だったら、お前が食べなかった分、持って帰れよ。向こうで、その子達に分けてやって」
そうして、手慣れた様子でプラリン・ルージュを袋に詰めて渡してくるハーヴェン。つくづく気が利く奴だと思う反面、どうしてこいつは俺の配下でもないのに……ここまで気を回してくれるのだろうと、不思議なんだが。
「ハーヴェンはね、お料理するのが好きなの。で、お料理を誰かに美味しいって食べてもらうのが、とってもいいんだって」
「そうなの?」
「ま、そういう事。たくさん作ったし、持って行ってくれると助かる。俺は、自分の料理を大勢に楽しく食べてほしいタチなの。だから、みんなで仲良く食べてもらえると嬉しいぞ」
最後まで俺の心境を読むことに余念がないエルノアちゃんに引っ張られて、ハーヴェンからそんなお言葉を頂くが。屈託のない表情に、ベルゼブブがこっちに馴染みたがるのが、よく分かった気がした。これが……楽しい団欒ってヤツなんだろうな、きっと。




