8−43 VIP待遇
「さて、と。勢いで来たはいいけど……あぁ〜。この感じ、超苦手だな……」
夕刻を迎えて、やたら煌びやかな中に、場末の雰囲気を帯びた洋館の前に降り立つ。ここはアスモデウスの娼館……なんだけど。実際にお邪魔するのは、俺自身は初めてだったりする。だけど、外見がこの調子なのだから、中もきっと……。
(ケバケバしいんだろうなぁ。なんで、こうも下品な色合いをしているんだろう……)
ド派手なピンク色とスミレ色。そんでもって、屋根とかドアは赤と黒。ベルゼブブの屋敷よりは遥かにマシだが、俺からすれば両方とも「悪趣味」の一言に尽きる。
「まぁ、いいか。お前ら、俺から離れるんじゃないぞ」
「はぁい」
「マモン様。ここで何をするです?」
「うん? ほれ、お前達のお友達をマシな状態にしてやろうと思ってな。ここの主人に会いに行くぞ」
「分かりましたです。僕達、マモン様から離れないです」
「マァ〜……」
お友達自体が寂しそうだったので、グレムリン共も一緒に連れてきたんだけど。こいつらも纏めてとにかく側に置いておけば、留守番させるよりは安心だろうし。俺自身も必要以上に気を揉まなくてもいいか。
「……マモン、何しにきたのよ?」
「あ? お前、誰だっけ? まぁ、いいや。今日は俺、アスモデウスに用事があるんだけど」
「ちょっと! なに忘れてんのよ! アーニャよ、アーニャ‼︎ ったく……あの時は無理矢理、襲いかかってきたくせに!」
「ふ〜ん……そういや、そんな事もあったような、ないような」
本当はよく覚えているんだけど、それに関しては……あまり、深追いしたくない。それに、今はこいつに構っている暇もないし、興味もない。
「うぐぐ……と、とにかく、アスモデウス様は忙しいの! 利用者じゃないんなら、帰ってちょうだい!」
「利用者、か。確かに、俺はここ自体には用ないんだけど。それじゃ、オスカーを呼んでくれる? ……落とし前を着けに来たぞ、って言えば通じると思うし」
「……お、落とし前……?」
「あぁ。会合で色々と不愉快な思いをさせられてなぁ……。娼館を丸ごと吹き飛ばされたくなかったら、サッサとアスモデウスに会わせろって伝えてくれるか」
「……わ、分かったわよ……。ちょっと待っていなさいよ……」
指を鳴らしながら、脅すように言ってみれば。リリスのクセに利用者の整理をやらされているアーニャが、ようやく俺の言うことを聞き分けて、中に引っ込む。
にしても……既にかなりの列を作っている利用者の顔ぶれを見るに、アスモデウスはアスモデウスで管轄外の悪魔もきちんと受け入れてはいるらしい。リッテル病院の行列とは違う意味で異様な光景が広がっているが、その順番は「みんな仲良く」ではなく……序列による優先順位が決まっている様子だ。時折、怒号混じりに割り込む者もいて、順番待ちはあってないようなものなんだろう。そのおかげか、俺には「VIP待遇」でアーニャがわざわざ声をかけに来たようだが。本来なら、並ぶべきだったのかもしれない。
「マモン様、ちょっと怖いですよぅ」
「おいらも……」
「どうして、みんなこんなに……怖い顔で並んでるですか?」
「……仕方ないだろ。ここはアスモデウスの領域だ。リッテルの時は“優しい院長の治療”っていう餌がぶら下がってて、ご褒美の条件が“みんな仲良く”だったから、患者さん達は大人しくしていたに過ぎない。だけどここでは、ご褒美の条件に“みんな仲良く”は含まれていない。だから順番を無視したり、怒って割り込む奴がいるんだよ。所変われば、ルールも変わる。アスモデウスの領域では、平和主義は通用しないぞ」
「そう、なんですね」
「マァ〜……」
「まぁ、お前達は心配しなくていい。俺から離れないようにだけ、気を付けておけ」
「はぁ〜い……」
改めてグレムリン共に言い含めたところで、向こうから慌ててオスカーが飛んでくる。オスカーの予想外の登場に黄色い声が上がるのが、とても居た堪れないが……このヤギメガネのどこが、そんなにいいんだ?
「こ、これは、マモン様! 偉大なる魔界の真祖様を、長らくお待たせ致しまして……申し訳ありません!」
「社交辞令はいい。とにかく、アスモデウスに会わせろ」
「女帝様に……ですか? えぇと……」
「何か不都合でも?」
丁寧に腰を折る割には、オスカーの歯切れが悪い。……どうも、何かあるっぽいな。
「えぇ……本日はアスモデウス様の“花探し”の日なのです。我々色欲の悪魔にとって非常に重要なイベントのため、アスモデウス様も準備にご多忙と言いますか……」
「花探し?」
「欠員が出た関係で、穴埋め要員を募集しているのです。本日は通常稼働とは別枠で、色欲の悪魔のコンテストが行われるのですよ。それで……アスモデウス様のお眼鏡に適えば、晴れて昇進。インキュバスに仕立てられるというわけです」
「あぁ、アスモデウスもそんな事を言ってたっけな……なるほど。インキュバスっていうのは、随分と下らない基準で昇進するんだな」
「マモン様、昇進ですか?」
「それって、偉くなることです?」
「おいらも偉くなれます?」
オスカーの話を妙な所だけ聞きかじって、騒ぎ出すグレムリン達。多分、オスカーの言う「昇進」は真祖の能力をギリギリの所で悪用した、職権乱用の紛い物だろう。
「……お前達には無関係な話だ。悪魔は闇堕ちした時の苦痛に比例して、実力が決まる。でも、アスモデウスは真祖の能力を都合よく使って、見せ掛けの上級悪魔を作っているんだろうよ」
インキュバスは上級悪魔とされているが、実際の実力は中級悪魔程度……それこそ、本来の上級悪魔であるリリスよりも遥かに弱い。アスモデウスに都合よく作り変えられた実力で、上級悪魔を名乗っているだけなんだろう。
「真祖の能力?」
「それ、マモン様も使えるです?」
「まぁ、一応な。……この間、真祖には欲望とセットの紋章があると話したが。こいつは相手から力を奪うだけじゃなく、与えることもできるんだよ。ただ、元の実力がない奴に力を与えても高が知れてるし、何より……紋章を刻まれた奴は、その瞬間から真祖に全てを捧げないといけない。そして、力と引き換えに奪われた自由は、余程のことがない限り……戻ってこない」
「……その通りです。それでも、アスモデウス様は自らの全てを捧げても惜しくない程に、色欲の悪魔にとっては至高の御方なのですよ。非常に悔しいですが……マモン様が相手では、魔界の誰もが“取るに足らない相手”でしょう。分かりました。今日はその超大物を特別にご案内致します。アスモデウス様のお召し替えも済んでいる頃と思いますし……こちらへどうぞ」
思いの外、残酷な実情をすんなり腹に落とし込んで……意外と話が分かるヤギメガネが裏口から俺達を招き入れる。洋館の外見からちょっと覚悟をしていたのだが、内装はそこまでケバケバしい様子はなく、全体的に暗褐色で覆われているのに、心なしか安心しちまった。
「……ところで、マモン様。本当のご用件は何でしょうか? 噂を振りまかれたことに腹を立てて、お越しになったわけではないのでしょう?」
「まぁ、な。今日はアスモデウスが拵えた“お友達”の相談をしに来たんだけど」
「お友達?」
怪訝な声をあげながら、ようやく俺の足元にくっついている最下落ちを見やるオスカー。そうして、さも穢らわしいとでも言うように……鼻筋に険しい皺を寄せる。
「まさか……それこそ、この取るに足らない下等生物のために、お越しになったと?」
「違うです!」
「リッテル様、そんなこと言ったら、悲しむです!」
「そうですよぅ! この子も生きてるです!」
吐き捨てるような慇懃な悪態に、グレムリン共がすかさず抗議の声を上げるが。……何だろうな。奴らの基準がリッテル仕様なのが、妙に気がかりだ。
「あぁ〜……お前ら、少し黙ってろ。ヤギメガネがそう言うのも仕方ねぇんだよ。こいつは大罪人なの。本来なら、袋叩きに遭うのが普通なんだから。リッテルの天使基準は魔界では通じないことくらい、理解しておけよ」
「あぅぅ、でも可哀想ですよぅ」
「ハイハイ、とにかく黙れ。それをどうにかしてやろうと、こんな所に来てるんだから。余計な口は挟むな」
「うぅ、分かったです……」
「おいら、マモン様の言うこと聞くです……」
下級悪魔は下級悪魔なりにまだ素直だから、可愛げはあるものの。3人もいると、色々と煩い。全員連れて来たのは、失敗だったかな……。
「……マモン様も随分、お変わりになりましたね」
「あ?」
「いえ、何でもありません。……失礼致しました。少々、こちらでお待ちいただけますか。アスモデウス様に用件を通して参ります」
「分かった。サッサとしろ」
では、と軽く会釈をしながら引っ込むオスカーの指示に従って、舞台の袖裏と思われる場所で待つこと数分。妙に含みのあるさっきの言葉を反芻していると、今度は別のインキュバスがやって来て、俺達を控え室に続くらしい廊下に迎え入れる。オスカーと雰囲気が違うそいつは、身のこなしから……明らかに、インキュバスの中でも頭抜けていると思われるが。……あぁ、なるほど。こいつはきっと、「本物の上級悪魔」なんだろう。
「お待たせしまして、えらいすみません。……って、おぉ! ゴジちゃん達じゃないっすか。元気してたかい?」
「あ! ジェイドのお兄さん!」
「僕達、元気でしたよぅ?」
オスカーには警戒していたのに、「ジェイドのお兄さん」には嬉しそうに手を振るグレムリン共。……こいつらは友好的な態度をちょっとでも取れば、誰にでも懐くんだろうか。
「お前さんがこいつらの言っていた、“この間のお兄さん”か。……ふぅ〜ん。きちんと実力もあるみたいだし、落とし前の相手はお前がする事になったのか?」
「アハハ、マモン様の足元には遥かに及ばないっすよ。俺はただ、特別ゲストをお呼びに来ただけっすよ? しかし……俺がちょっと強いのが、よく分かりましたね?」
「……オスカーの肉付きは明らかに偽物だったが、お前のは違うだろ。妙に右肩が下がっているのを見ても、普段から武器の鍛錬をしている……そうだな、腿が太くなっているところから、バスタードソードか何かか? 結構、重量のある得物を振り回している感じがするけれど」
「ただ歩いているだけで、そこまで見抜いてくるんすね……。いやぁ〜……今度は是非、魔界第1位の剣豪に稽古をつけて欲しいっすねぇ。色欲の悪魔は愛想を振りまくのが、性分っすから。俺みたいに武器の扱いや魔法の鍛錬をする奴は皆目、いなくて……。張り合いがないのが、正直な所ですね」
「……」
お調子者の割にはサラリと相手を持ち上げつつ、的を射た回答をしてくる所を見ても……こいつはある程度、警戒した方がいい相手のようだ。
武器の扱いだけではなく、頭の回転の速さからしても、魔法も相当に使えると見ていい。それに……張り合いがないとか言っている時点で、鍛錬は単独で行なっているものなのだろうが……。靴音を最低限に抑えるような足捌きが、場数を踏んでいる奴のそれでしかない。こいつは間違いなく、実戦をかなり積んでいる手練れ……グレムリンを連れている事も考えると、状況によっては実力行使で押し切る必要があるかも知れない。
そんな事を考えながら暫く廊下を進むと、目的地に辿り着いたらしくて、ジェイドが一際目立つ扉の前でピタリと足を止めた。……さて。これから大嫌いなアスモデウスに色々お願いしないといけないのだが。あのババアが素直に言う事を聞くとも思えないし……仕方ない、ご返答次第では強行突破するしかないか。




