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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第8章】悪魔の概念
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8−37 ミルナエトロラベンダー

 何かあると、ここで考え事をする癖が「あの日」から抜けなくて、困っている。

 情けなく角を落とされた、あの日。溶けた氷で冷え切った身を抱えるように、ここにたどり着くと……悔しさと悲しさを綯交ぜにした気分を引き摺ったまま、かなりの時間を眠って。目覚める頃には、何もかもを諦めていたはずだった。そう、諦めていたはずなのに。結局、俺は未だに強欲でワガママなままだ。

 自分の欲望を捨てられないまま、足掻きと渇きをどうにかしようと踠いて……それも今の今まで、うまく行かなくて。それでも……他の何を捨て置いてでも、手放したくない相手を見つけたのに。それすらも、この手からすり落ちて行きそうで。もうこれ以上、どうすればいいのか分からない。


(相変わらず、ここは静かだな。まぁ、無理はないか……)


 目の前に広がる、一面の花畑。魔界じゃ珍しい光景だが、綺麗な景色にも関わらず……この花園には誰も足を踏み入れてこない。いや、踏み入りたくても踏み入れられない、が正しいか。儚げに揺れる紫色の花……ミルナエトロラベンダーは魔界の瘴気を浄化して、ひっそりと光属性を帯びた吐息を漏らし続けている。

 ミルナエトロラベンダーの砂糖漬けは風邪に効果がある一方で、触れられる悪魔は光属性への耐性をある程度、持っている者に限られる。だから、この場所に足を踏み入れられるのは余程の上級悪魔か……真祖くらいなもんだろう。

 そんな事を考えたところで、誰にも邪魔されない安心感と孤独感を感じながら、目を閉じる。これじゃまるで……あの時と同じ、独りぼっちに逆戻りじゃないか。


***

「どうしたの〜……そんなに泣いてたら、折角の美人が台無しじゃない〜。ほら、落ち着いて? ね、僕もお話聞いてあげるから」

「す、すみません……。えぇと……」

「うん?」


 ヤーティの元から逃げ出して来たサタンの相手をしていたところに、珍しく「彼のお嫁さん」が単身でベルゼブブの屋敷にやってきた。既にボロボロに泣いた後らしく、緑色の瞳は少し充血しているが……彼女の余りに痛ましい様子に、ベルゼブブは元より、色恋沙汰にも疎いサタンも心配そうな顔をしている。


「主人が行きそうな場所に、心当たりはないでしょうか……」

「主人? って、マモンの事か。で、マモンが行きそうな場所? どしたの? アイツ、いなくなちゃったの?」

「多分……私がした事が、気に入らなかったんだと……思います……」

「君がした事?」

「……最近、怪我を治して欲しいと、色んな悪魔さんが訪ねてくれるようになったのですけど……」

「あ、あぁ……そうなんだ……」


 原因に心当たりがある以上、バツの悪い気分になるベルゼブブ。そう言えば昨日、アスモデウスが面倒になりそうな事を言っていたし……想像以上にマモンの神経を逆撫でしてしまった事に気づくと、今更ながらに申し訳なく思う。


「……それで、私はこちらにいる間はできる事をしようと、皆さんの傷を治していたのです……」

「うん……」

「時折、お気遣いをくださる方がいて……お土産を頂く事も増えてて……」

「なるほど?」

「ただ、主人にはそれがあまり、面白くなかったみたいなんです。予想以上に……主人を傷つけていたみたいで。今まで何があっても、無言で出て行ってしまうなんてなかったのに……。私の所にはもう、帰って来てくれないのかしら……!」


 苦しそうに吐き出すと、更に泣き出すリッテル。涙の理由はそれだけではない気がするが。彼女を泣き止ませるためにも……少し彼の事を話してやってもいいかと、ベルゼブブはため息交じりでリッテルに話しかける。


「マモンはあれで、複雑で繊細なところがあるからねぇ……。領内に配下以外の悪魔が出入りするのを極端に嫌う傾向があったし、単独行動が好きだったし。そのクセ、独占欲は異常に強いから……リッテルちゃんはその辺を纏めて、逆撫でしちゃったのかもしれないけど……」

「そう、だったのですね……。そんな事なら、傷を治すのを断ればよかったのかしら……」

「あぁ、いや。それは大丈夫だよ。君のした事でマモンの株が上がってたのも、間違いないし」

「主人の株……?」

「昨日、真祖の会合があったんだけど。マモン、超人気者だったよ〜。玉座が欲しくて仕方ないサタンとリヴァイアタンを差し置いて、多数決で圧勝するくらいだったし」

「う、うるさいぞ! ベルゼブブ! 大体、なんでマモンがあんなに人気があるんだ⁉︎」


 自分を引き合いに出されて、不服を申し立てるサタンをさも慣れたように、諌めるベルゼブブ。サタンはサタンで、会合の顛末で約1ヶ月コースの「お仕置き」を食らっている最中なのだから、彼の不満も当然かもしれないが。……少なくとも、マモンのせいでもないだろう。


「それは仕方ないっしょ。明らかにマモンが1番マトモだったし……。まぁ、それはさておいて。以前のアレは……君も知っての通り、かなりの荒くれ者でねぇ。でも、今はそうでもないでしょ? ……それ、君がこっちに来てからだから。今じゃ、マモンは天使のお嫁ちゃんの尻に敷かれてるって、専らの噂だよ?」

「そ、そんな! 私、そんなつもりは……! でも、そこまで言われる程に……彼に無理をさせていたのかしら……!」


 何を言っても、ネガティブになってしまうお嫁さんを、慌てて宥めるベルゼブブ。泣き止ませたいのに、更に泣かせてしまったのでは、元も子もない。


「いや、そういう意味ではないんだけど……。魔界はそれなりに広いけど、噂はあっと言う間に尾鰭が付きまくって広まったりするから。君が来て、その手元で治療も許してて、天使ちゃんが魔界にいられるように色々と手を尽くしたとあれば……まぁ、回復魔法を使えない悪魔にとっては、拠り所ではあるよねぇ。それが例え、些細で現実と相反することであっても、表向きの事実はすんなりと受け入れられたりするんだ、魔界って場所は」


 そう、魔界はそういう場所だ。噂は真実に基づいていなくても、面白おかしく伝播するし、アッサリと仮初の事実として広まってしまう。それがいい事だろうと、悪い事だろうと。悪魔にとって、噂は一種の余興でしかない。自分が当事者でない限りは、面白ければ大抵はヨシとされてしまう。


「でも……君が心配で泣いている時点で、表向きだけの事実でもないんだろうね。フゥ……だったら、可愛いお嫁ちゃんにヒントをあげちゃおうかな。……マモンは今頃、秘密の花園にいると思うよ」

「秘密の花園……?」


 魔界に似つかわしくない地名に、リッテルが首を傾げる。涙はまだまだ止まらないが、ロマンティックな響きには、興味が唆られる様子。


「うん。マモンの領内には1箇所、ミルナエトロラベンダーが群生する場所があるんだよ。この花、超貴重なもんだから、あれだけの規模で咲いている場所は他にないかもねぇ。とは言え、特性上、光属性に弱い悪魔は立ち入りさえ難しい部分があるんだけど。マモンにはある時から、考え事をする時はそこに引きこもる癖があってね」

「ある時……?」

「具体的には……ハーヴェンに角を折られて、氷漬けにされた事があってから、かな。ミルナエトロラベンダーは風邪に効くから、ひっそりと風邪を治すのに使ったんだろうね。それ以来、1人になりたい時はその花園でボンヤリする事があるんだって……以前、冗談ついでに話していた事があったけど。マモンは玉座を追われてから、何かに取り憑かれたように、嘘と事実を半分半分で吐き出すようになっててさ。そう考えたら……君の存在は、彼の拠り所にもなっていたのかも。リッテルちゃんが来てから、嘘もつかなくなったし……」

「そう、だったのですね……」


 話を最後まで聞いた後、何かを覚悟したようにリッテルが顔を上げる。そして、彼女の表情に確かな何かを読み取ると……ベルゼブブは少し寂しい気分になりながら、彼女の言葉を待つ。


「……ベルゼブブ様に1つ、お願いしてもいいでしょうか」

「うん、いいよ。何かな?」

「私の髪の毛で彼にニットを作ってあげて欲しいんです……。もう2度と凍えないように……」

「そう。その位なら、お安い御用だよ。ただ、どの位切っちゃうの? 綺麗な髪にハサミを入れるのは、ちょっと忍びないなぁ……」

「根元からバッサリお願いします。もし余るようであれば……クランちゃん達と最下落ちちゃんにも、マフラーを作ってあげてください……」

「クランちゃん達と……最下落ち?」


 リッテルの口から、不穏な存在が飛び出したものだから、ベルゼブブは思わず眉を顰める。……まさか、彼女の口から「最下落ち」だなんて言葉が出るとは。


「グレムリンちゃん達3人に、名前をあげて欲しいとお願いして、彼らに祝詞と名前を授けてもらったんです……」

「あぁ、そういうことか。そう言えば、ちょっと前に僕にも真祖の仕事をどの位してる? ……なーんて、変な質問をしに来た事があったけど。なるほどねぇ。で、最下落ちって方は?」

「今日、大怪我をした小っちゃな黒い悪魔さんが来て……。何かの罰で、そんな状態になったと聞かされて」

「……そう。それで?」

「この子を元に戻してあげられないのか、と聞いたんです。何か方法はないのか、と……」


 どうやら、彼女に「最下落ち」について説明したのは、マモン本人だったらしい。しかし、その後に続くリッテルの話に……ベルゼブブはマモンが飛び出した理由をまざまざと思い知る。

 いくら、マモンであっても彼女の願いを叶えてやるのは難しい。だから、彼は堪らず逃げ出したのだろう。きっと……彼女の願いを叶えられない状況に、耐えられなかったのだ。


「あちゃ〜……これはまた、随分な難題を吹っ掛けたねぇ。知らなかったとは言え……それ、かなりマズイよ」

「やっぱり、そうなのですね……」

「最下落ちを元に戻すのは無理だけど、下級悪魔に仕立てる方法はあるんだよ。ただ、自分が罰を与えた相手じゃない限り……その手順は煩雑かつ、かなりのリスクを伴う」

「リスク……」


 最下落ちを救うには、それなりの代償が必要だし、相当の覚悟もしなければならない。だが……領分違いの相手に対して、そこまでやってやる義理は、真祖とて持ち得ていない……がホンネであろう。自分の配下を気にかけこそすれ、領分違いの悪魔の分まで面倒を見る程、彼らもお人好しではないのだ。


「最下落ちになるよーな大罪人を庇うには、手続きと覚悟が必要ってことさ。手順としては、罰を与えた真祖に交渉をして、紋章の上書きをするんだけど……まず、紋章の上書きには膨大な魔力を消費する上に、儀式1回だけで真祖側が死ぬ可能性もある。それを無事に乗り切ったとしても、下級悪魔に戻してやるには、最下落ちに自分が領分とする根源を根気よく刷り込むしかない。その刷り込みだって、並大抵の事ではできない事なんだ。……悪魔は闇堕ちの瞬間に、落ちる先が決まるからね。絞りカスみたいな理性に根源を植え込むのは、かなり苦労するし、馬鹿げてる。そんな苦行を、嫌がる彼に強要するのは、あまりにアンフェアだよ」


 一気に吐き出したところで、リッテルの反応を気にするベルゼブブ。神妙な面持ちで泣き出さないのを見るに……この先も話しても大丈夫そうだと、判断するものの。意外にも、リッテルは無知でワガママなだけでもないらしい。


「だからせめて、君の何気ないお願いはマモンを苦しめる以上に、危険に晒す事かもしれない事だけは分かっておいて。まぁ、そういう事であれば、最下落ちはそのまま保護するのがいいんじゃないかな。……それすら、あり得ない事だけど。今のマモンなら、やってくれそうだし」

「そう、ですね……。私のワガママが彼を苦しめていたことを……よく理解しました」

「その言葉、嘘じゃなさそうだね。そういう事なら、僕もとやかく言うつもりはないから。あぁ、そうそう。ニットを作りたいんだったよね。えぇと……それじゃ、髪の毛をもらうよ。すぐに作ってあげるから」


 明らかな「地雷」を避けつつ、ベルゼブブが一思いにリッテルの髪の毛にハサミを入れる。落とされた髪の毛を手に、彼女の望みのものを作り出そうと、魔法道具の錬成に取り掛かるが……。


(何だろうなぁ……。これ、きっと……あぁ、僕もちょっと切ないよ……)


 少し上の空になりながらも、きちんと髪の毛と同じ桃色のニットとマフラーを作り上げて、そのまま手渡すベルゼブブと……柔らかな笑顔を見せて、丁寧に頭を下げるリッテルだったが。下げられた頭が少し揺れているのを見るに、彼女はまた涙を落とし始めたらしい。その様子が更に居た堪れないと、ベルゼブブが彼女の背中を優しく摩る。


「……何かあったら、いつでもおいで。君がここに来るのは、次はだいぶ先だったとしても。僕で良ければ、話し相手くらいにはなるから。さ、とにかくマモンの所に行くんだ。ミルナエトロラベンダーの花園は、空から見れば一発で分かるだろうから、迷うこともないだろう」

「はい……色々とありがとうございました……。本当に……ありがとうござました……」


 掠れて……それでいて、しっかりとした返事をしながら一層に深く、深く、丁寧に頭を下げるリッテル。そうして最後は涙を拭って、晴れ晴れとした表情で去っていく彼女を見送りながら……ベルゼブブはさもやり切れないと、深くため息をついた。

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