表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第1章】傷心天使と氷の悪魔
30/1100

1−30 竜神の逆鱗

 残り僅かな魔力に絶望し、二度めの死さえも覚悟した刹那。しかし、私の覚悟を宥め賺すように……待てども、死の瞬間は訪れなかった。もしかして……痛みを感じる間も無く、死んだのか? にしては、随分と感覚が残っているような……?

 そこまで確認して、どうやら自分が生きているらしい事に気づくと……恐る恐る、目を開く。拓けた視界の前には美しい青い炎が自分達を守るように壁となって陽炎を作り出しており、炎の向こうには黒い何かが立ちはだかっているのが見えた。初めはあまりの大きさに、何が何だか見当もつかなかったが……どうやらそれは、ビッシリと埋め尽くされた鱗の波であったらしい。

 その主を探して見上げれば、それは漆黒の鱗を纏った悠に30メートルを越えようかという、巨大なドラゴンだった。炎を灯したような揺らめきを宿した立派な真紅の角に、両の翼は私達を庇うように大きく広げられている。そして、長く伸びる尾には一列に赤い棘が出ており……棘1つ1つが、既に私の身長より長い。こちらに背を向けていると言うことは、敵ではないということか……?


「……やっと、見つかった。遅くなって、すまない」

「と、とう……さま……!」


 傷だらけのエルノアの吐息に混じり、目の前のドラゴンが何者なのかを示す言葉が紡がれる。

 まだ昼前だというのに、あたりを闇夜と見まごう影に染め上げる、巨大な漆黒のドラゴン。「父さま」と呼ばれて、彼は目線だけでこちらを確認しているが……エルノアの息があることに安心したのか、左手の爪で小さく弧を描くと、何かの魔法を発動させたようだった。

 その瞬間、足元に暖かな魔力の流れを感じると同時に、半径3メートルほどの白銀の光を纏った魔法陣が描かれている。魔法陣の色と形状からおそらく、光属性の回復魔法と防御魔法だとは思うが。魔法陣が4重である時点で、魔法名が分からずとも、とんでもない魔法であることは一目瞭然だ。詠唱もなしに、一瞬でこれほどの魔法を発動させてくる目の前のドラゴンが……只者ではないことは、すぐに分かる。


「……魔法陣から出ずに、少し休んでいなさい。それと……話が後になってしまって恐縮ですが、そちらの天使殿と悪魔殿にエルノアをお任せしても?」


 深く、くぐもっていて……それでいて、透き通った男性の声。だが、丁寧ながらも威圧感のある言葉に、声を出す事もできず……ハーヴェンと2人でただただ頷く。その様子に満足したのか、「父さま」の目元がわずかに優しく緩んだ気がした。


「……さて。私の娘の翼を捥ぎ、土をつけた愚か者はどちらでしょうか?」


 そうして今度はアヴィエル達の方に向き直ると、「父さま」が静かに言葉を続ける。慇懃な言葉遣いではあるものの……語勢からしても、彼が怒っているのは明らかだ。一方でエルノアは意識が朦朧としているようだが、魔法の効果か息は少し落ち着いてきた様子。エルノアの回復に安心したと同時に、自分の中に妙な好奇心が戻ってきたのを感じて……なぜかちょっと申し訳ない気分になりながら、怒りを纏った漆黒の背中にサーチ鏡をかざす。


【バハムート、魔力レベル測定不能、規格外。竜族のエレメントマスター、炎属性。ハイエレメントとして闇属性を持つ】


「……ちょっと待て。規格外って、そんなのありか? ということは、あのバハムートってドラゴンはあり得ないくらい強いってこと……だよな?」


 興味本位でサーチ鏡の情報を覗いたハーヴェンが、呆れ気味にため息を漏らす。どうやらバハムートと言うらしい竜神の魔法は、悪魔にも効果を発揮していたらしく……既にハーヴェンの左肩は完治していた。

 それはともかく、あの「父さま」はちょっとやそっとの天使では、太刀打ちできない相手だろう。どうやらアヴィエル達は……絶対に踏んではいけない虎の尾を、思い切り踏んでしまったようだ。


「……私の娘を傷つけた愚か者は、誰だと聞いている! さっさと答えぬかッ⁉︎」


 先程の柔和な口調よりも遥かに激しい言葉と同時に、今度は数え切れないほどの赤い閃光を纏った魔法陣が1枚の壁のようにあたりを埋め尽くす。1つ1つの魔法陣は1重、ごくごくシンプルな炎属性の攻撃魔法、恐らくファイアボールだと思われる物だが……。


「オイオイオイオイ……! なんて数だよ……ざっと見ても、100以上はあるぞ! しかも、錬成度が半端じゃない。ファイアボールのくせに炎が青いときたもんだ……!」


 何かに慄くようにハーヴェンが呟くが、彼がここまで驚くのは決して大げさでもない。なぜなら、目の前で1枚の壁を成しているこれは、明らかに「異常な魔法」だ。

 まず、数が圧倒的に多い。いくら初級魔法の同種多弾とはいえ、この数は度を超えているとしか言いようがない。しかも彼は回復系の魔法……既に傷が塞がり、捥がれた翼が再生しつつあるエルノアの回復速度を鑑みても、相当上位の……を発動させたばかりの上、魔法の効果は継続中。今まさに私達の足元を照らす回復魔法にも神経を巡らせているはずなのだが、効果を損なうことなく追加で魔法を発動させている。

 更に初級魔法のファイアボールで青い炎、つまり高熱の炎を作り出すには相当の錬成度が必要だ。錬成度を高めるには一箇所に集中して時間をかけて魔力を練り、構築する必要がある。しかし彼の魔法には、そのどちらもしている様子は見受けられなかった。

 つまり、目の前の竜神は一瞬で100以上のファイアボールを展開した上に、瞬時に全てを錬成度最高レベルに構築したことになる。……規格外、とはよく言ったものだ。


「……相当レベルの竜神様とお見受けします。あなた様のご息女とは知らず……とんだ無礼をお許しください。彼女に攻撃を加えたのは、私です。私の一存で、彼らへの攻撃を行いました。ですから、制裁は……この私めにお与えください」

「……君1人で、竜族の防御壁を破る攻撃ができるとでも?」

「えぇ、できます。このラディウス砲を用いれば、少しの魔力で最大限の攻撃が可能です」


 圧倒的な存在の前で、恐怖に泣き始めている者がいる中で……頰が赤く腫れたままのリヴィエルが、殊勝にも名乗り出る。バハムートはしばらく、そんな彼女の様子を窺っていたようだが、……自分から視線を逸らさないリヴィエルの覚悟を感じ取ったらしい。少し首を振ると、右手の爪を弾いて展開していたファイアボールの魔法陣を全て解除してみせた。


「……ホント、色々と規格外だな。魔法の解除は強化錬成以上に、メチャクチャ面倒なはずだけど……」


 もう驚くのも疲れたと言わんばかりに、ハーヴェンが私を抱きかかえたまま、やれやれと腰を下ろす。

 魔法の解除は自分が構築したものとは言え、錬成した魔法を逆手順で魔力に分解する作業になるのだが……1つでもステップを誤ると、却って魔力を暴発させてしまい、思わぬ事故を生む結果になる。そのイレギュラーを応用した魔法もあるにはあるが、何れにしても相当面倒な手順であり、そのまま発動させてしまった方が手間もリスクも少ない。

 だが……彼はそれをしなかった。きっと、あの100連以上のファイアボールは発動させると、相手を全滅させかねないものだったのだろう。だから敢えての魔法解除なのだろうが……幸いにも、目の前の竜神はそこまで攻撃的な性格でもなかったらしい。先ほどまで感じていた、ひりつくような怒りの空気は既にない。


「そうか。……ならばその力、是非とも次は奪うためではなく守るために活用してほしい。……これ以上娘に関らないと約束するのであれば、今回は見逃そう。ただし、次は確実に無いと思いなさい」

「寛大な沙汰に、感謝いたします」


 竜神の答えに、安堵の表情と共にリヴィエルが深々と頭を下げる。しかし、他の天使が安堵の息を吐いたのも、束の間。温和な空気を壊すように……今度はアヴィエルが頓狂な声を上げ始めた。


「竜神! かの最強と名高い精霊か! なんと神々しい!」

「アヴィエル様、少し黙っていてください!」

「いや、黙っておれるか! 最強の精霊と交渉する、絶好のチャンスなのだぞ!」

「……おい、ルシエル。アイツ、色んな意味で大丈夫か? 虎の尾を踏んだだけじゃ物足りなくて、今度は竜神の逆鱗にも触れるつもりだぞ……?」


 私を静かに下ろしながら、ハーヴェンがいよいよ呆れ切っている。彼ではないが、私も正直なところ、呆れる以外に何をすべきか思い当たらない。あれについていくのには、さぞ疲れるだろう。……この場を収束させたリヴィエルが、少し可哀想になってきた。


「漆黒の竜神よ! この上級天使・アヴィエルに契約名を捧げ、我が力となることを誓いなさい!」


 救いようのない、とは正にこのことなのだろう。自己肯定もここまでくると、命がけだ。


「さぁ、名を私に示すのです!」

「私には、あなたに従う理由が見当たらないが。そもそも、我が力を得たとして……あなたは、なんとする?」

「もちろん、このアヴィエルの権威を高めて、共に神界の頂点に昇りつめようではありませんか!」

「断る」

「ハニャァッ⁉︎」


 簡素でありながら、完全なる拒絶を示されて、アヴィエルが更に間抜けな声を上げる。……この場で当然の答えを予測していないのは、本人だけらしい。


「何故です⁉︎ 上級天使である私は絶対の正義であり、全てを正しく導く者です。その正義に従わずして、なんとする⁉︎」

「……ならば、問おう。その正義は何を根拠として、正義を正義たらしめる?」

「そんなの、決まっているではないですか! 天使は絶対に正しい存在なのです。ですから、素晴らしい権威を持つ私こそが、正義そのものなのです!」

「アヴィエル様、これ以上はやめておいた方が良いかと……」

「そうですよ! また竜神様を怒らせたら、今度こそ全滅です!」


 取り巻きの天使達が痺れを切らしてアヴィエルを静止するが、彼女の勘違いは暴走したまま、収束する気配を見せない。バハムートも多分、呆れているのだろう。しばらく彼女の様子を窺っていたようだが、目の前の上級天使の勘違いが収まらないのを見限って……諭すように言葉を続ける。


「……命がそれぞれ自我を持ち、交わる中で、絶対の正義などというものは存在しないと、私は考えている。確かに、真実は1つかもしれないが……事実もまた、自我の数だけ確かに存在する。そして見たものが同じ真実だとしても、それに触れた者の数だけ事実が生まれ……しかして、自我というのは大抵、自由奔放で自分勝手だ。目にしただけの事実を都合よく真実と、正しいと思い込む。そして違う事実を持つものを嫌い、自分の持っている事実の方が真実なのだと……主張し、場合よっては殺し合う。自分にとっての事実は必ずしも、他者のそれと一致するとは限らないのに、だ。あなたの言う正義とやらも、同じこと。都合よく見えた事実を真実として、欺瞞の正義を振りかざしているに過ぎない。その正義が他者にとっても変わらず、正義である保証はどこにもない」

「精霊ごときの講釈を聞くつもりはありません! ツベコベ言わずに私と契約するのです! 精霊は天使と契約して真価を発揮するものですよ⁉︎」


 いよいよ話が通じない、と思ったに違いない。バハムートは相手をするのも疲れたと、1つため息をつくと「理性」の姿を表す。攻撃を加えるつもりはとっくにないらしく、あくまで穏便に場を納めるつもりのようだ。こちらに背を向けているため、彼の表情は分からないが……黒い燕尾服を折り目正しく着込んでいる様子から、相当に真面目な性格であることが想像できる。漆黒の髪は無造作に切り揃えられており、頭にはサイズは小さくなったものの、エルノアのものよりも遥かに長く、立派な角が赤々と煌めいていた。


「おぉ! 何と美しい! 竜神は理性の姿も絵になる。やはり、私の精霊に相応しい‼︎」

「……すまないが、あなたと契約するつもりは微塵もないし、話を続けるつもりもない。今の私はあくまで、娘を助けに来た1人の父親でしかありませんから」


 目の前の道化師を振り切るように、自分の立場を明確にしながらも……断固とした拒否の姿勢を見せる、バハムート。その背中に……やや疲れた空気を感じたのは、気のせいではない気がする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ