1−29 傷つけるためじゃなく、守るため
「さぁ、こっちにいらっしゃい。悪魔とも仲良くするような半端者ではなく、この上級天使・アヴィエル様と契約なさいな」
「取り巻きを連れていないと何もできない羽虫が、何言ってやがんだ! エルノアはルシエルを選んで契約しているんだよ。お前みたいな、精霊をお飾りにしか考えていないクソッタレには勿体ねぇだろうが!」
「……言葉遣いに品がありませんねぇ。これだから、悪魔は。……リヴィエル、あの蝿を黙らせなさい!」
リヴィエルはその言葉に小さくハッ、と応じると……また変わった形状の武器を構えた。あまりに短い返事の後、閃光一薙。今度は光の一筋が、ハーヴェンの左肩を貫く。
「ウガぁぁぁぁぁ‼︎」
「ハーヴェン!」
すぐ横で倒れこむハーヴェンの元に駆け寄り、エルノアがすぐさま回復魔法を展開すると、痛みに悶絶していた彼の傷がみるみる塞がっていくが……魔法の展開には時間がかかるし、何より魔力も消費しなければならない。
一方で……あの武器は記憶に間違いがなければ、かなりの回数の連発も可能な魔力錬成武器・ラディウス砲。利用者は非常に限られるが、装備さえできてしまえば魔力の消耗を最低限にしつつ、最大限の威力を弾き出す。おそらく、威力を見せつけるために、わざと左肩を狙ったのだろう。さっきまでの準備時間から考えると、魔力はまだ十分に装填されているはずだ。その状態で連発されたり、急所を狙われたら……勝つどころか、生存すら難しい。
「噂には聞いていたが……ラディウス砲が完成していたとは……」
「おや、よくご存知ですね。落ちこぼれの耳に入るほどに、噂になっているとは。まぁ、いいでしょう。リヴィエル、次はあの竜族以外を殺しておしまいなさい!」
「アヴィエル様……悪魔はともかく、ルシエル殿は攻撃対象ではないかと思いますが?」
「私の言うことが聞けないのですか? この六翼の上級天使・アヴィエル様の言うことが! いいから、さっさと竜族以外を駆逐してしまいなさい!」
リヴィエルは少し眉間にシワを寄せたが、再び小さく応じるとラディウス砲を構えた。心のどこかでおかしいと気づいてはいるのだろうが、上司であるアヴィエルの命令には逆らえないのだろう。排除部隊は他の部隊と比較しても雁字搦めに上下関係がハッキリしている分、リーダーが非常識だと色々と危ういものを感じるのは……私だけだろうか。
「……今度は連射します。ルシエル殿、悪く思わないでください」
「くっ!」
あの砲撃を連射されたら間違いなく、今度こそ終わりだ。だとすれば……私にできるのは、彼らを逃がしてやる事しかない。
「ハーヴェン、エルノア……よく聞いて。私の残った魔力で転移魔法を展開する。ただ、魔力を振り絞っても2人分しか発動できそうにない。ハーヴェン……転移したら、お前の翼でエルノアを連れて逃げるんだ」
「おい! そんな勝手を言うなよ! 俺は承知しねぇぞ!」
「私もそんなの、嫌だよ! ルシエルも一緒に逃げられなきゃ、意味ないもん!」
「私のことは気にするな。最後くらい、マスターらしいことをさせてくれないか。今は……お前達が無事なら、それでいい」
「そんなのダメ! だってルシエルが私に優しくしてくれたのは、本当だもん! ハーヴェンがいい悪魔で、アップルパイ作ってくれたのも本当のことだもん!」
「おい! エルノア! 私のいう事をーー」
しかし……私の制止を振り切るように、エルノアが前に飛び出した先を見上げれば。そこには小さな少女ではなく、銀色の鱗を纏ったドラゴンが立ち塞がっていた。そうして、既に放たれていた白い閃光の束を、たった1人で受け止める。
あらかじめ、魔法防壁を張っていたのだろうが……防ぎきれなかったのだろう。光の束が収束する頃には、彼女の尾や足には貫通したと思われる傷が口を開けており、赤い血潮が真紅の水たまりをいくつも作っていく。何より……片翼が吹き飛んでしまったらしく、跡形もなくなくなってしまっていた。
にも関わらず、エルノア、いやハイヴィーヴルはそこに立ち続けているが……傷と出血がひどい。きっと、立っているのも、やっとだろう。それでも……彼女は何かを決意したように、掠れる言葉をようよう絞り出す。
「……2人は命に代えても、守ってみせる! 父さまも言ってたもん。……力は何かを傷つけるためじゃなく、守るために……あるんだって。それが分かっていない……あなたと契約するくらいなら……死んでしまった方がいい!」
強い意志から絞り出される言葉の意味を、結局は何も理解していないらしいアヴィエルが呻く。一方で、隣に佇んでいるリヴィエルの顔は苦渋に満ちており、明らかに辛そうな表情だ。
「何をしているのです! 肝心のドラゴンに傷を付けてしまうなんて!」
「アヴィエル様、恐らく……あの竜族と契約するのは、難しいかと」
「何ですと⁉︎ どう言う意味です⁉︎」
「私はあくまで、魔神とルシエル殿に対象を絞って攻撃しました。しかし、あの竜族は彼女達を庇って立ち塞がっているのです。つまり……どちらかを攻撃すると、自動的に竜族を失う可能性が高いと思われます。……今回は諦めた方がよろしいかと。この状態で契約したところで、竜族を精霊としてうまく扱えるとも思えません」
「うるさい! ならば、私がやります! それを貸しなさい!」
「これは装備者が限られます。アヴィエル様は適合者ではなかったかと思いますが……あっ!」
上司を諭すようなリヴィエルの言葉を遮り、アヴィエルが奪い取ったラディウス砲を構え、即座に放つ。適合者ではないアヴィエルの放った弾道は、大きく歪みつつも確かにこちらに向かってくるが……最大威力ではないとはいえ、効力はそれなりにあるらしい。地面スレスレを砂煙をあげながら、光の軌道は矢のようになって空間を貫き……もう魔力が残っていないのだろう。ハイヴィーヴルは意を決したように体を地に横たえると、光から私達を庇うように首を垂らした。そうして……今度は光の束が、燻し銀の首を貫通する。
「エルノアッ!」
いよいよ咆哮から吐血して、ハイヴィーヴルが赤く染まった大地に倒れこむ。左肩にまだ痛みが残っているはずのハーヴェンが、咄嗟に銀竜の首の傷を押さえるが……。
「畜生ッ! 血が止まらないぞ⁉︎」
「ハーヴェン、少し魔力を貸してくれ! 私が使える中で最上級の回復魔法を展開する!」
「少しとか、水臭いことを言うな! 好きなだけ、持っていけ!」
「すまない!」
無我夢中で詠唱を続け、魔力を構築、意識を集中して彼女の首に魔法を展開する。敵前で悠長なことをしているのが滑稽にも思えたが、アヴィエルの目的はエルノアだ。多少の時間は許してもらえるだろう。
「汝の痛み、苦しみ、全てを食み開放せん! 魂に再び生を宿せ……グランヒーリング!」
そんな私達の様子を見つめながら、リヴィエルが諦めたように静かに呟く。声色は疲れ切った音を纏っており、あからさまにアヴィエルに対して嫌気が差した、と言わんばかりの風情だ。
「……アヴィエル様、お分かりになったでしょう? 竜族との契約は、力尽くでは成し得ないのですよ。……今のあなたには、あの竜族との契約は不可能です。とにかく、今は撤退のご命令を」
リヴィエルはそう言うと、呆然としているアヴィエルの手からラディウス砲を取り返す。しかし、現実を受け入れたくないアヴィエルの体はワナワナと震えだし……いよいよ、屈辱感が最高潮に達したようだ。
「うるさい!」
金切り声と同時に、パァン! と大きな乾いた音が響く。明らかな理不尽に、周りの天使達がざわめく中で……虫の居所が悪いのだろう。アヴィエルは尚も、ヒステリー気味にリヴィエルを罵倒し始めた。
「お前がしくじらなければ! あいつらを間違いなく駆逐していれば、こんなことにはならなかったのです! ……もういい! お前達! あの2人を駆逐し、竜族を奪うのです!」
頰を張られてもなお、リヴィエルは少し眉間にシワを寄せる程度で、言い返すことはもうしなかった。そんなリヴィエルがもうこれ以上、自分のいう事を聞かないと判断したのだろう。他の天使に向き直り、未だにエルノアに拘泥するアヴィエル。その姿は……もはや、どこか無様ですらある。
「し、しかし! リヴィエル様の言うとおり、あの状態では竜族との契約はできないのでは?」
「この部隊の長は私ですよ! このアヴィエルの言葉が絶対的に正しいと、肝に銘じなさい!」
そして私と同じ気分なのだろう、吐き捨てるようにハーヴェンが毒づく。
「……救いようがないって言うのは、あぁいうのを言うんだろうな。俺のツレがルシエルで、よかったよ」
「そう、しみじみ言われてもな。しかし、どうする? 今度こそ……本当に死ぬかもしれんな」
「フン、今はエルノアが助かればそれでいいだろ。親に会わせてやるって約束は……守れなかったけど」
「そうだな……」
次の攻撃を防ぐ術は、もうない。魔力も尽きた……どうやら、ここまでらしい。
攻撃が放たれたと思った瞬間、最後くらいはいいかなと……抵抗することもせずに、ハーヴェンに抱き上げられながら互いに身を強張らせ、目を閉じる。しかし……予想とは裏腹に、いくら待ってみても。やってくるはずの痛みは、ついぞやって来なかった。