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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第8章】悪魔の概念
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8−10 必殺キラキラスマイル

(マモン様の所轄地に来たはいいけど……。はて。どの辺りがお住まいなのだろうか)


 女帝から面白半分の余興に必要だからと、マモンの家を特定して来いと言われて。ハンスはため息交じりで、急激に冷え始めた空気に身震いする。彼女としては確実にマモンを困らせるために、所在地も押さえておきたいらしい。その為にハンスを単身派遣したのだが、何も自分じゃなくても……と彼は苦々しく思っていた。

 マモンが囲っているという天使には、興味がある。美人らしい彼女を手篭めにするのも、面白いだろう。だが、余興が加速して、機嫌がいい女帝の姿がハンスには不安に映っていた。彼女の機嫌がいい事に周りは大喜びだが、ハンスにしてみれば、ただただ不愉快でしかない。


(おや? あの人だかりは何だろう?)


 ハンスが目線を下に落とすと……広大な竹林の合間に伸びる細道に、大勢の悪魔たちが順番待ちをしている列が微かに見える。上級悪魔から下級悪魔までがきちんと整列しているのを見るに、ゴールには余程のご褒美があるのだろう。


(……あぁ、なるほど。これは……)


 整列している悪魔はめいめい、どこか怪我をしているらしい。終着地点を目で追うと、笹に視界を遮られても尚、白く輝く翼を生やした女が、小さく見える。どうやら、ここが目的地みたいだ。そこまで確認して、ハンスは自分の指に牙を立てると、そのまま引っ掻く。そうして怪我を演出して最後尾に加わるが、彼の前には恰幅の良い両生類の悪魔が並んでいるのにも、すぐに気づく。


(彼は確か……おやおや、リヴァイアタン様のところの中級悪魔じゃないか。リヴァイアタン様の所轄地は随分、離れていたと思うけど。こんな僻地まで、ご苦労な事だ)


 アスモデウスが流した噂は、確実に僻地にまで届いている。ハンスは場違いにも、女帝の影響力の大きさにひっそりと満足していた。そうして、満足ついでに目の前の悪魔に話しかけてみるが……。


「ねぇ、君。君も怪我を治しに来たのかい?」

「あ? あぁ。ヨルムの沼に落とされてね。……背中の火傷が治らないもんだから。ここに来れば、大抵は治してもらえるって聞いたもんで。あんたも?」

「まぁ、ね。女帝様の為に使う指を怪我してしまったものだから。お身体に触れる指に傷が付いたままでは、怒られてしまう」

「ほぉ〜。女帝様って、アスモデウス様のことかい?」

「そうさ。僕の身は全て、彼女の物でね。だから勝手に怪我をしてしまったら、ご機嫌を損ねてしまう」

「怪我1つできないなんて、色欲の悪魔はそれはそれで大変そうだねぇ」

「うん、まぁ……そうだね」


 本来なら領分が違う悪魔が話しかけたら、鼻であしらわれるか、素っ気なくされるだけだろうに。目の前にいるカエル男……トロールが殊の外、気さくにハンスに答える。ふと列の前を見ても、序列や所属に関係なく、前後で話に花を咲かせている悪魔達の姿が見えるが……ここでは、みんな仲良くという決まりでもあるのだろうか。


(列の進みが早い。噂の天使様はかなりの使い手みたいだな)


 回復魔法を使えるという天使は美人な上に、優しいと専らの噂だったが。噂はかなりの部分で外れていないらしい。時折、頭上を飛んで帰っていく悪魔達の顔を見ても、どことなく嬉しそうで満足げな様子だ。


「は〜い。お兄さんはどこを怪我したんですかぁ?」

「あ、あぁ。背中をちょっと火傷して……」

「そうなんですね。わぁ……確かに酷いですね、これは。大丈夫ですよ〜。ちゃんと治してもらえますから〜」

「うん、助かるよ」


 今度は順番待ちをしている悪魔に声をかけながら、メモに彼らの症状を書き出している青い毛で覆われた山猫の悪魔が2人やってくる。そうして、片方がハンスの後ろに誰も並んでいない事を確認すると、こちらを見上げてトロールにしていたのと同じ質問を投げてくる。


「あ、お兄さんが最後みたいですね。リッテル様もお疲れみたいですので、お兄さんが最後の患者さんです〜。で、お兄さんはどこを怪我しちゃったんですか?」

「え、あぁ……指を引っ掻いてしまってね。このくらいの傷、放っておいてもいいのだけど……あいにくと今晩、使わないといけないものだから。どうしても治してしまいたくて」

「そうだったんですね。……分かりました。それじゃ、僕はこのまま一緒に並ぶです。これ以上はちょっと受付できないんで」

「おいらはリッテル様に、みんなの状態を知らせに戻るです」

「うん」


 絶妙とも取れるコンビネーションで、リッテル様というらしい天使の手伝いをしている下級悪魔。そうして、最後尾で列を見る小悪魔に色々聞き出せるかも知れないと、ハンスは身を屈めて話しかける。


「君はどうして、お手伝いしてるんだい?」

「リッテル様は病み上がりなんです。だから、こんな事をしていたら……マモン様に怒られてしまうです。でも、リッテル様はみんなを追い返すのも可哀想だからって、回復してくれているんですけど……このままだとリッテル様の魔力がなくなってしまうので、僕達で手分けして、患者さんの状態と数を確認することにしたんです」

「そうだったんだ。……人気者なんだね、リッテル様は」

「そりゃそうですよ〜。美人でとっても優しいんですよ? でも、リッテル様は揉め事は嫌いだから、他の悪魔と仲良くできない人はご遠慮くださいとお願いしてるです」


 ここに降り立った時から感じていた、異常なまでの平穏は……彼女の機嫌を取るためのものだったのか。ハンスはなるほどと思いながら、相変わらず気持ち悪いくらいに穏やかな列を改めて見つめる。


「……という事は、この先がマモン様のお屋敷かい?」

「お屋敷? 屋敷っていうには、こじんまりしてますけど……。マモン様のお家はあの崖の所にありますよ」

「へぇ。そうだったんだ……」


 言われて見れば、前方に聳える崖の窪地に控えめな印象の家が竹林に紛れて、確かに建っている。隠蔽加減といい、階段がないところといい。……あまり誰かを歓迎している雰囲気はなさそうだ。


(とりあえず目的は達成、と。後はリッテル様とやらを拝見して帰るとするか。まぁ、女帝様以上に美しい者はいないだろうけど、美女を見るのは悪いことでもない)

「はい、終わりましたよ。今度は気をつけて下さいね」

「あ、あ……ありがとうございます……」


 妙に照れている声がするものだから、そちらに視線を戻すと……前に並んでいたトロールの背中の火傷が綺麗に治っている。既に持ち前のしっとりとした粘液に背中が覆われているのを見ても、完璧な手際もさることながら、そうして優しくされたら大抵の者は骨抜きだ。この状態を言いふらせば、マモンは相当困るに違いない。


「リッテル様、このお兄さんが最後ですよ」

「分かったわ。お手伝い、ありがとう」

「あぅぅ……どういたしまして……」


 後ろで打ち止め役をしていた小悪魔が、嬉しそうに天使様とやらの足元に転がっていく。ハンスが小悪魔の動きを追うついでに、視線をゆっくりと上げてみれば……輝くように美しい彼女に、思わず息を飲む。正直なところ、想像以上だ。女帝様以上の美女はいないだろうと高を括っていたハンスにとって、彼女の神々しさは衝撃的であった。


「どうしました? ……さ、傷を塞ぎますから、お手をどうぞ?」

「あっ、はい……」


 言われるがまま、怪我している方の手を差し出すと……真っ黒にも関わらず、しっとりと暖かい手でハンスの手を取る天使様。彼女が澄んだ声で呪文を唱えた瞬間、柔らかな白い光がハンスの手を包み始めた。


「柔らかな慈愛をもって汝の痛みを癒さん……プティキュア!」

「なんと、素晴らしい! こうも一瞬で治るとは!」

「大丈夫そうですか?」

「えぇ! 問題ありません。ありがとうございます!」


 くぐもった温もりが手から抜けていくと同時に、傷が綺麗に塞がっているのが見える。引っかき傷とは言え、治りが遅いハンスにとっては、その傷さえ塞がるだけで2〜3日。……傷痕が完全になくなるのは、もっと先だ。それがこうも簡単に塞がるとなると、彼女の価値は天よりも高いように思える。


「それでは、私はこれで失礼しま……あら? どうされました?」

「もし良ければ、是非にお礼をと思いまして」


 手放しがたい上質のオニキスの手の甲に身を屈めて口づけをすると、彼女を真っ直ぐに見上げるハンス。そうして……お得意の必殺キラキラスマイルを炸裂させて、彼女を誘惑にかかる。


「大丈夫ですよ。……私がこちらで出来る事は、このくらいですから。お気になさらず」


 しかし……数多の女性が陥落してきた笑顔にさえ動じず、彼女は柔らかに遠慮を示す。その上で、少し嫌がる様に手を引っ込めると、困惑した表情を見せた。


「そうはいきません! あぁ、申し遅れました。私はハンス。色欲の真祖・アスモデウス様の従者をしております。どうです? もし宜しければ、私が消耗された魔力を補給いたしますよ?」

「……魔力の補給、ですか?」

「まさか、知らぬ訳ではありますまい? 愛の行為はそれと同時に、愛しい姫君への魔力の補給を可能にするのですよ。悪魔の男は愛する相手に魔力と同時に、自分の力を授けるのです。私の手にかかれば魔力と一緒に、未体験の快楽を与えて差し上げられますよ。さぁ、ご遠慮なさらずに。私に身を預けてみませんか?」

「……そういう事でしたら、尚のこと、ご遠慮いたします。……申し訳ありませんが、私には……」

「マモン様を気にされているのですか? 大丈夫ですよ。魔界ではそれが普通なのですから。それに……美しいあなたを何もせずに、放っておくほうが悪いのです」

「いいえ。それはあなたの思い違いでしょう。……マモンは私を放っている訳ではありません」


 ここまで言っても、頑なに申し出を拒否するリッテルの姿勢に……ハンスはますます堪え難い高揚感を覚えていた。今まで自分に靡かなかった女……それこそ女帝も含めて……等いなかったはずなのに。自分を受け入れようとしない相手がいるなんて。ますます、興味がそそられるではないか。


「おや? そうなのですか? 言っておきますが、マモン様はこの魔界でも荒くれ者で、不埒なことでも有名なお方ですよ? どうせ今頃、他の女を見定めに行っているのでしょう。女にさえ手を挙げることも厭わない、乱暴な彼に義理立てする必要はありませんよ」

「……お兄さん、しつこいのはよくないです」

「そうですよぅ。マモン様はリッテル様には、とっても優しいですよ?」

「リッテル様が困ってます。おいら達も困るです」


 口々に彼女の足元で一斉に抗議し始める小悪魔に腹が立つが、それでもここで事を荒げたら、揉め事は嫌いらしい目の前の上玉がお預けになってしまう。とにかく紳士的に……いや。やっぱり、無理やり攫うのもアリだ。どうせどこまでも欲深なマモンとて、魔界で「よくある事」として割り切るだろう。そこまで考えて……思い切って、彼女のか細い腕を掴む。


「私は是非とも、あなたと一緒に素敵な時間を過ごしたいのです。ほら、こちらに!」

「離してください。お願いだから、離して!」

「どうして? アスモデウス様の園で人気ナンバー1の私と、甘いひと時を過ごせる者などそういないのですよ? このチャンスを逃すおつもりですか⁉︎」


 自意識過剰なセリフを吐きながら、ハンスは綺麗な顔を少し歪めては……尚も彼女の腕を離そうとしない。ここまでの美人をマモン1人で楽しませるには、あまりにアンフェアだ。そんな勝手な事を考えながら、ハンスは彼女を離すまいと意固地になっていた。

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