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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第1章】傷心天使と氷の悪魔
23/1100

1−23 悪かったな、素直じゃなくて

(そう言えば……)


 眠れないついでに思い立ったように、タンスの引き出しに手をかける。他の段には代わり映えしない服が詰め込まれているが、1番下の3段目に我ながらおかしくなるくらいに……大切に仕舞われている、空色の箱を取り出す。贈り主はなんとなく察しがついているものの、驚きのあまり袖を通すことすらしなかった。そろそろ……一度くらい、着てみてもいいかもしれない。


「……」


 恐ろしい程に、ピッタリのサイズ感。前身頃がプリーツになっているせいか、平坦な体も程よくボリュームがあるように思えて……ふと真っ暗になっている窓に、うっすら映る自分の姿を見やれば。いつもよりは随分マシに見えると、我ながら考え込んでしまった。


「お〜い、ルシエル〜? お茶がまだだったよな……寝ちまったか?」

「はいぃぃ⁉︎」

「お?」


 しかし、1人で悦に入り始めた私を叱咤するかの如く、不意に声を掛けられて変な声が出る。自分でも驚くような頓狂な声を振り切るように、ドアの方を見返すものの……時、既に遅し。そこには盆に茶を乗せたハーヴェンが目を丸くしながら、顔を覗かせていた。


「い、いきなり入ってくるな! ノックくらい、しろ‼︎」

「お、おぅ……」

「……」


 なんて言い訳しよう。


「よぅし、サイズはピッタリだったんだな。よかったよかった」

「……」


 ハーヴェンは私の胸中を考えることなく、いつもの調子でカラリと言う。


「いやぁ〜……あの後、着てくれる様子もなかったから、心配していたんだけど。なんだ、大丈夫だったんだな」

「……」


 コッソリ着ていたなんて……しかもちょっと満足していたなんて、絶対に気取られたくない。


「どした?」

「……どういうつもりなんだ?」


 勢い、語気が強くなる。


「何がだ?」

「あの時、お前が欲しいものを買ってこいと言ったはずだ。……私の服を買ってこいとは、一言も言ってない」


 違う、言いたいことはそれじゃない。


「ん? でも……似合ってるし、問題なくね?」


 似合っている、の言葉に妙に耳が反応する一方で……自分の中に渦巻く、よく分からないモヤモヤとした感情に理由をつけることができない。どうすればいい? 一体……どうすればいいんだ?


「そういう意味じゃない! どういうつもりなんだと、聞いているんだ!」


 どうすればいいのか分からないまま、半ば八つ当たりするようにハーヴェンに言葉を吐き出す。そうして吐き出してしまった言葉への後悔が、すぐに自分の中に押し寄せてくる。

 違うだろう、ここは怒るところじゃない。さっきから、自分の中で自分を否定する声が聞こえる。私はなんて、嫌な奴なのだろう。……お礼すら、素直に言えないなんて。


「……とりあえず、お茶、置いとくぞ? よく分からないけど、俺はお前にそれが似合っていれば、別にいいよ」

「……っ」


 一方的な八つ当たりに気分1つ害することなく、ふんわりとした優しさを向けられて……不意に自分の目頭が熱くなるのを感じて、堪えられなくなった。ぼやけた視界を見下ろせば……足元にポトリポトリと、雫が落ち始めている。いつになく私が、普通の状態ではないと察したのだろう。ハーヴェンは不意に泣き出した私に慌てることもなく、静かにドアを閉めると……そのままベッドに腰掛ける。


「お前が泣くところ、初めて見た」

「わ、悪かったな、素直じゃなくて」


 嗚咽を飲み込みながら、ようやく言葉を絞り出す。何故か涙が止まらず、自分がどうなってしまったのかが、分からない。


「いつもいつも……難しい顔してて……可愛く笑う……こともでき……なくて」

「……そういや、こっちの時間で3ヶ月くらい経った頃かな。俺、お前に夕食が美味しかったって言われて、もの凄く嬉しかったんだよな」

「……」


 そうか。私はそんな当たり前のことを言えるようになるまで、3ヶ月もかかったのか。それほどまでに、彼の優しさに対して、色々と寂しい思いをさせていたとのだと気づくと……急に申し訳ない気分も込み上げてくる。


「初めは、それだけでよかったんだよな。でもさ、だんだんともっともっと……って思うようになってさ。それで別の奴に差し入れしたりして、満足しようと思ったんだけど……やっぱりダメだった。実は俺が本当に欲しいものは、最初から別にあったんだ」

「……お前の……欲しいもの?」


 不思議と染み込むような言葉に吸い寄せられるように、涙を拭いながらベッドに腰掛ける。それでも涙は止まらなかったが……彼の隣に座ると、なんとなく落ち着いた気がした。


「俺の欲しいもの……それは、ある人の笑顔なんだけどさ。そいつは俺が朝起きたら、決まって出かけてて。そんでもって、帰ってくるといつも諦めた顔をしてて……生きているのに、死んでいるみたいな無表情で。大抵のことには冷めた反応をするし、本当に大丈夫なんだろうかと……毎日、心配してた」

「……」


 ハーヴェンの言う、「ある人」。それはきっと……私の事なんだろうな。そうか。……彼の目には、私は死んだように映っていたのか。


「でも、ある日……俺達の家に小さな女の子がやってきてさ。その子はそいつとは対照的なくらいに、よく笑って、よく泣く子だった。その子が来たおかげで、ちょっとはマシになったけど……やっぱり、自然に笑いかけてくれることはなかった。だから、贈り物をすることにしたんだよ。まぁ、金の出どころがそいつ自身だから、ちょっと微妙なんだけど。……食事以外で何か贈り物すれば、喜んでくれるかなと思って」

「……色々と……すまない。その……」

「でも、良かったよ。そうやって着てくれたって事は……とりあえず、気に入ってくれたんだろ?」


 彼の屈託のない調子に、無言で頷く……と同時に自分の中で何かが崩れていくような気がした。今までずっと引っかかっていた事が、今なら少し話せる気がする。


「あの時、私はてっきりお前が……」

「ん?」

「いや……私の服を買いに行っているなんて、思っていなくて……だな……」

「あぁ。お前、勝手に誤解してたよな。俺は、一途なの。欲しいものがあるのに、よそ見はしねぇよ」

「さっきから……欲しいって? それこそ、どういう……」


 言葉を絞り出したところで、不意に唇を塞がれる。少し強めに押し付けられたせいだろう、彼の牙が唇に当たって少し痛い。


「ハー……ヴェン?」

「欲しいっていうのは、こういう事さ。……俺はずっとお前が好きだったんだ」


 一瞬の出来事と彼の言葉の意味をすぐに理解できずに、頭の奥がジンジンして、考える事さえストップしている。何かを言うべきなのは分かっていても、頭も舌も思うように働かない。


「そう言や、知っているか? ……人間達の言い回しに、こんな言葉があるのを?」

「言い……回し?」

「そ、言い回し」


 一方で……彼の方は唇を重ねた事で、何かの枷が外れたらしい。ハーヴェンは少し悪戯っぽく微笑んで、器用に私の首筋の部分にあったボタンを外し始める。


「男が女に服を贈るのは、その服を脱がせる為だって」

「⁉︎」


 ようやく彼の意図を察知して少し抵抗を試みたが、自由を奪うように再び唇が塞がれる。耳の裏で妙にざわつく鼓動を感じながら、もう既に抵抗することもしない自分がそこにいた。それでもなお、決して不愉快ではない、初めての感覚に私は戸惑うことさえも忘れて……。自分の方こそが、彼を繋ぎ止めたいのだと理解するのに……そう時間はかからなかった。


「……私は多分、焦っていたのだろうと思う」

「ん?」


 同じベッドの上で向き合うようにしながら、互いに微睡みの余暇を噛み締め……かすかに反応する彼の胸に身を埋めるようにして、小さく呟く。


「色々、焦っていたんだ。……たった3年のことなのに、当たり前のように帰る場所があって、当たり前のように暖かい食事が用意されてて。……当たり前のように、毎日、毎日」

「……」

「でも、その当たり前が……本当は、当たり前じゃないと思い知ったんだ」

「……ルシエル?」

「お前がいなくなるんじゃないか、お前が他の誰かに取り上げられてしまうんじゃないか。……例え、出会いが気まぐれな偶然だったとしても、今更……当たり前を失うのは、怖いんだよ」


 そこまで聞いて、ハーヴェンは少し強く抱きしめてくれる。昨日までの私なら、拒絶しているだろうに……今はそれがとても心地よかった。


「だから、あの時も苦しかった。お前が他の誰かと睦みあっているのではないかと、勝手に勘違いして……嫉妬していたんだと思う」

「そっか。にしても……嫉妬とか、ちょっとは嬉しい事を言ってくれるようになったじゃないか」

「……だからって、調子に乗るなよ?」

「その辺はいつも通りだな?」

「……これは性分なんだよ。……でも、少しずつ素直になれるように頑張るから……」

「分かってる。この家の留守は任せとけ」


 今までの当たり前を失うことが、何よりも怖い。当たり前をきちんと用意してくれている彼がいなくなるのが……何よりも辛い。

 明らかに珍しい感傷を、誤魔化すように強く瞳を閉じれば……今までの「当たり前」が早足で頭の中を巡っていく。思い返せば思い返す程……唄方の記憶の端々に、彼の変わらない笑顔が散りばめられていた。それにしても、いつから目の前の悪魔は、私の心に上がり込んで……棲み着くようになっていたのだろう。

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