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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第1章】傷心天使と氷の悪魔
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1−22 愛してるって勇気がいる事

 ナーシャから引き上げてきても、妙な空気を引きずったまま。いつになく、リビングの居心地が悪い。

 それでも、食事をするとだいぶ落ち着くものがあるらしい。暖かい料理の香りに、ようやくいつもの空気を取り戻す。仕込みができなかったと、ハーヴェンは言い訳していたけれど。きちんと品数の揃った夕食がテーブルに並んでいて……半熟卵とチーズが乗ったガレットには塩味が絶妙なパンチェッタが一緒に包まれ、アッサリとした見た目とは裏腹にかなり食べ応えがある。残り野菜を煮込んだだけというスープは、とろみのついた綺麗なグリーンをしていた。……三者三様に魔法を使ったせいだろう。殊更旺盛な食欲に、デザートの洋梨のタルトを食べ終わるまでの時間が、いつも以上に早い気がした。


 そうして食事を腹に収めても尚、エルノアのおネムがまだ来ないという事だったので、珍しく一緒に風呂に入ることになったが……誰かと一緒に風呂に入るなんて、初めてかもしれない。


「……悪魔のお姉ちゃん、無事に帰れたかな?」


 先に頭と体を洗い、バスタブに身を沈めているエルノアが淵に顎を乗せながら呟く。ハーヴェンから半ば拒絶に近い事を言われたせいだろう、アーニャはあの後……何とも言えない寂しそうな顔をしながら、空の彼方に帰って行った。きっと彼女は彼女で深く傷ついてはいるだろうが、それは私の知ったことでもない。


「多分、大丈夫じゃないかな。きっと今頃、帰れているさ」


 そうだよね、とエルノアは小さく答えるが……まだ何か気になることがあるらしく、もう随分浸かっているだろうに一向にバスタブから出ようとしない。こんなに長く入っていて、上せたりしないのだろうか?


「……あれが愛ってやつなのかな?」


 しかし、私が他愛のない事を考えていると……少しの沈黙の後に飛び出す、エルノアの予想外の発言。そのあまりに突飛な言葉に、思考と一緒に、頭を洗う手もピタリと止まる。この子は突然、何を言い出すのだろう。しかし、エルノアの方はあまり自分が言っていることの意味を深く考えていないらしい。驚いている私に構わず、更に独り言のように呟き続ける。


「前ね、父さまに愛してるってどういうこと? って、聞いたことがあったの。それでね、父さまは愛してるの形は色々あるんだよ……って、教えてくれたの。そして、父さまはエルノアのこと愛しているって言ってくれたけど、それは例えば私が痛い思いをしたり、苦しい思いをしていたら、代わってやれるものなら代わってやりたいと思うって言ってたし、私を助けるためなら父さまが沢山痛い思いをするのも、平気なんだって」

「……」

「……愛してるって勇気がいる事なんだと私、思うの。愛している相手が多いとそれだけ、その人が悲しい時や苦しい時はきっと、自分も沢山辛い思いをすることになると思うし、その人がいなくなっちゃったらもの凄く寂しいと思うの。あのお姉ちゃんも……きっと、ハーヴェンがいなくなっちゃって寂しかったから、こっちに来ちゃったんだと思うし、ハーヴェンが好きだから、痛い思いをしていても帰ろうとしなかったんだと思う」


 痛い思いをしても、帰ろうとしなかった……か。私がアーニャにしたことは、この子の目にどんな風に映ったのだろう。今更ながら、やり過ぎてしまった部分があったと思うし……エルノアを思いの外、怖がらせてしまった事を申し訳なく思ったが。一方で、彼女はあまり気にしていない様子で、言葉を続ける。


「……でもね、愛してるって……片方がそう思っているだけなのは、あんまりよくないんだって。だから父さまとエルノアは大丈夫なんだけど、あのお姉ちゃんのはよくない愛してるだったんじゃないかなと思うの。……だって、ハーヴェンがどんな気持ちかなんて、考えていなかったみたいだもん」


 何だか不思議な考察だが、私は「愛」というものに触れたことがない以上、正直なところピンとこない。彼女の言葉を借りれば愛の一方通行は成立しない、ということだろうか。……愛、か。今まで、深く考えた事もなかった。


「……愛してる、か。そう言われれば……私はそういった感情を、他の誰かに抱いた事はなかったな」

「そうなの?」

「あぁ、今まで1人だったからね。ハーヴェンと出会ったのだって、たった3年前だ。それに……それまでも色々あってね。そんな感情は……とっくに忘れてしまっているんだよ」


 頭を濯ぎながら、何かを諦めたように答える。

 性別こそあれ、天使は女しか存在しない。そんな天使が博愛ではなく、恋愛のロジックを理解するのはかなり難しいように思う。


 ようやく風呂から上がる気になったエルノアの体をしっかり拭いてやり、リビングの後片付けをしているハーヴェンにお休みを言わせてから屋根裏まで連れて行く。ちょっといつもより遅れてやって来たらしい睡魔に抗いながら階段を登ってはいるが、足元はかなり危うい。覚束ない足取りでベッドに辿り着くと同時に、眠りに落ちるエルノアの枕元を見れば、ピキちゃんが既に定位置で寝息を立てていた。

 そこまで見届けて、お茶をもらいにリビングに戻ると……今度はハーヴェンの姿がない。辺りを見回して耳を澄ませば浴室から水音がするので、どうやら入浴中のようだ。メモ1枚を残し、テーブルの上も綺麗に拭き清められているのを、さも当然のように見渡して……いつもながら、あいつは綺麗好きだと、感心せずにはいられなかった。

 目の前に広がるのは、当たり前になりつつある光景だが。……考えれば、かつてはこうして暖かい家で生活することなんてなかったと、しみじみ思う。

 本来は寝床があるはずの神界には、自分の居場所が見つからなくて。自ずと、人間界にいる方が多かった。無駄に傷つくくらいなら、1人の方がいいと……自分に言い聞かせながら、ハーヴェンに出会うまではよく、カーヴェラの時計台で眠っていたものだ。


(ハーヴェンを取り上げないで……か)


 それは紛れもなく、エルノアの言い分ではあるが。……もしかしたら、私のセリフでもあったのかもしれない。そんな事を考えていると、怒涛の1日が終わりかけて疲れているはずなのに……部屋に戻っても妙に目が冴えて、なかなかその晩は眠る気になれなかった。

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