6−25 前に進まねばならぬ時
「何やら、騒がしいと思って来てみれば。お前、ベルゼブブの所の若造じゃないか。しかも、そっちは……なるほど? ベルゼブブが変な質問をしてきたが……その出所はお前らか?」
おそらく例の素材の話をしているのだろうが、内容の割には明らかに……不機嫌そうな彼女の様子に、妙な違和感を感じる。ベルゼブブとそれ以外にも、何か話をしたのだろうか?
「お初にお目にかかります。私は……」
「お前らの名前など、聞いておらん‼︎ 影より出でし破滅の足音を聞け! その身に無数の罪を刻まん‼︎ 貫け! ダークゲイザー!」
そう言いながら……まるで呼吸をするかのように、一繋ぎの言葉で攻撃魔法を展開してくるルシファー。ちょっと待て! 少しくらい、話を聞いてくれてもいいだろうに。どうして突然、襲われないといけないんだ?
「ルシエル、オーディエルさん、下がってろ! ……影より出でし破滅の足音を聞け、その身に無数の罪を刻まん‼︎ 貫け……ダークゲイザー、トリプルキャスト‼︎」
彼女の攻撃を予想していたらしいハーヴェンが、彼女と同じ魔法をトリプルで発動。彼の魔法は相手側の魔法を飲み込むと同時に、そのままルシファーに幾多の槍状の攻撃を仕掛ける。
「……フン、ちょっとはやるようになったか? ならば! 穢れた大地を浄化せん、全ての罪を滅ぼさん! 我は偉大なる審判者なり……全てを光に還せ、アポカリプス‼︎」
しかし……彼の魔法に少しも焦ることもなく、今度はあっさりと光属性の最上位魔法を放ってくるルシファー。まずい、幾らハーヴェンでもこればかりは……!
「ハーヴェン‼︎」
「希望を塗りつぶせ、生きる者に終焉の罰を降らさん! 我は偉大なる制裁者なり、全てを闇に染めろ‼︎ ラグナロク‼︎」
ラグナロク……? 聞いたこともない魔法だが、詠唱内容を聞く限り……。
「私のアポカリプスが……押し負けただと⁉︎ クソッ……生ある者全てを救わん、我は望む! 命ある者全ての守護者とならんことを! ハイネストプリズムウォール!」
ハーヴェンの魔法がルシファーのアポカリプスに押し勝った上に、彼女に最上級防御魔法を使わせている時点で……ラグナロクは闇属性最強の攻撃魔法だったようだ。ルシファーの焦りようからしても、彼の攻撃魔法は予想外だったのかもしれないが……いつの間に、そんな魔法を習得していたのだろう?
そんなことを考えている私の頭上で、防御魔法も予測済みだったのか……ハーヴェンが更に魔法を発動、彼女を追い詰める。
「常しえの鳴動を響かせ、仮初めの現世を誑かせ……ありし物を虚無に帰せ! マジックディスペル!」
「クッ! ここであっさり……解除魔法を発動してくるか⁉︎ あり得ん! まさか……私の魔法を読んでいた⁉︎」
「その辺を説明してやるつもりはないが……とにかく、このまま押し切らせてもらう! ……海王の名の下に憂いを飲み込み母なる奔流とならんことを! 全てを青に染め、静寂を示せ‼︎ ブルーインフェルノ‼︎」
「⁉︎」
その上、今度は水属性最上位の攻撃魔法を軽々と放つハーヴェン。私が初めて会った時以上に、魔法の使い方と予測のキレは衰えていないらしい。しかし……魔界第1位の相手にさえ、圧倒的なアドバンテージを取っているあいつは一体、何者なんだ⁉︎
「……ルシエル。えぇと……」
「え、えぇ……分かっています。まさか、ハーヴェンの方がここまで優勢だと思いもしませんでしたが……」
加勢したところで却って邪魔になりそうなので、見守ることしかできない自分が更に情けないが。……こればかりは仕方がない。
「調子にのるなよ、この若造がぁッ‼︎」
しかし、彼の手際の鮮やかさに驚いているのも、束の間……悉く彼に上から押さえつけられたのにとうとう、怒髪天を突いたらしい。腰に納めていた棒状の得物を勢いよく引き出し、広げるルシファー。そうして湿った空気に煽られ、翻るそれは……何かの旗、だろうか?
「奥の手を出してきたか。……悔しいが、それを使われたら、俺に勝ち目はない。降参だ」
「……ったく! まさか、これをたかが上級悪魔相手に広げる羽目になるとは思わなかったが。……フン、まぁいい。ラグナロクまで使いこなした実力に免じて……そっちの天使共と話をしてやろう」
「うん、そうしてくれるか」
……よく分からないが、彼らの中で話が着いたらしい。そのままこちらに降りてくるハーヴェンと、静かに大地に降臨する大悪魔だが……落ち着いている雰囲気からするに、今度こそ話を聞いてくれるようだ。
「やはり……あなたがお持ちでしたか……」
「お前……見た所、八翼みたいだが……。そうか。オラシオンを預けられているということは、お前が今の排除の大天使か」
「私はオーディエルと申します。こちらにはお知恵をお借りしたく、参上したのと……あなた様をお迎えに上がりました」
自己紹介もようやく出来たところで、大天使の威厳を遺憾無く発揮し始めるオーデェエル様だったが……今、なんと? お迎えに……上がった、だと?
「……どういうことですか、オーディエル様?」
「うむ。ミシェルの話にあったのは、こういうことだ。ルシフェル様は今も天使の資質を失っていない気がする、と彼女は言ったが……証になる物をルシフェル様がお持ちなのだ。……やはりな。宝物庫に至高の神具が戻っていないと聞いていた時点で、ある程度は予想はしていたが……」
いつも以上に真剣なオーディエル様の視線は、ルシファーが握っている古びた旗を見据えている。一体……この旗が何だと言うのだろう?
「ルシファーの持っているアレはな、悪魔にとって……何よりも都合の悪いものなんだ」
「悪魔にとって……都合の悪いもの?」
私が不思議に思っているのを、見透かしたらしい。ハーヴェンがあの旗がどんなものかを説明してくれる。
「正式名称は知らないが……あの旗は光属性以外の魔法を無効化する上に、天使の能力を大幅に増強させるらしくてな。……ルシファーがマモンに圧勝した理由でもある」
「……だから、あっさり降参したのか……」
「うん。アレを使われたら、光魔法を一切使えない悪魔は為す術もなく負けるしかないからなぁ」
そんなことを話している私達に……さも仕方ないというように、ため息をつくルシファー。
「こいつは“マナの戦旗”という。神界には5つの神具があるが、そのうち……天使長のみが持つことを許される、最強の神具だ」
「……⁉︎」
「そして、その神具が未だにルシフェル様の手元にある。それはつまり、まだマナツリーはルシフェル様を天使長として認めているということ。……おそらく、天使長のご帰還を待っているのだろう」
真っ直ぐ自分を見つめるオーディエル様の視線に……観念したように、話を続けるルシファー。さっきハーヴェンに魔法では押し負けた、という部分もあるのだろう。随分としおらしくなった気がする。
「……先日、ベルゼブブが変な質問をしに来たのと同時に、理由も聞いた。何でも、自分の配下の悪魔が天使のやることに首を突っ込んで、色々と悩んでいる。そしてそれは、私も無関係ではいられない事だとかで……更にあいつはこうも言いやがった。“責任を取るつもりなら、いつまでこんなところに籠っているつもりだ”……とな。毎度ながら、あいつは何もかもを見透かしたような口を利くから、腹が立つ! だから、言ってやったのだ。もし、毒の沼を超えてでも辿り着けるようなバカな天使がいるのなら、その時は喜んで足を踏み出してやる、と」
……ベルゼブブは相当に、お節介な根回しをしてくれていたらしい。彼の言う責任がどんなものかは、私には想像もできないが。ルシファーには多かれ少なかれ、心当たりがあるのだろう。
「本当に……あいつの掌で踊らされていたようで、嫌になる。身を削って、天使を運んでくるような阿呆がいるのも驚きだが⁉︎ それ以上に、天使と悪魔が協力していることに驚愕したぞ⁉︎ ……クソッ、本当にどこまで私の予想を裏切れば、気が済むのだ⁉︎ アレはどこまで……私を縛り付ければ、気が済むのだ‼︎」
今度は意味不明な事を叫びながら、1人で激昂し始めるルシファー。その表情は先程までの余裕の表情と打って変わって……苦悶に歪んでいる。彼女の過去に一体、何があったのだろう。
「……とは言え、約束は約束だ。ベルゼブブとの賭けに負けた以上……仕方あるまい。かなり不本意だが、喜んで神界に足を踏み出してやろうではないか。それに、確かに……私も前に進まねばならぬ時なのかもしれん」
しばらく息を荒げた後、独りでに落ち着いたらしい。寂しそうに何かを納得した理由を問う間も無く、ハーヴェンがベルゼブブの屋敷行きのポータルを展開していた。……早めに帰ろう、ということらしい。
「ほら、ヨルムツリーのお膝元で話すには、湿っぽい内容だと思うから。とりあえず帰るぞ。……俺達はこの後、サタンの城に寄らにゃいけないが、ルシファーはどうする?」
「フン! お前の手を借りるつもりも、気遣われるつもりもない。私は一足先に、神界に帰る」
「そか。“帰る”か」
ハーヴェンの言葉に、何かを嗅ぎ取ったらしい。さも不愉快だとでも言うように翼を広げると、ルシファーはハーヴェンの展開した転移魔法とは別の魔法を展開し始める。
「純潔の聖域よ、御霊の意思に従いその白亜に踏み入れん。我が魂を受け入れろ……マナゲート!」
そうしてルシファーの展開した転移魔法は、いとも簡単に神界と魔界とを繋げて見せた。なるほど……そういう意味でも、彼女は神界に「受け入れられる」存在であるらしい。
「それでは、また後でな。……それと、若造」
「ん?」
「……お前、天使を娶ったらしいな?」
「あぁ、俺の嫁さんはこっちの……」
「ルシエル、だろう? 聞いている。なんでも竜族との契約も持っている、やり手だそうだな? ……せいぜい、大事にすることだ」
「お前に言われなくても、分かってるよ」
「……口の減らない、小癪な若造め。……まぁいい。とにかく、ルシエルとやらも次は神界で会おうぞ」
「かしこまりました。次にお会いする時は、お手柔らかに願います」
「減らず口を。……旦那も旦那なら、嫁も嫁だ。全く……憎たらしいったら、ありゃしない」
そんなことを言いながら、どことなく嬉しそうな顔のルシファーが、ポータルの先へ帰っていく。それを見送った後、ハーヴェンの展開していたポータルに足を踏み入れる。見慣れたくもない、だけど……今はどこか安心するような奇妙な色合いの屋敷が、私達を出迎えてくれた。




