6−19 不器用なお茶
「……おかげで大分、気分が良くなったわ。心配かけて、ごめんなさいね」
いつもの応接間にたどり着いて、母さまの調子もようやく落ち着いたみたいだ。うっすらと頬に赤みが戻っているのを見ると、嘘はないみたいだけど……。
「あのぅ……本当に大丈夫ですか? 先ほどの様子は、只事ではなさそうに見えたのですが……」
ハンナがおずおずと母さまを心配そうに見つめている。心配そうなのはハンナだけじゃなく、ダウジャも一緒のようだ。そわそわして落ち着かないのを見る限り、かなり心配しているらしい。
「えぇ……実はね。今の私のお腹には、エルノアの弟か妹になる子がいるみたいなの。それで、体が重かったり少し調子が悪い時があってね……」
それって、つまり……?
「赤ちゃんがいる、って事……ですか?」
僕の言葉に嬉しそうに、ちょっとはにかんだように頷く母さま。
「もしかしたら、とは思っていたのだけど……昨日、ハッキリと分かってね。少しずつお腹が膨らんできたから、間違い無いと思うわ。このまま順調に行けば、1ヶ月後には生まれて来てくれるはずよ」
「そ、そうなのですか……! それはそれは、本当におめでとうございます」
「へぇ〜、それじゃ、お嬢様はお姉ちゃんになるんですね」
そう言いながら、2人のモフモフが母さまのお腹を温めるように、代わる代わる撫で始めた。そしてそれを、とても嬉しそうに見つめる母さま。
「ところで、父さまは知っているんですか? 赤ちゃんのこと……」
「えぇ、もちろん。母様……いいえ、女王殿下にきちんとご報告していると思うわ。今日はマスター会議の日でね。もうすぐ帰ってくるとは思うのだけど……。ごめんなさいね、お茶をすぐに出してあげられなくて……」
「い、いいえ! そんなことはお構いなく! 今は奥様の体の方が大事ですよ」
「そうですぜ。そうとなれば、大事にしなきゃいけない」
母さまが何気なく申し訳なさそうに言うものだから、ハンナとダウジャが全力で首を振って否定している。あっ、そういえば……。
「あれ? コンタローはどこに行ったんだろう?」
さっきまで母さまの様子が心配で気がつかなかったけど、気がつけばコンタローの姿がない。いつの間にかいなくなったコンタローを探して廊下に出ると、ちっちゃな羽で一生懸命向こうからカートを押して、何かを運んでくる彼の姿があった。あまりに大変そうなので、慌てて駆け寄りカートを押すのを手伝う。見れば……カートの上にはさっきお願いされていた花が花瓶に活けられていて、お茶の道具が一通り乗せられていた。コンタローの気配りが行き届いているのは、相変わらずみたいだ。
「……言ってくれれば、手伝ったのに。ごめんね、すぐに気づかなくて」
「あぁい、大丈夫でヤンす。で、坊ちゃん。申し訳ないんですけど、お湯はおいらが沸かすんで、奥様にお茶を淹れてあげてくれませんか」
「うん、もちろん。そのくらい、喜んで手伝うよ」
無事にカートを部屋まで運ぶと、コンタローが手慣れた様子で小さめのファイアボールでポットの中身を沸騰させる。彼は自分の魔法を磨き上げる練習をしていたみたいで、無駄なく丁度いい加減で器用に魔法を使ってみせた。
「お、コンタローはそっちを練習していたんだな」
「あい? そっち? 何のことでヤンす?」
ダウジャが突然そんなことを言いだすものだから、不思議そうに答えるコンタロー。花瓶をテーブルの中央に置きながら、傾げられたままの首が戻らない様子だ。
「俺は旦那様からもらった指南書で、中級魔法を1つ使えるようになったぞ!」
「あ、そうだったんでヤンすか? おいらはまだ、中級には手を伸ばしていないでヤンす。ただ、お嬢様と一緒に魔力コントロールのやり方を覚え直していたでヤンすよ。おいらは下級悪魔でヤンすから、まずは基本を抑えることにしたでヤンす。……でも、ちょっと悔しいでヤンすね……。おいらもバシッとカッコよく、中級魔法を使いこなしてみたいでヤンす」
「そうだろう? そうだろう?」
「あい……。おいらも中級魔法、練習しようかな……」
素直に羨ましがるコンタローに、得意そうに胸を張るダウジャ。彼の様子が微笑ましいのだろう、母さまとハンナが嬉しそうに笑っている。
「はい、母さま。……きっといつも淹れてくれるものに比べたら、あんまり美味しくないかもしれないけど……」
「そんな事ないわ、ありがとう。お茶を頂けば、もう少し気分もよくなると思うし……。みんながいてくれて、良かったわ」
「しかし、奥様1人でこの状態じゃ、大変じゃありませんか? 旦那様はお出かけみたいだし……」
ダウジャは母さまを1人にしている父さまが、ちょこっと許せないらしい。僕が淹れたお茶を啜りながら、妙にむくれた顔をして頰を膨らませている。
「竜界にとって、大事なお仕事をしているのでしょう? 旦那様は悪くないと思うわ」
「しかしですね、姫様。仕事と奥様、どっちが大事かって考えたら、答えは決まっているじゃないですか。旦那様はそんなに薄情者だったんですかね?」
「フフフ、ダウジャちゃん、ありがとう。でも大丈夫よ。……父さまは女王殿下に赤ちゃんができた報告と一緒に、お休みのお願いもしているはずだから。竜族はね、赤ちゃんがとてもできにくい種族でもあるの。だから……赤ちゃんができると、確実に生まれてきてもらうためにも、出産が終わるまではオスにはメスを守る役割と、それまでの休暇が与えられるのよ。それはエレメントマスターでも例外はないわ」
「そう、だったんですね……」
「えぇ。だから、明日からは父さまも一緒にいてくれるはずだし、エルノアの時みたいに……不器用なりにちゃんとお茶を淹れてくれると思うわ」
不器用なお茶、かぁ……。エルの時は初めてだったのだろうし、父さまもきっと大変だったんだろうな……。
「あ、そうそう。母さま。ハーヴェンさんから、おやつとお食事を預かってきているんです。もし良ければ、みんなで食べていてください」
「あら、そうなの? まぁ〜、今日も色々と持たせてくださったのね……。これは何のお菓子かしら?」
「それはクレームブリュレ、っていうプリンの親戚みたいなお菓子で……甘くてちょっとほろ苦くて、とっても美味しいおやつですよ」
「まぁまぁ、そんな風に聞いたら食べたくなってしまうわ。……そうね、8個もあるみたいだし、とりあえずみんなで1つずついただきましょうか」
母さまのお許しが出たので、待ってましたとばかりに喜ぶコンタローとダウジャ。ダウジャの方は朝ごはん食べたばかりなのに……もうお腹が空いているんだろうか?
「なぁ、坊ちゃん。俺はジューシー肉が食べたいぞ」
「あ、そうなんだ。うん、いいと思うよ。ハーヴェンさんも一緒に食べておいで、って言っていたし……父さまとエルの分を残しておいてあげれば、問題ないかなぁ」
……なんて、僕が言い切る前にダウジャがバゲットサンドに手を伸ばしている。そして、さっきのやり取りで、お肉が気になっていたらしい。コンタローも早速、分厚いお肉に齧り付いていた。
「あぅぅ、これはガッツリくるでヤンすね。おいら、1個でお腹いっぱいになってしまうでヤンす」
「そうそう。結構、ボリュームあるんだよな。しかも、冷めてても美味いし。本当、悪魔の旦那は料理上手だよな〜」
そんな事を言いながら、2人共お肉に夢中らしい。コンタローの方は相変わらず、尻尾で分かりやすい感情表現をしている。
「それじゃ、僕はちょっと……ハーヴェンさんのお使いを済ませてきます。今日はマハさんのところにもお土産があるんです。僕はまだあんまりお腹も空いてないし……腹ごなしも兼ねて、出かけてこようと思います」
「あら、そうなの? そう言えば、クロヒメちゃんは元気かしら〜?」
「元気だとは思いますけど、それも含めて見て来ようと思います。折角ですから、マハさんのお屋敷まで飛ぼうと思いますし、そんなに時間もかからないと思いますから……だから、ごめんね。みんなはちょっと待っていてね。それで、もしエルが起きてきたら、おやつを分けてあげていてほしいんだ」
「あい。もちろん、構わないでやんすよ?」
「おぅ。お嬢様の分は取ってあるから、心配無用ですぜ」
「……あ、うん」
そんな事を言われると、却って不安な気がするけど。場合によっては、僕の分を分けてあげればいいし、大丈夫かな。
「坊ちゃん。私は一緒にお供したいのですが、いいでしょうか?」
「え?」
見れば、おやつにもバゲットサンドにも手をつけないままのハンナがこちらを見上げている。
「あ、もしかしてハンナもあんまりお腹、空いていないの?」
「えぇ。それもあるのですが、竜界の色々な景色が見たいと思いまして……ダメでしょうか?」
「ウゥン、いいよ。それじゃぁ、ハンナは一緒に行こうか?」
「はい! お願いしますっ!」
ハンナはおやつよりも、竜界そのものに興味があるらしい。嬉しそうに返事をして目を輝かせている。
「ダウジャ、ですので……私は坊ちゃんと一緒に行ってきます。ちょっとの間、待っていてくださいね」
「こっちは俺とコンタローに任せてくれて、いいですぜ」
「あい!」
「ウフフ。それじゃぁ、コンタローちゃんとダウジャちゃんは、私が思いっきりモフモフしてもいいかしら? ギノちゃんなら大丈夫だと思うけど、気をつけて行ってらっしゃい。何かあったら、すぐに戻ってくるのですよ」
「はい、行ってきます」
ウキウキした様子のハンナを引き連れて、中庭に出ると今日も綺麗な青空が広がっている。そう言えば……竜界は人間界の上空にあるんだっけ。そんな天空の地から見上げる大空は……いつも以上に果てしなく、どこまでも続いているように思えた。




