1−21 私達から取り上げないで
突如始まった、上級悪魔・リリスとの一騎打ち。その戦いに難なく勝利を収めた私は……興奮冷めやらぬとばかりに、憎たらしい悪魔を見下ろしていた。自分がどうしてここまで必死なのか、理解できないのが……気持ちが悪いと同時に、無性に腹が立つ。
「勝負あったようだな。……最期に言い残す事は?」
何故だろう。別に殺す必要もないと思うのだが。ロンギヌスを相手の首筋に充てながら、自分の口から予想外の残酷な言葉が漏れる。
「……本当、何なのよ‼︎ 私はただ、ハーヴェンに会いに来ただけなのに‼︎」
「会いに来ただけ? だが、お前の行動で人間界の秩序が大幅に乱れたのは、事実だ。……それを見過ごすわけにはいかない。この場でその罪、贖ってもらおうか」
そう言いながら……もう何も考えずに、一思いにロンギヌスを振り下ろす。しかし、アーニャの首元を狙ったはずの鋒が、甲高い金属音と共に何かに弾かれて……その衝撃に勢い、後ろに退く。
「……もういいだろ? ルシエル」
飛び退いた先の足元で吹きすさぶ強烈な冷気が、程よく疲労の残る体を襲う。吹雪に抗い、前を睨みつければ。巨大な漆黒の悪魔が、アーニャを庇うように立っていた。ロンギヌスの衝撃を吸収したらしい2本の尾は地面に突き刺され、彼を中心に辺りは一面、分厚い氷で覆われている。そして……ロンギヌスの一閃を弾いたのは、彼の手に握られている巨大な肉斬り包丁・コキュートスクリーヴァだろう。
「……ハーヴェン、どういうつもりだ?」
「お前の言っている事は正しいだろうが……何も、殺す必要はないだろう?」
「生かしておけば、そいつはまた同じように人間界の秩序を乱すに違いない! ここでその芽を摘むのも、我々の役目だ。邪魔するな!」
怒りが治らない私を他所に、人間の姿に戻りながら……ハーヴェンが私を諌めるように肩を竦めて、続ける。
「おいおい、いくら相手が悪魔だからって……こんな大勢の前で……しかも、エルノアもいる前で殺すつもりかよ?」
そこまで言われて、はたとエルノアの方を見やる。そうして彼女を確認すると、少し離れたところで涙目になっているエルノアが心配というよりも……酷く怯えているらしい事に気づく。しまった。私としたことが……何をこんなに熱くなっている?
「クッ……分かった。今回はこのくらいにしておくよ。……アーニャとやら‼︎ 人間界に二度と危害を加えないと約束するのなら、命だけは助けてやる。私の気が変わらないうちに、さっさと帰れ!」
「イヤ。絶対、イヤ‼︎」
しかし、私がくれてやった僅かばかりの温情を無碍に遇らい、夢魔の方は素直に帰る気はないらしい。氷のステージに震えながら、尚も居座り続ける。
「おい! アーニャ! 悪い事は言わない、さっさと帰れ! それでなくとも、今回あいつがここに遣わされたのはお前の討伐命令があったからなんだ。これ以上のワガママは許されないぞ!」
「だって、私、ハーヴェンの事が大好きだもの‼︎ やっと会えたのに、こんなの、あんまりじゃない‼︎ 魔界に戻ったら、もう二度と会えなくなってしまうかも知れない‼︎ そんなのイヤ‼︎ このまま帰るなんて……絶対にイヤ‼︎」
大粒の涙を流しながら、泣き崩れるアーニャ。……ここまで追い込んだ手前、とにかくバツが悪い。
「あのぅ、悪魔のお姉ちゃん……」
「……何よ? チビすけ」
そんな様子を……見るに見かねたらしい。エルノアがおずおずと、アーニャの元に駆け寄る。
「あのね、私もルシエルもハーヴェンを連れていかれちゃうと、とっても困るの。お姉ちゃんがハーヴェンの事を好きなのは分かるけど……お願いだから、ハーヴェンを私達から取り上げないで」
そう言いながら、エルノアが小さな手でアーニャに回復魔法を施している。きっと……子供なりに彼女が帰れるように配慮したのだろう。傷が塞がる頃には、アーニャも随分と落ち着いたらしい。小さくエルノアにありがとうと言いつつも、涙の跡が……妙に痛々しかった。
「……ハーヴェン、魔界に戻ってくるつもりはないの?」
「悪りぃ。今のところ、戻る事は考えてない」
「どうしてよ? 向こうでも楽しくやってたじゃない」
「……あそこは俺にとって、居心地のいい場所じゃなかったんだよ。それに、今はこうしてツレやエルノアと一緒に暮らしている方が楽しい」
「……ツレ?」
彼の言葉にかすかに、しかし、確実に反応するアーニャ。今更だが、そうやって堂々と言われると気恥ずかしいのだが……ハーヴェンは一向に悪びれる様子もない。
「そ、こいつの事」
そう言って、今度はハーヴェンが何かを見せつけるように、馴れ馴れしく私の肩を抱くと……次の瞬間に周りからキャ〜、とかどよめきが聞こえるのが、何とも居た堪れない。その様子を見て、何かを真似るつもりらしいエルノアも私の腰にぴったりとくっついて……そして、彼女の肩の妖精も更に真似をして、エルノアの耳たぶにしっかりくっついている。全く何なんだ、本当に。
「……私はそこまでお前と親しくしているつもりはないと、言ったばかりだろう。調子に乗るなッ!」
そう言って、ニヤついている顎に左手でアッパーを食らわせる。暴力反対とか言われそうだが、私はどうも手が先に出てしまうタイプらしい。そんな事には今まで気づきもしなかったが、相手が相手だし……このくらいは許容範囲だろうと思う。
「いでっ‼︎」
あからさまに理不尽な暴力を振るわれながらも、怒るでもなく、おぉ痛いとか言いながら顎を摩っているハーヴェン。そんなどこまでも戯けた様子の彼に、アーニャが煮え切らない様子で詰め寄る。
「……どうして、私よりその幼女体型がいいのよ?」
「……幼女体型で悪かったな」
さっきから思っていたのだが、いちいちそこは触れないでほしい。……精神的にかなり抉られるものがある。
しかし、一方で悔しいが……私も彼女の意見には同意だ。アーニャの方が私なんぞよりも、女性としては遥かに魅力的な体型をしている事は認めざるを得ない。しかし、どうもハーヴェンの何かの選考基準はそこではないらしい。少し疲れたように、アーニャを改めて拒絶するように言葉を続ける。
「……俺はお前のそういうところが、ちょっと嫌いだったんだよ。色目を使えば、どんな男も落とせるとか思ってんなよ? まぁ……お前はリリスだから、そこはある程度、仕方ないんだけれども」
「別にそんな事、思ってないわ‼︎」
「でも、現に人間界ではお前に沢山の男共がお熱だって聞いてたけど? ……精気を吸うためとはいえ、そう手当たり次第となると……俺は誰でもいいのかなって、思ったりするわけ。……お前には別に俺じゃなくてもいいんじゃないかって、正直思うよ」