6−15 悪魔は逞しいお方ほど紳士的
「あ〜あぁ、ルシファーも相変わらずだなぁ……」
「うん。アレは単独配下なしとはいえ、傲慢の大悪魔だからねぇ。可愛げがないのも含めて、彼女だし。仕方ないっしょ。それにしても、可愛げといえば。ルシエルちゃんは随分と、キュートになったね〜。グッと女の子っぽくなって。ウンウン。ハーヴェンがルシエルちゃんの為に本気で怒っちゃうのも、納得かも〜」
ルシファーの伝言に困ったように頭を掻きつつ、ため息をつくハーヴェン。一方で……自分の配下が困っているのを軽く流して、ベルゼブブが私の方に向き直る。ここはルシファーの事は後回しにして、きちんと挨拶をするべきだろうか。
「あ、いえ……先日はケット・シーのことも含めて、お世話になりました……。至らぬところも多々あるかと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします……」
しっかりお礼も言わねばと、私が深々と礼をすると……途端にどよめく悪魔3人。もしかして、何かおかしなことを言っただろうか?
「な、なるほど……今の天使は必要とあらば、悪魔にも頭を下げるものなのか?」
「うん? まぁ、ルシエルちゃんはハーヴェンのお嫁さんだからね。とっても気が利くんだよ」
「そうなのか? 天使は嫁にすると、こんな風に優しくしてくれるものなのか⁉ ど、どうなんだ⁉︎」
理由はよく分からないが、私の対応に興奮し出した赤い大柄の悪魔。大きな体躯とは裏腹に、茶色い瞳は子供のように純粋な光を帯びている。
「あ、えっと。……今、変なところで興奮しているのが、憤怒の大悪魔・サタン。見た目通り、かなりの怪力の持ち主で……プランシーの親になる悪魔だよ」
「うぬ? まさかお前達、俺にではなくカイムグラントに用があるのか?」
その質問に、大天使らしくオーディエル様が答える。
「……えぇ。もちろん、サタン様も含めてお願いしたいことがございます」
「ホォ?」
心なしかウキウキした様子のサタンに、片や神妙な面持ちのオーディエル様。この調子であれば、オーディエル様の乙女暴走は鎮静化したと見ていいだろうか。
「実は現在、人間界では良くないことが起こっているのです。我々も全容の究明に努めているのですが、向こう側の黒幕は相当のやり手のようでして……。なかなか、尻尾が掴めないのです。しかし、その中にあって、あなたの所にいるプランシー殿の記憶の中に、重要な情報が隠されている可能性がございまして。もし……もし、我らに少しでも協力してくださるのなら、お知恵をお借りできないかと……」
そこまで聞いたところで、サタンが手のひらを向けてもう結構、というジェスチャーをして見せる。やはり、天使のお願い事は聞き入れてもらえないのか……?
「……事情は把握した。アレの方も人間界に出ることを望んではいる。とは言え、人間界に出るにはお前達と契約でもしない限り、遅かれ早かれ退治されてしまうだろう。契約はどちらにしろ必要だろうし……まだ怒りのコントロールが不安定だが、俺の方で便宜を図ってやるのは、吝かではない」
「ほ、本当ですか⁉︎ サタン様!」
「あぁ。今日はルシファーの所に行くのだろう? だったら、帰りに俺の城にも寄るといい。カイムグラントの様子次第だが、アレもその辺の分別を付けられぬほど愚かでもなかろう。話くらいはできるはずだ」
「ありがとうございます! あぁ、なんてお優しいお言葉なのだろう⁉︎ もしかして、悪魔は逞しいお方ほど紳士的な傾向でもあるのだろうか⁉︎ どうなんだ、ルシエル⁉︎」
「そんな話は聞いたこと、ありませんが……」
私がおずおずと答える横で、ハーヴェンが呆れたように請け負う。……結局、この流れになるんだな。
「俺も初耳だ。……というか、こんなに話がすんなりできるサタンを初めて見たんだが……」
「うるさいぞ、エルダーウコバク! 俺だって、天使と……」
最後の方は妙にモジモジして聞こえなかったが、サタンとオーディエル様は似た者同士なのかもしれない。オーディエル様の方は気づいていないようだが……多分、サタンは彼女を気に入ったのだろう。
「……それじゃ、今日は最後にサタンの所に寄るとして……。で、そっちのやったら色っぽい格好をしているのが、アスモデウス。色欲の真祖で、アーニャの親になる大悪魔だ」
「まぁ、ロリコンのエルダーウコバクに色っぽいなんて言われると思わなかったけど。フフ。私がアスモデウスよ? よろしくね、天使のお嬢さん方」
「……ったく、俺はロリコンじゃねぇっつの。嫁さん一筋なだけだ」
否定がてら、そんなことを言われたりするものだから……今度は妙に気恥ずかしい。
「フゥン? でも、お前がそんなことを言ったせいで、アーニャがお前を落とすために、私の大切な香水を持ち出してね……。材料が超貴重なものだから、とっても困っているの。あなたのせいよ? 責任取ってくれないかしら? ね、お願い……」
そんなことを言いながら、ふんわりした様子でハーヴェンに躙り寄るアスモデウス。その姿は心なしか、見ているだけで体の芯が熱くなるような感覚に襲われる。
「それを使っても、無駄だ。俺はお前に落とされるほど、移り気じゃねぇんだよ。香水の材料とやらも、俺には関係ない。……他を当たれ」
「チィ! 本当、憎たらしいったらありゃしない! 冗談抜きで、私の特殊能力が通じないなんて!」
はっきりとハーヴェンに拒絶されて、急に荒々しい様子を見せるアスモデウス。あまりの豹変ぶりに……彼女は怒らせると怖いタイプなのだと、認識を改める。
「だっから、言ったでしょ? お前でもハーヴェンを落とすのは、無理だって〜」
「……どういうことだ、ベルゼブブ」
「あぁ、うん。ほら、お前がこの間こっちに来た時、サキュバスちゃんが来てたでしょ?」
「そうだったな。……それがどうしたよ?」
「で、お前はあの時……ルシエルちゃん以外には興味ないとか、言っちゃったじゃない? あれ、サキュバス的には禁句だよ〜。彼女達、プライドがズタズタにされたって、アスモデウスに泣きついたみたいなんだ」
「……いや、俺は別に傷つけるつもりもなく、正直に答えただけなんだが」
「お前に悪気がないのは、僕も知ってたけど。で、それと同時に……アーニャがテンプテーションの香水を使ってもお前を落とせなかったのを知って、アスモデウスも意地になったみたいでね。……それで、さっきの色仕掛けだったんだけど。それにしても……やっぱり、アスモデウスでも落とせなかったか。アッハハハハ! 僕、これ以上愉快なことないかも〜ん!」
「お黙り、このハエ男‼︎ それにしても、アテが外れちゃったじゃない! どうしてくれるのよ⁉︎」
アテが外れた? アスモデウスは、ハーヴェンに何かさせるつもりだったのだろうか? 妙に頭がクラクラする中、必死に堪える。それにしても、あぁ、何だろう。今すぐ、ハーヴェンに抱きしめて欲しい……。
「何だ、お前……俺に何か用があるのか?」
「……お前じゃなくて、そっちのお嫁さんの方よ」
「ルシエルに?」
「香水の精製に天使の羽が必要なのよ。だから、お前を落とした後に、お嫁さんの羽を何枚か失敬しようと思ってたんだけど……。まぁ、いいわ。別のアテもあるし。それこそ、マモンにお願いするわ」
「マモンに……か? あいつの羽は天使の羽と似ても似つかないだろ」
「あら、知らなかったの? あいつの所に、天使のおもちゃがいるのよ」
「……⁉︎」
「まぁ、本物かどうかは知らないけど。さっき、得意げに話してたわよ」
天使のおもちゃ? それってつまり……?
「……アスモデウス様。その天使の名前はご存知だったりするだろうか?」
「いいえ? そこまで聞いてないわ。なんでも……エルダーウコバクと同じように天使の主人になったんだ、とか言ってはいたけど。でもねぇ……今のマモンは筋金入りの嘘つきでもあるから。確認がてら、お願いしに行ってもいいかもって思っただけよ。……いつも通り嘘だったら、どうしようかしら?」
オーディエル様の顔も紅潮しているのを見る限り……彼女も私と同じ状態なのだろう。とはいえ、その辺りは流石、大天使様というか。冷静に話を聞き出しているところを見ると、情けなくアスモデウスに影響を受けているだけの私よりは、軽症らしい。
「ハ、ハーヴェン……」
「その様子はまさか、お前……」
「う、うん……。何というか、抱っこ……してくれないかな……」
もうダメだ。立っていられない程に、頭がクラクラする。
ハーヴェンはそんな私の様子に、何かを察してくれたらしい。私を優しく抱き上げると、背中を摩ってくれた。そうされてようやく……呼吸が落ち着いてきたが、摩られるたびに変な声が漏れる。……何て、情けない状態だろう。
「……あら、天使には効果があるのね。意外だわ」
「頼むから、必要以上に嫁さんを変な気分にさせないでくれよ。……それでなくても、ルシエルはそういう部分は純真なんだから」
「ウゥ、羨ましい! ルシエルが羨ましいぞ! 私も逞しい殿方に介抱されたい!」
「あ、すみません。俺の腕の中は、ルシエル専用です」
「あぁ! 何と、一途で情熱的なお言葉か! そして……とっても残念でならない!」
既にアスモデウスの術中から脱却したらしいオーディエル様が、悔しそうに私を見つめている。ハーヴェンの腕の中で私もようやく、変な高揚感が薄らいできたのだが……短い毛がビッシリと生えている彼の体は、くっついているだけで落ち着くものがある。しばらく、このまま具合が悪いフリをして……抱っこされているのも、悪くない。
「そう言えば、天使の羽が必要なのか? 何枚くらい?」
「え? あぁ……最後の仕上げに使うだけだから、2〜3枚あればいいんだけど……」
「そう……」
その程度であれば大した負担にならないし、差し出すのもいいかもしれない。抜く時にかなりの痛みはあるが、大物悪魔の心証を良くしておく事の方が、遥かに重要に思える。
「……私の羽でよければ、どうぞ。あなたにもお世話になることがあるかもしれないし、お近づきの印にこれを」
「え……いいの?」
「この程度であれば、大丈夫……ただ、ハーヴェン。えぇと……」
「……分かっている。お前はこのまま、しばらく休んでいろよ」
「うん、ありがとう」
あっさりと私が羽を渡したものだから、きっと気が抜けたのだろう。アスモデウスが最後に呆れたように呟く。
「……ったく、見せつけてくれるじゃない。本当、敵わないわ」
私が抜いた羽を大事そうに受け取りながらも……さも呆れたと言うように、驚いた表情を見せる色欲の大悪魔。それでも、ある意味で好意的なお言葉に……友好的に私達の存在を認識してもらえたと、判断してもいいだろうか。




