1−20 ほぅ、愛人……とな?
作戦会議が一通り済んだ後に、夕刻を迎えたので……魔法発動の指示をすると。私の指示に任せとけ、と軽く返事をしてハーヴェンが魔法の詠唱に入る。軽い返事とは裏腹に、今回の魔法は安請け合いできるレベルでもないと思うが。彼はそれすらも、易々とこなして見せる。
「怠惰を誘え、微睡みを呼べ……我は望む、汝らの揺りかごとならん事を……スリーピングミスト!」
展開するのは水属性の初級魔法ではあるが、この場合は規模が大きい。街ごとを眠りに落とすなんて、安易にできる事では決してないが……魔力レベル9は伊達ではないということなのだろう。彼の手による魔法が発動されると同時に、街をすっぽり覆うような巨大な魔法陣が展開され始める。そして……包み込まれた異常事態に驚く間も無く、街の住人達はあっという間に深い眠りに落ちたようだ。
今の人間は魔法を失ったと同時に、耐性も削ぎ落とされている。しかし、この場合はさほど害がない魔法とは言え、効き目は少々心配になる塩梅だ。……まぁ、それは私が憂慮することでもないだろうか。
「終わったぜ? ちょいと神経を持って行かれているが、このくらいなら俺自身も多少の戦闘はこなせるだろう」
「いや、とりあえずお前は魔法の発動に集中していてくれ。戦闘は私の方でなんとかできるようにするし……回復に関しては、エルノアもいるしな」
「うん! 任せて!」
「……さて、後はお出ましを待つばかり……か」
取り巻きの天使達も騒ぐ事もなく、固唾を飲んで静かに状況を見守っている。一方で、この地区担当のマディエルはというと……。
「おぁ〜‼︎ こんな近くで悪魔と天使の戦いが見られるなんてぇ〜。やっぱり、役得ですぅ〜。ラミュエル様、ありがとうございますぅぅぅ!」
……もういい。あのぽっちゃりは放っておこう。
「ルシエル、何か上にいるみたい!」
同僚の様子にゲンナリしていると、エルノアが真っ先に何かの気配を感知する。そうして彼女が指差す方を見やれば、妖艶な姿の悪魔がこちらを見下ろしていた。美しい金髪に、真紅の瞳。頭には山羊のような角が生えており、いかにもな漆黒の翼で宙を舞う。何より、露出が多い衣装は大きな胸を誇張しているようにも見えて……図らずとも、ものすごく悔しい。しかし……気のせいだろうか? 相手も少々、怒っている気がするが……。
「……やっと見つけたわ……ダーリン‼︎」
「ダ、ダーリン⁇」
夢魔の言葉の意味を理解する間もなく、ハーヴェンが慌てたように応じる。
「アーニャ⁉︎ お前、なんでこんな所に居るんだよ⁉︎」
「……知り合いなのか?」
「あぁ、その……俺が人間界にやってきた理由の2つ目というか、なんと言うか……」
ハーヴェンの顔が、今まで見たこともない様相で引きつっている。どうやら、あの悪魔は遭遇したくない相手だったようだが……一方で、いつの間にか同じ地面の上に降りてきた悪魔は心なしか、ちょっと涙を浮かべていて。肩は小刻みに震えており、視線は射抜くようにハーヴェンを見つめていた。
「ルシエル、あのお姉ちゃん……ハーヴェンのこと、ものすご〜く好きみたい」
「はい?」
エルノアが小首を傾げながら、そんな事を呟くが……今、なんて? なんて言ったんだ、この子は。
もの凄くハーヴェンが好きらしい夢魔の視線を浴びている一方で、渦中のハーヴェンの方はひどく及び腰だ。そんなに全身で拒否感を出さなくてもいいだろうに……一体、彼女は彼のどういう知り合いなのだろう。
「いや、アーニャ! しつけぇにも程があるだろ‼︎ 大体、ダーリンってなんだよ!」
「そんな言い方、あんまりじゃない‼︎ 私、あんたがいなくなってから、毎日寂しかったんだから‼︎ だから……とうとうこうして、ダーリンを探しに人間界にまで来ちゃったんじゃない!」
「だから、その呼び方はよせ‼︎ 気持ち悪い!」
「気持ち悪いなんて……ひ、酷い……‼︎」
絞り出すようなセリフの後、今度は大声で泣き出す夢魔。戦闘も多少は覚悟していたんだが、なんというか……別の意味で修羅場なんだが……。そして、微妙な空気感は観衆にもしっかり伝わっているらしい。まるで、恋愛モノの歌劇でも見ているような歓声が上がる。しかし……なんなんだ、この状況は。
「……ハーヴェン、すまない。状況がよく飲み込めないんだが……」
私が仕方なく尋ねると、何かを諦めたようにハーヴェンが深いため息をつきながら……目の前の相手を紹介してくれる。
「あいつはアーニャ。さっき説明した、最悪ケースのリリスという悪魔だ。そんでもって……ベルゼブブが自分の都合と保身とで俺に押し付けた一応の愛人、になるらしいんだが……」
「ほぅ、愛人……とな?」
言われてみれば、ハーヴェンが魔界でどんな暮らしぶりをしていたのかは、聞いたことがなかった。与えられた仕事では料理を楽しんでもらえない、という不満だけは聞いていたが……まさか、愛人がいたなんて。
「……ルシエル、大丈夫?」
「う、うん? 何がだい?」
「うん……なんか、怒ってない?」
エルノアに微かな怒りと不安を見透かされて、ちょっと慌てたが……大体、どうして私が慌てなくてはならない。内心苛立っているのを隠すように、気持ちをぶつけてかき消さんと、ハーヴェンに水を向ける。
「……で? ハーヴェンはどうするんだ?」
「どうするんだって、なんだよ? 俺はお前と契約している身だし! 大体、こいつから逃げたくて人間界にやって来た部分もあるし! 今更、帰りたくねぇし!」
「……契約……ですって?」
ハーヴェンの苦しい弁明から、都合の悪い部分をピンポイントに拾ったアーニャがこちらに向き直る。なんだか穏やかじゃない雰囲気を感じるんだが、大丈夫か?
「何よ! ぺったんこの幼女体型のクセに、私のハーヴェンと契約ですって⁉︎ この泥棒猫‼︎」
契約のキーワードによって、今度はターゲットが私になってしまったらしい。怒り交じりの罵声がこちらに飛んでくるが……それにしても、ぺったんこ? 幼女体型……だと? 折角、人があまり気にしないようにしていたことを、ズバズバと言われては無性に腹が立つ。それに、当のハーヴェンは嫌がっているではないか。なんなんだ、この女。
「……誰が幼女体型、だと? それに泥棒猫って、どういう意味だ? 私はハーヴェンが望むから、契約してやっただけに過ぎない。お前の方こそ、そんなに恵まれた体型のクセにハーヴェンに逃げられたのだろう? しつこい女は嫌われるし、過度なヒステリーはみっともないぞ」
「誰がみっともないですってぇ⁉︎」
「……お、おい……」
俄かに慌て始めたハーヴェンを他所に、アーニャと睨み合う。
「こうなったら、勝負しましょ? どっちがハーヴェンの恋人に相応しいか」
「私は恋人になるつもりはないがな。でも、今のあいつは私の精霊だ。本人も嫌がっている手前、譲るわけにはいかない。……望むところだ」
「ちょ、ちょっと、おい! 2人とも……」
「「ハーヴェンは黙ってて‼︎」」
「ヒャイ‼︎」
制止に入ろうとするハーヴェンを2人で一喝し、臨戦態勢に入る。気がつけば、さっきまで隣にいたエルノアはハーヴェンの後ろに避難していた。少々怖がらせてしまったらしいが、プツリと何かが私の中で吹っ切れて……今は目の前の夢魔を叩きのめさなければ、気が済まない。
「……何だか、大変なことになっちゃったね。……ねぇねぇ、ルシエルが負けたらハーヴェン、帰っちゃうの? 私、ハーヴェンがいなくなるのいやだよぅ……」
「俺もそれはちょっと勘弁して欲しいんだが……ま、大丈夫だろ。あれでいて、ルシエルは強いからな」
目の前の悪魔はリリスの方らしい。悪魔である時点で、ハイエレメントに闇属性を持っている事は確実だろうが……相手の魔力レベルは不明だ。しかし上級種の悪魔である以上、それなりの魔法は使いこなしてくるだろう。こういう時こそサーチ鏡を使えばある程度は判明するかもしれないが、今はそれすらも煩わしい。……というよりも、なぜか何もかもが煩わしい。今はとにかく大暴れしないと、気が済まない……!
「我の元に来たれ! ロンギヌス‼︎」
ただ大暴れしたい私ごときの命令にも、ちゃんと従うように現れた槍を手に取り構える。自分はこの武器に不相応だという事は自覚しているが、応じてくれるところを見ると……槍の方も一応は私を持ち主と認めてくれているのだろう。手にしっくり馴染む感触は、いつもながらに私を奮い立たせる。
「きゃ〜、出ました‼︎」
「聖槍ロンギヌス!」
周りの天使達の興奮も最高潮というところか。正直、今更どうでもいいのだが……気色の悪い囃され方が、妙に疲れる。
「聖槍ロンギヌス? なんで、そんな物がここにあるのよ?」
「色々と事情があるんだよ。悪いが、私はあまり長期戦は得意じゃなくてね。……さっさと終わらさせていただこう‼︎」
「幼女体型のクセに生意気な‼︎」
未だに人の勘所を突きながら舞い上がるアーニャを追って、自分も飛び上がる。見れば、アーニャは両手を構え既に魔法を展開し始めているようだ。なるほど……詠唱スピードもかなり早いが、それを読めないほど私も甘くはない。
「獄炎を舞い散らせ! 業火にその身を焦がせ! その身に熱を刻まん、ヘルフレイム、ダブルキャスト‼︎」
「甘い‼︎ 我は望む、堅牢なる地母神の庇護を賜わらんことを! ディバインウォール‼︎」
アーニャの放った魔法を、あらかじめ予測発動させておいた防御魔法で防ぐ。ふん、ダブルキャストでこの程度か。この調子であれば、そこまで苦労せずに済みそうだ。
「ちょ、何よその魔法! 私のヘルフレイム、しかもダブルを1陣で防ぐなんて‼︎」
「こう見えて、私は使える光魔法を全て簡略化する術を会得していてね。錬成度もある程度のレベルまで、即座に練れるよう普段から鍛錬している。今の魔法は1陣だが……錬成度は最高レベルまで高めたものだ」
「何なのよ、あんた! 四翼のクセにロンギヌス持っているわ、魔法スキルもメチャクチャだわ! 本当に何なのよ⁉︎」
「言う事はそれだけか? 今度はこちらから行くぞ!」
「えっ⁉︎ ちょ、ちょっと、ま、待って‼︎」
「問答無用‼︎」
慌てて逃げに入るアーニャに構わず、容赦無くロンギヌスを振るう。
聖槍と言われるだけあって、闇属性の相手には滅法強いこの槍は……追加効果として、光属性のライトニングスターという追尾型の攻撃魔法を自動発動し、相手を追い詰める。ただし、魔法の発動にはきっちり持ち主の魔力を消費させるので、私自身も「力尽く」で押すと判断した時にしか使わない。
それでなくとも、先ほどの魔法でアーニャの傾向も何となく把握できた。ヘルフレイムは炎属性の魔法だ。つまり、アーニャは炎属性のエレメントを持っていることになる。私の風属性とは相性は五分と言ったところだが、アーニャは攻撃魔法を単一種類のダブルキャストで発動してきたのを考えても……生粋のアタッカーと見ていいだろう。手数の多い魔法を防ぐのは、苦手と見た。
「悠久の間に浮かぶ深淵より来たれ! 闇の鼓動を聞け! ダークディセイブ‼︎」
「永劫の苦痛をもって罪を雪げ、光をもって制裁を与えん‼︎ ホーリーパニッシュ‼︎」
幾度となく、両の魔法が衝突し相殺される。しかし、相手の攻撃手段は魔法しかないようだが、こちらには聖槍による攻撃もある。それでなくとも、アーニャの方は人間界に来てからの日が浅い……人間界の薄い魔力に慣れきっていない身で魔法を連発するのは、いくら悪魔でも厳しいものがあるだろう。
そんな事を繰り返していると、私の方は多少魔力を消費した倦怠感が残る程度なのに対し、アーニャの方はロンギヌスによる切り傷も目立ち始めている。そして、とうとう……地に伏すアーニャ。命も辛々の肩は、消耗と疲労で激しく上下に揺れていた。