6−7 不自然すぎて落ち着かない
「え? お泊まり?」
「う、うん……。オーディエル様はこちらから出かけた方が、確かに手間も少ないとは思うけど……」
無謀な同僚(と言うには、偉すぎる方がただが)のお願いに、パチクリと目を瞬かせるハーヴェン。私もお泊まりには大反対だし、この様子であれば……。
「あぁ、別にいいよ? 3人とも泊まっていっても」
「は⁉ いや、だって、明日は子供達のお持たせの準備とか……色々あるんじゃ?」
「ふっふっふ。そこはちゃんと、抜かりなくやってありま〜す。それにお泊まりしていけば、皆さんにも朝食も出してやれるし。俺としては、それも新鮮かなと思うけど」
だが、しかし。ハーヴェンは私の予想に反して、あっけらかんと寛大な返事を寄越してきた。朝食まで付けるって。どれだけサービスする気なんだ、この悪魔は……。
「部屋は空いてるし、掃除もしてあるし大丈夫だよ? 因みに。3階の奥の1人用2部屋と1階の寝室、2階は手前の2人部屋が空いてるから、お好きなところにどうぞ?」
「やった! さっすが、話の分かる旦那様〜! よっし! お泊まり、お泊まり〜‼︎」
ちょっと、ハーヴェン! 何をすんなり了承してるんだよ! ミシェル様も大喜びしすぎだって!
「ハーヴェン、それじゃぁ……」
「あぁ……なんだ、そういうことか。仕方ないだろ? 今晩くらいは我慢しなさい」
「あら、何を我慢するの?」
気落ちした私がホロリと漏らした言葉を……耳聡くキャッチしたラミュエル様が、嬉しそうにこちらを見つめている。お願いですから、そこ……今は食いつかないでくれますか。
「え、あっ……」
「うん、まぁ。ルシエルは寂しがり屋なものだから、色々と眠る前の儀式があって。でも、毎日しなくてもいいことだから、気にしないでやってください。ほれ、ルシエルもいつまでむくれてるんだよ。……お茶が冷めちまうぞ?」
妙にスレスレな感じでうまく誤魔化せたようだが、寂しいことに変わりはない。席に着くように促されても、納得できないのが非常に悔しい。
「ほら。地図も用意してあるから。で、どうだった? この辺りの瘴気の状態は?」
今は拗ねている場合じゃないと言いたいのだろう。若干強引に、ハーヴェンが話を振ってくる。
「うん……やっぱり不自然なところがあった。このボーラは普通の町じゃないと見て、いいと思う」
「ルシエル、どういうことかしら? 何がどう、問題なの?」
「そうですよね。まず、そちらの説明をしないといけませんよね。実は、このボーラは塔が認識していない場所なのです」
「……嘘、そんなのって聞いたことないわ。ちょっと、地図を見せて」
そう言いながら、ラミュエル様が食い入るように地図を見つめた後……ため息混じりの困った様子で呟く。
「……本当だわ。昨日、塔の情報を確認した時も……この辺りに町の表示はなかったかも……」
「えぇ、そうなのです。ハーヴェンに何気なく、こんなところに町があるなんて、言われて気づいたのですが……。ここは塔が町として認識していない場所のようです。にも関わらず、人間界の地図にはその町が存在している。……それで妙だということで、今日、私もこの周辺の瘴気分布を確認してきたのです」
「そう、だったの……。それで、不自然な部分があったのね?」
「はい。……まず、ボーラの周辺は瘴気が周りに比べて薄かったのと……ボーラからアーチェッタに一筋、道筋を示すように瘴気が薄い部分がありました。……おそらく、何らかのルートでこの2箇所は結ばれていると思います」
「……そか、やっぱりな」
私の解説に、神妙な顔をして困惑気味の大天使様を他所に……意外にも、ハーヴェンはその事を予想していたようだ。しかし、その判断基準は何だろう?
「いや、さ。この地図、随分と詳細な内容が載っていると思って、裏表紙の書籍情報を確認したんだけど……ここ、よく見てみ」
「これは、まさか……?」
「そ。掠れて消えかかっているが……こいつは間違いなく、リンドヘイム聖教の紋章だ。で、恐ろしいことにゴラニア大陸地図帳……教皇軍事部隊編纂なんて、うっすら書いてあった跡があるんだよ。どうやら、こいつの出所はリンドヘイム教の軍事機関らしい。多分、何かの拍子にうっかり外に出回ったんだろう。それがそのまま、カーヴェラの本屋で眠ってたのを、たまたまギノが見繕って買ってきてくれたんだが。この地図帳……ひょっとしなくても、かなりキナ臭い代物みたいだぞ」
そんな事を言いながら、地図帳にため息を落としつつ……ハーヴェンがローウェルズ地方のページを再び開く。
「なるほど……ルシエルが最近、ローウェルズが不気味なくらい静かだなんて言ってたけど。塔が認識できない場所で、色々としてた可能性はあるってことだね」
「えぇ、そうだと思います。どのくらいの活動をしているのかは分かりませんが……このボーラを調べる価値はあると思います。何せ、ノクエルは元ローウェルズの監視担当です。おそらく、ボーラ周辺がまだ瘴気にあまり侵されていないのを知っていたのでしょう。しかも、彼女は教会に降臨していたこともありました。教会の設備建設に関して、口を出していた可能性も高いと思います。しかし……」
「問題は誰をどう行かせるか、よね……。ここに入り込むのは相当、難しいと思うわ。きっと先日のこともあって、あちら側も警戒を強めているでしょうし……」
「そう、ですよね……。調べるにしても、周りよりは瘴気は薄いとは言え、普通に生活できる水準ではありませんでした。あのアーチェッタの部屋と同じように、地下に埋まっているものと思われますが……何れにしても、侵入は難しい気がします」
「ふむ……力尽くは通用しないだろうな。中枢に近づけば近づくほど、相手も手強くなるだろう」
う〜む、と天使4人が難しい顔をしていると……少しばかり、妙案があるらしい。ハーヴェンが何かを思い出したように、ポツリと呟く。
「……プランシーなら、何か覚えてるかもな」
「プランシー?」
その名前に聞き覚えがないのだろう、ラミュエル様達が目を丸くしている。
「子供達の面倒を見ていた、教会の元神父で……俺の闇堕ちを再現させるために、堕天使達に殺されたみたいなんだ。そして、あのアーチェッタの悪魔文字の主でもあるんだけど。ただ、プランシーは生前アーチェッタには行っていないらしい。しかし、彼が殺された痕跡はアーチェッタにあった。……だとすれば、何らかの方法でプランシーが移動させられたと考えるのが自然だろう。……それに、あの悪魔文字の意味も気になる」
「どういうことだ?」
「うん、刻まれていた文字に“ 血の楔を打ち込め”なんて文言があったと思うけど。悪魔文字で“楔”はポータル構築によく登場する呪文なんだよ」
「それって、つまり?」
「多分、プランシーは闇堕ちと同時に……あの場所にマーキングしたのだろうと思う。基準点として悪魔文字が残っているのであれば、あの地点に向かって転移魔法を発動できるかもしれない。プランシーが構成を覚えていれば、少なくとも……アーチェッタのあの場所までは侵入できるだろうし、場合によっては移動させられたルートを覚えている可能性もあるだろう」
「おぉ! なるほど!」
だが、折角の名案も……実際にはかなり難易度が高い事に、私は居た堪れない気分になる。
プランシーが闇堕ちした先は憤怒。つまり……彼は堕天していようがいまいが、天使の行いに怒り狂って闇堕ちしたということだ。おそらく、素直に私達のお願いを聞いてくれる相手ではないだろう。
「ただ……プランシーは相当、我々を恨んでいるものと思われますが……」
「そう、よね……。元々、悪魔は神様を恨んで闇堕ちするのよね……。そんな憎い相手に易々と協力してくれるわけないわよね。しかも……私達がお願いしようとしていることは、傷を広げるようなことだもの……。本当に、私達は今まで何をやっていたのかしら……」
ハーヴェンの前例を知っている事もあり、ラミュエル様も闇堕ちがいかに絶望を伴うものなのかを認識しているのだろう。沈痛な面持ちを見るに……相当、悔いているようだ。
「……まぁ、プランシーは元々穏やかな奴だったから、俺の話は聞いてくれるだろう。それに、ギノにも会いたがっていた。あの子を餌にするようで申し訳ないけど、子供達の事を絡めれば……何とか協力はしてくれるんじゃないかな」
「だと、いいけど……」
「札なしでこっちを彷徨くわけにはいかないことくらい、本人や親玉のサタンでも分かるだろ。その辺も含めて、あの脳筋も納得させれば何とかなると思うよ」
サタンは脳筋……つまり脳味噌まで筋肉でできているって事か? それが親玉とか……説得以前に、色々と大丈夫なんだろうか?
「ま、とにかく明日はルシファーに会いに行く。そんでもって、プランシーの様子を見て、協力をお願いできそうだったらしてみる。……呑気な事を言っている暇はないのかもしれないけど。今すぐボーラを調べるのは、あんまり賢いとは言えないかもな」
「そう……だな。何れにしても、明日は私も同行させていただく。こちらの都合だけで本当にすまないが、よろしくお願いいたします」
「あ、いや。そんなに気にしなくて、大丈夫だから。俺もベルゼブブに届け物があるし。まぁ、たまにはいいと思うよ。とにかく、明日はよろしく」
「は、ハイっ! あぁ〜、不謹慎だとは思いつつ、胸が高鳴って仕方ない! ハーヴェン様と一緒に魔界に行けるなんて……どうしよう⁉︎」
さっきまで、あんなにもしんみりしていたのに……真剣な様子から突如、またぎこちない口調が出始めたオーディエル様。そして……そんな彼女を呆れたように見つめる、ミシェル様。
「……オーディエルって、ハーヴェン様の前だと妙に乙女になるよね。なんか、不自然すぎて落ち着かないんだけど……?」
「ミシェル、それは言わないであげて……」
最後にラミュエル様の呟きがぽとりと落ちて……。オーディエル様、こんな調子でちゃんと眠れるんだろうか?




