6−5 恋をする予定はなかったんだけど(後編)
(このまま放っておいたら、また厄介なことになる。仕方ない、トドメを刺しておくか。本当はこういうことしたくなくて、こっちに来たんだけどなぁ。……やっぱり悪魔は、受け入れてもらえないんだろうか……)
負けるわけにはいかないと、抵抗した結果に勝利はしたものの。対戦相手を打ちのめしたところで、一向に安心などできっこない。そんな風に……無性に悲しい気分になりながら、彼女の元にゆっくりと向かうが。たどり着いた足元の彼女の顔を見ると、あんなに冷たい表情をしていたのが……妙にあどけなく、苦しそうに歪んでいた。
彼女の顔を見た瞬間、今度は激しい頭痛と一緒に、全身に言いようのない後悔が押し寄せてくる。
俺は……一体、この包丁で何をしようとしているんだ……?
(何だ、何なんだよ、コレ! 俺はこんなことしたくて、出て来たわけじゃないだろ……!)
とにかく、一刻も早く手当をしないと。まだ息はある。でも翼が出ている以上、人間の町に連れて行くわけにはいかない。どこか、どこかに休める場所はないか⁉︎
そんなことを考えながら、彼女を抱えて周囲を飛び回る。以前もこんな風に誰かを抱えてどこかを彷徨った気がするが、今はそんなことはどうでもいい。
そうして、しばらく森の中を探した後……朽ちた様子の廃屋が建っているのを、ようやく見つけ出す。
「こいつを修復させれば、何とかなるか……? 刻まれし記憶を呼べ、輝ける時間を取り戻せ! 我の眼にその姿を再び……タイムリウィンド!」
魔力を大量消費するこの魔法を、こんなところで使う羽目になると思わなかったけど。無事に住めそうなところまで復活した家に、いそいそと入り込む。人間サイズのドアを化けた姿でくぐり抜け、奥の部屋のベッドに彼女を寝かせると……チリンと澄んだ音がするので、そちらを見やれば。彼女の腰には小さなベルがついている。……さっきまでは無我夢中で、その音にすら気づかなかったらしい。
(これは……何だろう? 何かの魔法道具かな……)
何れにしても、道具の正体を確認するよりも先に手当だ。家の中に手当に使えそうな薬の類がないかを探してみたが……戸棚に薬はないが、包帯はあった。
(……こういう時に回復魔法が使えればなぁ……)
薬がないので、仕方がないと……一応、現役に戻ったらしいキッチンでお湯を沸かして、彼女の傷を清める。小さな体にはコキュートスクリーヴァの斬撃で至る所に激しい凍傷が刻まれており、彼女の白い肌を赤黒く染めていた。
「……」
腹の部分に一際大きな傷があったため、勢いで服も捲り上げてみたが……。うーん、と。どれどれ……?
(やっぱり女の子、なのかな……?)
痛々しい腹の打撲の跡を拭き清めながら、チラと彼女の胸元を見る。男の子にしては膨らみがあるし、女の子だよな……?
(って、俺、何考えてるんだよ……。応急処置をした後は、食材と薬を買ってこないと……)
その間に彼女が目覚めたら、この状況に混乱するかな。でも、そんなことを考えるのも今は後回しだ。
他のことは何も考えられないまま、もう一度外に出て……町の近くまで飛び立つ。そうして目立たないところで人間に化けて、門番に事情を話すと……意外とすんなり、中に入れてもらえたりする。化けてさえいれば、俺の外見は人受けは悪くなさそうだ。
幸いにも、上空から見えた町は小さいけれども、それなりの品物が揃う場所だったらしい。最低限ではあるが、薬とある程度の食材を調達できて、心なしかとても安心する。しばらくこの町を拠点にするのも、悪くないかも知れない。
(これだけあれば、消化にいいものが作れるかな……)
それはともかく、今は急いで帰ろう……。
焦りしかない状況で、町の様子を把握することもそこそこに……門番に軽く挨拶をして、家路に就く。本当はこの姿で移動した方がいいのだろうけど、なぜか町の外は人気もないし……あっちの姿で飛んでも大丈夫だろう。とにかく、彼女がいなくなっていないかだけが心配だった。
「……これでよし……と」
家で変わらず転がっている彼女の傷に薬を塗り終わり、包帯も取り替えて。呼吸が安定していることに安心する一方で、彼女が目覚める様子もないのが……言いようもなく不安だ。大体、人間界の魔力は薄すぎるし……このまま目覚めなかったら、どうしよう。
(……でも……)
目覚めたところで、彼女が側に居てくれるとは限らない。どうしたら、彼女と一緒に居られるだろう。どうお願いすれば、俺を受け入れてくれるだろう……?
(あれ? 俺、どうして……そんなことを考えているんだ? 人間界に来たのは、料理をしたいだけだったろ?)
そうだ。俺は人間界で料理をしたいだけだ。彼女と一緒にいる目的なんぞ、初めからない。初めからない……はずなのに。何故だろう……それでも、あの瞳でもう一度見つめて欲しいと思う自分がいる。そして、できればあの日みたいに……笑って欲しい。
(あの日……? それって、いつの日だ? ……クソッ、思い出せない……)
無性にズキズキと痛む頭を抑えながら、彼女の顔をひたすら見つめる。夕日に照らされ、白い頬が心なしか赤味を帯びて見えた。かすかな吐息を漏らし続ける、ぷっくりと柔らかな唇にそっと触れ……彼女がその唇で自分の料理を食べてくれているところを想像する。彼女に作った料理を美味しいって言ってもらって……それで笑ってもらえたら、どんなにいいだろう。
(あぁ、どうしよう⁉︎ 逃げられないように……翼を捥いで、枷でも付ければいいのか? そうすれば、彼女は俺の物になるのか? そこまですれば……彼女は諦めて俺と一緒にいてくれるだろうか?)
諦める……? 諦めさせてどうするんだ? そんなことをしたらきっと、彼女が俺に笑いかけてくれることはなくなってしまうだろう。
(とりあえず……このまま休ませれば、死ぬことはなさそうだし……。風呂にでも入って、頭を冷やしてこよう……)
これ以上、近くにいると襲いかかってしまいそうだ。明らかに、今までにないほどに欲情しているのを感じながら、やり場のない戸惑いをどうすればいいのか分からない。
人間界で料理する予定はあっても、恋をする予定はなかったんだけど……。しかも、相手は天使とか……。本当にこれから先、どうすればいいんだろう……?
***
「と……まぁ、初めの出会いはこんな感じでした。結局、ルシエルはその晩に目覚めて……」
「あぁ……それでハーヴェンはさっきの黄色いリゾットを作ってくれて、契約してくれって言い出した……だったな」
「そうだな。……で、それからルシエルが俺を信用してくれるまで、かれこれ3ヶ月くらいかかって。……それで本格的に信頼してくれるまで、3年もかかったんだよな……」
「……いや、あの時は……いきなり切りかかったり、話を聞かなかったりしてすまなかったよ。まさか、料理をしたいなんていう理由で人間界にやってくる悪魔がいるなんて、思いもしなかったから……」
「まぁ、そうだよなぁ……」
そんなやりとりをしていると、隣から異常にそわそわした視線を感じる。悪い予感がしつつ、そちらを見ると……大天使3名様が揃って、目を輝かせてハーヴェンを見つめていた。
「まぁ〜、なんて感動的なのかしら! まさに禁断の恋ね! 愛だわ、愛!」
「……何だろう、こう、お腹のあたりが暖かくなるというか……ラミュエルの言う通り禁断の恋なのだろうが、それ以上に出会いは必然的というか……あぁ、そうだ! きっと運命の愛というやつなのだな! 運命だ、運命!」
「ウンウン。普段、小説で読んでいる限りだと、そういう部分ってあまり見えてこなかったけど……そっか、2人のラブラブ生活はハーヴェン様の一目惚れから始まったんだ〜」
そんなことを言いながら、一頻り騒いだ後は3名様で小説の話で盛り上がり始める。その人目を憚らない、浮ついたはしゃぎ加減、どうにかならないんだろうか……?
「なぁ、ルシエル……」
「うん、なぁに……」
「大丈夫か、これ……? また、お前の気苦労が増えそうな気がするんだけど……」
「……もう慣れたから、大丈夫……」
「……あぁ、そうか……。今度、アプリコット入りのケーキを作ってやるから、元気出せよ……」
「うん……」
一方で子供達は……3名様の興奮に気圧されつつ、ハーヴェンの話に納得したらしい。特にギノは少しはにかんだように嬉しそうな顔をしているのを見る限り、どことなく私達の関係を前向きに捉えたようだ。
「さて。ギノ達はそろそろ風呂に入って、寝る準備をしなさい。明日もお使いを頼むことになるから、よろしくな」
「はい。僕たちは父さまの所に行って、エルとコンタローの様子を見てきます」
「えぇ、そうですね。それにしても、お嬢様達、元気かしら……」
「大丈夫ですよ、姫様。お嬢様達がいるのはなんたって、竜の旦那のところですし。……たった1日でそんな調子じゃ、先が思いやられますね……」
「う、うん。そうよね。私達もお湯をいただいたら、先に休ませていただきます。今日はご馳走様でした」
「本当、今晩のは格別にうまかった! 悪魔の旦那、ご馳走様! そんで、おやすみ!」
「おぅ! おやすみ〜。明日は頼むぞ〜」
そんなやりとりをしながら、子供達が引き上げていく。一方で、彼らの背中を嬉しそうに見送るハーヴェンの様子に、またも何か思うものがあるらしい。3名様はうっとりした様子でニコニコしている。……何だろう、かなり気味が悪いのだが。
「さて。今日はこの後、どうするの?」
「皆様にもお風呂を体験していただこうと思っているのと……それでね、ハーヴェン。色々押し付けて悪いんだけど……大天使様も含めて話したいことがあるから、お茶とあの地図を持ってきてもらえないかな」
「あ、例のことか。分かったよ。片付けも含めてやっておくから、みんなで風呂に入ってこいよ」
「うん……。ということで……って、あの……?」
私が声をかける間も無く、彼女達はまたハーヴェンを囲って質問責めにしている。
「ね、ハーヴェンちゃんは一緒に入らないの?」
「いや……嫁さん以外の女の人と入るつもりは……」
「えぇ〜? そうなの〜? ね、じゃぁ、ここで腹筋、見せて〜!」
「ふ、腹筋⁉︎」
「あぁ……私も是非、ハーヴェン様のしなやかな……ウゥ……ルシエルが羨ましい……!」
「と、とにかく……風呂はルシエルが案内しますから……」
「……」
「ル、ルシエル?」
無言で彼に歩み寄り、腕に抱きつく。
「……すみません、これは私の旦那様です。それ以上の交流は禁止です」
「えぇ〜? ちょっとくらい、いいじゃん〜」
「ダメ‼︎ 絶対、ダメ! とにかく、3名様もお風呂にどうぞ! これ以上はハーヴェンに近づけさせませんっ!」
リッテルの事もあったし……何が何でも、必要以上の干渉は阻止しないと。
「あ……ルシエル怒ってる?」
「別に怒ってません!」
「いや、それは怒っているだろう……。すまない、つい浮かれてしまった……」
「……分かってくだされば、結構です」
「あぁ〜、残念〜。でも仕方ないかぁ……」
「そこは残念がるところじゃありません。ほら、お風呂に参りますよ? 皆様、準備してください」
ようやく3名様の暴走を沈静化して、風呂に連行する。背後で妙に萎れたハーヴェンが呆れた顔をしていたが。私の方は彼女達を彼から隔離できて、ホッとしていた。




