6−4 恋をする予定はなかったんだけど(前編)
毎日毎日……運ばれてくる獲物を捌いて、悪魔どもの接待をして。俺の姿に必要以上に怯えて、涙ながらに命乞いをしてくる彼らの願いを聞き届けてやれないことに、やりきれない気分になりつつ。仕方なしに包丁を振るってきたけれど……俺がしたい料理は、こんなに血生臭いものじゃない。普通の食材で、普通にみんなが美味しいって言ってくれるものを作りたい。やっぱり、無理。これ以上は……。
「ダァ〜ッ‼︎ もう我慢の限界だ! 俺はこんなことをするために、レシピを教わってるんじゃねぇ! やってられるか‼︎」
「え〜? どったの、ハーヴェン。まさか、遅めの反抗期?」
「違うわ、このクソ悪魔! 俺は人間を殺すのは、嫌なの! ちゃんと普通の食材を使って、普通の料理がしたいの!」
「あ、そういう事? でも、ここじゃ普通の料理なんて、できないでしょ? 諦めなって〜」
「いや、俺は諦めない! こうなったら……人間界に行って、普通の料理人になってやる‼︎」
「また、よく分かんないこと言い出す〜。お前は確かに元人間かもしれないけど、今は悪魔なんだよ? やめときなって。大体、人間界に出たら天使に退治されちゃうよ? 僕、お前がいなくなったら寂しいよ〜」
「……だったら、普通の料理をさせろ」
「テヘッ★ それは、無理〜」
「触覚、ちょん切ってやろうか……このクソ悪魔……!」
俺はそんなことを言いつつ、とにかくベルゼブブを納得させるべきだと考え直す。いくらふざけた奴とは言え、ベルゼブブは俺の恩人でもあるし……流石に勝手に出て行ったのでは、色々と角も立つだろう。
「俺が死んだら、後のことは適当にやっといて。向こうでやってけそうだったら、その内、顔くらいは出すから」
「あ、そうなる? そうなるの? ハーヴェンはどうしてそうも、他の子のお腹を満たそうとするの? 大体、アーニャはどうするの?」
「どうするって……その話は断ったろ? 悪いけど、何か違うんだよな。迫られたところで、何1つ感じないし……いい加減、鬱陶しい」
「あぁ、そういう事? その姿のままじゃコトに及べないってことだったら、人間の姿に戻ればいいじゃない」
「できる、できないって、問題はそこじゃねぇよ!」
「違うの? それじゃ、ハーヴェンって……もしかして玉無し? それとも勃起不全?」
配下が勇気を出して、人間界に飛び出そうって時に……! なんで、こいつはこうもお下品でいられるんだよ……。
「んなわけねぇだろ! とにかく、ちょっと人間界に出てくる! 俺は普通に料理をして、他の奴に喜んで欲しいの! ただ、それだけ! 以上‼︎」
「あぁ〜……ハーヴェンはそういう所、頑固だよねぇ……。それ、絶対に悪魔の言葉じゃないし……。ま、いいや。お前は十分強いし、なんとかなるっしょ。何かあったら、いつでも戻っておいで〜」
「おぅ、世話になったな。それで、ついでと言ってはなんだけど……子分達もよろしく頼むよ。下手に会っていくと寂しがりそうだし、このまま出ていくから。うまく説明しといて」
「うん。まぁ……面倒臭いけど、そのくらいはやってあげる」
「あぁ、悪いな。……故郷を思い、原野の世界へ踏み分けん。我が身の禊を受け入れろ……ユグドゲート!」
そんなことを言いながら、人間界に出るために魔法を展開する。本当は、しばしばレシピを教えてくれた人間達を逃がすために発動していたりする魔法なんだけど……それは内緒だ。
「さっすが、ハーヴェン。人間界行きのポータルも鮮やかに作っちゃうなんて……やっぱ、上級悪魔は伊達じゃないよね〜」
「……それじゃ、行ってくる」
「行ってらっさ〜い。お土産ヨロシコ〜!」
お土産って……。人間界には、遊びに行くワケじゃないんだが……。
結局、最後まで調子外れのベルゼブブに見送られて。俺はいよいよ、人間界に勢いよく飛び出した。
***
(ここはどこだろう。今の人間界は魔力が薄いんだっけな。だったら、まずは生活拠点を整えないと……)
どこまでも抜けるような気持ちのいい空の下、あたりを見渡すと……少し離れたところに、町らしきものが見える。規模はそんなに大きくなさそうだが、割合近いし、まずはあの町に行ってみよう。今まで獲物から巻き上げた資金もあるし、きっとしばらくは大丈夫だ。
(その前に、この姿じゃまずいよな。もうちょい町の近くに降りて、それから……ツッ⁉︎)
そんなことを考えている俺の背中に、痺れるような痛みが走る。どうやら魔法らしい。攻撃が飛んできた方を見やれば……冷たい表情の女の子(?)がこちらを睨んでいた。背には神々し過ぎる、真っ白な翼が生えている。まさか……。
(……天使? こっちに来てから、10分も経っていないけど……。というか、まだ何もしてないぞ?)
「そこの悪魔、何をしている⁉︎」
「不意打ち食らわせといて、それはないだろ? 俺は別に、悪さをしにきたのではなくて……」
「悪魔の言い分を聞くつもりはない! 抵抗しなければ、苦痛なく楽にしてやる。サッサと地面に降りて、首を差し出せ!」
「イヤイヤイヤ、ちょっと待て! なんで、いきなりそうなるんだよ!」
「……投降するつもりはないと見た。警告はしたからな」
眉間に深いシワを寄せて、手元に武器を呼びだす天使。白銀の……あれは槍だろうか。彼女の槍らしき武器は、かなりのモノに違いない雰囲気を醸し出していて。武器も含めて、幼い顔立ちの割には腕が立つようだ。
しかし……何故だろう。綺麗な瞳の青に、俺は状況を飲み込むのも忘れて……完全に見とれていた。悪魔になってから、ドス黒い色彩の世界で過ごしてきたせいかもしれないが。どこか悲しい色をした天使の瞳は、俺を魅了して止まない。そして、頭の奥の方が何かを訴えるようにズキズキ痛むが……うーんと。この子、俺とは初対面だよな? しかし、そんなことを問う間も無く、彼女は魔法を交えながらの攻撃を放ってくる。
「永劫の苦痛をもって罪を雪げ、光をもって制裁を与えん‼︎ ホーリーパニッシュ‼︎」
「光属性……あぁ。俺、弱点なんだよなぁ、それ……」
最初から本気で相手をするつもりはないと……仕方なしに、コキュートスクリーヴァで彼女の魔法を切り裂く。
俺の肉斬り包丁は魔界の永久凍土を鍛え上げた、特注品。ベルフェゴール配下のフィボルグ、魔界武器職人の名匠・ワハが目覚めている間を見計らって頼み込んだ刃は、ある程度の魔法であれば属性を気にする事なく、物理的に切り裂いてみせる。手土産にかなりの数の人間の燻製を用意した甲斐もあり、ワハは怠惰の悪魔の割には対価に見合う仕事をきちんとしてくれたらしい。切れ味の鋭さは、頼もしい限りだ。
「……⁉︎」
そんな自慢の相棒で俺があっさり魔法を受け流したのが、予想外だったらしい。目の前の天使の顔が、明らかに困惑した表情に変わる。
「なる、ほど……。あれだけの警告が出たから、よもやとは思ったが。……お前、かなりの上級悪魔だな?」
「え、あぁ……多分、そうかも? でも、別に人間界に迷惑を掛けに来たんじゃなくて……」
「ふざけるな! 悪魔の存在はすべからく、悪だ! 悪魔の言い分など、通用するか!」
「うっわ! 何、その一方的な理屈! ちょっとくらい、理由を聞いてくれてもいいだろうよ?」
「お前の理由なんぞ、知るか!」
どうする? このままボヤボヤしていれば……きっと料理人になる以前に、俺が料理されてしまう。話すらもまともに聞いてくれない天使に負けるわけにはいかないので、嫌々ながらも臨戦態勢に入る。さっきまでは魔法を使わずに凌いできたけど。……それで逃げ切れるほど、目の前の彼女は甘くはないだろう。
(大体……逃げたところで、どこに行っても一緒だろうな……)
「揺めきの水際に身を委ね、その虚空に時を封じん……アクアプリズン!」
「フン……束縛系の補助魔法か。我は望む、堅牢なる地母神の庇護を賜わらんことを! ディバインウォール‼︎」
やっぱり防御魔法で凌いでくるか。でも……それはお見通しだったりして。
「そんでもって……北風の息吹よ吹き荒れよ! 白銀の大地に抱かれよ! フリージングダスト、トリプルキャスト‼︎」
「異種多段からの……トリプルキャストだと⁉︎ チィ! 頼む、ロンギヌス!」
ふーん……どうも、彼女の槍は意思を持つ武器らしい。武器自体が勝手に魔法を発動することができるみたいで、彼女自身の詠唱もなしに、幾重もの光の束が氷結して硬度が増しているアクアプリズンを破壊してみせる。
「……⁉︎」
だが、その隙を俺が見逃すはずもなく。彼女の死角に潜り込むと、か細い背中に相棒の背で一撃を加える。不意打ちの仕返しをしてみたところで、冷徹だったはずの彼女の表情に……確かな焦りの色が、滲んできた。
「クッ……! 永劫の苦痛をもって罪を雪げ、光をもって制裁を……」
「遅ぇよ!」
「……⁉︎」
落下途中でも態勢を立て直しながら、魔法を発動しようとした彼女にアッサリ追いつくと、今度は脇腹に強か打撃を加え、更にコキュートスクリーヴァの刃に猛威を振るわせる。しばらくそんなことを続けていると、次第に彼女の白い翼と肌がじわりじわりと、赤く染まっていった。
「……ハァ、ハァッ……。嘆き、苦しみ、痛み……汝の命を脅かす咎を禊ぎ、清めん……ミディ……」
「回復魔法を使わせるわけには、いかないなぁ?」
立て続けの斬撃で既に飛ぶこともできない彼女に、いよいよ絶望を与えるために尾を地面に突き刺す。その瞬間、彼女を支えていたはずの大地が非情な氷で覆われ、強烈な冷気が辺り一帯を白銀で包み込んだ。
「……ク、ま、まだッ!」
しかし、目の前の天使は随分と諦めも悪いらしい。寒さでガタガタ震えながらも、辛うじて動く唇でまだ魔法の詠唱を試みている。
(これ以上、付き合う必要はないかな……)
どこか必死な様子に何かを諦めると、俺はそれ以上の言葉を許さずコキュートスクリーヴァで彼女の肩を打ち据え、氷ごと彼女の体を吹き飛ばす。
そうして、弾き飛ばした先を見やれば。既にピクリとも動かない小さな体が、数メートル先に転がっていて……とにかく、後味が悪かった。