5−40 悍ましいまでの嘲笑
なぜ、自分には素敵な相手が見つからないのだろう。
今日という日を思い返しながら、リッテルは夕焼けの空に照らされ……カーヴェラ時計塔のてっぺんで膝を抱えていた。
彼女は何もかもを持っている。素敵な元英雄の旦那様も、強力な武器も、強い精霊との契約も。自分の何が、彼女に劣るというのだろう。
「しっかも、偉そうに……! 結局、自分もハーヴェン様を手放したくないだけじゃない。超ムカつく‼︎ 大体、生前も含めれば、ハーヴェン様に目を付けたのは絶対、私の方が先なのに……‼︎」
リッテルには、ルシエルの言葉がハーヴェンを独り占めするための方便にしか聞こえなかった。確かに、ハーヴェンは自分の意思で彼女の側にいるのかも知れない。でも、それはハーヴェンがルシエルしか知らないだけで、自分と過ごせばきっと、ルシエルよりも自分の方がいいと言わせる自信がリッテルにはあった。もし、あの時のことを思い出してくれたなら、自分の元に来てくれるに違いない。
しかし、前段階で門前払いを食らっている以上、それを証明する手立てはない。それがリッテルにとっては、何よりも歯痒く……何よりも悔しい。
(まぁ、いいわ。さっき、塔の魔力検知を無効にしてきたし。これでティデルのお仕事も役立たずだって分かれば、ルクレス担当に戻れるかも知れない)
今日まではルクレスの担当であることをいい事に、リッテルはあろうことか、塔の観測情報を書き換えていた。情報の書き換えは監視の仕事上、致命的な欠陥になりかねないのだが……ルシエルと彼女を異常に持ち上げる天使達に仕返しをしてやりたいリッテルには、その重大さが気づけない。
現在のルクレスは、次元的に魔界と繋がりやすい位置にある。そのため、異常な魔力を示す存在……特に悪魔の侵入を探知できないことは、神界にとってあってはならない事だ。
「大体、何よ! 私の方がずーっと魅力的なのに、あんなつまらない女に熱を上げるなんて。ハーヴェン様は女を見る目以外は完璧なのになぁ……」
「そうかい? お前さんは、随分と自分に自信があるんだな?」
「もちろんよ! 生前は花のように美しい、ってみんなに褒められていたんだから。今だって、それは変わってないわ」
「フゥン?」
「……って、えっ?」
独り言に反応する者がいるので、そちらを見やれば……そこには真っ黒な翼を広げた若い男が立っている。翼と同じ真っ黒な長髪に、深い紫の瞳。少々ヤンチャそうな面立ちだが、鼻筋はキリリと通っており……かなりの美男子だ。
「あなた……誰?」
「俺? 俺はマモン。ちょっと人間界に人探しにきたんだけど。……で、お前さんがさっきから言っているハーヴェンって、ベルゼブブんトコのエルダーウコバクの事だろ?」
「え? 多分、そうだと思うわ……」
マモンと名乗った悪魔らしい男にそう言われ、思い出したようにリッテルは精霊帳を捲る。そうして、レベル9の所を見やれば……恋い焦がれても焦がれきれない、憧れの魔神の姿が描かれていた。
「エルダーウコバク。うん、そうよ。あぁ、なんて素敵なお姿なのかしら。人間の姿の時も素敵だけど、この逞しいお姿でお姫様抱っこされてみたい……」
「へぇ〜……噂には聞いていたけど。エルダーウコバクの奴、随分、天使と仲良くしているみたいだな?」
「えぇ、まぁ……」
そう言いながら……ちゃっかりリッテルの精霊帳を興味津々で見つめるマモンの顔が、いつの間にかすぐ横にある。色白な肌、長い睫毛につり目がちの目元。ハーヴェンのように優しそうな雰囲気はないものの。刺激的な香りがする印象に、リッテルは図らずも高揚していた。
「お前さんの口ぶりだと、天使共にモテモテみたいだし……うん。やっぱり俺も欲しいな、そういうの」
「えっ?」
「そう言や……お前さん、お名前は?」
「私はリッテル、だけど……」
「そ。ね、リッテルちゃん。俺もエルダーウコバクみたいに、天使のお友達が欲しいんだけど。そういう可愛い子、居ないかな? 誰か紹介してくんない?」
どうやら、目の前の悪魔は天使のお嫁さんを探しているらしい。しかし……。
「しょ、紹介ってどういう事よ? それって、私は眼中にないって事じゃない!」
「あ? もちろん、そうだけど? お前さんみたいな、性格ブスは好みじゃないな〜。俺もルシエルちゃんとかいう天使みたいな、従順で可愛い女の子がいいんだけど」
「ブ、ブス⁉︎ 私が⁉︎」
初めて言われた言葉に、リッテルは怒りと悔しさでおかしくなりそうだ。
あろうことか、自分がブス⁉︎ しかも、ルシエルが可愛いですって⁉︎
「ちょっと待ってよ! ルシエルのどこがいいのよ⁉︎ ぺったんこだし、愛想はないし! しっかも、超ワガママだし!」
「ぺったんこ以外は、聞いてた話と大分違うな……。まぁ、俺も又聞きで小耳に挟んだだけだから、ルシエルちゃんがどんな子かは知らないけど。でも、夜はかなり情熱的みたいだし? やっぱり寝室で飼うんなら、ありきたりなサキュバスじゃなくって、天使に限るよな」
「……あなた、何も知らないのね? ルシエルなんかより……エッチだって、私の方が遥かに上手なんだから!」
「そうなの?」
「も、もちろんよ!」
勢いに任せて、そんなことを口走っていたが。リッテルはマモンの言葉に、明らかに危険な内容があったことを気づけない程に混乱していた。そして、マモンの含み笑いが何を意味するのかにも……気づけることはなかった。
「じゃ、決〜めた」
「もしかして、私をお嫁さんにしてくれるの?」
「お嫁さんか……なるほど? 確かに、エルダーウコバクは天使をそんな風に言って、大事に囲っているらしいな」
「そ、そうなの! だから、私もあんな風に大事にして欲しくて……」
そうして、モジモジと……さも可愛げのある様子を醸し出すリッテルをバカにする様に、いよいよ高笑いするマモン。
「アッハハハハ! 本当、お前さんはどうしようもないバカだな!」
「えっ……⁉︎」
「俺が探しているのは……お嫁さんって名目の奴隷だよ!」
「……⁉︎」
そう言いながら、更に危険な表情……悍ましいまでの嘲笑を浮かべるマモンの手が、リッテルの首を強か掴む。
「俺はマモン。強欲の真祖にして……何もかもを手中に収めるためなら、手段を選ばない魔界の大悪魔さ。例のエルダーウコバクが天使を飼っているって聞いて、俺も欲しくなったんだ。従順な天使の奴隷がな!」
「う、ぐ……」
「まぁ、確かに……胸はあるみたいだし? お前に首輪を付けて遊ぶのも、悪くないか」
(そ、そんな⁉︎)
呼吸を塞がれつつも、辛うじて唇をすり合わせ……魔法の発動を試みる。しかし、それすらも嘲るように阻止するマモン。
「おっと! 魔法を発動しようとしても、無駄だ。俺はこう見えて、真祖の悪魔でな。……お前なんぞがしようとしている事くらい、お見通しなんだよ‼︎」
「……カハッ⁉︎」
首を抑えられていて身動き1つ取れない天使に、蔑むような眼差しを向けたかと思うと……マモンは彼女の腹を蹴り上げる。
(だ、誰か……助けて‼︎)
今まで感じた事もない痛みと恐怖に、リッテルは必死に心の中で助けを呼ぶが。彼女の助けを求める声ならぬ声は、絶対に届かない。
塔の魔力検知機能は現在、停止中。本来、人間界に侵入したのが真祖の大物とあれば、即座に警報を出しているはずだが、その機能はさっきリッテル本人が書き換えてきたばかり。神界で彼女の身に起こった異常事態に、気づく者は唯の1人としていないだろう。
(ラミュエル、様……‼︎)
最後の最後に自分の上司の顔を思い浮かべるが、その思いも虚空に搔き消える。
既に随分と喉を塞がれていたせいで、徐々に意識が遠のいて……。最後は自分が翼を鷲掴みにされた状態で、ぞんざいに引きずられている事しか分からないまま。……リッテルの意識は、そこで途切れた。




