1−19 いきなりモテモテ
「ねぇ、ルシエル。あれ、何? 私、ちょっと怖いよぅ……」
ある程度、予想はしていたが。ナーシャに着いた途端、ハーヴェンを中心に人だかりができていた。現地の天使はマディエルと、多くても数人だけだと思っていたが……どうやら、今日は見物客が出ているらしい。この数は明らかに、受け持ち担当外の者もいるだろう。……随分と暇なものだ。そんな状況に心底辟易しながらも、輪の中で一際ハーヴェンに熱を上げている、ちょっとぽっちゃりした天使に声をかける。
「マディエル。そろそろ打ち合わせをしたいのだが、構わないだろうか?」
「あ〜、そうですね。ルシエル様、お待たせしてすみません〜。どうぞこちらへ〜」
「……ハーヴェンが遠いよぅ」
そんな天使達の輪を遠巻きに見つめて、エルノアが不安そうに私の上着の裾を握っている。普段、自分の側にいるあいつが近くにいないせいだろう。こんな小さな女の子を不安にさせて……全く、何をやっている。
「ハーヴェンもいい加減、戻ってこい!」
「おぅ! あ、ちょっとごめんよ。マスターが呼んでる」
一際甲高く上がる黄色い声を物ともせず、揉みくちゃにされながらもハーヴェンが戻ってくる。その様子を見て、私の影に隠れていたエルノアがすかさず、ハーヴェンのベストをしっかりと握りしめた。
「ハーヴェン、どこにも行っちゃやだよぅ」
「おぅ、悪りぃ。大丈夫だぞ〜。お兄さん、どこにも行かないからな」
「うん」
ハーヴェンに頭を撫でられて、嬉しそうに尻尾をパタパタしているエルノア。それを見て羨ましい〜とか、優しい〜とか色々な声が上がるが……これまた、異常なまでに居心地が悪い。
「……しっかし、なんだいありゃ? 俺、いきなりモテモテで驚いたんだが」
移動中も後ろをぞろぞろと付いてくる見物客一行を目線で示して、ハーヴェンが疲れたように呟く。一方で、ある程度は昨日のうちに話しておくべきだったと、私は後悔していた。
「……お前の精霊データを登録したと話したと思うが、その姿が天使達にはとても刺激的だったらしくてな。今や、ハーヴェンは契約したい精霊ナンバー1なのだそうだ」
「そうなんですよぅ〜。私も夢魔が出没していて困っていたんですけどぉ、こんな風にハーヴェン様に会えるんだったら役得かなぁ〜って。ラミュエル様に感謝してますぅ〜」
そう言いながら、どこか遠い場所にありそうな……頭の中のお花畑にトリップしたと思われるぽっちゃり天使を見やる。私の目から見ても危ういように感じるのだが、気のせいだろうか。しかし……ハーヴェンも同じ感想を抱いたらしい。若干及び腰になりながら、小声で私に囁く。
「役得って……おい、ルシエル。あいつ大丈夫か?」
「……すまない、放っておいてやってくれ」
「あ、あぁ……。つ〜か、俺、こういう雰囲気苦手なんだよな。チヤホヤされるのも、好きじゃないし……」
小さく呟きながら参ったな、と頭を掻くハーヴェン。とても意外だったが、嘘ではなさそうだ。
「そうなのか?」
「あぁ、まぁな。魔界でも色々とあってな。もう、俺には関係ないだろうけど……」
話を妙に濁してくるのを聞く限り、具体的な話はしたくないようだったので……無理に聞く必要もないと思うが。この空間の居心地が悪いのは、私だけではなかったことに安心する。エルノアも、ハーヴェンに手を繋いでもらって安心しているらしい。やはり、この子は私に……というよりは、ハーヴェンに懐いているようだ。
「でぇ、夢魔は夜に出没するんです〜。大抵は酒場の近くに出現するんですが、夢魔に誑かされた取り巻きの人間を傷つけるわけにもいかないし、どうしようかと思いましてぇ……」
街の大聖堂の屋根裏に通され、マディエルの話を聞く。間延びした言葉遣いの割には、相手の特徴は正確に把握している様子。問題点もきちんと挙げられていることから……仕事ぶりに関しては、多少は安心できそうか?
「それじゃ、人間の方は眠らせとけばいいだろ」
「そうだな。水属性魔法に催眠系の魔法があったと思うが……ハーヴェンはそれ、使えるか?」
「もちろん、使えるぞ? この規模であれば、街ごと眠らせてやるよ」
「そうか。では、夕刻過ぎたら……まず人間を眠らせるところから、始めるか」
「おぁ〜! 流石ですぅ〜!」
私達のやり取りに、マディエルがいよいよ感動したとばかりに声を上げる。そして……結局、付いてきたらしい周りの観衆も示し合わせたように、一斉に黄色い声を上げ始めた。居心地の悪さは相変わらずだが、なんだか慣れてしまい……ここまでくると、いちいち反応するのも馬鹿らしい。
「ねぇねぇ、私は? 私もお手伝いできることある?」
「エルノアは万が一の時に備えて、回復魔法を準備しておいてほしい。夢魔が抵抗してきた場合、私の手が回らない可能性もある。お願いできるか?」
「うん! 任せて! 頑張ろうね、ピキちゃん!」
「……ピキちゃん?」
「あぁ……名前がないと不便だからと、呼び名をつけたらしい。ほら。この子、言葉はないけどピキピキ鳴いてるだろ? だからピキちゃんらしい」
「そ、そうか……」
ハーヴェンが丁寧に解説をくれるが、この音は鳴き声ではない気がする。とは言え……折角のネーミングをつまらない事を指摘して訂正しなくても、いいだろうか。精霊に勝手に名前をつけるのは、あまり良くないのだが。現状を考えると、こればかりは仕方がないのかもしれない。確かに、名前がないのは不便だ。それに……そう呼ばれた妖精の方も満更でもなさそうだし、とりあえずはよしとしておこう。
「さて、問題は夢魔の方だが。……ハーヴェン、この夢魔とはどの程度の悪魔なんだ?」
「まぁ……男を誑かしている時点で、サキュバスかリリスあたりだと判断していいと思う。そんでもって、サキュバスだったら、大して問題はないと思うが……リリスだった場合は、ちょっと厄介かもな」
「どういうことだ?」
「サキュバスは基本的に相手の精気を吸うことしかできないが、リリスは精気を吸うと同時に、自分より弱い相手であれば一定時間、支配下に置くことができる。純粋な意味ではちょっと違うが、リリスはサキュバスのニアイコールで上級種だと思っていい。実際にサキュバスは中級悪魔だが、リリスは上級悪魔だ。……相手がリリスだった時は、それなりの荒事も覚悟した方が良いだろう。……俺も魔界に居た時は散々、苦労したしな……」
そこまで言って、何故か遠い目をするハーヴェン。同じ上級悪魔のハーヴェンにまで、そんな顔をさせるということは……リリスとは、そんなに厄介な悪魔なんだろうか?