5−36 精霊との契約の意味
盗み聞きと、業務不履行。二重の職務怠慢とも言える命令無視に、普段からフワフワしているラミュエル様の沙汰も厳し目だ。私達の仕事はあくまで監視……当然ながら、覗き見でも、盗み聞きでもない。それでなくても、今の人間界は厳戒態勢を敷かなければいけない状態でもあるため、リッテルの所業はあまり感心できた物ではないだろう。しかし、遠因が私達にあるとなると……とてもではないが、無関心でもいられなかった。
「リッテル……」
「どうして……?」
「リッテル?」
「どうして、契約を譲ってくれなかったんですか? ルシエル様がハーヴェン様を譲ってくれていたら……こんなことにはならなかったのに。毎日、毎日……いくら待っても、ハーヴェン様みたいな人は一向に現れないし……!」
あの時からリッテルが私の悪口を言っていることも、何となく聞き及んでいたが。彼女はハーヴェンを諦めていないばかりか、まだ執着しているらしい。しかし……そもそも、ハーヴェンはモノではない。天使側の都合は、精霊達との縁を結ぶ上では無意味だと、言い含めたつもりでいたが。……うまく伝わっていなかったという事か。
「それはこの間もお話ししたでしょう? そういう縁は自分で見つけなさい、と。ハーヴェンがリッテルとの契約を望むのなら私も考えるけど、彼もその意思はないと言っていたし……どうして、そこまでハーヴェンにこだわるの?」
「理由なんてありません。ただ、羨ましいだけです。自分にはないものを持っているルシエル様が、ずるいと思うだけです。ルシエル様はハーヴェン様とたくさん楽しんだんでしょう? だったら、そろそろ譲ってくれてもいいじゃないですか! いつまでハーヴェン様を独り占めするつもりですか?」
やはり……リッテルは精霊との契約の意味を履き違えているのだ。それが分かっていないからこそ、契約を譲るなどという言葉が出てくるのだろう。
「……リッテル。精霊は何故、私達に力を貸してくれるのだと思う?」
「え? それは……天使と契約することで能力を発揮できるから、でしょう? そんなの当たり前じゃないですか」
「……当たり前、か。悪いけど、私はそれは当たり前だと思わないな」
「それ、どういう意味ですか……?」
以前の私であれば、リッテルの回答を「当たり前」だと受け流していただろう。だが……ハーヴェンと過ごし、ゲルニカを始め、多くの精霊が自らの名前を預けてくれるようになった今となっては、私にとってそれは「当たり前」ではなくなっていた。
「精霊と契約で1番大切なのは、彼らの名前を預かり、大事にすることだ。精霊は決して、手放しで協力してくれるわけじゃない。もちろん、契約することで、いつも以上の能力を発揮できるし、そうして得た経験は精霊にとってもプラスになることに違いはない」
言葉を区切り、リッテルの反応を見るが……。首を傾げているのを見るに、ピンときていないみたいだな。
「だけどね、彼らを物扱いしてはいけないんだよ。前から気になっていたけど、リッテルは契約に“譲る”なんて言葉を使っているよね。契約は天使の意思だけで、譲渡していいものじゃない。精霊達が折角、預けてくれた気持ちを譲る、譲らないと考えている時点で、リッテルは精霊をただの物扱いしているんじゃないかな、と思ったりする。精霊との契約は決して自己顕示欲を満たすためのものでも、見せびらかすためのものでもない。彼らは自分の意思で私達を助けてくれる、貴重な存在なんだ。だから、私達は力を貸してやりたいと思ってもらえるように、努力しないといけない。彼らは助けたいと思っている相手にこそ、契約を本当の意味で預けてくれるのだから。それが分からないうちは……リッテルに気持ちごと預けてくれる精霊は現れないと思うし、旦那様も見つからないんじゃないかな」
「……でも、ルシエル様はハーヴェン様を大事にしていないじゃありませんか」
「そんな風に見える?」
「だって、昨日もあんなにワガママ放題だったし……」
まぁ、昨日は誰も見ていないと思って、緊張感が抜けていたからな……。とは言え、相手がハーヴェンだとワガママになるのは、自戒しなければいけないか。
「それは認めるよ。でも、私のワガママもハーヴェンは織り込み済みみたいだけど。ただ、それ以上は内緒かな。……因みにね。私も独り占めに関しては、断られてしまった」
「……え?」
「彼曰く、“別の意思があって行動している限り、他人の時間は独り占めできるものではない”のだそうだ。私の一方的な一緒にいてほしいというお願いだけを、純粋に聞いてくれるつもりはないらしい」
「それじゃぁ……」
「私の元にいてくれるのは、彼の意思でもあるということ。……私はそれを許してもらえる限り、彼との契約を破棄するつもりはないし、できるだけ彼の隣に居られるように頑張るつもりだよ。……なにせ、相手は私よりも遥かに魔力の高い悪魔だもの。何かしくじればきっと、欲望に任せて……すぐに私の元から居なくなってしまうだろう」
納得はしたくないが……理解はしたらしい。未だに少々挑戦的な瞳で私を睨みつけてはいるものの、流石のリッテルもこれ以上は噛み付く気はないようだ。
「おぁ〜! 流石、ルシエル様ですぅ〜‼︎ なんて素晴らしいお言葉なのでしょう〜!」
しまった。……そう言えば、背後にマディエルがいるのをすっかり忘れていた。今のやり取り、記録されていたりするんだろうか。
「ルシエル殿の契約は、そういう精霊観に支えられていたのですね。現代の竜族ですら契約を預けるのも、納得というものです。私も見習わなければ」
「そうね……私にもそういう価値観があれば、あの子を助けられたのかもしれないわ……」
背後でラミュエル様とネデルがそんなやり取りをしているのが聞こえるが、それとは別に妙に騒つく空気を背後に感じる。その気配を感じて振り向けば、先ほどより一層目を輝かせているティデルが私を見つめていた。
「ティデル? どうしたの?」
「師匠! 是非、魔法だけでなく、精霊さんとの絆の結び方も教えてください!」
「し、師匠⁉︎」
「ハイ! 私、まだ精霊さんと契約してもらったことないんです。今のお言葉を聞いて、とっても感動しました! 素敵なご縁に恵まれるように、頑張りたいです!」
「そう、だね。……えっと。師匠はともかく……。分からないことがあったら、お仕事の内容も含めてできるだけ答えるから、声をかけて」
「あ、ありがとうございます! わぁ〜! 明日から、頑張らなくっちゃ!」
何だろう、この妙な一体感……。ただ……こちら側だけここまで盛り上がるのは、リッテルがあまりに可哀想だ。
「……リッテル、大丈夫?」
「……」
「今回は残念だったかもしれないけど……監視役を外れても、補佐で人間界の視察の仕事もあるのだろうし。次は同じミスをしないように気をつければ……」
「大丈夫です! とにかく、今日1日まではルクレスは私の担当です。……仕事に戻ります」
涙の跡をうっすら残したまま、彼女はスクッと立ち上がると足早に部屋を出て行った。……相当、堪えているのだろう。ラミュエル様の許可なしに退出する凡ミスをしている時点で、色々と大丈夫かな……。
「……ルシエル、気にしないであげてちょうだいね。リッテルのお仕事ぶりは前から、少〜し問題になっていて。大天使の間でも、担当替えの話は既に出ていたのよ。……彼女には荷が重いという判断で、3人もルクレスに別途配備していたくらいだし……。あなたが担当だったら、こんな例外措置はなかったと思うわ」
「そう、なのですか……。ただ、ちょっと心配と言いますか。自暴自棄にならなければいいなと思いまして。リッテルは思い込みが強い部分があるみたいですし……そもそも、ハーヴェンは例外中の例外です。悪魔全員が彼みたいに、話が通じる相手であればいいのですが。そうではない相手の方が多いでしょう。そんな中で……彼女の悪魔に対する認識が、ハーヴェン基準で定着していなければいいなと……」
「どういう意味ですか、師匠?」
その呼び方はやめてほしいんだけど……まぁ、ここは呼び名に関してはスルーしよう。
「……悪魔は、欲望に忠実な生き物なのだそうだ。ハーヴェンは特殊な事情があって闇堕ちした珍種で、私と接する時は手加減してくれているみたいだけど……本来はこちらの話など、まともに聞いてはくれないだろう。実際、ハーヴェンの伝なしだった場合は、ベルゼブブも協力的ではなかっただろうし。仲介者なしで天使のお願いを聞いてくれるほど、悪魔は無害ではないんだよ。寧ろ、悪意があってこちらに近づいてくる方が多いと思う。悪魔に対する警戒心が薄れているのは、かなり危険だ」
「そう、なんですね……」
残念そうな雰囲気を見るに、少なくともティデルは私の懸念通りの「誤解」をしていたようだ。やはり、この傾向は危険な気がする。
「マディエル、ちょっとお願いしていい?」
「ハィ〜、何なりと!」
「まず……リッテルの書いた小説を元に、きちんとした内容の物を書き直してほしいの。それと、今ルシエルが言ったこともちゃんと記載してもらえる?」
「かしこまりました〜!」
「……ルシエルの言う通りよね。悪魔は本来、無害な相手ではないわ。今はちょこっと悪魔の知り合いが出来たことで、以前よりもお話ができるようになったのだろうけど……それは相手を選ぶことなのだと、再認識する必要があると思うの。それと……精霊との関係についても、もう少しみんなに考えてもらわないといけないし。……そういう意味も含めて、きちんとした報告書を提出してくれるかしら」
「分かりましたぁ。すぐにでも取り掛かりますぅ〜」
「みんなが素敵な縁に恵まれるようにしないと、ね。折角ですから、ルシエルのところにお邪魔した時に……色んなお話もできるといいわ」
「そう、ですね……あぁ、そうだ。忘れていました。ハーヴェンから、今日の晩餐会のメニューを預かっています。私はこの後、精霊帳のアップデートと報告書の提出がありますので、改めてお迎えに上がります。それまでにご準備をお願いいたします」
「あら、そうなの? まぁ〜、どんなお料理が出てくるのかしら〜?」
さっきまでの固い表情から、一気にいつものフワフワに戻るラミュエル様。そんな彼女にハーヴェンから預かってきたメニューの封書を手渡す。
「どれどれ……まぁ、デザートはクレームブリュレ、ですって。……これ、どんなお菓子なのかしら……?」
クレームブリュレ、か。なるほど。今までも何度か、デザートに出てきたことがあったが。あれなら大天使様達も大喜びだろう。味ももちろんだが、私は特に最初にスプーンを入れる瞬間が好きだ。あの軽快なパリッという音と感触は……病みつきになるものがある。
(美味なるものには音がある、ってところかな……)
「ウフフフ、きっと美味しいものをご用意してくれるのだろうし、今からとても楽しみだわ。ルシエル、よろしくね」
「ハイ。私は残りの仕事を片付けてまいりますので、失礼いたします」
「えぇ。それじゃ、また後でね」
「かしこまりました」
***
【ケット・シー、魔力レベル1。魔獣族、炎属性。攻撃魔法の行使可能。登録者:ガブリエル】
【シルバークラウン、魔力レベル1。魔獣族、炎属性。ケット・シーの変異種。攻撃魔法と補助魔法を行使可能。登録者:ルシエル】
ケット・シーは既に登録者がいたようだが、シルバークラウンは今まで契約者がいなかったらしく、登録者に私の名前が記載されている。両方ともレベル1で炎属性の精霊らしいが、ハンナの方が少々できることが多いようだ。
(無事登録完了、と。これで彼らを見捨てずに済んだな)
契約が彼らにとって最善策だったのかは分からないが。全幅契約を預けてくれた時点で、信用してくれたと考えていいのだろうか。彼らの契約情報を確認しつつ、塔から吸い上げた情報を報告する。あれからローウェルズは大きな動きもなく、不気味なくらいに静かだ。もしかしたら、相手も警戒しているのかもしれない。
(それにしても……まさか今更、アルーの跡地に気を向けることになると思わなかったな……)
確認した塔の情報では、話題に上がった場所の魔力分布が少々不自然だった。おそらく、昨晩の話がなければ気にも留めなかっただろうが、ボーラと記されていた街の一帯は瘴気が若干薄く、そして僅かではあるものの、一直線に瘴気が薄いらしい部分が存在することを示す筋が伸びていた。これは……ただの偶然ではないだろう。もしかしたら、地下道か何かでボーラとアーチェッタは繋がっているのかもしれない。晩餐会ついでに、ハーヴェンに地図を借りて、大天使様達とも話せればいいだろうか。