5−29 なんとも甘美な出で立ち
「ここ、みたいですね。こちらであれば、ゆっくりお茶も頂けそうです」
「うむ! とにかく入るぞ! 皆も少し休むとよかろう!」
「ありがとうございます!」
ケーキの看板に、食欲を刺激されたのだろう。意気揚々とカフェに入っていく、姫殿下。珍しく従者にも気遣いを見せるあたり、かなり機嫌がいいようだ。そうして出迎えてくれた店員に人数を伝え、2人と4人に別れてテーブルに着く。預かってきた資金もあるため、従者にも好きなものを頼んでいいと伝えると……彼らも大喜びで、メニューを見始めた。
(たまには、いいだろう。それでなくても……彼らも私も。メリアデルス様とジルヴェッタ様のお相手で、疲れているのだから)
「あぁ、どれが良いのかのう? どれも美味しそうじゃ!」
「えぇ、そうですね。折角ですし……店の者にオススメを聞いてみましょうか?」
「うむ! そうしてみるか!」
そう呼ばれてやってきたのは、スマートな印象のウェイターだった。どうやら姫殿下の出で立ちに、ただならぬものを感じたのだろう。少々、緊張した面立ちで要件をお伺いしている。
「この店のオススメはなんじゃ? どれが1番美味しいのかの?」
「……でしたら、こちらのザッハトルテはいかがでしょう?」
「ほぅ? これは……チョコレートケーキかの?」
「はい、左様にございます。実は昨日……とある方から教えていただいたレシピを元に、当店のパティシエがようやく作り出した逸品でございます。オリジナルには及びませんが、お客様にお出しする分には申し分ない出来ですので、めでたく本日の午後からメニューに加える事ができました」
「なんと! 今日からとな! なら、是非にそちらを所望しよう! それに、茶とクラブサンドも頼む!」
「かしこまりました」
「それでは、私にも……そちらのケーキとお茶を頂けますか?」
「ご注文、ありがとうございます。ご用意ができましたら、お持ちしますので少々お待ちください」
注文を受け取ったウェイターの背中を見つめながら、店を見渡すエドワルド。メニューを見る限り、この店も確実に安い店ではない。しかしケーキの種類の豊富さが強みなのだろう。客入りは良いらしく、心なしか女性客……しかも、中流階級以上の……が多いように思える。
「のぅ、エドワルド。して、この後はどうするのだ?」
「まず、先ほどのウェイターにハーヴェン様が来ていないかを確かめようと思います。見たところ、この店は女性客は多いようですが、子供連れは多くないように思います。彼らがここに立ち寄っていた場合、確実に目立つでしょう。それでなくても、ハーヴェン様はあのお顔立ちです。店の者の記憶に残っている可能性は高いかと」
「そうじゃな! まずは先ほどのウェイターに聞いてみるか! そして、腹ごしらえじゃ!」
年頃の娘らしく、姫殿下はどうやら先ほどのケーキが気になって仕方ないらしい。エドワルドももちろんそれは楽しみではあるが、どちらかというと……レシピの出所が気になる。先ほどのウェイターの口ぶりからするに、オリジナルレシピの主は相当の腕前なのだろう。これだけの種類のケーキを取り揃えられる店にあって、そこまで言わせるとなると……かなりの料理人である可能性は高い。
ケーキは菓子という嗜好品の中でも、飛び抜けて高級品でもあるのだ。そんなケーキ作りの腕前を培うのには、それなりの環境と材料が必要となる。となると……ある方とやらは、どこかのお抱えシェフか何かだろうか。
(料理が不味いと理不尽に言われ、何人もの料理人が涙を飲んでいる……。もし、そんな凄腕の料理人がいるのなら、是非に召し抱えたいものだ。毎日の食事が美味であれば、メリアデルス様や姫殿下の機嫌も少しは安定するかもしれない……)
そんなことをエドワルドが考えていると早速、注文の品が運ばれてくる。そうして恭しく運ばれて来たケーキは、綺麗な深い茶色をしており……見るからに美味しそうだ。
「おぉ! これがザッハトルテか! うぬぬ……まずは食事からと思うのだが……。なんとも、甘美な出で立ちぞ……」
「お気に召したらもう1皿、頼めばよろしいのでは? メリアデルス様からも、それなりの金額を預かっております。折角です、姫殿下も思う存分お楽しみになれば良いでしょう?」
「うむ、そうじゃな! もう……我慢できぬ! とにかく、いただくぞ!」
そう言うが早いか、姫殿下が待ちきれないとばかりに、添えられていたクリームと一緒にケーキを一口頬張る。その瞬間、いかにも心を踊らせた歓喜の声を上げるジルヴェッタ。
「な、なんじゃ、これは! これは美味いぞ! エドワルド!」
「えぇ、確かに。かなりの絶品ですね。王宮でも、ここまでの菓子は出てきますまい」
「うむ! ウェイター、素晴らしいぞ! このケーキは!」
「お褒め頂き、光栄でございます。し、しかし……。今……姫殿下、とおっしゃいましたか?」
「えぇ。実は、こちらはグランティアズの第1王女、ジルヴェッタ様にあらせられます。本日は姫殿下の思い人を探しに、カーヴェラに来ておりまして……」
「うむ……お主も知らぬか? ハーヴェンと申すのだが、淡い水色の髪に背は高くて……何よりも、飛び切りの男前でな。妾の供に是非、召し抱えたいのだが、かの主人に断られてしもうた……」
ケーキを頬張りながらも……少ししょんぼりして答えるジルヴェッタの傷心に、思うところがあるのだろう。様子を窺っていたウェイターが、思いもよらないことを話し出した。
「世の中には、こんなにも数奇なことがあるのですね。実は、このケーキのレシピを教えてくださったのも、その方なのです。昨日は奥方と一緒にお見えになりまして。お話いただいた特徴とお名前から、間違いないかと」
「な、なんと⁉︎」
「奥方……もしかして、そちらは金髪碧眼の小柄な方では?」
「あぁ、ご存知でしたか。えぇ、そうです。とても美しい、青い瞳の奥方でして。彼女に当店のケーキが物足りないと言われてしまったものですから……私は居ても立ってもいられず、不遜にも奥方が普段お召し上がりのケーキを教えてください、と申したのです」
「して? どうなったのじゃ?」
「そうしましたら、奥方は自信たっぷりに……普段ご自分が召し上がっているのは、ご主人のケーキだと仰ったのです」
(やはり、あの天使様はハーヴェン様のことを、主人と呼んでいるのか。しかし、どうも妙だな……)
エドワルドはそんなことを考えながらも……まだ続きがあるらしい、間違いなく重要なウェイターの話に耳を傾ける。
「……私の言い方が悪かったのか、奥方の機嫌を大きく損ねてしまったみたいでして。彼女のご機嫌を直すためにも、ご主人が当店の厨房でケーキを作ってくださったのです」
そうして続く何気ない言葉に、エドワルドはいよいよ戦慄していた。あの凶暴な天使様の機嫌を損ねたらしい彼が生きているのはおそらく、ハーヴェンがうまく取り成したからだろう。そのスレスレの奇跡に……エドワルドはただただ、恐怖を覚えるのを禁じ得なかった。
「そうして出来上がったのが、先ほどのザッハトルテのオリジナルでした。彼の腕前は、私も当店のパティシエも見とれるほどで……出来上がったケーキは、この世のものとは思えない程に美しく、そして極上の逸品だったのです」
「うぬ……そういうことであったか……! しかし、ハーヴェンは強いだけではなくケーキ作りの腕前も一流とは! ますます惜しい! 是非、我が元に召し抱えたい!」
そう悔しそうに言いつつも、しっかりケーキを平らげ、クラブサンドも気に入ったらしい。話の合間にも、ジルヴェッタの皿の余白がみるみるうちに増えていく。
「とにかく! ザッハトルテをお代わりじゃ! それと、そちはハーヴェン達がどこに住んでいるかは知らぬか?」
「いえ、流石にそこまでは……ですが、ご主人はその後、私に雑貨屋はないかとお尋ねになりまして。ですので、こちらの通りにあるアンティークの雑貨屋を紹介しました」
「そうか! 貴重な情報に感謝する! エドワルド、このケーキをもう1皿食べたら、次はその店じゃ!」
「ハッ。姫殿下もケーキと情報に大満足のようです。そちらの従者の注文分も含めて……こちらをお納めください」
ジルヴェッタのご機嫌を、持ち上げに持ち上げてくれたお礼にと……エドワルドは国王から預かってきた皮袋の中から銀貨を1枚取り出して、ウェイターに渡す。
「いいえ、こんなには受け取れません……。せめて、半分はお返しいたします」
「いや、いいんだ。あなたの情報はかなり貴重なものだった。これは情報料だと思ってくれて、構わない」
「しかし……。それにしても、姫殿下がそこまで所望する、あの方は一体……?」
「ふむ。我がグランティアズの4傑の中にあって、最も剣技に優れたエドワルドを片手で御す強者ぞ。なんでも……ハーヴェンは素手で、エドワルドの攻撃を全て防いだらしい」
残り少ないお茶を啜りながら、ジルヴェッタが興奮と傷心とを混ぜたような声色で呟く。お茶で唇を湿らせるついでに、気分も湿らせてはしょんぼりし始めた。
「……お恥ずかしながら、私は丸腰のハーヴェン様にかすり傷1つ、負わせることができませんでした。あれだけの強さをお持ちなのです。我が国で召し抱えられれば、国勢を守るのも容易いでしょう」
「となると……。あの方はパティシエでもなかったという事ですか……。まぁ、確かに料理は趣味などと仰ってはいましたが……いやはや、世界は広い。まさか、あの方がそんな武人だとは思いもしませんでした。何せ……少々失礼ではありますが、気の強い奥方に振り回されているように見えましたので。てっきり、元召使いか何かだと……と、申し訳ございません。つい、話し込んでしまいました。……ご注文のザッハトルテをお持ちします」
率直な意見を言いつつも、明らかに口を滑らせたとウェイターが慌てて話を切り上げる。そうして、お代わりをご用意しますと、恭しく礼をして見せれば。先程までのしょんぼり加減も吹き飛ばし、ジルヴェッタが器用に皇女らしさを発揮する。
「うむ、頼むぞ! それと銀貨は遠慮せず、受け取るが良い! 妾はかのケーキに満足じゃ! 大儀であったぞ!」
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えてありがたく頂戴します」
(召使い、か。きっと、大筋は間違っていないのだろうけど……)
そそくさと去っていくウェイターの背中を見つめながら。彼の目にも「あの天使様」は尊大に映ったのだと、エドワルドはついつい、苦笑いしてしまう。
彼は召使いではなく、広義の意味での「従者」であることは間違いなさそうだが。「旦那様」という立場は天使様のお望みなのか、本人の意思なのかは定かではないと、首を捻らずにいられない。
「にしても、こんな所にノコノコと茶をしに来るとは……。何を考えておるのだ、あの女は……」
「そう、ですね。しかし、今の話はかなり重要かと思います。彼らはつい昨日も、ここに来ているのです。つまり、生活圏を移してはいないのでしょう。少なくとも……カーヴェラを結ぶ列車の沿線に居を構えていると思われます。ある程度の期間、カーヴェラに密偵を置けば、住まいも突き止められるやも知れません」
「そうじゃな。それにしても……ハーヴェンの作ったケーキも是非、食べてみたいものじゃ……。益々、焦がれてしまうのぅ。……妾はあの天使が羨ましいぞ……」
「ハーヴェン様がここまでなんでも出来るとなると、確実に我が国に必要な人材かとは思いますが……とは言え、探し出せたところで、どうすれば良いのでしょうね。……かの天使様は、我々に二度と顔を見せるなと仰いました。おそらく、ただの脅しではないでしょう。次は確実にないものと思われます。それに、私からもハーヴェン様には何度かお願いしてもいますが、素気無く断られています」
「ふむ……無理やり引抜こうにも、ハーヴェンに勝てる者も我が国にはおらぬ……。確かに、難しいのぅ……」
メリアデルスは今度は天使抜きで彼を説得できたなら、などと言っていたが。それでもきっと、ハーヴェンが傾くことはないだろう。探したところでどうすれば良いのか。……そればかりは、エドワルドにも分からなかった。
(いや、私はどちらかと言うと……自分の中にある違和感の答えが知りたいだけだ。それを確かめさえできれば、後のことは別に考えればいいだろう)
そんなことを考えているうちに、ケーキのお代わりが運ばれてくる。エドワルドはその2皿目を嬉しそうに姫殿下が頬張っているのを見つめながら、次の店でも何か分かればいいと……どこか他人事のように考えていた。