5−27 大変な1日になりそうだ
(くぅ……! 妾はどうすれば良いのだ?)
今日も退屈な王都。あの刺激的な出会いから結局、何1つ変わらない。そんなつまらない1日の始まりに、召使いにドレスと髪型の事で散々八つ当たりした後……今日こそは退屈な日常を変えようと、ジルヴェッタは「例のこと」でエドワルドを突くことにしたようだ。
「エドワルド! エドワルドはおるか⁉︎」
「姫殿下、お、おはようございます!」
いつも以上に理不尽に機嫌が悪い姫殿下の様子に、執事長が慌てて飛んでくる。
グランティアズ王宮に彼女を体良く諌められるのは熟練の執事長か大臣、そしてエドワルドしかいない。そしてその3名の中で、不幸にも貧乏くじを引いてしまったらしい執事長が、姫殿下のご用向きをお伺いしているが……。
「エドワルドと話がしたい! 今すぐじゃ! とにかく連れて参れ!」
「しかし、姫様。エドワルド様は現在、陛下と軍事会議中です。今すぐは難しいかと……」
「うぬぬ……ならよい! 妾がそちらに出向くまでじゃ!」
執事長の制止も聞かず、ズンズンと会議室に向かう姫殿下。こうなると、父王のメリアデルスも彼女を止めることはできない。諫めることはできても、小さな女帝の行く手を阻める者など……この王宮には存在しなかった。
「父上、おはようございます!」
「うぬ⁉︎ ジルヴェッタか? どうした、そんなに慌てて。何か、火急の用件か?」
「はい! 妾にとって、何よりも重要なことにございます! とにかく、エドワルドを貸してくださいませ」
「エドワルドを……か? ……あぁ。もしかして、あのことか? それは連日、申しておろう? 余とてかの精霊は惜しいし、お前の従者に与えるのも一興だ。だが、今は手に入るか分からないものを追いかけるよりも、クージェをどうにかする方が先だ。精霊は機会があったら、手に入れればよかろう。……今度は天使様がいないところで、余自ら説得できればよいのだが」
当然ながら、会議に出席していたエドワルドは姫殿下の目論見に苦い気分にさせられる。結局のところ、この親娘はハーヴェンを諦めていない。あれ程……彼らにこれ以上関わるのは危険だと進言しているのに、彼らはかの精霊に固執している。
父親は兵力として、そして娘は愛人として。目的は異なるが、ハーヴェンが両者が望む条件を器用に満たす貴重な存在であることには、違いない。
(とは言え……できれば私も、もう一度お会いしたいことには変わりはありませんが……)
軍事会議の真っ最中だというのに、場違いな小娘のワガママは抑圧されることなく、馴染み始める。
それもそのはず……姫殿下の思い人が、強力な手札になることを知らぬ者はこの場にいない。そのため、姫殿下の「火急の要件」はあながち大げさではないことを、皆知っているのだ。
エドワルドとて、それは痛いほどに分かっている。未だに大きな動きはないとは言え、このままの状態で突き進めば、クージェに負ける可能性は極めて高い。それでも……彼らが手を出してこないのは、ローウェルズが宗教国家であり、背後にリンドヘイムの後光が射しているからだ。
リンドヘイム聖教はゴラニア大陸全土に膨大な数の信者がいる。その要衝を擁している、ローウェルズを攻めることは、リンドヘイム聖教も攻めることと捉える者も少なくないはずだ。どうやら、クージェの帝王はよく心得ている様子。国境付近で多少の小競り合いはあっても、自国の兵にも敬虔な信者がいる以上、必要以上にローウェルズを刺激することは得策ではないと理解しているのだろう。
(逆に言えば……リンドヘイムを失えば、我らは忽ちに滅ぶということ。教会の動向には、注意をしておいた方が良いだろうな……)
エドワルドは他の者には口が裂けても言えないと思いつつ、実は教会を信用していない。特に高僧階級の人物は皆、どこか胡散臭く映る。エドワルドは場合によっては、教会がクージェに寝返る可能性も考慮した方が良いと思ってはいるのだが……ローヴェルズ王宮内も例に漏れず、ほぼ全員がリンドヘイム教徒である。特に自分の隣に座っている将軍・フェイランは異端審問官も兼任していることもあり……そんなことを口にした瞬間に、自分の首が物理的に飛ぶかもしれない。
そもそも、エドワルド自身はリンドヘイム教徒ではない。ただ代々、旧カンバラに仕えてきた騎士の名家出身だっただけで、彼の忠誠はメリアデルスに……というよりも、国家そのものに向いているフシがある。しかし教徒ではないにせよ、英雄譚に謳われる「絵本の勇者」に憧れていたエドワルドには、彼のように国を支えたいという理想があった。
同時に、エドワルドは自分は非力だと自覚もしている。軍事会議を何度繰り返そうとも、この国を導く手立てなど一向に見えてこない。かの英雄のように、人々に希望を与えるにはどうすればよいのだろう。その答えを導くためにも、もう一度かの精霊に会いたい。彼ならば……ヒントどころか、答えをも知っていそうな気がする。
(しかし……となると、ハーヴェン様はあの勇者に退治された、ということなのだろうか? それにしては、穏やかすぎるというか……違和感があるのは、気のせいだろうか)
「父上、エドワルドをお貸しいただきたいのです! かの精霊にもう一度会って、渾身誠意頼めば力を貸してくれるやも知れません。まずは……エドワルドが初めて、彼と遭遇したという街に行ってみようと思います。その案内に、エドワルドを供にしたいのです!」
姫殿下の甲高い声に、エドワルドの思考が一時停止した後、一周して現実に戻ってくる。何も変わらない目の前の状況さえも、少しばかり朧げに感じながら「彼ら」の所在について今一度、思いを巡らせてみる。
(……しかし、彼らは既にルクレスの家を引き払っていたはず……)
「……エドワルド、かの精霊と出会ったのはどこだったか?」
エドワルドがそんな事を考えている一方で、娘の提案に乗ることにしたらしい。父王がエドワルドに向き直る。結局、今日の軍事会議も彼をどう籠絡するかの平行線で終わりそうだ……などと考えながら、エドワルドは仕方なく王の質問に答えた。
「……ハッ。私がハーヴェン様と初めてお会いしたのは、カーヴェラという街にございます。かの地はルクレスの首都であり、精霊落ちと呼ばれる者が多数住んでいる場所でもあるので……彼らにとって、都合が良かったものと思われます」
「カーヴェラ……か。確かにあの街であれば、精霊が出入りしていても目立たぬだろうな。……ふむ。彼らのことを何か知っている者もいるかも知れん。すまぬが、エドワルド。ジルヴェッタの護衛と供を頼むぞ。それで、必ず何か情報を持ち帰ってこい」
「……承知致しました……」
情報を持ち帰ってこい、と王はいとも簡単に仰るが。カーヴェラはとても複雑で、広い街なのだ。規模はアーチェッタよりも大きく、おそらくこの近隣では1番の大都市だろう。
「そういうことじゃ、エドワルド。早速出かけるぞ!」
「ハッ……」
エドワルドの苦慮を気遣うこともない姫殿下のご機嫌は、随分と上向いたようだが……それと反比例するように、エドワルドの気分は下降し続ける。必ず情報を持ち帰れと言われた以上、何が何でも彼の痕跡を探さねばならない。今日は大変な1日になりそうだ……とエドワルドは1日の始まり早々に、ガックリと肩を落とした。