5−23 距離感を掴むのって難しい
家に帰ると、既にマスターとハーヴェンさんが戻ってきていた。マスターはいつもとは随分と雰囲気が違う、綺麗なワンピースを着ている。本人は妙にモジモジしているけれど。縦に長い印象のそれは、マスターのスマートさを強調するようにピッタリと似合っていた。どうやら、2人は丁度お茶を飲んでいたらしい。僕達も席に着くように促すと、ハーヴェンさんが新しくお茶を用意してくれる。
「よぅ、おかえり。お前達のお陰で、嫁さんも大満足みたいだ。ありがとな」
「いいえ、僕達も向こうで沢山勉強してこれましたし、問題ありません。なのですけど……」
「……あれ? エルノアとコンタローは?」
「実は……」
2人がいないことに気づいたハーヴェンさんに、エルノアとコンタローは向こうにしばらく残ることになったことを伝える。
「そうか。エルノアは脱皮が近いんじゃなかったんだな……」
僕の説明を聞きながら、お茶を手にマスターが呟く。左右には猫さん達が僕を挟むように座っていて、一緒にお茶を飲んでいるけど……心なしか、とても寂しそうだ。
「で、コンタローはエルノアを慰めるために向こうに残った、と」
「はい。コンタローはエルが可哀想になったみたいで、一緒に残ってもいいって、言ってくれたんです。それでようやく、エルも向こうで魔力コントロールを練習する決心をしたみたいで……」
「そう。それじゃ、エルノアがきちんとこちらに戻ってこれるように、応援しないといけないね。それにしても、コンタローはモフモフ担当だけじゃなかったんだな……」
「だから、言ったろ? 意外と、あの子は気が利くんだって」
「そうみたいだな……。とは言え、エルノアの不調の原因も分かったし、こればかりは仕方ないだろう。あの子が戻ってくるまでは、こちらから通えばいいんじゃないかな」
「そう……ですね。少なくとも、エルも父さまの所にいれば問題ないと思いますし……」
「まぁ、それは違いないな。魔力もコーチも、向こうのほうが圧倒的に良質だからな〜」
魔力はともかく、コーチに関してはハーヴェンさんも不足はないと思うのだけど。……相手が父さまだと、どうしてもそうなってしまうのかもしれない。
「それで、お前達は向こうで何してきたんだ? ずっとその話をしてたわけじゃないんだろ?」
「おぅ! 竜の旦那に魔法を教えてもらったぞ! しかも、指南書まで貰ってきたんだ」
ハーヴェンさんの質問に、いつになくウキウキした様子でダウジャが答える。それと同時に、ダウジャとハンナが父さまから貰った指南書2冊を机の上に置いた。
「ゲルニカ様が編纂した、指南書なのだそうです。大々的に広める前に、使用感を聞きたいとおっしゃいまして。中身はかなりハイレベルなのですが、分かりやすく魔法の概念が纏められていて……。私達でも、これを使って練習すれば新しい魔法を扱えるようになりそうです。それで、こうしてお嬢様や坊ちゃんだけでなく、私達の分までご用意してくださって。今日はお陰さまで、私達にとっても素晴らしい日でした」
「ほぉ〜! 流石、ゲルニカ。太っ腹だな〜」
「あ、やっぱり悪魔の旦那もそう思うか?」
「まぁ、な。本来、魔法はいくら金を積んでも、簡単に教えてもらえるものじゃないからな」
やっぱり、魔法の知識はそれ自体に価値があるんだ。それにしても、悪魔の旦那って……そんな呼び方をするダウジャもだけど、反応してくれるハーヴェンさんもハーヴェンさんだ。その辺、気にしないんだろうか。
「そんなものを寄こす時点でお前達はゲルニカに見込みあり、って認められたってところだろうな」
「それはどういう意味だ?」
「魔法はモノによっては、扱いが難しいものもあるだろう? 同じ魔法で同じように教えて貰っても、ちゃんと使える奴と使えない奴が、必ず出てくるんだよ。その辺は才能も、もちろんあるんだけど。大抵の場合……うまく使えない奴は、魔法の概念をしっかり理解できていない事が多いんだ。それで、概念を理解できない奴に無理やり魔法を教えようとすると、大惨事を引き起こしかねない。魔法は概念を読み違えると、暴発したりして危険だからな。だから、教える側は相手の素質を十分に見極める必要があるし、それこそゲルニカクラスになると……見極めができない間は、おいそれと魔法を教えることはないだろう。それでもお前達に指南書を使うことを許した上に、そのまま寄越すってことは、お前達はある程度きちんと理解できるっていう判断になった……ってところかな」
「そう、なのか? ……へへ。なんだか嬉しいな、それ……」
今まであまり感情を表に出さなかったダウジャが嬉しそうにしていて、ハンナも心なしか安心しているみたいだった。多分、ハンナはダウジャが必要以上に気負っていたのを、心配していたんだと思う。だから……ダウジャがこうして素直に嬉しいなんて言えるようになった事は、ハンナもとても安心する事なんだろう。見れば、マスターもハーヴェンさんも2人を優しく見守ってくれている。
「さて、そろそろ夕食にしような〜。今日は不測の事態で2人減っちまったけど……それは仕方ないか」
そうして、ハーヴェンさんがみんなが飲み終わったカップを下げながら、厨房に戻っていく。
「……今日の夕食はなんでしょう? お嬢様やコンタローさんには申し訳ないですが……やっぱり、こうして美味しい食事を頂けるのは、嬉しい事ですね」
「そうですね。……しかし、姫さま。コンタローは呼び捨てで構わないって、言ってたでしょ? 結局、抜けていないじゃないですか……」
「あ……いきなり呼び捨ては、ちょっと抵抗があって……」
「まぁ、無理にとは言いませんが。でも、変に丁寧なのは相手を遠慮させることもある事だけは、覚えておいてください」
「そ、そうね。……うん。私、頑張るわ」
そうか。丁寧な態度が場合によっては、相手を必要以上に遠慮させてしまうこともあるんだ。そう言えば、ハーヴェンさんは父さまのことを、呼び捨てにしていたっけ。多分、ハーヴェンさんは自然に相手との距離感を掴めたりするんだろうけど。……実際は、そういう距離感を掴むのって難しいと思う。大人になるって、そういう部分もちゃんとできるようになることなんだろうか……?