5−20 ケーキ自慢
買った図鑑を大事そうに抱えて、終始嬉しそうな彼女の様子に、心なしかこちらも嬉しくなる。さっきの本屋は品揃えに関しても、かなり信頼できそうだ。店主は少々、怪しいものがあるが……害がある相手でもないだろう。
「ルシエル、腹減ってない? よければ、カフェで休憩しないか?」
「あ……う、うん。そうだな。そろそろ……甘いものが食べたい」
「そうか。だったら、またお決まりのパターンなんだけど、エルノアのお気に入りの店に行くか」
「うん」
さっきは素直に言い出せなかったみたいだが、今度はすんなり彼女から手を繋いでくる。しかし、そうすることで片手になってしまった右手が、相変わらず大事そうに図鑑を抱えてはいるが……かなり重そうだ。
「……それ、重くないか? よければ、俺が持とうか?」
「ヤダ」
「ヤダ、って……ルシエルは鳥ちゃんがらみになると、妙に子供っぽくなるな」
「ぅ……いや、だって。生前は16歳だったし……」
「フゥン?」
余程、手放したくないのだろう。俺相手にも図鑑を渡すまいと拒否してくるあたり、随分と気に入ったようだ。うん。本屋に寄ったのは、正解だったな。
「お、ここだここ。ルシエルも知っている店だったと思うけど。このカフェ、ケーキの種類が豊富なんだよな」
「私もここは知っている。初めてカーヴェラに来た時、エルノアと入った店だ」
「そうか」
互いに初めてでもないらしいカフェに入ると、店員がスムーズに窓際の席に通してくれる。相変わらず、メニューに描かれている色とりどりのケーキの挿絵は、食欲を刺激するのに十分だ。こういうのを見ると……俺も絵が描けたらいいな、なんて心なしか思ってしまう。
「う……ハーヴェン……」
「分かってるよ。洋梨のタルトとショートケーキで悩んでるんだろ?」
「⁉︎」
どうして分かったのという顔を見る限り、図星のようだ。いや、だって。さっきから、どっちにしようか指差しながらフンフン言ってたし……。数え歌で決めようとしているのが、丸見えだっつの。
「両方頼んでいいぞ? 夕食まではまだ、時間があるし。ここである程度、食べておけばいいんじゃないかな」
「ほ、本当?」
「あぁ、構わないよ」
「ぅん……」
小さく返事をしながら、どことなく恥ずかしそうにしている彼女を他所に、ウェイターにケーキとお茶を注文する。
エルノアが来てから、ルシエルも甘いものに反応するようになったし……少しは感情を出せるようになった、というところだろうか。そんな彼女を目の当たりにする度に、いい傾向だと俺は思っていたりする。
「ハーヴェン! この図鑑、ちょっと前に来ていたカラスもちゃんと載っているぞ!」
「うん? どれどれ」
注文の品を待っている間も、図鑑に夢中のルシエル。彼女の指が示すところには、綺麗に星を散らしたような……カラスとは思えない程に、美しい鳥の挿絵が載っている。
「……ほぅ、ギンガガラスっていうんだな」
「そうみたいだ。それで、昨日来ていたのは……サンセットスパロウとエメラルドピジョン、っていう鳥ちゃんらしい!」
「そうなんだ。……こうしてみると、あの辺もいろんな鳥が住んでいるんだな」
「あぁ、明日はどんな鳥が来てくれるかな……」
ルシエルはこれ以上ないくらいにワクワクしながら、図鑑を眺めては嬉しそうにしている。その様子に幸せな気分になっているところで、注文したケーキとお茶が運ばれてきた。しかし、俺が注文した内容が腑に落ちないらしい。ルシエルが予想外のことを聞いてくる。
「そう言えば、ハーヴェンって……料理を作っている割には、自分ではあまり食べないよな? デザートなんかもエルノアに分けてやっていたりするし、今日も注文したのお茶だけみたいだし……」
「ん? あぁ。俺があまり食べない理由はそれなりにあるけど……まぁ、食べる量が少ない事に関しては、ギノも一緒だと思うぞ。何れにしても、あの子も俺も魔力のコントロールを完璧にこなしてるからな。無駄に魔力を消費している部分が少ないんだろう」
「そういうものなのか?」
「あぁ。まぁ、お前がこっちで余計に腹が減るのは、持っているエレメントの関係もあるだろうけど」
「私はあまり魔力のコントロールとかって気にしたこともなかったけど……やっぱり難しいものなんだろうか?」
「う〜ん、どうだろうな……。俺も、あんまり考えたことなかったな……。ギノはあの状態になるまでに、ゲルニカにみっちり教え込まれたんだろうけど。……ただ、元の世界である程度コントロールできるようになっていないと、よその世界では余計にバランスを崩しやすくなるとは思うぞ」
「そう、か……。もしかして、エルノアの最近の不調はそういう部分もあるのだろうか?」
「かもしれないな。まぁ、ギノにもゲルニカに相談してきて、って頼んであるから大丈夫だろ。コンタローもいるし」
「ギノは確かにしっかり者だけど……。コンタローも、って……」
ルシエルはコンタローの“本当の凄さ”を知らないらしい。普段はほとんど家にいないから、無理もないけど……。
「あれで意外と、細かい部分まで気が利くぞ? コンタローは」
「そ、そうなんだ。いや、別にコンタローが頼りないとかっていう訳ではないんだけど。……いつもエルノアに抱えられて、ぬいぐるみみたいになっている印象が強くて……」
「モフモフのモコモコだからな。癒し系で見た目が頼りないのは、認めるよ」
なるほど、嫁さんの中ではコンタローはマスコットの印象が定着しているらしい。確かに魔法に関しては尖った部分もないし、仕方ないのかもしれない。
「……ところで、ルシエル。さっきまであんなにケーキ、って言ってたのに。……ペースがあんまり良くないみたいだけど?」
一頻りおしゃべりした後に、しばらく様子を見ていたが……明らかに、彼女のフォークの進みが遅い。どうしたのだろう。どこか具合でも悪いんだろうか。
「あ、あぁ……いや、ちゃんと美味しいんだけど……。ハーヴェンのケーキの方が美味しいというか……それと比べると、物足りなくて」
「え、そう……。ルシエル、そう言ってくれるのは嬉しいけど。店の中で言っちゃダメだ。お店の人に聞こえたら、失礼だろう?」
「そ、そうなのか?」
しかし……タイミング悪く、俺達の会話は水を注いで回っていたウェイターの耳にも、しっかり届いてしまっていた模様。俺達を席に案内してくれていたのとは別のウェイターが、ツカツカとこちらに歩み寄ってくる。
「……お客様。参考までに、当店のケーキに何が足りないのか、教えていただけないでしょうか?」
「あ、いえ。別に、嫁さんも美味しくないと言っている訳では……」
密やかに小声で囁いてくるものの、どことなく不服そうなのが見て取れる。おそらく、この店はケーキの味と種類にかなりの自信があるのだろう。確かに俺もそんな風に言われたら、具体的にどの辺が足りないのか気にはなる。
「あ、お兄さん。嫁さんが失礼なことを言ったようで、申し訳ない。多分、彼女は普段食べているケーキの味に慣れているだけだと思うから」
「そうなのですか? でしたら当店のパティシエにも是非、そのケーキの味を再現させたいものです。どちらの店のケーキを普段、お召し上がりなのでしょうか。差し支えなければ、当店の今後の為にもご教授くださると幸いです」
「え? あ、あぁ……」
随分と熱心な彼の姿勢は、一介のウェイターのものとは思えない。それに……再現させたい? 言葉遣いを聞くに、この店のケーキを作っている人間よりは上位者、という気がするが……。
「あぁ、お客様に対して不遜な態度を取ってしまったようで。大変失礼いたしました。私はオーナーのミゲルと申します。恥ずかしながら私自身、かなりの甘党でして。そして、この店のケーキは私の自慢の姪が、丹精込めて作っております。ですので、奥方がこの店のケーキよりも美味しいとおっしゃるものを是非、味わってみたいのです」
「あ……お兄さん、この店の店主だったんだ……」
自身も甘党でケーキの作成者は自分の身内、か。なるほど? だとすれば、そんな会話が聞こえてきたら気になるわな。
「……いつも私が食べているのは、主人が作ってくれるケーキです。ケーキだけではなく、ババロアにシャーベット、ムースにクッキー……色んなものを作ってくれます。……私には、その全てがとても美味しいのです」
相手の言葉が挑発に聞こえたのだろう。妙に慇懃な口調で嫁さんが過剰に俺のデザートを持ち上げつつ、面倒になりそうなことをバラす。
「ホォ、では旦那様はパティシエなのですか?」
「あ、いや……別にパティシエじゃないんだけど。料理は趣味、っていうか……」
そうして俺がしどろもどろになっている側で、なぜかトドメを刺すように、嫁さんが更に面倒になりそうなことを言い出した。お前は何で、そんなにムキになっているんだよ……。
「特に主人のチョコレートケーキは絶品です。私は今まで、あれ以上に美味しいものをいただいたことはありません」
「いや、ルシエル……。そう言ってくれるのは、本当に嬉しいけど。それ、ここで言う事じゃないからな? 空気、読めよ……」
どうやら、ルシエルはミゲルから喧嘩を売られたと思っているらしい。口調は明らかに、不機嫌な感じだ。折角、さっきまであんなに幸せそうだったのに……どうしようかな、この状況。
「あぁ、もう。分かった、分かったよ。ミゲルさんとやら、もし良ければ厨房と材料を借りれる? チョコレートケーキはともかく、残っている材料で何か作るから。良ければ、それを味見してくれないかな?」
「もしかして……ここでそのお手並みをご披露いただけると?」
「……そうでもしないと、収拾がつかないだろ、コレ。……ルシエルもそれでいいな?」
「うん。ハーヴェン、負けたら承知しないからな」
「……いや、そもそも勝ち負けとかないから……」
勢いでそんな提案をしてみたものの、いつの間にか……ただの味見が「勝負」の構図になっているのが、妙に居た堪れない。天使様達のお仕事に、魔界での余興に……そして、今日のケーキ自慢に……。こうなってくると、意外と俺は揉め事に巻き込まれやすいタイプなのかも知れない。