5−16 魔法は知的財産
「……さて。ハーヴェン殿達がいない間、こちらで留守番なのだろう? だったら、新しい魔法の勉強でもしていかないか? 丁度、四大属性の中級魔法と、上級魔法の指南書の編纂が終わってね。良ければ、みんなでその本を使って魔法の練習をしてみて欲しいのだけど……どうかな。竜界の指定魔法書案として上梓する前に、利用者の素直な感想が聞きたいのだが」
「僕は是非、新しい魔法を覚えてみたいです」
「私も!」
「あい!」
エルとコンタロー、そして僕がすぐに手を挙げると、父さまはとっても嬉しそうに頷いている。一方で……きっと、新しい魔法に触れてみたいんだろう。ダウジャがボソリと、父さまにお伺いを立て始めた。
「あ、旦那。……俺達にも教えてくれたりするんだろうか?」
「もちろん。ダウジャ君やハンナちゃんからも、魔法書について率直な意見を聞きたい」
「本当ですか……?」
終始、屈託のない父さまの答えに、猫さん達が目を輝かせている。……そうだよね。折角、新しい長靴を貰ったんだもの。新しいことに挑戦したくなるのも、自然なことだよね。
「でしたら、午後はみんなでお出かけしましょうか? 頂いたおやつで、お外でお茶するのも素敵でしょう?」
「それはいいかもしれないな。だったらテュカチア、すまないけれど……早速、お茶の準備をしてきてくれるかい?」
「かしこまりました。すぐにお出かけ用のティーセットを準備しますわ〜」
「……私も指南書を用意してくるよ。みんなはちょっとこのまま、待っていてね」
そうして、それぞれの準備で部屋を出ていく父さまと母さま。そんな彼らの背中を見送った後、何やら拍子抜けしたらしい。ソファにダラリと身を預けながら、ダウジャが呟く。
「旦那も奥方もかなり、気さくな感じなんだな。ちょっと安心したけど……しかし、竜族ってみんな、こんな感じなのか?」
「基本的には、みんな優しいと思うけど。父さま達は特に優しいんじゃないかな……」
「……だよな。普通、他の種族にまで魔法を教えてくれるなんて……あり得ないぞ?」
「そうなの?」
「当たり前だろ? 魔法は知的財産なんですよ。軽々しく他の奴に教えるなんて、魔獣界では絶対にありませんぜ?」
「そ、そうなんだ……」
竜界では当然のように、父さまが魔法の知識を広めようと指南書を書いていたりしたものだから、魔法を教えてもらうのは当たり前とまでは言わないにしても、普通のことだと僕は思っていた。だけど……ダウジャの様子を見る限り、どうも普通の事ではなかったらしい。
「竜族はそういう意味でも、崇高な一族なのかもしれませんね。私達の世界は良くも悪くも、弱肉強食の世界でしたので。種類ごとで助け合うことはあっても、他の種類に対して、はっきりとした厚意を示すことは、あまりありません。歴代の魔獣王は力関係も上手く調整して、棲み分けや魔力の分配などをしてくれていたのですが……。淘汰される者がいれば仕方ないと割り切られて、切り捨てられるのが普通でした。ですから、種類ごとに切磋琢磨して滅ぼされないように、必死だったのです。手を取り合って……魔法の知識を分かち合うなどとは、考えも及びません。悲しいことに、魔獣族は敵に塩を送るような美徳は持ち合わせていないのです」
「……お前達、本当に大変だったんでヤンすね。それって、種類的に弱い奴はやられ放題ってことでヤンしょ?」
「まぁ、そうなるな。ケット・シーは数だけは多かったから、今まで滅ばずに済んでたけど……今回は相手が悪かった。頭が挿げ変わって、暗黙の了解でご法度だった特定種への攻撃も、王自らが率先してやるようになったくらいだし。正直、こういう風に種族としての差を見せつけられると……魔獣族自体の未来は暗いんじゃないか、って思うよ」
魔法の知識1つとっても、こんなに扱いが違うなんて思いもしなかった。父さまだけでなく、ハーヴェンさんも僕が魔法について質問すれば惜しむことなく、ちゃんと分かりやすく答えてくれたし、それがそんなに貴重なことだったなんて。
「そっか。僕達は気づかないところで、いろんな事に恵まれていたんだ。よく覚えておかなくちゃ」
「そう……だな。ちょっとビックリしたけど。教えてもらえるんであれば、一緒に勉強したいな。今までそんなこと絶対になかったことだし、柄になくワクワクしているよ」
「うん。新しいことをするのは、ワクワクするの! それはとても、大事なことなのよ?」
「そうですね。新しいことをするのは、楽しいことですよね!」
はしゃいだように猫さん達を勇気付けるエルに、手を合わせて感動したように同意するハンナ。そんな事を話している間に、僕達を呼びに父さまが顔を出す。
「みんな、準備ができたみたいだ。テュカチアは先にエントランスにいるみたいだから、悪いんだけど……ギノ君はおやつを持ってきてくれるかい?」
「分かりました」
準備ができたらしい、父さまが呼びに来てくれる。その手には魔法書が10冊も積み上げられていて、冊数からするに……ちゃんと猫さん達の分もあるみたいだ。
「とにかく……魔法もおやつも楽しみですね、姫さま」
「そうね、ダウジャ」
そうして手を取り合って、嬉しそうに父さまの後に続く猫さん達の姿に、あの時彼らを引き止めて良かったと思う。新しいことをすることはワクワクする、か。これから僕もできることが増えるように、新しいことにたくさん挑戦しよう。そして、それがいかに恵まれているかということを……忘れないようにしないと。
***
暗い、暗い、闇の底の角に蹲る闇が、こちらに笑いかけてくる。「あの方」は、吊り下げられている瀕死の堕天使を「回収」するつもりのようだ。
「……できるものなら、やってごらんなさい。既に魔力を絶たれた私の体は、朽ちつつあります。分からないのですか? この鼻がもげそうな死臭が……おっと、失礼。あなたに鼻はありませんでしたね」
その言葉に、挑発的なものを感じたのだろう。隅っこでニタニタと気色悪く笑っていた闇が、俄かに怒りを帯びる。何故か……目玉も取り上げられているはずのノクエルには、闇の表情が手に取るように分かるらしい。怒りも顕な相手に対して、尚も挑発を止めようとはしない。
「フン、出涸らしごときが。貴様のような下等生物が私を手にかけようなど、身の程知らずもいいところです。嗅覚、視覚に味覚もない。あるのは聴覚、そして出来損ないの理性だけ。……失敗作もいいところのあなたに、私を本当の意味で屠れるとでも?」
そこまで言われて、闇が静かに激昂し始める。そして、寸の間の後に襲いくる、とっくの昔に麻痺したはずの……激しい痛み。
(そうです、痛みを感じるということは……生きているということ。痛みは、自分が生きていた証でもあるのです……)
今更、どこで踏み外したのだろう……などと考えても、意味がない。今更、どこかでやり直せれば違った結末があったのだろうかと……望んでも、叶わない。今更……。
刹那の痛みの中でノクエルは一瞬、かつて愛したと錯覚していた精霊の面立ちを思い出していた。もし最後に望みが叶うのであれば、彼に謝りたい。許して欲しいなどとは言わない。ただ、彼に自分が犯した過ちを当然のように責め立ててほしい。過ちから今まで逃げてきた自分に、彼の手で相応しい罰を与えてほしい。
そうされて初めて、自分は本当の意味で痛みから解放されるのだと……ノクエルは涙さえ流すことも許されないまま、眼球がないはずの瞼を静かに閉じた。