1−16 多分、好きなんだと思うの
やや不服そうな顔のハーヴェンを一方的に置き去りにして、エルノアにようやく追いつく。ちょっと先走り気味の彼女に、新しい服を調達することを提案すると……流石、お年頃の女の子といったところだろうか。飛び上がって喜んだ。どんな服が良いのかとも思ったが、もともと着ていたワンピースと同じような雰囲気のものを選べば、間違いないだろうか。時折、はぐれそうになるエルノアを早歩きで追いながら、良さそうな店を見繕って中に入る。そうして……勢いで入った店の中には、いかにも甘ったるいフリルのついた洋服が、所狭しと掛けられていた。
(エルノアは見るからに女の子だし、この辺の洋服はどれも似合いそうだな)
エルノアは早速、嬉しそうに尻尾をパタパタさせながら、鏡の前で洋服を当てては肩の妖精に話しかけており……妖精の方も、声はなくとも身振りでこっちが良さそうだと、レクチャーをしている。そんな彼女達の様子をよそに、ふと横を向けば。……大きな姿見の中から、可愛げのない仏頂面がこちらを見つめ返していた。
色気も抑揚もない、平坦な体。装飾や派手さは一切ない、簡素過ぎる装い。そして……とりあえず首元を隠すという意味で有り合わせで巻いているだけの、ミスマッチもいいところなバカに鮮やかな赤いスカーフ。たまにハーヴェンに胸がないことをからかわれるが……。それ以前に、自分に女としての魅力がないらしいことを、思い知らされた気がした。
「……ルシエル?」
声を掛けられて、我に帰る。声がした方を見れば、エルノアが大きな瞳を見開き、心配そうにこちらを見つめていた。そう言えば、この子は相手の感情をそれとなく察するらしいと、ハーヴェンが言っていたが。もしかして……下らないことを気取らせてしまったか?
「決まったかい?」
「うん。これとこれが、欲しいんだけど……」
片方はピンク色にフリルがあしらわれた、いかにも女の子らしいワンピース。そして、もう片方は清楚な紺色のワンピース。どうやら、紺色の方はもともと着ていたワンピースに近いデザインを選んだらしい。
「それだけでいいのか? どうせなら、もっと選んでも構わないよ?」
「うん、私はこれだけでいいの。ルシエルは買わないの?」
「私はいらないよ。動きやすい格好が1番だからね」
「でも、ルシエルもオシャレすればハーヴェン、喜ぶと思うの」
「……? 私がどんな格好をしていても、あいつには関係ないと思うよ。……それに、あいつのことは今はいいんだ。とりあえず、何か買いたいものがあったらしくてな。……今頃、色々とお楽しみ中だろう」
「……ルシエル、怒ってる?」
「怒ってる? 私が?」
「……ウゥン、ごめんなさい。何でもない」
よく分からないが、何か余計な心配させてしまったようだ。とりあえず、会計を済ませよう。
「お会計は銅貨82枚になります」
「銅貨? う〜ん。これで足りますか?」
そんな風に勢いで会計をお願いしてみたが、店員に言われた金額がよく分からない。仕方なしに恐る恐る……手持ちから持っている金額じゃ足りないかもと思いながら、白銀の硬貨を1枚渡す。
「えぇ、大丈夫です。というよりも、十分すぎますよ……」
少々お待ちくださいと言いながら、妙に慌てて店員が奥に引っ込む。手渡した金額が足りるか心配だったが……釣りと言われて返ってきたのは、かなりの枚数の金色に銀色、そして茶色の硬貨だった。どうやら……彼女に渡した金額は足りないどころか、余るほどに十分だったみたいだ。しかし、釣りの量が多すぎて、随分と重くなってしまった。……まぁ、足りないよりは遥かにマシなのだろう。とにかく色々と気を取り直すつもりで、エルノアに休憩の提案をしてみる。
「さて、折角だし、甘いものでも食べて帰ろうか?」
「うん! 私、パンケーキが食べたい!」
確か、カーヴェラには大きな目ぬき通りがあったはずだ。その辺りを探せば、エルノアのリクエストに応えられる店が見つかるだろう。そうして、殊の外ウキウキしているエルノアの小さな手を引いて、店を探し歩く。
「……そう言えば、ルシエルってハーヴェンの事、嫌いなの?」
「どうして? 別に嫌いじゃないよ」
「本当?」
「そんな風に見えるのか?」
「うぅん、そういう訳じゃないんだけど……」
どうしたのだろう? 先ほどからエルノアはご機嫌ではあるものの、頻りにハーヴェンの事を気にしているようだった。この子が人間界で過ごすようになってから、約1週間。私といるよりも、ハーヴェンと一緒にいる時間の方が圧倒的に多いのだから……それは無理もないのかもしれない。
そんな彼女の心配を他所に、しばらく目抜き通りを歩いたところで……落ち着いた雰囲気のカフェがあったので、パンケーキがメニューにある事を確認して、中に入る。窓際の席に通され、改めてメニューを見れば。パンケーキの他にも豊富な数のケーキが描かれていて……さっきはパンケーキが食べたいと言っていたエルノアだったが、どうやら他のケーキも捨て難いらしい。いつになく難しい顔をして、真剣に悩んでいる。
だが、悩み多きエルノアを横目に……私はなぜか、あまり食欲が湧かない。人間界の薄い魔力の中でも活動しようと思うならば、食事で魔力を補充しなければいけないはずなのだが。……その時は空腹を感じることができなかった。軽食もあるようだが、食べたいものが見つからない。……こうして豊富な選択肢を突然与えられてみると、出されたものを食べるだけというのは、実は楽な事だったんだと、つくづく思う。
そんな事を考えつつ、ウェイターを呼び注文をお願いする。結局、エルノアは最後まで決断できない様子だったので、ケーキも注文してもいいと言うと、嬉しそうにパンケーキとは別にアップルパイも注文した。私はとりあえず、2人分の紅茶と、妖精にも分けてやれるようにフルーツタルトをお願いする。
「エルノアはアップルパイが好きだよね」
「うん、母さまがよく焼いてくれたの。お庭で採れた真っ赤な林檎を使ってて、とっても美味しいの。私、林檎大好き!」
「そうだったんだ。こっちにきた時にも、アップルパイをリクエストしていたね」
「ハーヴェンのアップルパイも美味しいよね」
「……そうだな。あいつはあれで、マメな方だからな。新しい料理のレシピなんかも集めては、きちんと整理しているらしい」
「ふぅ〜ん?」
エルノアが何か含みのある顔をしたのが、気になったが……会話に水を差すように注文したものが運ばれて来たので、お茶が冷めないうちにいただくことにした。フルーツタルトの果物を妖精に差し出すと、少し遠慮がちな表情を見せたので、遠慮はいらないと再度勧めてみる。そうされて、ようやく果物に齧り付き始めるが……小さい割には食欲は旺盛らしい。みるみるうちにフルーツタルトの果物の部分だけがなくなっていくのが、妙に清々しい。……無理もない。彼女は昨日まで、碌に魔力を与えられていなかったのだから、空腹は相当なものだったろう。一方で、エルノアはというと……これまた、小さな口を目一杯開けて目の前の幸せにかぶりついている。そんな彼女達の様子をいつになく、穏やかな気分で見守る。紅茶を口に含みながら外を見やれば、賑やかな喧騒がいくつもいくつも通り過ぎていくのが……どこか遠い世界のざわめきにも聞こえて、不思議な気分にさせられた。
(……こういうことが、「幸せ」というやつなのだろうか)
他人事だったはずの世界を実際に歩いてみると、今まで見ようとしなかったことが目に入ってくるようになった気がする。それはやはりエルノアがやって来てから、竜界を目指すという明確な目標ができたからかもしれない。
「……ルシエルとハーヴェンは、どうして一緒にいるの?」
私がどことなくボンヤリとしていると、エルノアが急にそんな事を言い出す。パンケーキを平らげ、今度はアップルパイにフォークを落としながら、無邪気にどうしてと言われても……あまり深い理由はないし、隠す程の内容もない。と、言うより……契約以上の理由が何も思い浮かばない事に、改めて気づく。
「そうだな……。ハーヴェンが契約を望んだから……かな? あいつはとにかく、料理がしたくて人間界にやって来た変わり者だからな。実際に悪さもしないし、別に問題ないと判断した」
「そうなんだ。……なんだかハーヴェン、ちょっと可哀想」
「可哀想?」
どういう意味だろう。ハーヴェンが……可哀想? それこそ私がよく分からない、という顔をしているとエルノアはアップルパイを咀嚼しながら、言葉を続ける。
「ハーヴェン……ルシエルのことを多分、好きなんだと思うの」
「好き? ハーヴェンが私を? 幾ら何でも、それはないだろう。一緒にいるのも成り行きだし、互いに契約以上の理由があるわけでもない」
「そうなの……かな? でもね、ハーヴェン、ルシエルのことツレって言ってた。きっと、ハーヴェンはルシエルのこと大事な相手だと思っているんだと思うの。それに……あのおばちゃん天使がやって来た時、自分がバカにされた時よりも、ルシエルのことを悪く言われた時の方が、ものすごく怒ってたみたい」
「……」
「だから、ハーヴェン、可哀想だと思うの。ルシエルはいつも、いないもの。たまに寂しそうな顔してるもん」
「そうか。それは……意外だったな。でも、仕方ないことなんだよ。契約があるとは言え、私とあいつは本来、相容れない種族だ。そもそも、一緒にいること自体が……奇跡に近い」
すでに丸裸のタルトを処理しながら、粛々と答える。エルノアの方はちょっと納得がいかないみたいだが、それでも忘れずにアップルパイの最後の欠片を頬張っているのを見るに、機嫌が悪いというわけではないらしい。ただ互いに噛み合わないような微妙な空気を引きずりながら、仕方なくまた店員任せに会計を済ませ、街の散策を続けてみる。
それから、半刻過ぎたころ。……ようやく、ハーヴェンからの合図があった。