5−3 違う答え
マナツリーに子宮ごと、産めたかも知れない子供を奪われているという現実。
今更、そんな事を知ったところで……ハーヴェンとの関係を捨てるなんて、私にはできないだろう。一方的な願望かも知れない、自分勝手な欲望かも知れない。それでも。きっと彼の方も私と一緒にある事を、この先も続けてくれると思う。そんな私の希望まじりの答えに、愕然とした様子を見せるノクエル。彼女は僅かに残された面影に、ありたっけの驚愕を乗せていた。
「お前は、私と違う答えを持っていると? だとしたら、私は……彼を捨てずに済んだと?」
「彼?」
「……私にもかつてはお前と同じように、愛する者がいました……。一緒にいるだけで良かったはずの相手が。……しかし、彼は立場上……子孫を残さなけれないけない存在だったのです」
「相手は……人間? それとも……」
「妖精族の長だった者ですよ。……今はどこで何をしているのか、知りませんが。かつて私が契約していた中で最上級の精霊であり……そして忘れていたはずの恋をするという事を、思い出させてくれる相手でもありました」
「……」
「しかしね、彼は妖精族の王として妃を持つ身でもあったのです。私とて、その事は十分理解していました。精霊の営みに天使が口を出してはいけないと。でも、私は……彼に世継ぎができたと知った瞬間、裏切られた気分になったのです」
バカですよね、と自嘲気味に力なく笑う堕天使。
「もし、私にも子供を産むことができたなら。彼は名実ともに側にいてくれるのではないかと、日に日に考えるようになりました。後から考えれば……そんな事は絶対にないのですが、愛は盲目とはよく言ったもの。当時の私は色々と焦っていたのです。……それを肌で感じていたのでしょう。ある日、彼から契約の破棄を打診されました。彼はレベル7の精霊だったこともあり、向こうから契約解除をする事はできません。私はそれを拒絶し、全幅の契約をしていた事をいいことに……契約を強制契約に切り替えて、彼を人間界に縛り付けようとしたのです」
なんて事を。そんな事をされたら、精霊側は自力での魔力補給ができなくなり……最悪の場合、死に至るかもしれないのに。
「……それは神界の規則としても、してはいけないことのはずだが……?」
「分かってますよ、そんなこと。でも私は自分の欲望に抗えず、子供を産めない事を呪い、堕天し、そしてそれが露見するのを恐れて……自分の精霊帳を燃やしました。丁度、その時ですよ? あなたがここに繋がれていたのは。私は一縷の望みを賭けて、あなたの翼を持ち出すことにしたのです」
「どうして? いくら魔力を保っていると言っても、持ち主のない翼はあまり役に立たないだろうに」
「お前は本当に色々と知らないのですね。切り落とされた直後の天使の翼は、魔力情報も一緒に別の者に移植が可能なんですよ?」
「⁉︎」
「私は精霊帳を燃やした事をいいことに、辛うじて残っていたお前の翼を移植しました。そうやって魔力の嵩増しをすれば、人間界でも彼の魔力を補填し続けられると考えたのです。……しかし、私の目論見を見透かすように……彼の方は強制契約をする間も無く、祝詞を捨て、精霊である事すらやめて姿を消しました。精霊でさえなくなれば、私の枷を外すことができると考えたのでしょう。そうして、魔力という鎖がなくなった彼を探す術は……私には残されていませんでした」
そこまで言って力なく、項垂れるノクエル。それを沈痛な面持ちで見つめながら、ため息交じりにオーディエル様が静かに問う。
「なんと、愚かな事を……なぜ、そうなる前に相談しなかった? 他に手立てもあったろうに」
「相談? そんな馬鹿げたことができるとでも⁉︎ 精霊と結ばれたいなどと言えば、お前達は鼻で笑ったのではないですか⁉︎」
「お前はそうやって何もかもを決めつけたから、全てを失ったのではないか⁉︎ 現にルシエルはハーヴェン様ときちんと上手くやっているし、我々もその関係を否定するつもりはない。子供を産めなかったから? 彼が精霊だったから? いい加減にしろ! それは後から都合よく、自分を納得させるためのただの言い訳ではないか! 挙句に、自分が救われる新しい世界を作りたいだと⁉︎ この世界は、お前のためだけにあるわけではない! その彼とやらも、お前のためだけに生きていたわけではなかろう⁉︎」
そこまで言われて、ようやく顔をあげるノクエル。
そうか。彼女も私と同じように、「愛されたかった」んだ。でも、それは愛とやらではなく……ただの束縛だった事に気づかなかったんだろう。
「……以前、小さな精霊の女の子にこんな事を言われたことがあって。“愛してるって、片方がそう思っているだけなのは、あんまりよくないんだ”そうだ。……私も未だに、愛というものはよく理解できていない。でも、愛は一方通行では成立しないだろうと……何となく、理解している。あなたのは愛ではなく、ただのワガママだったんだと思う。愛するという事は……相手の気持ちを慮ることも含むものなのだと、今ならちょこっと分かるんだ。……まぁ、私の場合は相手にも恵まれすぎているのだろうけど……」
「そう……ですか。最後にあなたも道連れにできればなんて、考えていたのですが。本当に私はバカだったのですね……。薄々、知ってはいたのです。彼が本当に愛していたのは……妃の方だったのだと。それがとにかく、面白くなかったのです、私は。ぼんやり人間界を眺めているだけの私に、素敵な言葉を送ってくれる彼の優しさに勘違いしていただけだと、どこかで気付いていながら……それを認めるのが怖かった。失うのが……怖かったのです」
失うのが、怖かった。
痛い程に理解できてしまう、彼女の恐怖感に……私は、やれやれとため息をつくことしかできない。愛されていないと、認めてしまったのなら。その瞬間に互いの関係性が、感情が……愛しかったはずの記憶が、壊れていく。もし、ハーヴェンとの関係性がなくなってしまったらば。……私には、1人で生きていく勇気も残らないだろう。
「まぁ、いいでしょう。今となっては、確かに“言い訳”でしかありません。最後に話を聞いてくれたお礼に、いい事を教えてあげましょうか。神界門は翼さえ白ければ、堕天使も通してしまうようですよ。あなた達の情報が筒抜けにならないうちに、改良をした方が賢明だと思いますね」
「……そうか。貴重な証言に感謝する。せめて最期の時くらいは、これ以上の苦痛を与えない事を約束しよう。……何かあれば餞に多少の便宜は図るから、言うといい」
「もう、何もいりませんよ。最近は痛みすら感じなくなりましたから。このまま死の際まで、静かに過ごさせてください」
痛みすら感じない。それは肉体的に、だろうか。それとも……精神的に、だろうか。
目の前にぶら下がる、いずれは物言わぬ肉塊に成り果てるであろう、堕天使。そんな命も尽きようとしている彼女の傷心に、意図せず触れた私の心には……しっかりと有り余る痛みが刻まれていた。




