5−2 お粗末な模範解答
懲罰房。神界の最重要警備区域にある施設で、本来はちょっとした過失を「反省させる」ための場所だが。最奥部分には鉄格子で隔離されている部屋があり、そちらはいわゆる監獄の機能を果たしている。
軽微な懲罰に利用される反省房と、重度の断罪に利用される刑罰房。その二重構造の間には、神鉄と呼ばれる魔法結晶の塊でできている通称・鉄門が聳え、鉄門の警備には排除部隊の精鋭が常駐している。
それでなくとも、最重要警備区域に足を踏み入れた先ですれ違う天使達が皆、六翼の上級天使である事がいかに厳戒態勢を敷いている拠点であるかを、如実に物語っている。しかし……。
「あ! ル、ルシエル殿! お疲れ様です!」
「ルシエル殿、オーディエル様と何の話をなさるんですか? もしかして、ハーヴェン様のことですか⁉︎」
「あ、いえ。そういう訳では……」
何だろう……先ほどから好奇心混じりの視線と挨拶に、違和感を覚えっぱなしだ。場所が場所だけに、上級天使達のはしゃぎ方が腑に落ちない。
「おぉ、ご苦労。今日は残念ながら、仕事の話なのだ。ハーヴェン様の事は詳しく聞けたら教えてやるから、変わらず任務に励むように」
「かしこまりました!」
……しかも、長たるオーディエル様までそんな返しをしている時点で、色々とおかしい。残念ながら、仕事の話って。……ここ、最重要警備区域だったよな?
「……この鉄門の先が刑罰房だ。ノクエルは最奥の部屋に繋いである」
そんな事に頭を悩ませながら、オーディエル様の後について進むと目的地に着いたらしい。目の前には見る者を圧倒する威圧感を放つ、鉄門が聳えている。しかし……入っていた部屋は違えど、ハミュエル様の介錯をした際に私も一時的にこの中にいたのには、変わりない。オーディエル様は何の気なしにそんなことを仰ったのだろうが、改めてそう言われると色々と複雑な気分になる。まさか、牢獄の外側から別の罪人に語りかける日がくるとは、思わなかった。
「これはこれは、オーディエル様! それに……そちらはまさか、ルシエル殿でしょうか?」
「うむ。ご苦労。今日はノクエルの審問にルシエルを連れてきたのだ。済まないが、鉄門を開けてくれぬか」
「御意」
オーディエル様の命に、4人の番人総出で4箇所あるハッチが開けられると……大きな鉄の塊の扉が不思議と音もなく、開かれる。鉄門の先もいくつかの部屋が並んでいるが、その中でも最奥、封印魔法を施されている鉄格子の奥には既に両手足がなく、首と腰を締め付ける鎖で無慈悲に繋がれた天使だったらしい者が力なくぶら下がっていた。そんな状態にも関わらず、微かな吐息を感じるに……まだ生きてはいるらしい。手足の血は止まってはいるが、「切れ目」には生々しい火傷の跡があり……おそらく止血は回復魔法ではなく、攻撃魔法で施されたのだろう。
「……オーディエル様」
「ん? 何だ?」
「私自身は拷問に関わった事がなかったものですから、今ひとつ分からないのですが……。せめて、傷くらいは回復魔法で治してやってもいいのでは?」
「……炎で炙るのも拷問のうちでな。手足を落としてあるのは、逃げた時の自由を奪うためだ。お前の目には、これがさも惨たらしいものに見えるのかもしれないが、拷問にもそれなりの様式美があるのだよ。……我々としても、理由なき処罰を行うつもりはない。しかし……今回ばかりは、致し方ない部分もあってな。気分を悪くしたのなら済まないが、そこは我慢してくれぬか」
「……申し訳ありません。出すぎたことを申しました」
「いや、いい」
そこまでやりとりしたところで、前方から狂ったようなけたたましい笑い声が響く。壊れたように木霊するそれは……闇の底から響くような、狂気に満ちていた。
「おやおや、何を甘いことを、と思いましたが……その声はルシエルですか?」
「……あぁ、そうだ」
「かつて自分が繋がれていた場所に、他の誰かがいるというのは……どんな気分ですか? さぞ、素晴らしい気分でしょうねぇ?」
皮肉たっぷりの言葉と一緒に、一頻り狂ったように笑った後……力なく「あ〜ぁ」と首を垂れる堕天使。先ほどまでは暗くて気づかなかったが、彼女の眼窩には既に目玉もなかった。
「私に話があると聞いて来たんだ。……いや。話があるのは、私にではなくハーヴェンに、かな?」
「……あの悪魔は何を考えて、お前なんぞといるのでしょうね?」
「さぁ? 彼は物好きだから」
「フゥン?」
「ハーヴェンは別に、お前に復讐するために人間界にやって来たわけではないよ。初めはただ、料理を美味しいと言ってほしい……なんて、お人好しもいいところの理由で出て来たみたいだし」
「なるほど。この子達を暖かく、優しい食事で満たしてやれるなら……ですか。本当にバカですねぇ、あの悪魔は」
「……?」
力なく吐き出された言葉は……どういう意味だろう? 私がそんな風に疑問で言葉に窮しているのを、肌で感じたらしい。妙にしおらしく、ノクエルが静かに呟く。
「悪魔になった時に、アレが吐き出した言葉ですよ。あの時、ハール・ローヴェンは精霊創生の儀に使うはずだった魔禍を纏って闇堕ちしたのです。まぁ、折角ですし……このまま、少し昔話をしましょうか。お迎えが来ないことを考えると私はおそらく、あの方に見捨てられたのです。名前を覚えることさえも許されない、あの方に。ならば、死ぬ前に……思い出話をしても、バチは当たらないでしょう」
名前を覚えることさえ、許されない。
それは、自身の記憶に掛けられている封印術を示しているのだろうが……。重たい言葉とは裏腹に何かが吹っ切れたのか、彼女は誰に向けるでもなく言葉を続ける。
「あの方はハールが闇堕ちしたメカニズムを再現しようと、躍起なのです。魔禍は感情を持った瘴気ではありますが、理性はありません。だから自分と同じ痛みに反応し、発信源を無差別に食うことしかできないはずなのです。しかし……あの時は違いました。まるでハールの願いを叶えるかのように……現れた魔禍は彼に寄り添い、悪魔としての力を与え、一体化したのです。本来ならあり得ないことでしたが、今なら……少しだけ理由が分かるような気がします。アレは最後まで、自分自身の救済を望んでいませんでした。自分はどうなっても構わないなどとほざきながら、最後まで子供達を助けることしか考えていなかったようです。……今思えば、魔禍はその気持ちに同情したのかもしれません。真意がいかなるものかは知りませんが、何れにしても……あの方はハールの時と同じように意識を持ったままの対象に魔禍を定着させる方法を模索しているのです。魔力を意図的に定着できれば、精霊を量産できるはずですから」
ハーヴェンが闇堕ちした時に、そんなことが起こっていたなんて。彼が闇堕ちした経緯は教えてもらっていても、その時に起こったことは教えてもらっていなかった。いや、違う。教えてくれなかったのではなく、彼自身も自分の身に何が起こっていたのか理解していなかった、とする方が正しいかもしれない。
「そうして見せつけられた神の御技とは別の奇跡の挙句に、彼の闇堕ちは私の手からルーシーの亡骸を強奪させるに至ったのです。当時、魔力を強く残していた血統の少女は貴重でしてね。ルーシーの喪失は生死に関わらず、かなりの痛手でしたよ? そうそう、彼女はアルーという部族の少女でした。その部族名に……聞き覚えはありませんか?」
アルー。懐かしくも、どこか虚無感しかない響き。そうか……そういうことか。彼の記憶にその青が焼き付けられていたのは、偶然ではなかったのだ。
「“ア”は神の御心を、“ルー”はその御技を。救世主として、一族の中に生まれてくる碧眼を持つ少女に……御技を示す“ルー”の名を与え、代々生贄として捧げ続けてきた、アニミズムを主とする信仰を持つ山の部族。……615年前に私がルーシアという名前で生まれた部族だ」
「そうですよ。ルーシーはあなたと同じアルーの少女でした。まぁ、あなたに比べれば魔力も少なかったし、何より聖痕を持っていなかったので……生贄にするには、不出来な娘でしたが。それでも、あの村は魔力崩壊の後も生贄の儀式を行なっていた忌まわしい一族だったのです。だから潰してやったのですよ。生贄1人ごときを殺した程度で、救いを求めるなど……おこがましいにも程があると思いませんか? 他の命を踏み台にしていいのは、強い者のみです。弱い命に救う価値などありません。そうやって命は淘汰され、強いものが世界を支配してきたのだと……あの方は仰ったのです。私はその言葉に、痛く感動しましてね。愚かな人間を救うのではなく、罰を与えてみたくなったのです。我々の行いは命を淘汰するという、崇高な目的に支えられているのですよ!」
「……だから、堕天したと?」
激昂しだしたノクエルを諌めるように、オーディエル様が静かに問う。しかし、彼女の問いを否定するような嘲笑含みで……堕天使が尚も答える。
「私が堕天したのは、結果でしかありません。その考えに至った時、私は自分から子供を奪ったマナツリーを心から憎んでいたことを思い出しました。……ルシエル。お前はあの悪魔と一緒にいて、何か思うことはありませんか? 結ばれた果てに、子を成したいと思ったことは?」
「確かに、それができれば彼は喜ぶかもしれないが……。しかし、初めからできないと分かっているのだから……考えたこともなかった」
「なるほど、そういうことですか。だから……お前は未だに、堕天せずに済んでいるのですね」
「どういうことだ?」
「……なぜ、我々天使は女しかいないのでしょうね? そのクセ、我々はなぜ……子供を産むことができないのでしょうね?」
どうして、今更そのような事を聞くのだろう? そんな事……転生を経験した天使であれば、自ずと理解しているはずの「常識」ではないのか?
「それは、転生の必須条件だからだろう? 処女であることと、聖痕を持つこと。その2つが揃うことが、転生の最低条件だったと思うが。そして永遠の命を得るという事は、次の世代に命を繋ぐ必要がないということでもある。だから……転生の際に生殖能力を失う、と」
「……お粗末な模範解答ですね。それはあくまで、表向きの綺麗事でしかありません。実際のところ、天使が女しかいないのはマナツリーが生贄として少女そのものではなく、少女が持つあるものを要求しているからです」
「あるもの……?」
「マナツリーは生贄として、捧げられた少女の命を産み出す部分……子宮を奪うことで、彼女達が生み落とすはずだった命の代わりに、魔力を生み出しているに過ぎません。天使が女しかいないのは、命を生み落すことができた性別だったから。聖痕が必ず腹に現れるのは、子宮をマナツリーが欲しているから。天使はマナツリーの食欲の副産物でしかないのです。女王蜂の餌場である世界を保つために、用意された働き蜂でしかありません。これ以上、虚しいことが他にありますか⁉︎ これ以上……報われないことがあって、たまるか‼︎」
「そうか。あなたはマナツリーと、付随する神の意思に怒っているのか。だから翼を黒く染め、世界を捨てたと」
俄に荒げた息を整えながら、ノクエルが既に千切れて途切れそうな掠れ声で答える。
「フフフ、どうでしょうね? 正直なところ、私には最初から、白い翼を生やす資格すらなかったのですけども。色々ありすぎて……今となっては、虚しいだけですが。結局、自分の存在意義が救いようがないと思い至ったのです。だったら、救われる新しい世界を作ればいい。私はそこで、やり直すのです! お前はどうなのです? ルシエル。本当は産めたかもしれない子供を……マナツリーに奪われているのですよ? それでも尚、子供はいらないと? 元凶のマナツリーを憎まずに済むと?」
そんな事、考えてもみなかった。産めない事が当たり前だと思い込んでいた手前、「親になる」なんて視点は、最初からない。ただ漠然と、「そういうものだ」と勝手に思い込んでいたのだが。……ノクエルの弁からするに、どうやら「天使の常識」は「綺麗事の非常識」であるらしい。
「……どうなのだろうな。確かに、一緒に住んでいる子供達との生活の中で、子供を産めたのならこんな感じかなと想像した事はある。でも、別に自分の子供である必要もないかなとも思う」
エルノアを保護した時に、「娘がいるのはこんな感じなのか?」と夢想した事はあったが。しかし、だからと言って……私には「その先」の具体的なビジョンはない。
「ハーヴェンは私が子供を産むことができないことを、残念がっていたみたいだけど……。それでも、絶対に自分の子供が欲しい感じでもなさそうだし……。確かに、彼は無類の子供好きではあるけれども。自分の子供じゃないとダメだとか、できない事を無理強いしてくるような奴でもない。そういう意味でも……奇特なんだ、あの悪魔は」
「……お前達は子がなくても、繋がりを捨てずにいられると?」
「子供がいたらきっと、とても楽しいのだろう。だけど、それは私達にとっっての最優先事項じゃない。1番大事なのは、今を一緒に生きる事。その事を考えたら、天使として働かされるのも苦ではないよ。知らなかったはずの事を知り直すための時間を、タップリと与えられたのだもの。生前は知り得ることもなかった事を、これから2人で経験できるのだから。それは恨むことでも、憎むことでもない」
「……⁉︎」
私の答えは、ノクエルには期待外れだったのだろう。眼球のない顔つきが、明らかに苦痛で歪んで見える。しかし、先ほどからノクエルは「子供を成すこと」に殊更、固執している気がするが。彼女の過去に一体、何があったというのだろう?




