4−34 弱い奴なりの悔しさ
訳ありでやって来た、魔獣界からの逃亡者。彼らが追い詰められたのは……どうも、俺がギガントグリフォンの翼をぶった斬ったせいらしい。しかし、それにしては、少々不自然というか。そもそも……。
「……ちょい待ち。ダイアントスとやらはどうして、傷を癒す程度でお前達の長靴を取り上げたりするんだよ? 魔獣界に帰れば、傷は治るだろ?」
そう。悪魔も含めて、精霊は霊樹さえ生きていれば、その魔力を受け取って大抵の傷を癒すことができる。竜族みたいに回復魔法や再生魔法もお手の物……な種族じゃなくても存続できてきたのには、霊樹のありがたーい懐深さがあってこそだ。
「ハーヴェンさん……どういうことでしょうか? 僕には、何がなんだか……」
「以前な、エルノアの契約を巡って嫁さんととある天使の間でイザコザがあってさ。まぁ、嫌がるエルノアと無理やり契約をしようとしたんだから、どう考えても相手が悪いんだけどさ……」
「そうよ。おばちゃん天使がいきなりやって来て、ルシエルじゃなくて自分と契約しろなんて言い出したの。……ルシエルもハーヴェンも……ピキちゃんも私のために、頑張ってくれたんだもん……」
俺の説明に、可哀想な精霊のことを思い出したらしい。最後は消え入るような声を出すエルノア。成り行きとは言え……辛いことを思い出させてしまって、なんだか悪いことをしてしまった。
「……で、こちらも1人犠牲を出す羽目になったんだが……相手は大体、15人くらいでやって来てさ。その時に精霊を確か……6〜7体くらいだったかな? ……ま、そんな数を呼び出されたもんだから。俺達も負けるわけにもいかないし、ちょっと本気出しちまったんだよなぁ。で、その中にギガントグリフォンがいたりしたんだけど。でも、あれから随分経ってるし、翼を切り落とされたくらいで致命傷になるとも思っていなかったんだが……」
「嘘でしょう? ダイアントスだけではなく、他の精霊も一緒に相手して、降したということですか?」
「あ、あぁ……。まぁ、そうなるな……」
俺の答えに、ハンナが驚いた様子で目を丸くしている。無理もない。魔獣族の中で最弱に近いであろう彼らにとってそれは明らかに、突拍子もない話だろう。
「う、嘘をつけ! 大体、お前はなんだって言うんだ? どう見ても、ただの人間じゃないか⁉︎ それが……そっちの爬虫類と犬はともかく、精霊でもないお前がダイアントスに勝てるわけがないだろう!」
あっ……。ダウジャには、俺が人間に見えるんだな。それにしても、爬虫類と犬か……。コンタローはまぁ、いいとして。エルノアとギノは最上位の精霊と名高い竜族なんだが……。
「コンタローとハーヴェンは悪魔だもん。で、私とギノは竜族なの! 幾ら何でも、爬虫類は失礼じゃない⁉︎ ものすごく弱いくせに、さっきから態度だけは大きいんだから! そんなんだから、仲間も守れずに逃げることしかできなかったんじゃないの⁉︎」
「……⁉︎」
爬虫類と言われたことが余程、癪に障ったらしい。エルノアがダウジャを的確に責め始める。こういう時、エルノアの能力は執拗に相手の痛みを探り出せてしまうから、非常に厄介だ。
「俺だって……助けたかったんだ……。でも……」
あぁ〜、やっぱり……今のは言い過ぎだよなぁ……。
見れば、ダウジャは今までの勢いが嘘のように萎れて、さめざめと涙を流し始めた。それを見て、隣で小さく座っていたハンナも、とうとう堪えきれなかったのだろう。大粒の涙をこぼして、2人揃って泣き出してしまった。
「お、お嬢様……今のはちょっと、キツイでヤンす。爬虫類は確かに酷い言い方だと思いますけど、お返しがそれじゃ可哀想ですよ……。多分、今のは言っちゃいけない事だと思うでヤンす……」
「う……でも、コンタローは悔しくないの? 犬なんて言われて」
「おいらは別に、慣れているでヤンすから平気ですよ? 竜族は精霊の中でも強いから、そんな風に言われたこともないんでしょうけど……おいらは悪魔の中でも弱い方だから、よく分かるでヤンす。……弱い奴には弱い奴なりの悔しさがあるでヤンす。強い奴が絶対に偉いわけじゃないですけど、弱い奴は強い奴から理不尽なことをされても、泣くしかないことも多いんでヤンす。……今のお嬢様の言い方はそれに近いと思いますよ? 強い奴が弱い奴を上から押さえつける……それに似ているでヤンす」
コンタローは彼なりに、エルノアのお返しが不釣り合いであることを説明したいのだろう。論点が妙にズレている気もしないでもないが、様子を見る限り……おそらく、彼らの仲間は既に亡き者なのだ。ちょっとした軽口の応酬のネタにするのには、明らかに触れてはいけないことだろう。エルノアが言ったことはコンタローの言う通り、「言ってはいけないこと」であることには違いない。
「……エルノア。悔しいのは分かるが、今のは俺も言っちゃいけないことだと思うぞ? こいつらの仲間はもう側にいないんだ。ちょっとした悪口の仕返しにしては、度が過ぎている。……お前の力は本来、相手の悲しみや痛みを分かってやるためのものだろう? 相手を傷つけるために使ってどうするよ?」
「……そう、だね……。酷いことを言ってごめんなさい……」
エルノアも言い過ぎたことを認める素直さは失っていないらしい。そして彼女の謝罪に少し、警戒心が和らいだのか……ハンナが涙を拭いながら、話し始めた。
「いえ……私もダウジャが言っていることは嘘だと知りつつ、このお屋敷を利用できればいいな、なんて思っていたのですから……。自分達が助かれば、後は構わないと……。でも、私のそんな考えが他のみんなを犠牲にしたのかもしれません。彼らは私を逃がすために、1人ずつ命を落としていきました。だから、そちらのお嬢さんの言っていることは決して、間違いでもないのです。私が弱いばかりに……本来は守らなければいけない相手に守られて、生きることに縋って……。でも、こんな状態で助かっても、どうすることもできません。ケット・シーは私達で最後なのです。このまま、生き延びても……もう、どうすることも……」
そこまで苦しそうに言うと、涙も枯れ果てたとでも言うように……俯いたまま目を閉じるハンナ。
「でも、ダイアントス……さんでしたっけ? どうして、そんなに猫さん達を追い詰めるんですか? 長靴を差し出すだけじゃダメだったのかな……」
確かに、ギノの言う通りだと俺も思う。魔力を補填するだけなら、長靴を取り上げるだけでいいはずだ。彼らにとっては、それすらも辛いだろうが……それに加えて、どうして命まで取り上げる必要があるのだろう。
「姫さまの毛皮には、特殊な力があるんだ。俺達ケット・シーは普通は黒色だが、姫さまは数百匹に1匹の割合でしか出現しないシルバークラウンという種類で……その毛皮は、魔獣界の霊樹・アークノアから優先的に魔力を受け取ることができる。魔力が薄くなってきている魔獣界で、姫さまの毛皮は他の奴らにとって超貴重品だ。今までは先王のアパタ様が姫さまを守ってくれていたんだが……この間、お隠れになられてな。……で、跡目を継いだのが、現在の魔獣界で最強のダイアントスだ。あんたの言う通り、ダイアントスの翼はもう殆ど治りかけてる。でも、まだ完治していないらしくて、魔獣界で1番弱い俺らに魔法道具と……姫さまを差し出すように言い出したんだ」
「で、お前らは長靴は差し出したが……姫さまを差し出すのは拒んだ、と」
「……その通りだ。そしたらグリフォンの奴ら、寄ってたかって俺らを見せしめに殺し始めたんだ。だから、全員で逃げてきたんだけど……」
結果、生存者が2人……か。もともと、どのくらいの数がいたのかは知らないが。ケット・シーはかなりありふれた精霊だったと思う。そのことを考えると、彼らの逃亡劇で命を落としたのは数人程度ではないはずだ。数十人、いや……下手をすれば100人単位か? 何れにしても、かなりの犠牲を払って逃げてきたことは確かだろう。
「……そういうことなら、仕方ないな。嫁さんが帰ってきたら、ちょっと相談するか。1晩は泊めてやっても構わないだろうし、お前らも疲れているだろ? 折角だし、風呂と食事、それで寝床くらいは用意してやるから。先のことは、それから考えればいいだろ」
「しかし……そこまでのご厚意に甘えても、よろしいのでしょうか?」
「ま、ここに辿り着いたのも……何かの縁だ。それに、ダイアントスがあの時呼び出されたギガントグリフォンだったなら、遠因を作ったのは俺だしなぁ。なんつーか。見通しが甘くて、ごめんな……」
「いえ……。まさか、このお屋敷にそんな方が住んでいるなんて思いもしませんでした。それにしても……そう言えば、先ほどから気になっていたのですが……」
「ん?」
ハンナがおずおずと……上目遣いで申し訳なさそうに俺を見つめながら、尋ねる。綺麗なブルーの瞳。猫の目というのは、不思議な力を感じさせるというか。犬のそれよりも見つめられると、なんとなく魅入られてしまうような気にさせられる。
「あの……ハーヴェン様、とおっしゃいましたよね? あなた様は何者なのでしょうか? 先ほどの様子から、1番立場が上のように見えますし……。しかし、失礼ですが、とても竜族よりも強そうには見えないのですが……。それと、お嫁さん? でしょうか? その方と……何を相談されるのでしょうか?」
「まぁ、俺は見た目は優しいからなぁ〜……なんて、冗談は置いといて。別に、1番偉いわけじゃないんだけどさ。言ってみれば、この子達の保護者みたいなものかな? 本性にエルダーウコバクっていう、魔神としての姿を持っていて。で、俺らは全員、ルシエルっていう天使と契約している精霊でもあるんだよ。嫁さんは、そのルシエルのことなんだけども。救済が天使としての領分だし、多少の力添えはしてくれるだろ。それに遠からず、原因は天使のイザコザだし。嫁さんにも嫌とは言わせないつもりだから、安心してくれて構わないよ」
「おぉ〜、流石はお頭! 頼りになるでヤンす!」
彼らの話を聞いて、どっぷり感情移入済みのコンタローがまるで自分のことのように、嬉しそうにピョコピョコ跳ねる。ついさっきまで、ダウジャと魔法合戦していたと言うのに。……この子はいい意味で単純なんだから。
「さ、話は済んだし……俺は仕込みの残りに取り掛かろうかな。お八つ時にはまたお茶にしようと思うから、それまでは各員自由にしていてよろしい。……あ、そうだ。ギノ、裏の温室はどうだったんだ?」
「なんとかお花を植えられそうで……丈夫な植物なら問題ないと思います。そう言えば……まだアーチの方を確認していないんだった……」
「そうか。それじゃ、アーチの方も確認してきてくれる? そっちもいけそうだったら、蔓バラでも植えるか」
「そうでヤンすね。あそこにバラが咲いたら……とても綺麗でヤンすよね?」
アフフフ……なんて今度は妙な笑い方をしながら、コンタローが嬉しそうに呟く。しかし、コンタローがこんな笑い方をするなんて、今の今まで気づかなかったが。見た目も含めて……コンタローはちょっと変わっているのかも知れない。
「あ、今度は私も行く! もぅ、2人でそんなに楽しそうなことしてたの? ズルイ、ズルイ〜!」
「だって、エル起きてこなかったし……。それに、まだお花を植えられるかも、って分かっただけで……何を植えるかまでは決めてないよ?」
「そういうことなら、3人でどんな色の花がいいかだけでも考えておいで。折角だ。みんなそれぞれ、温室にどんなものを植えたいか決めてくるといい」
「は〜い!」
元気な返事をして、子供達3人が仲良く外に出て行く。森の中とはいえ、やっぱり子供は外で遊ぶのが1番だろう。土の状態も思いの外悪くないようだし、何か育ててみるのも面白いかもしれない。
「で、ケット・シーのお2人さんは湯を用意してやるから、とりあえず風呂に入っておいで。その後、足の肉球に薬を塗ろうな。きっと長い距離を逃げてきたのだろうし、ゆっくりしてて構わないから」
「はい……本当にありがとうございます。不躾に押しかけた上に……ここまで親切にしていただいて……」
「……さっきまでは色々と悪かったよ……。できることがあれば手伝うから、ここで……少し休ませてほしい」
丁寧に謝辞を述べるハンナの横で、随分しおらしくなったダウジャが若干むくれながら呟く。きっとこいつはこいつで姫さまを守りたくて、精一杯虚勢を張っていたのだろう。それにしても……姫さま1人を守るために、大勢の命を犠牲にしてまで逃げてくるなんて。せめて彼らだけでも助けてやらなければ、彼らの仲間に顔向けができない気がする。