4−32 この状況、どうすればいいんだろう
「坊ちゃん、どうです?」
温室の土に手を添えて意識を集中していた僕に、隣で鼻をクンクン鳴らしながらコンタローが尋ねる。そんな僕の手には、確かな手応えが伝わってきて……。多分、この土はまだ生きているような気がする。
「なんとなくだけど、ちゃんと綺麗なお水をあげれば、なんとかなりそう……かも? ルシエルさんの魔除けの効果なのか、あんまり瘴気も感じないし……丈夫なお花なら、育てられるかも」
「そうでヤンすか? だったら、お頭に相談してお花を買いに行きましょう?」
「そうだね。この温室がお花で一杯になったら、きっと綺麗だよね。どんな色のお花が良いのかなぁ……」
こういうことはお洒落なエルに相談した方がいいと思うけど、エルに任せるとこだわり過ぎて、お花の種類も増えそうだなぁ……。それってきっと、お金もかかると思うし、うまく育てられなかった時も落胆が大きそうだし……。コンタローの言う通り、まずはハーヴェンさんに相談した方が良さそうだ。
「ワクワクするでヤンすね。なんていうんでヤンしょ、新しい事を始めるって、楽しいと思うでヤンす」
「僕も、とてもワクワクしてる。……にしても、コンタローってこういう事、よく気がつくよね。僕が気づけないことも、ちゃんと見ているっていうか……」
「そうでヤンすか? う〜ん。おいらは坊ちゃん達より、鼻は利くとは思いますが……それ以外はあんまり、よく分からないでヤンす」
遠慮がちな事を言いながら、ちょこちょこ歩いているコンタローを連れて、表のアーチ部分の土を調べようと正面の方に移動する。そうして門の方を確認すると、小さな2足歩行の猫が庭先に侵入しているのが、目に入った。そっか、あまり大きくない小動物は入ってこれるんだったっけ……。
「お前達、何者でヤンす! ここはおいら達の家でヤンすよ?」
「お前達の家? 嘘つけ! ここは俺様が姫さまの為に修復して、ご案内する予定だった物件だぞ! それを勝手に使って、何を言ってやがる!」
コンタローの問いに答えるついでに、2人いるうちの黒くて大きい猫が声を荒げる。その横には、銀色の毛並みを持った黒猫さんより2回りほど小さな猫が、綺麗な青い瞳で不安そうにこちらを見つめていて……。何やら、困った表情をしている。彼らはおそらく、精霊だと思うけど……。精霊がどうして、こんな所にいるのだろう?
「……姫さま? 修復して……案内? ごめんね、ちょっと、事情がよく飲み込めないんだけど……」
「うるさい! とにかく出て行け! ここは、俺達の住処になるはずだった場所だ‼︎」
どうしよう、話が噛み合わない。だけど、事情があるみたいだし……このまま追い返すのも、可哀想だよね。
「あ、あのね。この屋敷はハーヴェンさんが魔法で修復したもので……僕達は1週間前くらいから、住んでいるんだけど……何かの間違いじゃないかな? もし困っていることがあるのなら、お話を聞くよ? もしかしたら、手助けしてあげられるかもしれない」
「うるさい! とにかく、俺様が魔法で修復したんだ! ここは俺達の家なんだ‼︎」
相変わらず、「この家は自分のものだ」の一点張りの黒猫さんの様子に……いよいよコンタローが呆れたように呟く。
「坊ちゃん、何を言っても無駄だと思いますよ? こいつ嘘をついているか、自分が修復したって思い込んでいるかのどちらかだと思うでヤンす。見たところ、ただの精霊っぽいし。お頭の使ったあの魔法を、こいつが使えるとは思えないでヤンす……」
「そこの犬! 俺様をバカにしているのか⁉︎」
「あい、バカにしているでヤンす」
「なんだと⁉︎」
「だって、そうでしょ? お前、見たところ殆ど魔力を持っていないように思えるでヤンす。そのお前が……地属性の上級魔法を使えるとは思えないでヤンす」
地属性? タイムリウィンドは闇属性の魔法だったはず……そう思ってコンタローを見やると、どうやらわざと間違えたようだ。多分、コンタローはカマをかけるつもりなんだろう。だとすると……さて、猫さんはどんな反応を示すかな……?
「フン! 俺はこう見えても……ケット・シーの中では結構上位魔法も使える、最強の精霊なのだ! 地属性の上位魔法だって使えるぞ!」
その声にどこか、感激したように声をあげる銀色の猫さん。って……感激している場合じゃないよ……。見事に引っかかってるし……。
「……それじゃ、魔法の名前は?」
一方で、コンタローはまだ意地悪を続けるつもりらしい。でも、このまま進んだら、黒猫さんは大恥をかくことになりかねない。ちゃんと教えてあげて、これ以上は止めた方が……。
「も、もちろん知っている‼︎ ディムスピア、という魔法だ!」
そんな事を考えている僕をよそに、恥の上塗りをしている黒猫さん。地属性は合っているけど……ディムスピアはそもそも攻撃系、しかも初級魔法じゃないかなぁ……。
「だ、そうですよ? 坊ちゃん。このアホ猫に……正解を教えてやってくださいでヤンす」
コンタローがいつになく意地悪だ。もしかして……最初から僕に話を振るつもりで、地属性の魔法だなんて言ったのだろうか?
「あ、うん……ディムスピアは地属性の初級魔法だよ? しかも攻撃魔法だから、どう頑張っても家の修復はできないと思うけど……」
「……だ、騙したな!」
「い、いや、騙してないけど……ただ、嘘はよくないと思うよ。この屋敷はハーヴェンさんがタイムリウィンドっていう、闇属性の上級魔法で修復したものなんだ、だから……」
「う、うるさい‼︎」
そう言うや否や、魔法を発動しようとし始める黒猫さん。赤い1陣の魔法陣……多分、初級魔法みたいだ。そして彼の魔法に対抗するように、コンタローも魔法の発動準備に入っている。こちらも赤い1陣の魔法陣……コンタローも同じ魔法で勝負するつもりらしい。
「「紅蓮の炎を留め放たん、魔弾を解き放て! ファイアボール!」」
しかし……同じ魔法のはずなのに、発動したのはコンタローの魔法だけ。黒猫さんの魔法陣は途中で搔き消え、発動する事なくポフン、と情けない音を1つ立てる。一方で……きちんと発動されたコンタローの魔法は対照的にヒュン、と軽やかな音を立てて黒猫さん目がけて飛んでいって……。
「うにゃにゃにゃ⁉︎」
「……何だ、ファイアボールすら発動できないでヤンすか? というか、お前、炎属性だったんでヤンすね……。だったら、どう頑張ってもディムスピアも使えないでヤンしょ……」
呆れ気味に呟くコンタローのファイアボールが直撃して、黒猫さんが焦げ猫さんになっている。それにしても……この状況、どうすればいいんだろう……。
***
ようやく起きてきたエルノアに、朝食を出してやったはいいものの。いつも以上に寝覚めが良くないらしい。ギノ達の話通り、具合が悪いわけではなさそうだが……寝ぼけているところを見ると、あまりいい状態とは言えなさそうだ。嫁さんに相談する前に、まずゲルニカや奥さんに相談した方がいいかもしれない。
「エルノア、大丈夫か?」
先日ギノ達が買ってきてくれた地図帳から目を上げて、エルノアの様子を窺う。食欲もあるし、顔色も悪くない。特段すぐに何か、というわけではなさそうだが……。
「あ、う、うん……今日もうまく起きられなかった……。私だけお掃除もしてないし、ギノ達に嫌われちゃったかな……」
「ギノもコンタローも怒ってもいないし、エルノアのことを嫌ってもいないよ。ただ、心配はしていたみたいだから……エルノアがちゃんと起きてきて、ホッとするかもな? エルノアはまだ、この家の魔力に慣れていないんだと思う。異世界の新しい環境に馴染むまでは、それなりに時間がかかるし、そろそろ疲れも出てくる頃だと思うしな。……それより、具合が悪い部分はないか?」
「……それは、大丈夫なんだけど……。何だろう、あまり眠くもないんだけど、ちゃんと起きられなくなっちゃったというか……。もしかして、父さまが言っていた脱皮の前触れなのかな……」
「脱皮の前触れ?」
「うん。私達は本性の方で脱皮して大人になるの。……でね。私はまだ、一度も脱皮した事ないの」
脱皮して大人になる、か。以前……ゲルニカも大元は爬虫類だから竜族は脱皮する、なんて言ってけど。
「脱皮が近いと、体が重たくなったり、眠たくなったりするんだって。……もしそうだったとしたら、私もちょっと大人になれる、って事なのかもしれない」
「だとしたら、やっぱり近いうちに、ゲルニカと奥さんに相談した方がいいかもな。……俺達は竜族じゃないから、脱皮の事はよく分からないし。あまり、役に立てそうにないしな」
「ウゥン、そんな事ないの。こうして、ご飯が食べられるのはとても嬉しい事だし……それに、脱皮は自分でちゃんと向き合わないといけない事なの。竜族は脱皮のたびに自分に向き合う事で、強い大人になるの。自分で何とかしないといけない事なんだ、って父さま言ってたもん」
「そうか。もちろん、頼りっきりは良くないのは分かるけど……初めての時くらいヒントを聞くのは、悪いことじゃないと思うぞ。それに近いうちにザッパーントーを届けに、ゲルニカのところにお使いを頼むつもりでいるから。ついでに、聞いておいで」
「うん、そうだね……そうする! それで、ザッパーントー食べる!」
後半部分は問題がズレた気がするが、それでも素直に元気な返事が返ってくると安心する。
受け答えもきちんとしているし、本人は意外と冷静だ。この様子だと……環境の変化と脱皮のことが重なった、という事なのかもしれない。
エルノアの様子をある程度、確認したところで再びテーブルに広げていた地図に視線を落とす。この辺りは森に囲まれていて……いかにも僻地という印象を受けるが。カンバラ国境跡郊外の北東の山間に、小さめの町があるらしい。ボーラ、と記されているが……どんな町なのだろう。近郊把握の為にも、様子を見に出かけてもいいかもしれない。
そんな事を考えていると……何やら、表が騒がしいことに気づく。そして、エルノアも異変に気づいたのだろう。彼女のスープを掬う手が、ピタリと止まった。
「ハーヴェン、何かいるみたい……」
「……何かいる? で、それは悪い奴かな?」
「う〜ん。違うみたい。……何だろう。困っている……悲しんでる? 怒ってる? 帰る場所がないんじゃないかな。精霊みたいだよ?」
「帰る場所がない? だとすると……はぐれ精霊か。ちょっと様子を見てくるな。エルノアは心配せずに、食事を続けてて」
「うん、気をつけて」
「おぅ」
まさかこんな森の中までやってくる、はぐれ者がいるなんて思いもしなかったが……。エルノアの表情を見る限り、そこまで心配する必要もないかな? とにかく、ちょいと様子を見てくるとしますか。