4−16 その怒りを糧に
「どう? サッタ〜ン? “僕のところのエルダーウコバク”、強いでしょう?」
「ぐぬぬぬ……」
隣で悔しそうに歯を食いしばっているサタンに、ベルゼブブが優越感に浸りながら、追い討ちをかける。
「まぁ、ハーヴェンはお嫁さんのために超パワーアップしたからねぇ。しかも、見た? 見た? 水属性の最上位魔法を両方完璧に使いこなす上に、連続発動してたよ? 異種多段の魔法構築を、こうも鮮やかにやってのけるなんて。うん、やっぱり、“僕のところの”ナンバー2は違うなぁ〜」
「はいぃ! お頭、最強ですぅ!」
「最〜強、最〜強!」
ベルゼブブの膝元で涙目になっていた6人のウコバク達が、今度は嬉しそうに妙な踊りを踊り出した。そうされて、アスモデウスがそのうちの1人を何気なく抱えると、ウコバクを撫でながらベルゼブブに問う。
「しかし、お前のところのエルダーウコバクは随分、お嫁さんとやらに入れあげているようね? 聞けば、相手は天使なのでしょう? 本来は天敵のはずなのに……その子、そんなに魅力的なのかしら?」
頭に大きな胸を乗せられて、妙に色っぽい声が頭上から降ってくるものだから……抱き上げられたウコバクがだらりと脱力し始める。
「あ、アスモデウス。テンプテーション使うの、やめてよ。ほら……アオスケが逆上せちゃってるじゃないか」
「あら、本当。ごめんね〜、アオスケちゃん」
「ひゃぅぅ〜……」
魔性の女から解放されたアオスケを抱き上げながら、ベルゼブブがアスモデウスの質問に改めて答える。
「ハーヴェンにとってルシエルちゃんは魅力的、というよりかは放っておけない、って感じなんじゃないかな? それに実際に会ってみると、ルシエルちゃんは可愛いよ? ハーヴェンがいなくなったら、心配で僕のところまで押しかけてくるくらい、一途だしさ〜」
「天使が? 魔界に⁇」
「うん。今時、真っ黒いドラゴンまで従えていてね〜。あの子、天使としても相当のやり手だと思うよ。だから、僕は敵に回すよりは手懐けていた方がいいかなって思ってる。だって彼らの場合、どっちかに嫌われたら間違いなく、両方で襲ってくるよ? 僕、そんなのごめんだよ。2人がかりだったら、絶対に負けちゃうもん」
「まぁ、そうなの? じゃぁ、そういう強さと一途さも含めて、ルシエルちゃんとやらは……うちのアーニャ以上に魅力的だった、ってことかしら?」
「え、そんなことないですよ、お姉様! 私、別に振られたわけじゃ! アイツはぺったんこが好きな、悪趣味な奴なんですってば!」
「ハイハイ。その辺は良いわよ、別にど〜だって。大体、あれから……お前はリリスとしての役目を果たしていないじゃない。エルダーウコバクに未練があると思われても、仕方ないわよ?」
「そ、それは……」
相変わらずの負けん気だけは発揮しているアーニャを、慣れた様子でピシャリとアスモデウスが制止する。その様子をひとしきり楽しんだ後、ベルゼブブが思い出したように……話を続けた。
「あ、そうそう。今度そのお嫁さん、またこっちに来るよ。何でも……ルシファーに会いに行きたいんだって。僕としては別に構わないからって返事したし、もしよければ、見においでよ」
「本当? 私も是非、会ってみたいわ。それじゃ、その時は呼んでよ?」
「……俺も見てみたい……かも」
「あ、サタンも見たい? いいよ〜。彼女がやってきたら、2人とも呼んであげるよ」
***
向こうでまた迷惑な話をしているみたいだが、別にいいか……今はそれどころじゃないし、放っておこう。そうしてこっちはこっちで……ようやく話せるようになったかもしれない、目の前の悪魔に話しかける。
「プランシー? プランシー……? 悪い、ちょっとやり過ぎちまった。大丈夫か?」
「グルルルル……」
見た目がカラスの割には、カイムグラントは随分と獣くさい唸り声を小さくあげている。とは言え、こちらに敵意むき出しではあるものの、さっきよりは随分と落ち着いているらしい。グレイシャルフィールドの効果が解けても、襲いかかって来ないところを見るに……このまま続けても大丈夫かもしれない。
「……この姿じゃ分からないよな? ほれ、俺だよ、俺。ハーヴェン。思い出せる?」
そう言いながら、いつもの人間の姿に化ける。魔界でこの姿だと、どうしても人間と間違えられるため、こちらでは本性でいることが多いのだが。……今は大丈夫だろう。
「……は、はー……⁉︎」
「お? 俺のこと、覚えてる?」
「は、ハーヴェン様……? あぅぐ! ウグッ……⁉︎」
真っ赤に染まった瞳が狂いもなく、俺の姿を認識したらしい。頭を抱えて、のたうち回っているのを見る限り……おそらく“始まった”のだろう。
俺の場合はベルゼブブが放任主義だった……曰く、無理やり記憶を引き出すことはあまり良くないそうだ……なせいもあって、記憶を取り戻すのが余計に遅れた気もするが。俺自身が中途半端に名前を覚えていた部分もあるし、プランシーのケースとは少々事情も違う。プランシーは怒りに染まりきって自分の名前すらも、忘れている。その状態で暴れ続ければ、肉体の方が限界を迎えて、あっという間に二度目の死を迎えることになってしまう。強制的に思い出させるのは良くないのも分かるが、彼の状態ではそんな悠長な事も言っていられない。
「……大丈夫、焦ることはないさ。ゆっくり、ゆっくりでいい。深呼吸して、ゆっくり思い出して」
「あぅ! うぐぐ、憎い……天使が……あの、八翼の……ガァッ‼︎」
とにかく、下手に刺激を与えずに見守るしかない。俺の時と同じなら……彼の頭は割れそうな程に痛むのだろう。羽毛に包まれた中に鋭い爪のある手で、何度も何度も頭を掻き毟っている。そして……右手の3本指の真ん中が欠けていることに改めて気づくと、今更ながら胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「うぅ、リアにヘンリー……それにメイヤなんて、まだ、まだ……小さかったのに……。どうして……どうして……?」
「……子供達を思い出しているのか……」
「ロジェにギノ……あの子達は本当に、本当にいい子だったのに……。何故、殺されなければ……ならなかった?」
「ギノは生きてるよ。まぁ、人間としては死んじまったけど。今は……竜族として、元気にしている」
「それは本当……ですか……?」
ポツリとそう呟いて……カイムグラントが縋るように、こちらを見つめる。どうやら、無事に理性を取り戻したらしい。そこには見慣れた、老人の姿があった。
「ハーヴェン様、本当ですか? ギノは……生きている?」
「あぁ、何とかギノだけは助けてやれたんだ。そのうち会わせてやるから、元気出せよ。……今はあまり無理をするな。俺はとりあえず、帰らなければいけないけど……今度は嫁さんと一緒に様子見に来るからさ。その時はもうちょい、踏み込んだ話ができるといいんだけど」
「帰る……? そう言えば、ここは?」
「それはお前の親玉に説明してもらえ。悪魔にはそれぞれ、領分があるんだよ」
「悪魔……」
振り向けば、既にサタンがこちらを窺うように、すぐ後ろに立っている。妙にこちらを疑ぐるようにも見えたが、今の会話で何かを納得したらしい。俺を無理やりここに引きずり込んだ時の様子とは違い、こちらはこちらで落ち着いた様子を見せていた。
「ふむ……お前の知り合いというのは本当らしいな、エルダーウコバク?」
「いや、あんた相手に嘘ついてどうするよ? 大体、人が事情を話す前に勝手に怒り出しやがって。そんなんだから、話1つできないんだろうが」
「ふん、口だけは一丁前だな」
「へいへい。ま、とにかく……プランシーはあんたの領分なんだろう? 後は元締の仕事だ。しっかりフォローしてやってくれよ?」
「言われなくとも、分かっている! ほら、何をボサッとしている、カイムグラント! さっさと本性の姿に戻らんか!」
「カイムグラント? 本性……?」
「いきなり、無理を言うなよ……。プランシー、いいか? まず……お前はカイムグラントっていう悪魔に闇堕ちしたんだ」
「悪魔に? 私が……?」
「あぁ、まぁ。それは仕方ないと思うよ? 俺も元々はあんたと同じ教会の人間だったし、あんまり気にしなくていいと思うけど……で、ほら。自分が何をしたいかを想像してみ? すると、さ……」
「……⁉︎」
いつものように本性に戻って見せると……プランシーも状況を飲み込んだらしい。少し驚いた様子を見せたが、他のことに気づくくらいの余裕も生まれたようだ。
「ハーヴェン様。まさか、そのお姿は……」
多分、彼も例の絵本のことを知っているのだろう。こうも悪い意味で有名人だと、説明すら疲れてしまう時があるんだが。別に俺としては、悪魔になったことを悔やむでもなし。若干、吹っ切れてしまっている部分がある。
「ま、その辺はベルゼブブあたりに聞いてよ。とにかく。その姿のままだと、他の悪魔に取って食われちまうぞ?」
「え、えぇ……」
あまり納得はしていない様子だが、俺の言うことをきちんと理解したのだろう。プランシーもさっきのカラスの姿に無事、戻ることができていた。
「ふん、手のかかる奴だ。しかもなんだ、さっきの貧弱な様子は! 悪魔としてきっちり鍛えてやるから、覚悟しろ! それでなくとも、復讐したい相手がおるのだろう? その怒りを糧に、悪魔として生き抜いてみせろ‼︎」
「復讐……! そうだ、あの天使だけは……この手で滅ぼさなければ!」
さっきまでの脆弱な様子が嘘のように、目の前の悪魔が今度は怒りに燃える。この様子だとプランシーが悪魔として頭角を現すのは……そう遠くない気がする。
「それじゃな、プランシー。また会いにくるから、頑張れよ?」
「えぇ。ありがとうございます、ハーヴェン様。……そうです、私にはするべきことがありました。命を奪われた子供達の為にも……悪魔になろうが邪神になろうが、この命が尽きようが……あの天使の首を刎ねるまでは、生き抜いてみせます」
生前のプランシーの温厚さを知っている俺としては、殺伐とした言葉に寂しさを覚える。プランシーも相当、辛い思いをして闇堕ちしたのだろうが……あの温厚で子供達が大好きだったプランシーがもういない事を、見せ付けられたようで軽い喪失感があった。
「ところで、あの天使って? さっき八翼とか言ってたけど……」
「黒い翼を持った天使でした。まだ、思い出せなくて……。確か……ウグッ?」
「あ。無理に思い出そうとするのは、ダメだ。すぐに思い出せないなら、大丈夫。とにかく……今は魔界に馴染むことを考えろよ」
「そ、その方が良さそうですね……」
「ふむ、目標があるのはいいことだ。俺の所でみっちり鍛えればきっと、悲願も成就するであろう。とにかく今は俺と来い」
「かしこまりました。……よろしくお願いいたいします、マイ・ボス」
怒りのカラーに相応しい、真っ赤な大悪魔に付き従いながら……漆黒の悪魔がその場を後にする。遠ざかっていく羽毛の背中を見つめては……大切な相手を一方的に奪われるというのは、計り知れない絶望と憤怒を生むものなのだと、あの文字の遺恨の深さを思い知らずにはいられなかった。