1−13 性根が腐っている奴
第2ラウンド、人間認定された俺VSオルトロス。目の前の狼らしい猛獣は紫色の体毛に覆われ、炎のように赤々とした鬣を生やし、双頭の眼光は鋭く……うん、まぁ。ここまで言っといて、何だが。正直なところ、俺としては「パッとしない」が率直な感想か。それこそ、「俺のあっち側」の方が見た目も凶暴だと思うんだけど。目の前の上級天使様は、この程度のワンちゃん相手に、俺がビビるとでも思っているのかな……。
「フフフフ……ちっぽけな人間には、とてもとても恐ろしいのでしょう? ほら、強がりはよしなさいな。所詮、人間如きが崇高なる我らに歯向かうことはできないのですよ! そちらのハイヴィーヴルを置き去りに、情けなく逃走するのです!」
……あ。俺、完全にビビリだと思われているみたい。相変わらずのムカつく上から目線で、エルノアを置き去りにしろとか、薄情な事をおっしゃっていますけど。そんな高慢ちきな物言いに慣れつつあるのにも、無駄に焦っちまうじゃないか。
「へいへい、そうかいそうかい。……ったく。人を馬鹿にするのも、大概にしておけよ⁉︎ 大体、何だ? 犬1匹で俺に勝てると思ってんのか、コラ‼︎ いい加減、鬱陶しいんだよ!」
そう言いつつ、脅しも含めてコキュートスクリーヴァを抜いて構えてみると、天使共の表情が面白いように恐怖の色に染まる。ここまでされなくても、さっきの手合わせで俺が人間じゃない事くらいは気づいとけよ……。
「そ、その武器は……な、な、何ですか‼︎」
「さっきから俺の事を人間のくせにだとか、人様のマスターのことを下級天使だとか、ガタガタうるせぇんだよ‼︎ お前ら全員、まとめて叩っ斬ってやるから、覚悟しろ‼︎」
そこまでしてやって、やっと奴らも俺が「ただの人間」ではない事を悟ったらしい。呼ばれて飛び出てきたオルトロスも、とんでもないところに呼び出されてしまったと、明らかに困惑した顔をしている。とは言え、こいつには恨みはないし……そうだな。ここはひとまず、自主的にご退場願おうか。
「おい、オルトロス! ケルベロスの兄貴に色々吹き込まれたくなかったら、さっさと帰れ!」
「ハウン⁉︎ あなた、ケルベロス知ってる?」
「オイラ達、ケルベロス怖い。帰る‼︎」
「ちょ、ちょっと、オルトロス! 契約主の私を置いて、どこに行くのです⁉︎」
どうやら、オルトロスには大して忠誠心もなかったらしい。情けなく喚く契約主の制止も聞かず、双頭の満場一致で自ら棲み家に帰って行く。……これで、関係のない精霊を無駄に傷つけなくて済みそうだ。
「俺達の帰り道を散々、邪魔してくれたんだ。覚悟はできてんだろうなぁ? アァ⁉︎」
「ア、アヴィエル様、こいつ、もしかして……あの噂の魔神とかいう奴じゃないですか⁉︎」
「そ、そうですよ! 魔力レベル9とかいう……」
「ハニャァッ⁉︎ まさか、何ですと⁉︎」
「……言っとくが、逃げるのなら今のうちだぞ?」
「クゥぅぅぅぅ‼︎ こうなったら、仕方ありません。あの魔神を片付けて、竜族を奪います!」
アヴィエルとやらは、どうしてもエルノアと契約したいらしい。ここまで来ると、何かこだわりがあるのかも知れないが……あ、そういえば。六翼だったら、竜界へ行けるかもしれないんだっけか?
「そういや、あんた……上級天使とか言ったよな?」
「そ、そうですよ? それが何か?」
「竜界に行けたりする?」
「も、もちろんですとも‼︎」
「なんか、胡散臭いな。……まぁ、いいか。実はな、ルシエルはこの子を竜界に帰してやりたくて、一時契約したに過ぎないんだ。もし、あんたがこの子を竜界に連れて行ってくれて、契約解除するってんなら預けてもいいと思うんだが。……どうだろう?」
「一時契約⁉︎ 馬鹿な‼︎ そんな勿体無いことができますか! 契約したからには、このアヴィエル様の権威を高めるために働いてもらいます!」
「……聞いた俺が馬鹿だった」
「ハーヴェン、あぅぅぅぅ、お腹すいたよぅ……」
「おぅ、分かってる。もうちょっと我慢してな」
「……うん」
エルノアの様子からすると、かなり急いだ方が良さそうだ。しかし、それは向こうさんも一緒らしい。確か……神界より、人間界の時間の進みは早いんだったっけ? それはつまり、時間の進みが早い分、もともといた世界に比べて長い時間を異世界で過ごせば、大なり小なり魔力を余分に消費することになる。親衛隊2人の異常な息の上がり方は、そのせいかもしれない……のかな。何れにしても、人間界の魔力の薄さに慣れるには、それこそ、かなりの時間がかかる。
「さぁ、お前の出番ですよ‼︎」
「ん?」
声高に何かを見せつけるように、アヴィエルが腰のポーチから小さな小瓶を取り出す。その中には妖精族らしい精霊が入っているが……呼び出しで出てこないということは、棲み家のないはぐれ精霊ということか?
「ハーヴェン、あの子……」
「……あぁ、分かってるよ」
薄羽根を摘まれて小瓶の外に放り出された彼女は、飛ぶのもやっとらしい。薄羽根自体も所々破れており、見るも無惨な状態だ。
「……おい。そんな状態の精霊に、何をさせるつもりだ?」
「こいつはユグドノヤドリギという精霊でしてね。ゴミクズのような精霊ですが、1つだけ、とても役立つ特技を持っているのですよ」
「ユグドノヤドリギ……。本来なら霊樹に宿って一体化し、自身が綿毛となって魔力を運ぶと言われる、妖精族の精霊だったはずだが」
「流石、詳しいですね。ですが、こいつが寄生できるのは霊樹だけではないのです。……例えばあなたに寄生させ、その命を啜ることもできるのですよ。その間、宿主は動くこともままならず、じっくり真綿で首を締め上げられるように死に至るのです。あぁ、何と耽美的なことでしょう!」
耽美? 何がだ? それって、相手が苦しんでいるのを、楽しんでいるだけだろう?
そういうのが嫌だから、わざわざ人間界に出張ってきたのに。こんなところで、「よくある話」を聞く羽目になるなんて、思いもしなかった。……色々と残念な気分だ。
「……それで? その子で俺を片付けて、エルノアを奪う、と? だが、本来霊樹に寄生するはずの精霊を、それ以外に寄生させるのは、無理を強いる行為だろう。まして……そんな状態で俺に寄生させたら、それは死ねと言っているのと同じだと思うぞ。……悪いことは言わない。サッサとその子に魔力を与えて、休ませるんだ」
「なぜ?」
「なぜって……そのままだと、そいつは死んじまうんだぞ⁉︎」
「構いませんよ。この程度の精霊、探せばいくらでもいます。レベル1の精霊など、強制契約してしまえば、どう使おうが契約主の勝手です。私がそれでよければ、使い捨てても構わないでしょう?」
「……そんな、酷い……!」
天使様の口から出たにしては、あまりに冷酷なお言葉にエルノアが後ろで泣きそうになっている。ちょっと感覚がズレていると言う意味で、性根が腐っている奴だと思っていたが。……どうやら、訂正する必要がありそうだ。こいつは性根が腐っているというよりも、人格そのものが腐っているとしか言いようがない。これが上級天使の感覚なのか? マジかよ。
「チィ! 魔法はあんまり使いたくなかったが、仕方ない!」
「行きなさい! ユグドノヤドリギ! そいつの動きを止めるのです!」
きっと、強制契約とやらの力なのだろう。彼女が苦悶の表情を浮かべながらも、なけなしの魔力で俺に向かって飛んでくる。彼女がこちらにたどり着くまでに、魔法の発動しなければ。足止めの初級魔法とは言え……少々概念が難しい魔法を展開するのは、意外と骨が折れるな……。
「宵の淀みより生まれし深淵を汝らの身に纏わせん! 時空を隔絶せよ、エンドサークル‼︎」
……とか思いつつ、どうやら俺の方が早かったようだ。無事、アヴィエルと親衛隊2人の計3名様の足元に闇属性の補助魔法を展開、発動。これで奴らは、強制的にこの場で一夜を明かすことになるだろう。
そうしている間に、ようやく俺の元にたどり着いた精霊を手のひらで受け止める。弱々しい様子を見るに……彼女には、寄生するための力も残っていなかったらしい。一生懸命に俺の手のひらに噛り付いているが、小さな爪は俺の皮膚を掠ることさえできていなくて。……こういう無残な姿を目の当たりにすると、つくづく嫌になる。
「……どうだ? 小瓶に閉じ込められた気分は?」
「こ、これは! 何の魔法なんです⁉︎ ここから出しなさい!」
ご近所さんがいないにしても、明らかに近所迷惑になりかねない大音量でアヴィエル達が喚いている。仕方ない。こいつらを黙らせる意味でも……施し程度に、魔法の概要は説明してやるか。
「お前らに掛けたそれは、エンドサークルという魔法だ」
「エ、エンドサークル⁉︎」
「闇属性の補助魔法でな。魔法陣上にいる相手を閉じ込める、言わば拘束魔法の一種だ」
「拘束魔法……ですと?」
「安心しろ。要するに、そこから一定時間出られないだけだ。外からも中には入れないから、ある意味安全地帯かもしれないけど……見ての通り、丸見えだからなぁ。視覚的には、怖い思いをするかも」
「それは……ど、どう言う意味です⁉︎」
「人間界は物騒なんだよ。……さて。エルノア、お待たせ。魔禍に食われないように、さっさと帰ろうな〜」
「うん! ……ところで、ハーヴェン。その子、どうするの?」
「……とりあえず、帰ったら手当てしないといけないな。それで、エルノアは風呂な」
「……分かっているもん」
結局、終始ご近所迷惑な音量で、背後に3人の絶叫と金切り声がこだましている気がするが。……これ以上、構ってやる必要もないだろう。エルノアはお腹が空いているし、何よりも掌上の妖精さんは瀕死の状態だ。とにかく急げ、俺。