3−44 とびっきり嬉しいこと
潮風と柑橘類の香りを混ぜたような、爽やかな香りで満たされたバスルーム。子供達とコンタローは残ったチョコレートをそれぞれ皿に取り分けてもらって、大事そうにしながら3階に戻っていった。今頃、上の階でぐっすり眠っているだろう。なにせ、今日はかなりの距離を歩いたのだから、彼らも疲れているに違いない。
そんなことを考えつつ、お湯に身を預けて。ちょこっとそわそわしながら、ハーヴェンを待つ。
「……遅い……」
「へいへい、お待たせしました……っと。おぉ、お湯が青い」
「タイルの色に合わせてみたんだけど……ダメだったか?」
「いいや? しかし、この広さだったら思い切り足が伸ばせるな〜」
「そう、だな。私も……狭い思いをしなくて済む」
「ふ〜ん?」
本当は労いの言葉をかけたいのに、相変わらず憎まれ口を叩いてしまう。一言、一言に後悔しながら……どうして自分は素直になれないのだろうと、自問自答しては自己嫌悪に陥る。
「今日はよく頑張ったな。とりあえず、無事に引っ越しできてよかったよ。……お疲れ」
一方で……彼は私の悪態にも気分1つ害さず、こちらを労ってくれる。それが却って……申し訳なくて、切ない。
「こちらこそ……い、色々ありがとう……。この屋敷のことだって……お前がいなければ、こうして住むこともできなかったのだし……。それに、1番疲れているのはハーヴェンの方だろう? この屋敷を復元する魔法を使った後、だいぶ消耗していたみたいだし……お疲れ……さま」
「あ、そうか。悪い、命令なしの魔力発動は場合によっては、お前にも負担かけるかもしれないんだよな。すっかり忘れてた。……迷惑かけているようだったら、ごめんな?」
「……迷惑なものか。私は相変わらず、お前を疲れさせているだけの部分もあるし……。本当、情けないよな……」
「別にそんな事ないよ? それに、今日は……1つ、とびっきり嬉しいことがあってさ。それを見られただけで、疲れなんか吹き飛んだ。とにかく、引っ越ししてよかったな、って思うよ。お前の方はこれから忙しくなるんだろうが、何かあったら相談しろよ? お前はいつも、1人で抱え込んで無理をするんだから」
「うん、そうする……。で、とびっきり嬉しいこと? そんなに嬉しい事が……あったのか?」
「気づいていないんなら、それでいいよ。俺にとって嬉しい事だっただけで、別に大した事じゃない」
「そう、か?」
そう言われると妙に気になるのだが、彼の方には教えてくれる気はないらしい。しかし、彼の隠し事が寂しいついでという訳ではないが……下手に広いと、肌恋しいというか、距離が遠いというか。お湯は温かいはずなのに、なんだか肌寒い。
「ところで……」
「ん?」
「もうちょっと、そっちに行っても……いいかな?」
意を決して、お願いしてみる。多分、拒否はされないだろうが……思いっきり、茶化されるかもしれない。
「お好きにどうぞ?」
しかし……予想を裏切りハーヴェンの方はすんなりと同意を示し、必要以上に私をからかうつもりもないらしい。彼の答えをもらって、少しずつ左側に移動し、ピタリとくっついて寄りかかる。そうして、目を閉じると……いつも以上に何かが満たされて、疲れが抜けていく気がした。




