1−11 救済の大天使
「お呼びでしょうか、ラミュエル様」
人間界監視の報告書を出して帰ろうとしたら、呼び出しがあったのでこうして膝を着いている次第だが。……呼び出しで思い当たるものといえば、ハーヴェンの事くらいしかない。やはり、悪魔との契約はまずかったか。しかし、私が体を強張らせて緊張しているのとは裏腹に、彼女の用件は別のものであったらしい。上から降ってくるお言葉は、柔らかい以外の何物でもなかった。
「顔をあげて、ルシエル。別に大した用事じゃないの。……忙しいところ、引き止めてごめんなさいね。この間、あなたが登録したハイヴィーヴルについて……ちょっと興味があったものですから。お話ししたくて」
そう言って、目の前の天使が柔らかく微笑む。緩やかにウェーブした青い髪をかき上げながら、緑の瞳で私を見つめているのは……救済の大天使・ラミュエル。八翼を持つ現在の神界では最上位天使の1人であり、単独で行動している私にとっては一応の直属の上司になる。そんな彼女が咳払いを1つして、周りの従者を人払いすると……静かに話を切り出した。
「……あなたが私を許してくれていないのは、承知しています。仕方がなかったとは言え……翼を奪うことになったのですから」
正直、今更「その事」を蒸し返されても何も感じない。私は既に「その事」に関しては諦めている。許せないのは……「その事」の前段階だ。
「今日の用事はもちろん、例の竜族のこともあるけれど……折角ですから、あなたに翼を一対返そうと思うの」
「……おっしゃる事の意味が、よく分かりませんが」
「そう言わないで。あの竜族は……正式に竜界で契約したものではないでしょう?」
「えぇ、その通りです。人間界で迷子になっていたのを、保護しました。魔力が薄い人間界に放置もできなかったため、一時的に契約を交わしただけです」
「……一時的に?」
「そうです。理由は分かりませんが、あの子は意図せず人間界に来てしまったようです。そして、両親に会いたがっている。ですから、竜界に帰してやれる日まで……一時的に契約したに過ぎません」
「そうだったの。それで、最近あなたの報告書の内容が以前よりも多くなったのね。竜界に行くには本来、六翼が必要……あなたはそれを目指して昇進をしようとしている、と」
「……何か問題が?」
「いいえ。寧ろ、とても喜ばしいことだわ。それに、あなたの従えているあの悪魔……いいえ、今は魔神でしたね。彼も非常に興味深いわ」
何が言いたいのだろう。こう言っては何だが……ラミュエル様は決して悪い人物ではないが、全体的にフワフワとしていて、掴み所がない部分がある。私としては正直、とても苦手な相手だ。
「魔神殿に伝えておいてくれるかしら。いつも子供達にクッキーとパンをありがとう、って」
「……はい?」
「あら、知らなかったの? 私……てっきり、あなたの指示だと思っていたのだけど」
「……何のことか、見当がつきませんが」
子供達に……クッキーとパン? 確かにハーヴェンが時折、町に出かけていることは聞いていたが。理由を聞いたことは一度もなかった。
「まぁ、そうだったの。でしたら、彼は自分の意思で施しをしているのですね。素晴らしいことだわ」
「……?」
「彼はいつも孤児院に多めに作ったからって、クッキーとパンを持って来てくれるのよ。しかも子供達が飽きないようにと、毎回趣向を凝らしたものを用意してくれているの。私、彼の焼いたクランベリークッキーが大好きで!」
「……申し訳ございません。私にも分かるように、お話いただけないでしょうか」
「あら……私ったら。そうね、ごめんなさい。実はね、私もたまに人間界に監視の仕事で出向くのです。それで、各天使達が受け持っている区域で人間に化けて、一時的に生活することがあるの。彼らの苦しみを理解しなければ、救済などできませんから。それで、少し前だったけれど……小さな女の子に化けて、ルクレスにも行った事があったのよ」
「……抜き打ち検査ですか。大天使ともあろうお方にしては、随分と趣味が悪い」
「意地悪なことを言わないで。ホント、初めはビックリしたんだから。人間に化けているとはいえ、明らかに普通の精霊でもなかったし。でも、この間のあなたの登録内容を見て納得したわ。……彼、悪魔だったのね」
「……」
「今でも彼の優しい明るさと、クッキーの味は忘れられないわ。……そして、理解したの。あなたが種族に関係なく、相手の本質を的確に判断できることを。私にもその裁量があれば、彼を見捨てなくて済んだのかも……」
今更、そんなことを言われても、何の慰めにもならない。これ以上の問答は無駄だろう……私は既に、苛立ちを隠すことにも疲れていた。
「……ご伝言は承りました。ハーヴェンに伝えておきますので……もう、よろしいですか? 人間界の時間の進みは本当に早いのです。できれば、早く“家に帰りたい”のですが」
「そうね、そうだったわ。ごめんなさい。では、最後に1つだけ、これだけはさせてちょうだいね。……契約監視下の精霊の働きを認め、我が名においてルシエルを中級天使として承認します。これからも阿万つ世界に、救いの手を差し伸べんことを!」
祝辞の言葉が終わると、自分の翼が4枚に増えている。ラミュエル様が「したこと」を許すつもりはないが、今はありがたく拝命しておいた方がいいだろう。エルノアを竜界へ返してやるには……どうしても翼が必要なのだから。
「……ありがたく頂戴します。一層の尽力をお約束いたします」
「えぇ。よろしくね、ルシエル」
それにしても……結果として、「徳積みチケット」を消費もせずに翼を頂戴することになってしまった。次の昇進までの数値が大幅に足りていなかったし、これは明らかな「横道」だと思われるが。……正式な昇進と考えて、いいものだろうか?