3−37 それ、絶対にアウトなやつだから‼︎
3年ちょっと暮らした、愛しの我が家とのお別れ。流石に少々、寂しい気もするが。ルシエルのお仕事もあるし、こればかりは仕方ない。各自整理した荷物をコンタローにお願いして、手元に残さなくていい物は彼の次元袋にめいめい預ける。
「よっし、こんなもんかな?」
「あぁ、そうだな。後は……これは少し中身を取り出してから……と。エルノアとギノも、忘れ物はないかな?」
例の白銀貨の袋を片手に嫁さんがそう尋ねると、子供達が元気に返事をする。昨日のあのはしゃぎようからするに、彼らも新居での生活を楽しみにしているのだろう。そんな様子を満ち足りた気分で眺めていると、エルノアが何かに気づいたらしい。不安そうに俺のベストを握りしめると、何かがいるらしい方向を指差す。
「また懲りずに来やがったのか。なんつーか。間の悪い……」
見れば、いつかの時と同じように豪奢な馬車が庭先に停まっている。今日は3台も停まっている様子から、どうやらお連れ様がいるらしい。颯爽と降りてくる優男が丁重に手を差し伸べているところを見ると、相当のお偉いさんのようだ。
「ハーヴェン、あれは……?」
「あぁ、例のスカウトマンだよ。ほれ、あの絵本を持ってきた」
耳打ちしてきたルシエルにそう答えてやると、久しぶりに彼女の眉間に深いシワが寄る。更に俺の後ろでも、既に威嚇体制のエルノアも、頬を膨らませて優男を睨みつけているけど。きっと、2人の様子にただならぬものを感じたのだろう。ギノとコンタローは俺達の背後で、怯えたように身を寄せ合っている。
「ハーヴェン様、ご無沙汰しております」
エドワルドが相変わらず、気安く挨拶をしてくる。俺はそこまで親しくしたつもりはないが。会うのも3回目となると、相手としては親しい部類に入ると認定されたのかもしれない。……迷惑なことだ。
「あの、さ。何度来ても、答えは変わらないぞ? それでなくても、今日はここを引き払うことにしたんだ。悪いが、相手をしてやれる暇はないんだが」
「申し訳ございません。こちらも姫殿下のご都合もあり、長居をするつもりはありません。ただ、どうしてもあなた様のお力を借りる必要があって、こうして参りました」
「……姫殿下? いや、だから……」
そこまで言いかけたところで、いつも以上に怒っているらしいエルノアがエドワルドを威嚇する。
「だからハーヴェンは行かないって、何度も言ってるじゃない。ハーヴェンはルシエルの旦那さんなの! あんたなんかの所に、行かせたりしないんだから!」
「旦那……さん?」
まぁ、前に会った時はまだそんな関係じゃなかったし? 彼の反応は至極当然なのだろうが、エドワルドはエドワルドで強引なところがある。こちらの拒否権を無視して、ズンズンと話を進めてきた。
「では、申し訳ありません。手短に済ませますので。今日はハーヴェン様のご主人がご在宅でしたら、是非ハーヴェン様を譲って欲しいと、お願いに参ったのです。それに、私の話に姫殿下がご興味を持たれまして。姫殿下直々に契約を買い取らせてくださるとのことで……」
なんだか、面倒な流れになってきたなぁ……。姫様だろうが、王様だろうが、どんなお偉いさんが出てこようが。人間の権力は俺にとって、なんの効力もないんだけど……。この分からず屋に、どう説明すれば納得してもらえるだろう?
そんなことを考えている間に従者が左右一列に平服し、姫殿下とやらがこちらに向かってくる。歳は多分、エルノアより少し年上くらい。金髪碧眼に、人形のような縦ロールと赤いドレス。いかにもな出で立ちだが、きっと砂糖に包まれるように育てられたんだろう。その目は……あからさまに生意気な光を湛えている。
「ハーヴェンと申したか? エドワルドを片手で御したという腕前を見込んで、妾が直々に自らお前を召抱えようと参ったのだ。お前の主人と話がしたい。いくら出せば、お前は我が元に下るのか……交渉せんか?」
姫様、悪いことは言わない。その言葉遣い、今すぐやめるんだ。ルシエルの沸点的にもかなりマズい。
ルシエルは最近、俺に関する事で急激に沸騰することがある。俺としては、嬉しい部分もある反面……結果を想像すると、恐怖の方が圧倒的に上回る。
「あの、姫様。今の言いっぷりはちょっと、失礼っていうか。大体、人間のお姫様にそんなことを言われても……」
「ハーヴェンの主人は私だが?」
「ル、ルシエルさん?」
あっ。遅かった……かも。
「ほぅ、そちがハーヴェンの主人か。早速だが、いくらでハーヴェンを譲ってもらえるかの? 言値で買い取らせてもらうから、思う金額を言うてみぃ?」
あぁ〜、そんなことを言ったらダメだって! それ、絶対にアウトなやつだから‼︎
「……買い取る? 金でハーヴェンの忠誠を買い取ると?」
「そうじゃ。いくら出せば良い? 白銀貨5枚か?」
姫様が提示した金額に、彼女の背後に控えている従者達がどよめく。うん、分かってる。……人間界では破格だよな、白銀貨5枚は。
「悪いが、金には困っていないんだ。むしろ……白銀貨5枚程度で買い取れると思っているのなら、手切れ金代りに進呈しようか?」
「お主、何を申しておる?」
「……聞けば、ローヴェルズはクージェとの戦争資金を貯めているとか。金に困っているのは、そちらの方だろう? だから……同じ金額をやるから、さっさと帰れ。端金で人様の旦那に手を出そうと言うのなら甘いぞ、この小娘がッ‼︎」
「こ、小娘⁉︎ この私が⁉︎」
この雰囲気……アーニャの時と似ている気がする……。で、子供達は……あぁ。そうだよなぁ……。
「ハーヴェン……! 今のルシエル、とっても怖い……!」
「僕も……!」
「あ、あいぃぃ……!」
「あ、あぁ……。お前達はな〜んも心配しなくて、大丈夫だから。こういうことは嫁さんに任せておこうな? お前達は俺の後ろで交渉術と……場合によっては、護身術の社会勉強だと思って大人しく見とけよ」
「は、はい。社会勉強……ですね? 分かりました。僕、しっかり理解します!」
「あ、私もよく分からないけど……頑張る!」
「あい!」
子供達は変な方向に納得したみたいだが、今はそれでいいだろう。問題はルシエルだ。必要以上にコトを荒げる真似はしないと思うが……死人が出そうなら、間に入ることも考えておかないと。
と言うのも……「小娘」の一言に怒り心頭の姫様が、従者にルシエルを成敗するように命令しているからだ。見たところ、エドワルドの他に従者は8人。ルシエル相手にたった8人では……3分と持たないだろう。
そして予想通り、思い思いの得物でルシエルに斬りかかる彼らの攻撃は、どれ1つとして彼女を捉えることはできていない一方で……時折ボキッ、とかあからさまに恐ろしい鈍い音を響かせて、従者の方が姫様の背後に豪快に吹き飛んでいく。
それにしても……その小さな体のどこに、そんな馬鹿力があるんだ……? 俺もとっても怖いんですけど……?




