22−65 完璧な復讐譚
「セフィロト、セフィロト! とにかく、こいつがあなたを捨てたのは、間違いないじゃない。何を迷っているの?」
本当の母親……マナの出現に、戸惑いを隠しきれないセフィロト。一方で、アリエルが従順な様子をかなぐり捨てて、今度こそ慌てて口を挟む。先程までは、あんなにもセフィロトに押さえ込まれては、大人しくしていたと言うのに。……私の目には、彼女の慌て方が少々不自然に映るのだが。
「……それもそうだね。そう、だよ。口だけだったら、何とでも言える。醜いという理由で捨てられて、僕はアリエルの手によって“最初の霊樹”として大地に根付いた。そして、仕方なしに……惨めに地下で生き延びて……」
「いいや、そうではない。……妾が捨てたのは、アリエルだけだ。それにつけても、セフィロト……か。なるほど、今は原初の霊樹を名乗っておるのだな、お前は。まぁ、それはさておき……妾はお前を捨ててなど、おらぬよ」
「だけど! 僕はお前に捨てられて、アリエルに拾われて……! それで、それで!」
「だから、先程から申しておろうに。妾はセフィロト……お前は捨ててはおらぬ」
チラとアリエルを見やった後に、もう1度「お前は捨てておらぬ」と強調するように呟くマナ。アリエルを捨てた事は認める一方で、セフィロトを捨てた事は絶対に認めない。敢えて冷酷な所業を認めることで、セフィロトへの対応は違ったのだと……マナの女神は、念押しをするように言葉を続ける。
「妾はあの時、そなたを見失って必死に探したが……とうとう、見つけられなかったのだ。……そう、か。地下に潜っておったのだな。であれば、妾に見つけられぬのも、道理ぞ。地脈の下は妾にとって、不可侵の領域。妾が掌握できるのは、魔界との境界線であるレイラインの上だけだ」
しみじみとセフィロトに向き直るマナの背後で……とりあえず、役目は終わったかな? と、ハーヴェンが私の元にやってくる。先程までは大きな体躯で、「囮役」も演じてくれていたようだが……この期に及んで、注目度の高い大物が降臨したことにより、神様の神経はますます私達から遠のいたようだ。
(でも、さ。どうするよ? なんだか……思いっ切り、複雑なご家庭の事情に踏み込んだ気がするんだが)
(そうだよな……。しかも、な。ロンギヌスの接続先も易々と打ち込めない場所にあるみたいで。……どうすればいいか、先程から悩んでいるんだよ)
ロンギヌスを打ち込むべきは、「セフィロトの臍」。そして、その位置はアリエルの玉座だったであろうことも、うっすらと判明している。しかし……今まさに姿を現した神様の容貌を見つめれば。下半身こそ、霊樹に一体化しているとは言え……鼠蹊部の半分以上が白い肉塊から露出しており、腹部には臍がある……と思いきや。やはり、ないみたいだな……。
ともなれば、「臍」という言葉はちょっとした喩えであると同時に、「中心」という意味で2号が口走ったのだろうと考える。いずれにしても、この状況でアリエルを引き剥がすのは難しいし、賢明ではなさそうだ。何せ……アリエルが座する場所は、女神と神様とが対峙する中心部そのもの。そんな場所に縛り付けられ、彼女は自分の意思で動けない状況の中、マナとセフィロトのやり取りを否応なしに聞かされているのだ。……ある意味で苦行だろうな、これは。
「どっちにしたって、お前が今まで……僕を見捨ててきたのは、事実だ。今更、母親面したって遅い!」
「……だろう、な。妾もお前の存在を諦め、探そうとしなかったのは事実だ。探そうと思えば、天使を動員することもできたろうに。……するべき事をせなんだ、そこに関しては弁明の余地もない。だが……」
「だが? まさか、まだ言い訳するつもりなの? これ以上、セフィロトに余計なことを言わないでくれるかしら?」
「それもそうだね、アリエル。そうだ。……僕の母親はアリエルだ。お前じゃない」
マナの「言い訳」には続きがあるようだが、それすらも強引に口を挟んでは、阻んでくるアリエル。どうも先程から、アリエルの強硬な態度が引っかかるな……。それに、セフィロトは確かに「アリエルの手によって」と口走っていた。と、すると……。
(もしかして、セフィロトを攫ったのは、アリエルだったのか……?)
……そういう事、か。セフィロトが原初の霊樹として根付いたのは、マナにとっては誤算であり、アリエルにとっては復讐の一手だったのだ。その間に紆余曲折もあったのだろうが……最終的には、アリエルの目論見はほぼほぼ完成しているように思える。
マナから息子を取り上げ、復讐者として育て上げること。そして……新しい神と新しい世界を作り、マナの女神そのものを放逐すること。かつて捨てられた始まりの天使にしてみれば、これ程までに完璧な復讐譚もないだろう。だから、アリエルは慌てていたのだ。マナの女神の誤算を生み出したのが自分であると、この状況で露見するのは非常に不味い。
(しかも……昔から、よく言うしな。生みの親より育ての親……って)
セフィロトは拐かされただけなのかも知れないが、ラディエルへの一方的な攻撃性を考えても、アリエルを母親と認識しているのは間違いないだろう。こうしてマナ本人が降臨し、言葉を重ねようとも……結局は「育ての親」に傾倒しては、アリエルこそを母親だと明言し切った。
「そう、か。であれば……交渉決裂、だな。……仕方あるまい」
その一言と同時に、マナを取り巻く空気がゾワリと変化し始める。先程までは、冷静に淡々とセフィロトを説得していたのに。「交渉決裂」を迎えたとあっては……マナはもう、穏やかにコトを済ませるつもりもないようだ。
気づけば、あれ程までにアウェイだと思っていた空間が、神界の空気へと覆りつつある。駆けつけたのは女神たった1人だというのに……なんだ、この桁外れの危機感は。マナが放つのは、膨大な魔力による威圧感だけではなく、空間そのものの「悪そうな魔力」を忽ち浄化し始める圧倒的な権能。……伊達に、ゴラニアの唯一神として君臨している訳ではないという事か。
「もう、良い。今のやり取りで、あらかたの事は理解した。……やはり、出来損ないは最初から処分しておくべきだったか。よくも、まぁまぁ……ここまで小賢しく、無様に立ち回ってきたものだな? アリエル」
「なっ……! 誰のせいでこうなったと、思っているのよ! 大体、あんただって、私を忘れ……」
「ほぉ? まさか……妾がお前を思い出せぬとでも、思っておったのか?」
「えっ……?」
「まぁ、確かに……ルシフェルに言われるまで、忘れていたのは事実だが? 所詮は取るに足らぬ……忘れておっても、問題がなかった相手ということだ」
やり口は少しばかり、意地悪だったかもしれんが……と言いつつも、あからさまにアリエルを軽蔑したように、軽く肩を揺らした後に、更に言葉を重ねるマナ。しかし、あぁ。なんて事だろうな。我らの主神は本当に、冷酷無比な女神でもあったらしい。その後に続くマナの「告白」は……私でさえも怒りを覚えざるを得ない程に、身勝手極まりないものだった。