22−63 頑張らなくても、いいんだよ
「あんなに暴れて、大丈夫なんでしょうかねぇ……マモンは」
「大丈夫だと思いますよ。あれで、自分の実力は弁えていますから」
展開され続けるプルエレメントアウトに神経を向けながらも、ダンタリオンは器用に「友人」の暴れっぷりも見守っている。そんな彼の横で、アケーディアが不安そうな声を出しているが。ダンタリオンはアケーディアの心配を、ついつい鼻で笑いたくなってしまう。
(なんだかんだで、アケーディア様はマモンのことを何1つ、分かっていませんね。……私が言うのも、何ですけれど。アレで、彼は最も完成された真祖でもあるのです)
久々に見つめる、黒い虎の姿。目を細めて、沈みゆく夕日に映る影を追えば。ダンタリオンの瞳に映る紫色の残光が、幾重にも棚引いては、儚く消えていく。
しかしながら、ダンタリオンもマモンの「あの姿」は数回しか見たことがない。しかも、それだって……彼がレヴナント相手に、荒唐無稽な鍛錬を積んでいた時であり、あくまで模擬戦。彼にしてみれば、実戦ですらない。もちろん、死神をトレーニングの相手に選ぶこと自体、非常に危険ではあるが。ロケーションが魔界でもあった以上、魔力の消耗は気にせずともよかった。なので、人間界でのこの暴れっぷりはダンタリオンとしても、初めての光景だったりする。
(とは言え、魔力不足に陥っても雷鳴七枝刀があれば、何とかなるのでしょうし……ふむ。やはり、マモンは心配しなくてもよさそうですね)
彼の周りにはピタリと寄り添うように、刀達の鞘が付かず離れずのちょうどいい距離感で控えている。なんだかんだで、人付き合いには神経を砕く彼のこと。魔法道具とも、それなりに良好な関係を築いているらしい。だが……。
「……しかしながら、紫の光は私も初めて見ました。はて……マモンは一体、何を取り込んだのやら」
「君はマモンとの付き合いも長いんでしょうに……。その君が知らない状態なのですか、あれは」
「まぁ、腐れ縁だけは2157年も続いていますからね。それなりに、彼のことは熟知しているつもりですよ? ですが、紫の光を漏らすマモンは見たことがありません。まぁ、どうせ……また新しいコレクションを増やしたのでしょう。一応は強欲の悪魔ですからね、彼も」
「いや……一応も何も、強欲の真祖でしょうに……」
ますます呆れ顔を隠さないアケーディアに、普段は散々マモンを小馬鹿にしている同じ口で、ダンタリオンがやや好意的な解説を加える。
マモンはバーサーク状態を完璧に使いこなすことができる唯一の真祖であり、強欲の領分を用いて魔法道具や魔法鉱石の性能を引き継ぎ、爪に宿して振るうことができる。紋章魔法をギミックとして組み込んでいる以上、相手が強欲の悪魔であれば、取り込むことも可能ではあるが……それは頑なにしてこなかったと、ダンタリオンも最後は呆れた様子で苦笑いを漏らした。
「どうもマモンは紋章魔法の隷属効果を使うのが、とにかく嫌いなようでして。彼は悪魔としての完成度が高いと見せかけて、とことん頑固な上に甘ちゃんで、驚くほどに繊細なのが本当に頂けない。美学に反するとか格好つけた事を言っては、敢えて苦労したがるので……不可解な研究対象としては、興味が尽きることもありませんが」
「ほぅ、そうなのですね。確かに……マモンを研究するのも、面白そうですか。いや、この場合は……魔法実験の被験者として利用した方が、ますます面白いかも……?」
「あぁ、アケーディア様。それはご勘弁を。マモンがいなくなると、私が非常に困ります。……彼が易々と死ぬとは思えませんが、アレは意外と我慢強くて無茶をするタイプでもありますから。万に一つでも限界を超えて絶命されたら、強欲の悪魔は統率を失いかねません。……そうなったら、私に面倒な支配のお鉢が回ってくるではありませんか。読書の時間が削れてしまう」
「……ダンタリオンの懸念事項はそこなんですね。まぁ……被験者はそれこそ、例の出来損ないで十分でしょうし、貴重なサンプルでデータを取る必要もありませんか」
2人で勝手な事を言いながらも、あたりの空気が不穏に震え初めたのも感じては、それぞれに「お役目」も思い出すアケーディアとダンタリオン。それでなくても、ダンタリオンは継続発動型のプルエレメントアウトを行使している最中であるし、何より……アケーディアがリルグに帰らず、現地に留まっているのは、彼のフォローのためだ。少なくとも、彼らのお役目にはマモンの猛攻や処遇は関係ない。
「すみません、アケーディア様。それはそうと……」
「もちろん、分かっていますよ。補充はしっかりして差し上げますから、ダンタリオンはこのまま魔法を継続してください。そのために、ヨフィから枝を預かってきたのですし。それに……」
「は〜い、こっちもオーケイだよん。女神様成分も定着したみたいだし、ルシエルちゃん2号との通信も問題なさそうだし」
アケーディアが状況を確認しようと、もう1人の協力者の姿を探せば。その協力者……ベルゼブブが何食わぬ顔で、ひょっこりと帰ってくる。ニタニタと相変わらずの気色悪い笑みを見る限り、仕込みはバッチリと言った様子だ。
「そうですか。でしたら……こちらからは、最大級の刺客を送り込むとしましょうか。クク……僕を出し抜いて、追い出した罰です! グラディウスは徹底的に叩きのめして、完膚なきまでに蹴落としてやりませんと!」
「うわぁ……兄貴、とってもサディスティックぅ〜!」
知れっと自分を「兄貴」呼ばわりしながら、尚もおちゃらけるベルゼブブを冷ややかに見つめながら、アケーディアは色々と諦めてはため息をこぼす。しかしながら……それでも、「この空気」はそこまで悪くないと思い直しては、それぞれに「悪巧み」を披露し始めた。
「あなたの言い分ですと、例の大天使2号を起点にできそうなのですね?」
「うん、大丈夫みたいだよ」
「ふむ、それは何よりです。それで……プルエレメントアウトには既に、ヨフィの受信機も仕込んでいます。……彼女の枝を媒介にして、リルグからそれなりの魔力を融通できるよう、穴を開けておきました。少なくとも、これでバルドルの絶命は防げるでしょう。その上で……ダンタリオン。鎖はどんな状態ですか?」
「えぇ、こちらも問題なさそうです。しっかりとマナの女神の魔力が定着していますし、何より……」
「……あぁ、その辺は彼女達に任せれば問題なさそうですね」
ダンタリオンが視線を仰がせた先を見やれば、3人の小さな天使達が鎖の周りを舞っているのが目に入る。きっと、矢を撃ち込んだ後の補助も言い渡されているのだろう。時折、ペリペリと剥がれそうになっている樹皮を見繕っては、ジョウロらしき魔法道具で水を与えている。
「ここまでお膳立てしておけば、女神様も実力を発揮してくれそうですね。しかし……本当に、忌々しい。……僕がどうしてこちら側に与しているんだか」
「あれれ〜? 今更、そこ……気にするのん?」
「僕も悪魔ですからね。……外聞は何よりも気になるんですよ。目的を仕損じて、作戦半ばで離脱して。挙げ句の果てに、苦しめようとしていた世界に拾われたんですから。……あまりに惨めで、嫌になりそうです」
そもそも、この世界を壊して新しい世界を作ろうとしたのだって、自分だと言うのに。失敗したら、結局は元の世界に縋り、それを継続させようと働いているんだなんて。無様過ぎて、涙すら出ない。
「別に、いいんでない? それこそ、僕達は悪魔だよん? 今ある時間を楽しく生きていられれば、それでいいんだから。もちろん、ハニー達の立場からしても、ダディの立場からしても、君はとっても“悪い奴”になっちゃうだろうけど。そんなの、関係ないじゃない」
しかしながら、心底落胆しているアケーディアを意外な調子でベルゼブブが諭す。いつかに虚飾の姫君に言ってやった持論を踏襲し、さも親しげにアケーディアの肩を抱くが……。
「……そういうものですか?」
「うん、そういうもんだぁね。いいかい? 僕らは最初っから、完璧ないい子である必要はないんだもん。もちろん孤独だとつまらないし、寂しいだろうから、多少は周りと上手くやっていく努力はした方がいいと思うけどん? だからと言って、そこを過剰に頑張らなくても、いいんだよ。……だって、僕達は悪魔だもの。欲望の赴くまま、したいようにする。それで十分でしょぉん? 言い訳は後から見つければ、いいじゃない」
「……そう、かも知れませんね。まぁ、僕に関しては、お咎めなしにはならないんでしょうけど。それでも……ハハ、本当に情けない限りですが。……何となく、この世界で生きていくのも悪くないと、最近は思うようになったのです」
「ふっふふふ〜、それはとっても素敵な事じゃない。だったら、ジメジメしてないで前を向かないと。そんなんじゃ、ドンドン底な憂鬱に逆戻りじゃなーい」
妙な具合に慰められて、抱かれたままの方をポンポンと叩かれれば、アケーディアの気分はいつになく晴れていく。そんな彼の手が緑色の鱗に覆われているのを、改めて認めて……何もかもを悟っては、最後にフッと息を吐く。
なるほど、ベルゼブブはベルゼブブでそれなりの「過去」を抱えながらも、前向きに生きてきたのだろう。もし、その直向きさが自分にもあったのなら。失敗せずに済んだのかも知れないと、アケーディアは後悔しかけるが……。
(いや……違いますね。随分と遠回りはしましたが……これで良かったのです。きちんと、生きていける場所が見つかったのですから。……フン。これはこれで、悪くありません)