3−36 欠けたピース
「そうか、良さそうな場所が見つかったか」
最近は慣例になっている、Bプランの後の寝室。茶を啜りながら、家を見つけたというハーヴェンの報告に耳を傾ける。候補地はローヴェルズとルクレスの境目に広がる森の中の洋館、とのことで……広さも十分だそうだ。
「明日引っ越すせるように、荷物はまとめておいたぞ。……つっても、服と本程度しかないんだけどさ。で……タンスの3段目が妙なことになってたけど。あれは全部持っていく、でいいんだよな?」
「……み、見たのか⁇」
「あ、あぁ……悪りぃ。荷物をまとめようと、気を利かせたつもりだったんだけど……。まさか、贈り物の箱と袋があんな風に再利用されているなんて思わなかったよ。箱の方からは“愛の小説シリーズ”が5冊も出てくるし、袋の方はなんか……白銀貨がごっそり入っているし……」
「いや、だって……綺麗な箱と袋だったし……。捨てるのも、忍びなくて……」
誰かが自分の事を考えて贈り物をしてくれるなんて、初めての経験だったのだ。そんな大切な思い出だから、箱も袋もなぜか捨てられなくて。きっと、雑な再利用方法だと思われているだろうが……私なりに無駄にしないように、工夫したつもりだった。
「まぁ、いいや。コンタローの次元袋を使えば大抵のものは収まるから、ほぼ手ぶらで移動できるぞ」
「次元袋……? もしかして、コンタローのポシェットのことか?」
「あ、あぁ。そういや、説明していなかったけか。そうそう、あのポシェット。あれな、次元袋っていう魔法道具で、ベルゼブブがコンタローやクロヒメに持たせてくれていたんだが。お前達も一緒だろうけど、自分の道具は専用空間に預けてたりするだろう? でも、それができるのは、簡略化したポータル構築をできる奴に限られて……そうだな、俺達の場合は目安として中級悪魔以上じゃないと、そんな芸当はまずできない。一方で次元袋は持ち主のレベルも関係なしに、次元袋専用の魔法空間に放り込んで保管することができるんだ。ベルゼブブはこういう魔法道具の錬成が上手でな。便利な道具を考案・発明するのが趣味らしい。あと……裁縫も得意だったりする」
「悪魔って、妙に家庭的なところがあるよな……」
「でも、あのカウチやソファのセンスは微妙だろ?」
「う、うん……」
「……あれな、実はベルゼブブのお手製だ。クッション部分は針でチクチク作ったんだと」
「⁉︎」
あのカウチとソファが……手作り⁉︎ あの妙にリアルでグロテスクなあれが、手作り⁉︎ 再現性の高さも含めて……色々な意味でベルゼブブが器用なことだけは、恐ろしい程に理解させられた気がする。
「あ、そうだ。ハーヴェン。今度、ベルゼブブに伝えて欲しいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「……アーチェッタの素材について、大天使3人に相談したんだが……」
「お、マジで? それで、それで? お答えはあったか?」
「まぁ、明確なお答えは頂けなかったのだが。私がルシファーに会うつもりである事を話したらな……オーディエル様も是非、ルシファーに会いたいと仰っていた。彼女も連れて行ってもらうことは、可能だろうか?」
「う〜ん。多分、ベルゼブブは大丈夫だと思うが……問題はリヴァイアタンとルシファー本人だろうな……」
「……リヴァイアタン? ルシファーだけじゃなくて、そいつも関係あるのか?」
「あぁ。ルシファーが籠っているのは、コキュートスの中でも最奥に近い部分でな。ベルゼブブの屋敷から辿り着くには、どうしてもリヴァイアタンの所轄地を通らないといけないんだよ。リヴァイアタンは羨望を司る悪魔なんだけど。超面倒な相手だから、お前だけでも結構大変だと思うが……神界のお偉いさんまで連れて行って、大丈夫だろうか……」
「面倒をかけさせてしまう話なんだな。……すまない、ハーヴェンなら何とかしてくれると思って、安請け合いしてきてしまった。断った方がいいだろうか?」
「ま、そういうことなら仕方ないな。近いうちに、ベルゼブブに手土産持って様子を伺いに行くから、頼んでみるよ」
「……本当に勝手に決めてしまって、すまなかった。しかも、今日は家まで見つけてきてくれて……。私はお前に何をしてやれれば、見合う報酬を与えてやれるのだろう……」
「お前、またそんな水臭いこと考えてるのかよ? 別になんもいらないさ。それこそ……たまにいい夢見させてくれれば、それで」
いい夢、か。果たして、私相手のそれは……本当にいい夢なんだろうか?
「それ……相手が私で、よく飽きないな?」
「飽きる? どうして?」
「いや、だって……」
「あ〜、体型のことはナシ、ナシ。気にしてないって、言ったろ? お前は毎回、色んな可愛い顔で反応するじゃん。いっつも強気なルシエルが、顔を真っ赤にしてさ。その顔は他の誰にも見せない表情だろうし……それを独り占めできるだけで、俺は満足なんだけどな」
「この……ハーヴェンの……悪魔」
「へいへい。俺はいつだって悪魔ですよ、っと」
悪戯っぽく応じる様子に安心していたのも束の間、そのまま抱き上げられる。今の私はきっと、彼が気に入っているという……情けない表情をしているのだろう。そんな私を見下ろす彼の表情は、一段と満足そうに笑っている気がした。
***
「……ハーヴェン、まだ起きてる?」
「あぁ、なんだ?」
「……前から聞きたかったことがあったんだけど、いいか?」
「ん?」
「……なぜ、私を殺さなかった?」
「殺す……? お前を、か?」
「初めて会った日のこと。申し開きする暇さえ与えずに、私は一方的に攻撃を仕掛けたが……結果はご存知の通りだった。だから、不思議で仕方なかったんだ。……あの状況なら、私を殺すのも簡単だったろう? どうして……自分を襲った相手を助けた? そして……もし、それが私じゃなくても……結果は同じだったんだろうか?」
「……」
「相手は……私でなくても、良かったのだろうか?」
私の問いにハーヴェンは驚くことも、怒ることもなく……静かに答える。
「他の天使だったら、殺していたかもな」
「どうして? 当時の私は、面白味もない相手だったろうに」
「お前と会ったあの時さ、実は……俺、頭が痛かったんだよ。とっても」
「……頭が痛かった? それ、まさか……」
「そう。お前の顔に誰かの面影を見た気がして、どこか懐かしくてさ。でも、それを確かめる時間さえも与えられなくて……。俺も負けるわけにはいかないから、そりゃ、必死だったよ? そうして、いつの間にか目の前に転がっている傷だらけのお前を見てたら……殺す気なんかには、とてもなれなかった。気がつけば、お前を抱えて休める場所を探して……この家を見つけて。疲れているはずなのに、がむしゃらに魔法なんか使って、何にも考えずに……バカみたいにさ。だから、きちんとお前が気づいてくれた時は……本当に嬉しかったよ。そして暖かいものを食べたい、なんて言ってもらえて」
「私が……誰かに似ていた……?」
「俺も初めは思い出せなかったんだけどさ。……お前が辛そうに諦めたような顔をしていると、なぜか頭が疼いてな。何とかして、笑ってほしかった。いつか見たあの子のように、って。……そればっかりだった」
その時点で、彼の言う「いつか見たあの子」は私ではないだろう。笑いかけることができない私が、彼の思い出に存在するはずもない。
「俺の思い出の中に、一際鮮やかな記憶があって。他の色彩はほとんど残っていないのに、その子の綺麗な青い瞳と……髪に添えてもらった赤いリボンだけは、色を失っていなかった。……女の子の名前はルーシー。当時は名前さえ忘れてたけど……初めてお前の名前を聞いた時、なんだかもの凄く嬉しくてさ。……年代も違うから、全くの赤の他人なんだろうけど。それでも、なぜか……お前が生きているだけで、安心できたんだ」
「それは……つまり、私はその子の代わり……ということか?」
何となく、分かっていた。ありのままの私を好きになってくれるほど、流石の彼も物好きではない事くらい。彼の記憶の中にいる女の子に似ていた。そんな理由がなければ……私はこの出会いを享受することさえ、できなかったのだ。
「……代わり、か。初めはそうだったのかもな。記憶がないとはいえ、別人だってことは分かっていたはずなのに。お前の帰りを待っている間に色んなことを考えては……否定していた。微笑んでもくれない相手に、何故そこまで尽くすのか? どうせ、他人の空似じゃないか……って」
「……」
「でもさ、やっぱり離れる気にもなれなくてな。……なんだかんだでお前は律儀に家に帰ってくるし、たまに泣きそうな顔してくるし。いつも何かを諦めたように、悲しそうな顔をしてたし。……このまま一緒にいれば、少なくともお前の居場所にくらいはなれるのかな、なんて考えてて。……お前さ、初めの頃は“私のことは放っておいてくれないか”なんて言ってたの、覚えてる?」
「あの時は……そればっかりだった気がするな」
我ながら、可愛げがなさすぎて嫌になってしまう。その上、彼がそんなことを考えながら毎日待っていてくれたともなれば……なんて思いやりのない言葉だろう。
「でも、放っておいてほしいなら、家に帰ってきたりしないよな」
「そう、だよな。つくづく我ながら、バカバカしい。本当は放っておいてほしくなくて、少しでも気にしてほしくて……でも、素直に甘えることもできなくて。ただ、目の前に出される料理が暖かくて、美味しいことだけが続けばいいなんて……投げやりに思っていた。それで満足できるほど、私は無欲でもないのにな。……呆れるだろ? でも、そんな私でも……代わりになれているのなら、それでいいのかもしれない」
絞り出した言葉とは裏腹に、涙が出る。
本当は代わりでもいいなんて、心にも思ってもいないのに。でもそれを言ってしまったら、彼はいなくなってしまうかもしれない。代わりであることが、一緒にいてくれる条件になるのなら。今の私には、その境遇を受け入れるしかないことも……分かっている。そんなこと、分かっている。でも、それが……何よりも悲しい。
「また、そんな嘘をつく。……もうそろそろ、平気なフリはやめろよ。平気じゃないことを、平気じゃないと言うことは別に悪いことじゃないと思うよ? まぁ、格好悪いこともあるかもしれないけど。平気じゃないことがない奴なんていないんだから、それを笑う奴は放っておけよ。……俺はそうやって、無理をしているお前が1番心配だ。そんな風に無理をするから、笑えないんじゃないか……と思ったりする」
「でも……平気じゃないこと、無理をしていることを並べ立てて……誰かに迷惑をかけるのは、ただのワガママだろう? 今の私に望まれているのが、代役だというのなら……それを受け入れることでしか、お前を繫ぎ止める術がないことくらい……それしかないことくらい、よく分かっている……」
「よく分かっている割には、納得していないみたいだけど?」
不安を見透かされたように言われて……コツンとおでこをくっつけられる。薄暗いはずなのに、見慣れているせいなのだろう。彼の瞳の色を鮮明に思い出している自分がいた。
「お前は、どうしたい? ……お前は、何が欲しい?」
「……一緒にいたい、側にいたい。……本当は代わりじゃなくて……」
私は欲張りだ。
本当はあるもので満足しなければいけないのに、今だって十分すぎるほど持っているのに。でも持っているものをどう組み立てても……求めている答えは出来上がらない。欠けたピースは彼が持っている。でも、それをねだれるほどの対価を……私は持っていない。
「前も言ったと思うけど、お前はもっと欲張っていいと思うぞ? ……お前は俺に、何を望んでいるんだ?」
「本当は……代わりなんて、嫌なんだ。代わりなんかじゃなくて……愛というものがあるのなら、それがほしい。……愛されたいし、許されるのなら……愛するということが私にも理解できるのなら、愛してみたい」
「……よく言えました」
生まれた時から《特別で神聖な生贄》だった私は、恋愛なんてものは知らない。
16歳になったらしい日。久しぶりに外に出してもらえた、あの日。窓の隙間からいつも眺めていた山に連れて行かれて、生き埋めにされた真っ黒な最後の記憶。そうして……一生が終わったと思ったら、背中に翼が生えていて。天使になったからには世界のために働きなさい、と教えられた。
だけど、それを教えてくれた人もいなくなって。その人を神界から奪ったことで、罰として翼を失って。守るものも信念も失った世界で……何かを好きになるなんて事、絶対にないと思っていた。
代わり映えしない色褪せた世界に辟易しながら、答えの出ない毎日がひたすら過ぎていく。
でもある日、そんな退屈な日常に……悪魔との出会いが混ざった。科学反応を起こすような彼との出会いは、少しずつ私の世界に色を吹き込んで……滲んで、混ざって、新しい色を添えて。
綺麗に半分になった月が力なく照らす、薄闇のベッドの上。優しく抱きしめられて、頭を撫でられて、包み込まれて、涙が止まらない目を閉じる。
どうやら私の懇願は、彼から欠けたピースを受け取るに値する答えだったらしい。カチリと嵌ったピースが私の中でギリリ、ギリリと歯車を回し始める。そうして……ただ涙を流す私を、彼は責めることも諫めることもなく。ひたすら、見守ってくれているようだった。