22−57 失望の真意
チラリとハーヴェンが背中越しに視線を送ってくる。そんな彼の仕草に……いよいよ、目的地間近なのだということも悟るが。一方で、私の提案をすんなりと受け入れていいのかどうか、ラディエルは悩んでいる様子。やはり……敵陣から乗り込んできた天使と契約を結べなんて、すぐに決断できることでもないか。
「……あの、ルシエル様。1つ、聞いていい?」
「うん。何かな?」
「マミーは私と契約、できないの? だって、元々は同じ天使だったんでしょ?」
「実際に会ってみないと分からないが……おそらく、できない可能性が高いだろう」
「どうして……?」
「精霊と契約できるのは、“マナツリーの天使”であることが条件なんだ。翼を失っていたり、堕天していたりと……マナツリーの監視外に出てしまうと、天使は契約の資格を失う。元を辿れば、精霊を作り出した霊樹の大元がマナツリーだからね。グラディウスの魔力を礎にしていようとも、ラディエルがこちら側のデバイスで精霊と認められた一方で……既にマナツリーの庇護下から外れたアリエルには、契約資格は残っていないだろう」
「……そっか。そうなんだ。やっぱり、ね……」
今にも泣き出しそうな、涙声。いや……もし、ラディエルに「涙を流す機能」があるのなら、彼女はとっくに号泣しているだろう。
(現実はどこまでも残酷……か)
彼女の質問の意図もよく分かるし、失望の真意も理解しているつもりだ。
そう……アリエルは確かに、かつては天使だった。しかし、今はグラディウスの女神として活動し、とっくにマナの庇護下からは離れてしまっている。きっと、ラディエルはアリエルが「天使ではなくなった」現実に、今の世界では彼女の活路が見出せそうにない事にも気づいてしまったのだ。
なにせ……グラディウスの神様は「嫌われ者」。このまま突き進んだところで、待っているのは信仰を集められない孤独のみだ。グラディウスを新しい霊樹として擁立できたとて、世界に住まう民にそっぽを向かれたままでは、霊樹の魔力は枯れずとも、神様の威厳は枯れてしまう。であれば、新しい世界を作ればいい……と、彼らはそう結論づけたようだが。生み出されるのがローレライの性質を色濃く残した精霊であるのならば、やはり信仰を集めるのは難しいだろう。信仰心はプログラムで生み出せるものではなく、人々の心から生み出されるものだ。自前の精霊に魂を搭載せしめれば、別の活路を見込めるのかもしれないが……やはり、それも厳しいと考えざるを得ない。
(サーチ鏡は想定外があろうとも、ラディエルを精霊扱いしていた。それはつまり、彼女が持つ魂はこちら側に与していることを示している)
ラディエルの精霊としての紐付け先がマナツリーである以上、アリエルが同じように精霊を生み出しても、グラディウス側に根付く可能性は限りなく低い。確かに、元を正せば現世の魂はゴラニア大陸に命が芽吹いてから自然発生したものだ。であれば、同じゴラニア大陸にルーツを持つグラディウスでも、マナツリーの代わりができそうなものだが……事はそう、単純ではない。
(……マナの原点もまた、ゴラニアの魂だった。しかし……彼女の場合、「強靭な魂」というタダシが付くようだが)
ラディエルが悩み続けている間、私はルシフェル様の報告内容を反芻しながら……現行世界では、新しい「唯一神」が君臨するのは難しいと密かに思い直す。
ルシフェル様との対話の中で、マナの女神は「他の女神」を新たに補佐として迎えることはよしとした様だが、世代交代するとは言っていない。いや……グラディウスの不出来加減からしても、世代交代できない事情があるとした方が正しいだろう。
おそらく、彼女は知っているのだ。自分と同等の魂がゴラニアではもう、芽吹きようがないことを。今の今まで天使は数多く生まれど、新しい神が生まれたことはなかった。もしかしたら、水面下では神に近しい者が出現したこともあったのかも知れないが……マナ暦が約3000年も続いている中で、マナがゴラニアの唯一神であり続けた事からしても、マナに匹敵する神が生み出される土壌は既になさそうだ。
(土壌……そうか、土壌か。それで、グラディウスは下降し始めたのか)
先程、ラディエルが言いかけていたが。どうやら、グラディウスはドラグニールを取り込むつもりでいるらしい。おそらく……グラディウスは強力な使者を擁するドラグニール、ついでにユグドラシルをも苗床とすることで、新しい唯一神として君臨しようとしているのだ。
霊樹には地脈の恩恵を受ける以外にも、急生長できる手段が1つだけ存在する。……他の霊樹を苗床として、芽吹くこと。その仕組み自体は霊樹の世代交代、或いは種の淘汰の延長でしかないようだが。同時に、苗床にする相手を滅ぼす手段にもなる。であれば……今は一刻も早く、プログラムを打ち込んで、グラディウスを止めなければ。
「とにかく、急ごう。少なくとも、ここで悩んでいても仕方のないことだ。だから……ラディエル。もし契約を悩んでいるのなら、無理にとは言わない。とりあえずは、選択肢の1つとして……」
「いいえ……契約、するわ。私、ルシエル様と契約……する。だって、どっちにしろ、このままじゃお先真っ暗だもの。マミーも、私も」
「そう。だったら、僅かな間かもしれないけれど……お願いできる?」
「うん!」
決心した後の心は軽いとばかりに、ラディエルが元気よく返事をしてくれる。そして……少しばかり、たどたどしいながらも、しっかりと契約を預けようと一生懸命に祝詞に記された得意分野と存在意義とを紡ぎ出す。
「私はラディエル。契約名……えぇと、メタトールの名において……うん、我が指先でマスター・ルシエルの未来を導くことを誓うわ」
指先で未来を導く……か。この内容からするに、ラディエルは出自だけではなく、祝詞も特殊なようだが。精霊帳(大元は神界の記憶台)が難なく精霊名を選出し、メタトール……“案内人”と名付けたとあれば。やはり、彼女はどこまでも「こちら側」の精霊のまま。……存在意義や出自の特殊性も、マナツリーにとっては許容範囲のうちなのだろう。