22−54 健やかに根を下ろせる場所
目指すはプログラムの完遂のみ。ラディエルの道案内に従って、グラディウスの不気味な廊下をひたすら行くが。……先程から、激しい衝撃音と揺れが頻発する様になってきたのが、気に掛かる。この様子はもしかして……。
「……外でまた、衝突が始まったみたいだな。かなり揺れてるぞ、これ」
「その様だな。それにしても……この感じだと、高度が下がってきているように思えるのだが……」
ハーヴェンが緊迫感のある面差しで、外に思いを馳せている一方で……私はガクンガクンと揺れるたび、自分を取り巻く空気の圧が少しずつ軽くなっていくのを感じていた。
「どうやら、ドラグニールとユグドラシルの結束が済んだ模様です。そして、今……このグラディウスと新生・ユグドラシルが衝突している状況になっております」
「そうだったの⁉︎ だとすると……」
「あぁ。シルヴィアとピキちゃん……それに、ドラグニールが上手くやってくれたのだろう」
シルヴィアにピキちゃん(クシヒメ様)、そしてドラグニール……延いては彼女を牽引し、制御を成功させた長老様。彼女達の互いに協力があってこそ、ユグドラシルはドラグニールを受け入れるに至ったのだろうし、ドラグニールもまた、世界のためにユグドラシルを食い荒らす事なく寄り添ってくれたのだろう。
「しかし……だからと言って、グラディウスが下降する理由にはならない気がするが……」
いくらユグドラシルが覚醒し、グラディウスに攻撃を仕掛けているからといって……こうも緩慢に下降し始めるものだろうか? それとも……浮力も魔力で賄われていて、激突によって消耗しているせい……とか、だろうか?
「ルシエル様、グラディウス下降の原因はどうやら……マナの女神の介入によるもののようです」
「へっ? マナの女神だって……?」
意外な登場人物に思わず、変な声を上げてしまうが。私の驚きも軽く受け流し、2号が淡々と説明してくれる所によると……プルエレメントアウトの追加発動は成功したものの、グラディウスの抵抗もあり、思うように効果を発揮できなかったらしい。鎖でグイグイと足を引っ張ってはみたものの、本格的にグラディウス崩落は叶わなかった。そんな膠着状態を打破しようと、マナの女神がひと肌脱ぐことにしたそうだが……。どういう成り行きでそうなったのかはよく分からないが、ヨルムンガルドがついでにひと肌脱ぐところか、生贄としてダンタリオンの魔法の餌食になったらしい……。
「……そういう事。要するに、この緩やかな降下はマナの女神の力添えがあってのものか。だけど……」
「うん……それ以前に、妙に物騒な事になったな。ま、まぁ……ヨルムンガルドにはマモンも手を焼いてるとかって、ボヤいていたし。聞く限りだと、ヨルムツリー本体は無事みたいだから……魔界的にも、問題ナシって判断になったんだろうなぁ」
そうなのか? これ……魔界サイドとしては、問題なしの判断になるのか? ヨルムンガルドは腐っても、一応は魔界の最高権力者だろうに……。
(地位があろうとも、弱ければ袋叩きにされる……か。やっぱり、魔界はどこまでも実力主義社会みたいだな……)
まさか、こんなところで魔界の住人達の常識を再認識することになるとは、思いもしなかったが。いずれにしても、女神までもが介入したとなると、グラディウスの崩落も時間の問題だろう。こちらも急がねばならない。
「なぁなぁ、ルシエル」
「どうした、ハーヴェン」
「ところで……どうして、グラディウスは空を目指しているんだろうか? そもそも、霊樹って地に根を下ろしてなけりゃ、いけないもんじゃないのか?」
「そうだな。……本来は、そうなるだろう」
「うん? 本来は……?」
急がねばと足を早める道すがら、ハーヴェンの疑問に答える。
彼の疑問は至極当然、ご尤も。霊樹は大地に根を張り、地脈の恩恵を受けて育つ……というのが、いわゆる常識だ。しかし、一方でドラグニールのように大地を離れた例も確かに存在する。彼女の場合はあくまで、自前の精霊を守るという大前提はあったが……そもそも独立できる程の魔力と、潤沢な魔力を生み出すことができる「竜族」という特殊な精霊を擁していた事実が幅を利かせている。ドラグニールと竜族は互いに支え合う関係性を構築できていたからこそ、大地からの脱却が許されたのだろう。それに加えて、ドラグニールは瘴気に対する抵抗手段として「バハムート」という強大な竜神をも遥か昔から用意していた。バハムートが生み出された当初、大地からの脱却計画はなかっただろうが……少なくとも、彼女の先見性に主だった死角はなかったように思う。
「……知っての通り、今の人間界は魔力以上に瘴気が潤沢な部分があってな。各霊樹の魔力量が減退していたのは、ユグドラシルの焼失を発端にした、瘴気の充満スピードが早まったせいでもあるんだ。……簡単に言うと。今の人間界はとっくに、霊樹が健やかに根を下ろせる場所ではなくなっているんだよ」
「そっか。それじゃぁ、ある意味で……今までの竜界の姿は理想だった、って事か」
「そうかも知れないし、そうとも言い切れない。土台でもある人間界から離れる事は即ち、他との交流断絶を意味する。もちろん竜族ほどの実力があれば、半永久的に引き籠る事もできたろう。だが……苦難も問題もない、平坦な平和は何よりも退屈なものでな。……刺激もないまま、存在意義も思い出せないまま。そんな生命の在り方が幸せかと、問われれば。……私はそれが幸せなのだと、全面的に肯定する事はできない」
「あぁ、それもそうか。……ゲルニカも言ってたっけな。竜族は引きこもったままだと、“精霊としての矜持を失ってしまう”……って。争い事の連続は懲り懲りだけど。仲直りするための喧嘩くらいはないと、退屈すぎて死んじまいそうだ」
喧嘩は仲直りする前提なのが、いかにもハーヴェンらしい。そんな穏やかな旦那の反応に安心しつつ、ひと時の談笑を楽しんでいるのも束の間。前を行くラディエルの足が、ハタと止まる。
「……どうしました、ラディエル」
「どうしよう、後輩ちゃん。多分なんだけど、神様はきっと……そのドラグニールを取り込むつもりでいるみたい」
「えっ?」
手のひらから受け取った情報に、明らかによくない内容を嗅ぎ分けたのだろう。本来は漏らしてはならないはずの情報を、ポロリとラディエルが溢す。しかも、「グラディウスが空を目指した理由」の発端まで話してくれるのだから……彼女もまた、こちらを相当に信頼してくれていると同時に、「なりふり構っていられない」のだろう。
「さっき、そっちの悪魔のお兄さんが言った通り……本当は、グラディウスも地面にいる方が良かったの。だけど、1番最初にグラディウスを稼働させた天使が、勝手に空を目指し始めたから仕方なしに浮いたままだった……のが本当の理由みたい。ルシエル様が言っていた“下降”は多分、神様の計画のうちだと思う。そして……キャッ⁉︎」
「ど、どうしたの、ラディエル⁉︎」
入念にグラディウスの情報を探っていたラディエルから、鋭い悲鳴が上がる。そんな彼女の元に、2号がすかさず駆け寄るが……見れば、彼女の右腕が綺麗に吹き飛んでいるではないか。もしかして、この反応は……。
「……どうやら、感づかれましたか?」
「だろうな。だとすれば、このままだとラディエルも危ないし……何より、アリエルの状況も悪化していることが考えられる」
「そ、そんなッ! マミー、大丈夫なの⁉︎」
自分の腕が吹き飛んだことよりも、母親を気に掛けるか。……本当に、この子はどこまでアリエルを心配しているのだろう。
「アリエルが無事かどうかは、分からないが……私とてさっき、善処すると言ったばかりだ。その約束を反故にするつもりはないし、ここまで来たら全力でやってやるさ。だから……」
「そうだな。ここはとにかく、急いだ方が良さそうだ。だけど、さ。ルシエル……」
「……分かっている。ラディエルの傷を治せないのか、だろう? もちろん、回復も善処するよ。ここできちんと役目を果たせないのでは、大天使の名が廃る」
機神族(しかも、グラディウス産)の傷までもをカバーできるのかは、未知数だが。「欠損を伴う怪我」の治癒はリフィルリカバー一択だろう。
「深き命脈の滾りを呼べ、失いしものを今一度与えん。リフィルリカバー! ……どうかな? 問題なさそう?」
「うん……大丈夫みたい。そっか、天使様がいれば私の傷も治せるんだ。だけど……」
「あぁ、分かっている。ここからは今ある情報でとにかく進むしかなさそうだ。……ラディエルを拒絶したのを見ても、グラディウスはこちらに気づいた上で、敵と認識していると思う。だから……」
「……いいえ。多分、違うわ。そうじゃない」
「えっ?」
「なんとなくだけど……あなた達には気づいていないと思うの。神様が敵と認識しているのは、私だけじゃないかしら」
「それ……どういうこと?」
きちんと生えたばかりの腕を摩りながら、悲しそうにため息を吐くラディエル。そうして、ポツリポツリと……これまた、明らかにこちら側に漏らしてはならないだろう「内情」を吐露し始めたが。どうやら……神様の「捻くれ加減」は一朝一夕で出来上がったものではなかったようだ。