3−35 妙な勘違いと妙な幻想
アーチェッタの「素材」について、ラミュエル様に相談しようと思ったが。何故か、大天使3人が勢揃いしているところに呼び出されてしまった。しかも、それぞれの大天使付きの記録係が控えていて……当然ながら、ラミュエル様の後ろにはマディエルもきちんと控えている。だとすると、質問の趣旨はさておき……迂闊な事は言わないようにしなくては。
「ルシエル。急に呼び出して、ごめんなさいね」
「い、いえ、大丈夫です。まぁ、大天使全員が揃っている席にお呼び出しいただくとは、思ってもいませんでしたが……。本日はいかがいたしましたか?」
「いや、最近悪魔……ハーヴェン様ありきで任務が回っているように思えてな……。そもそも、こうして私達が同じテーブルに着くなど、以前はあり得なかったことなのだが。今ではこの通り、『愛のロンギヌス』のおかげで共に話し合いができるようになるまでになってな……」
威厳たっぷりに応じるオーディエル様のお答えは、内容は前向きだが、ややトーンが暗い。まさか……今更になって、ハーヴェンの存在が問題になったのだろうか?
「お言葉ですが……ハーヴェンは別に、人間界に危害を加えるためにやってきたわけではなく……」
「あぁ、すまない。そういう意味ではない。私達が話し合っていたのは……世界を真に救うには天使だけの力では成し得ないのではないか、ということだ」
「それは、つまり……悪魔の力も借りたい、ということでしょうか?」
今ひとつ要領を得ない私に……今度はミシェル様が答える。
「君達の様子を見ていて……悪魔と仲良くするのもそんなに悪くないんじゃないか、と思っただけ。……ただ、悪魔の方はそう思っていないはずだもの。それこそ、人間界に出てきたら……否応無しに彼らを排除してきた部分もあるし。だから……今までしてきたことを水に流して仲良くしましょう、なんてわけにはいかないと思う。少なくとも、ボクが逆の立場だったら、許さないだろうなぁ」
「そこで、だ。君とハーヴェン様がどのようにして、そこまで手を取り合えるようになったのか、教えて欲しくてな。純粋に羨ましい以前に、そろそろ私達は頭を冷やさなければいけない段階に入っているのだと思う。……それでなくとも、恥ずかしながらちょっと前までは、天使の中でさえ派閥に分かれて啀み合っていたのだ。ようやく、輪を築くことはできたが……きっかけをくれた君達の話を、ぜひ参考にしたいと思ってな」
どのようにして手を取り合った、か。そもそも……私達の場合は手を取り合ったのではなくて、向こうが手を差し伸べてきたのだ。しかし、彼がその気まぐれを施してくれた理由は……私にも分からない。
「……正直な所、私の方でも理解しかねる部分があるのです。たまたまハーヴェンがお人好しだったのと、悪魔になる前の性格が大きく影響しているのだとは思いますが……。私は最初に彼を発見した時は討伐しようと、一方的に襲いかかりました。しかし……情けないことに、ロンギヌスを使ってもハーヴェンに完膚なきまでに敗北しまして。その結果的に、手当もされて食事まで振舞われるという、意味不明な状況に陥りました」
私の答えに、3人とも驚いた表情を見せている。ハーヴェンに負けたことはラミュエル様にも伝えてあったが……よもや、そこまで相手任せの成り行きだと思いもしなかったのだろう。
「ハーヴェンは料理を美味しいと言ってくれる相手を探して、人間界にやって来たそうでした。……今思えば、それも結局のところ……“誰かの空腹を満たす”という、優しすぎる欲望から生まれたものではあったようですが。その欲望を満たすため、人間界で過ごす事を考えた時に、私と契約して“精霊になる”ことを思いついたようです。要するに、私は彼の気まぐれと提案に助けられて契約を預けられたに過ぎません。そして……彼が気まぐれを私に恵んでくれた理由は、未だに分からないのです」
「そうだったの……。もしかして、ハーヴェンちゃんが初めて会ったのが、ルシエル以外の天使だった場合も……同じ結果になっていたのかしら?」
ラミュエル様が当然の疑問を呟く。認めたくはないが……その可能性は非常に高いだろう。
「……おそらく、そうなったでしょう。私は……運が良かっただけなのかもしれません」
悔しいが、私には彼を満足させるだけの魅力はないように思える。
それでなくとも、彼が望んでいた「美味しい」を言うのにだって、向こうの時間で3ヶ月もかかったのだ。そんな相手にここまで付き合ってくれるのだから、ハーヴェンのそれは優しいを通り越して、純粋にお人好し過ぎると言わざるを得ない。
残念ながら、私は明確な答えを期待をしていたはずの3人を満足させる答えを持ち合わせていないし、何を言えば良いのかも分からない。しかし、折角大天使が3人もいるのだ。ハーヴェンからの提案を伝えるのには絶好の機会だと判断して、話の向きを変える事にした。
「ところで、話は変わりますが……ハーヴェンが魔界で例の部屋の素材について、ベルゼブブから意見を聞いてくれたみたいでして。……非常に興味深いことを申していました」
「魔界のベルゼブブ……? はて、確か……」
ミシェル様が小首を傾げる。どこかで聞いたことはあるが、相手がどんな悪魔か想像ができない、といった様子だ。
「暴食の悪魔を束ねる真祖の1人で、ハーヴェンの親玉にあたる悪魔です。……少々、美的センスに難がある相手ではありますが、面倒見がいいところはハーヴェンと同じでして。実は、この指輪もベルゼブブが贈ってくれたものなのです」
「ほぉ〜。指輪って……噂のマリッジリングのこと?」
実物は初めて見ると興奮しながら、私の薬指を凝視するミシェル様。……あぁ、そう言えば。既にミシェル様も、呪いに陥落済みだったっけ……。
「え、えぇ……そうです。ベルゼブブは千年単位で生きている大悪魔だそうで。彼の見立てだと、あの部屋の物質は光属性に耐性があるか、魔力を吸収する性質を持つ素材では……との事でした。そして、出どころは神界である可能性が高いそうです」
「……まさかあの情報だけで、そんな見方ができるとは……‼︎ ハーヴェン様といい、そのベルゼブブといい。悪魔は随分と切れ者が多いようだな。ますます、興味が湧いてくる」
どうやらオーディエル様は私とハーヴェンの関係性以前に、悪魔に対して興味を抱いているようだ。彼女の面差しは浮かれた様子ではなく、真剣そのものだ。
「そのことで……ハーヴェンからもお願いがありまして。彼は彼の方で、ベルゼブブを通じてルシファーに素材のことを聞いてくれるそうですが、こちらの方でも思い当たる素材がないか調べてくれないか、とのことでした。……確かに神界で調達されたものであるならば、こちらでも調べた方が早いでしょう。それと同時に、私の方もシールドエデンの件も含めてルシファーに会って話をしてみたい、と申し伝えてあります」
「ルシファー⁉︎ って、神界の最初の天使の1人で、かつて天使長だった人よね? そんな大物が、魔界にいるの⁉︎」
何気なく溢した内容に、ラミュエル様が驚くついでに、前のめりになる。最近、ラミュエル様の反応が少しばかりアグレッシブに感じられるが……気のせいだろうか。
「えぇ。彼女は今、傲慢の大悪魔として魔界に君臨しているそうです。とは言え……かなり気難しい相手のようですので、会うときはそれなりの覚悟をしろ、と言われました。ハーヴェンのことですから、良しなに渡りを付けてくれるとは思いますが……」
「であれば、私も是非、同行してルシファーにお会いしたい。魔界に興味があるのももちろんだが、調和の大天使が不在の今の神界では、彼女のようなまとめ役が必要だ。しかし、今の大天使はいずれも、その素質が足りていない。故に……まとめ役に必要な素質を、かつての天使長に会って確かめたいのだ。……私はどうも、自分の規律を守り過ぎるゆえに柔軟な考え方をすることができず、必要以上に周りを攻撃してしまう。直さなければいけないのは分かっているのだが、どうもうまくいかないことが多くて……どうすれば良いのか、分からないことがある」
オーディエル様が申し訳なさそうに呟く。
「ボクはどうも、他人任せで何事も他人事として考えがち……かもね。善良な魂を扱う立場だというのに、今ひとつその繰り返される輪廻さえも惰性に感じてしまって。身が入らないことがあるの。注意力散漫、ってやつだよねぇ」
今度はミシェル様が自虐的に言い放つ。
「私は……立派過ぎた姉様と違い過ぎる自分と向き合うこともせずに、逃げてばかり。目の前の面白いこと、楽なことに目が行きがちで……本来知らなければいけないこと、分からなければいけないことから、目をそらし続けている。……もうそろそろ、姉様離れしないと」
最後にラミュエル様が私、ダメねぇ、と悲しそうにため息をつく。
何だろう……。妙な反省会の流れになりつつあるが、今は落ち込むところではないだろう。少なくとも、旦那はそう言うに違いない。
「でしたら、ハーヴェンにオーディエル様も是非、ルシファーに会いたいと仰っている事を伝えておきます。日取りが決まりましたらお伝えしますので、お待ちいただけますか?」
「あぁ、よろしく頼む」
「かしこまりました。できる限り、便宜を図ってもらえるよう、お願いしてみます。……それと、今はみんなで落ち込むところではありませんよ。気まぐれだったとしても、彼らは私達に知恵を貸してくれているのです。でしたら、こちら側もできることはしなければ、あちら側に申し訳が立たないでしょう? 失敗しない者、後悔しない者などいません。後ろを向いたままでは……見えたはずの光でさえ、見逃してしまいます」
「……そうね。まだ、私達にもできることがあるはずよね。改めて、ハーヴェンちゃんに伝えてくれる? こちらの都合ばかりで申し訳ないけれど、力を貸して欲しい、って」
よし。とりあえず、落ち込んだ空気は持ち直せたか。この調子であれば安心……。
「それと……この間はクッキーをありがとう、って。とっても美味しかったわ〜。なんだか懐かしくて、優しくて」
しかし、私が安心していたのも、束の間。ラミュエル様はハーヴェン繋がりで「余計な事」を思い出した様子。少し上向かせるどころか、急激にテンションを上げてはしゃぎ出した。
「クランベリーに、キュンキュンさせられっぱなしだったわ〜!」
「そうそう。あれ、本当に美味しかった。ボクもちゃっかり、頂いちゃったんだけど。いやぁ〜……悪魔って、お菓子作りが上手なんだね〜」
「あ、いえ……。料理に関してはハーヴェンが特別なだけで、悪魔が全員お菓子を作れる訳ではないと思いますが」
「そう、なのか? 何れにしても、私もクッキーを頂いてな。憧れのハーヴェン様からの差し入れ、というだけでも嬉しいのに、あの美味しさときたら! まるで、夢のようだった!」
さっきまでのしんみりした空気はどこへやら。例のクランベリークッキーの話題で、見事に全員が乙女モードに入り始めるのだから……色んな意味で危うさを感じる。……妙な勘違いと妙な幻想。それでも、この場はとりあえず……彼女達が満足したのであれば、それでいいのかもしれない。