22−38 根深い同族意識
神父の姿が窶れていくと同時に、彼の変化に比例するように霊樹・グラディウスの外観が変わったことは当然ながら、セフィロトの知るところではある。その姿は某大天使はおろか、殆どの者に「新しい神様は、趣味が悪いのかも知れない」と思わせるレベルのものであったが……もちろん、彼にも一定水準の「美的センス」ないし、「理想の偶像イメージ」は存在する。ただ、今は外観にこだわる事よりも、霊樹の存在を確固たるものにする事が優先事項に定められているだけだ。
「フン、いつまでも諦めの悪い……!」
だが、余分な部分を切り離してみても、女神の両足にはしっかりと鎖が巻き付いている。文字通り、足を引っ張られる格好になった女神は、8枚に増えた翼で懸命に自由をもぎ取ろうとしているが……根底部分から何かを抑えられているのか、鎖が解ける気配もない。そしておそらく、鎖の追尾を可能としている存在と、神父を急激に衰弱させた存在とは無関係ではないだろうと、セフィロトは踏んでいた。
「であれば……やっぱり、誰かに様子を見てきてもらう必要がありそうかな」
「そうなの? でしたら、私が……」
「いや、アリエルはここにいるんだ。……不測の事態に陥った時に、頼りになるのは君だからね」
「……」
やはり、無条件に放免とはならないか。様子を見に行くついでに、赤い冠の解放手段も見つけ出そうと目論んでいたが、アッサリと却下されてしまっては仕方ない。しかし、それもそうかとアリエルが素早く思い直した所で、状況は好転する気配もなかった。それどころか……セフィロトの思わしげな眼差しの先に、ラディエルが佇んでいることにも気づいて、アリエルはフルリと震える。もしかして……。
「しかも、如何にもこうにも……人手が足りない。グラディウスが作り出す機神族は魂がない分、知性にも乏しい。組み込まれた命令に従う機能と、ちょっと口答えする程度の言語しか持ち得ない。それに……指揮を任せていた神父も、この有様だからね。でも……そっちのソレは違うんでしょ?」
「ちょ、ちょっと待って、セフィロト。確かに、ラディに魂があるのは間違いないわ。だけど、この子はたくさん生み出せる訳では……」
「あれ、そうなの? 女神ともなれば、適当に魂を見繕って生命体を作れるって思っていたのだけど。だって……ほら、マナの女神だってそうやって作ったんでしょ? ……君達、始まりの天使を」
セフィロトの指摘は、確かに間違ってはいない。アリエルも、ルシフェルも……そして、彼女の妹達も。マナの女神が人間界の荒廃を憂いて、魂を見繕って作り上げた「娘達」である。ただ、誕生に生殖を必要としていなかっただけで、肉体と魂魄が紐づいて「生きている」という仕組み自体は普遍的な生物のそれと大差ない。
しかし、一方で……搭載される魂は「何でもいい」という訳でもないことを、アリエルはラディエルの「失敗例」からそこはかとなく理解していた。
どうして、自分は「マナにとっての失敗作」だったのか。どうして、天使長・ルシフェルは「マナにとっての最高傑作」だったのか。もちろん、原因としてはマナの不手際、ないし経験不足も大いにあろう。だけど……そもそも、彼女達の個性を生み出す根源である魂そのものに明確な差異があった事が、アリエルの誕生に影を落とす原因だったのだ。
「……悪いのだけど、ここには新しく誕生させるだけの価値がある魂は存在していないわ」
「へぇ、そうなの? 魂って……そういう基準、あったんだ?」
「みたいね。……きっと、女神として馴染んできたせいでしょうね。今なら、分かるのよ。魂にはとある基準による、明確な差があるって事が。言っておくけど、善人と悪人だなんて、陳腐な違いじゃないわ。……きっと、魔力と融和しやすい性質なのか、そうじゃないのかで、ヒトとナリはともかく……魔法生物として生み出された時の能力にはハッキリとした差が出るものなのだわ。……だから、私は失敗作だった。マナが手探りでとりあえず、手近な魂で作っただけだったのだもの。……最初から、最高傑作になれるはずもなかったのよ」
キュッと唇を引き絞り、悔しさに俯くアリエル。一方で、そんな彼女を前にして……「神様」と「娘」の反応もまた、鮮やかなまでに異なるものだったが。悲しそうな表情からするに、2人ともアリエルを心配しているのは間違いなさそうだ。
「マミー……別に、マミーはみんなの最高になる必要はないと思うの。……私はマミーがマミーでいてくれれば、それでいいわ」
「ラディ……」
「そんなんじゃ、困るよ、アリエル。君は僕にとって1番であると同時に、新しい世界にとっても最高傑作じゃないといけないんだから。……失敗作が母親代わりだなんて、許さないからね。だから、これからはその分も頑張ってよ」
「……そう、よね。こんな所で弱音を吐いたら、ダメよね。ふふ……2人とも、ごめんなさいね。……別に、最初が失敗作でもいいじゃない。これから最高傑作になればいいだけの話だもの」
ラディエルの反応はある意味で予想通りだったが、セフィロトの反応は少しばかり、アリエルには予想外のものだった。しかし、「あぁ、そういう事か」と……それなりの理由にも思い至っては、ひきしぼっていた唇を柔らかく緩ませる。
おそらくだが、セフィロトも何だかんだでアリエルに根深い同族意識を抱いているのだろう。アリエルのようにただ作られただけではなく、セフィロトの方は彼女が「腹を痛めて」産み落とした「神の御子」。それなのに……セフィロトは呆気なく「見捨てられた」のだから。マナから冷たい仕打ちを受けたという被虐意識(被害妄想とも言う)は、互いに並外れたものがある。
とは言え……セフィロトの場合は、アリエルが彼を秘密裏に拐かしただけなのだが。セフィロトの膨大な記憶にあって尚……彼のマナの女神との思い出は、「捨てられた」という彼側の事実に占領されている。そして……セフィロトには思い出を修正する機会にも、思い出を是正する出会いにも、恵まれてこなかった。だから、彼の中では「捨てられた」という現実は、確固たる真実としてしか存在しない。
「……分かったわ。取り敢えず、今は様子を見に行ってくれる誰かを作ればいいのね?」
「そうなるね。……あ、ただ、できるだけ無個性な奴の方がいいな。じゃないと、君は無駄に感情移入するのだもの。……これ以上、君が気を掛ける相手を増やされてもつまらない」
しかしながら、セフィロトは独占欲も相当に強い様子。ラディエルに険のある眼差しを注ぐことも、忘れない。
「……だったら、マミー。私が行ってくるわ。……神様のお望み通りに」
「えっ? な、何を言っているの、ラディ。あなた、あんなに酷い目に遭わされたの、忘れたの?」
「……だって、悲しいじゃない。私みたいなのが生まれるのも、そうだけど……無個性で作られたら、その子は何のために生まれたんだろうって、きっと悩むわ」
「だけど……」
「私、分かってるの。私の個性は適当に見繕った魂に、マミーが感情を注いでくれたから出来上がったものだって。……マミーは多分、どんな魂が相手だって、きちんと気持ちを込めて作っちゃうんじゃないかな。だから……私が行った方がいいと思う」
それに……と、ラディエルは言いかけて、キュッと口を噤む。間違いなく、その先は「神様」の耳に入れない方がいい企みだ。
「それじゃ……行ってきます、マミー。もし、帰って来れたら、ギュッてしてくれる?」
「もちろんよ。それに……“もし”なんかじゃなくて、絶対に帰ってくるのよ? いいわね?」
「うん!」
執拗に女神に固執する神様の御前である以上、過度なお見送りはできない。それでも……「娘」の小さな背中に、何かの決意を感じ取っては、アリエルはラディエルの無事を祈らずにはいられなかった。