22−20 微妙に感動的な感じ
「ヨォ、お前さんも元気そうで何よりなこったな、アリエルさんとやら。随分と手荒いご挨拶、ありがとさん……っと」
多分、このガキが言う「マミー」はあの裏切り者の事なんだろう。見た目こそ、知っている姿とかなりかけ離れているが。……魔力の感じからしても、間違いない。こいつは嫁さんの同僚だった、アリエルっていう天使だ。
「なるほどなぁ。お前さん、向こうさん側でお偉いさんになったんだ? 大層な冠をくっつけて、ご立派なことで」
元は下級天使だったはずのアリエルは、真っ赤な冠を頭に乗っけて、女神様気取りと来たもんだ。もちろん、俺達悪魔にしてみれば、天使ちゃん達の階級(翼の数)は関係ないけれど。こうも嫁さんを差し置いて大出世されると、なーんか面白くない。
「別にそういう訳じゃないわ。……さ、その子を返して。さもないと……」
「さもないと? さて、どうするんだ?」
「こうするのよッ!」
耳を擘くような怒号と一緒に、手を挙げるアリエル。しかし、どうやら狙いは俺じゃないみたいで……すぐ背後で何かが蠢く気配を感じたと同時に、聞き捨てならない悲鳴が上がる。
「キャァッ⁉︎」
あっ、そう言えば。すぐ後ろにリッテルがいるのを、すっかり忘れていたな。見れば、嫁さんはドス黒い根っこに縛り上げられて、宙吊りになっている。
「リッテル!」
「……お嫁さんを自由にして欲しかったら、ラディも返して頂戴。……そうすれば、すぐに解放してあげるわ」
「お前さんの言い分を、そのまま信じられるとでも? それに……あぁ、あぁ。なんと申しますか。ホントーに、お前さんは色々と残念な奴だよな」
「それ……どういう意味かしら?」
「あ? あぁいう意味に決まってんだろ?」
「あっ……」
ハイハイ。残念でしたね、女神様。俺が嫁さんの防衛に手を抜く訳、ないだろーが。俺がクイッと顎を向けて、状況を示してやれば。きちんと役目を果たしている、お利口な「腹心」の姿がある。うんうん、やっぱり是光はここぞという時に頼りになるな。
「……よくやったぞ、是光。それでこそ、お前をリッテルに持たせている甲斐もあるってもんだ」
(無論です、お館様! 某は何よりも、妻君の笑顔を守りたいッ!)
「そーか、そーか。そいつは感心なこったな」
リッテルは確かに、天使の中でも弱い部類に入るに違いない。そんでもって、俺の「弱み」になることも、薄々は理解できる。だから、俺じゃなくてリッテルを狙ったんだろうが……それ、無意味な上に逆効果だからな?
「リッテル、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫よ。ちょっと、驚いたけど……ウフフ。是光ちゃんが助けてくれたもの」
(某は当然の事をしたまでですよ、妻君。あぁぁ……あなた様の花のような笑顔を賜われるのであれば、某も身を振るった甲斐があるというもの)
「まぁ! 是光ちゃんったら、お上手なんだから」
是光のお陰で、嫁さんは無事も無事。1人と一振りで、キャッキャとはしゃいでいらっしゃる。……しかし、アフターフォローの茶番まで披露してくれちゃう必要はないんだけどなぁ。
「さて、と。テメー、覚悟はできてんだろうな? ほんの一瞬とは言え……嫁さんを傷付けたからには、タダじゃおかねーぞ……?」
「……!」
そうして、今度はカリホちゃんから雷鳴に手持ちをチェンジして、縦一閃。激しい閃光が迸った刹那に、アリエル目掛けて電撃の束が牙を剥く。だけど……見た目通り、相手は地属性っぽいな。女神様は涼しい顔をされて、当然のように防御魔法で攻撃を防いでくる。
「そんじゃ、お次はコイツで行こうかな……っと! 風切り! あいつの魔法、全部食っちまいな!」
(もちろんじゃ、主様! 麻呂を存分に振るうておじゃれ!)
女神様も魔法防御は得意かもしれないが、魔法を食われるのは想定外だったんだろう。対する風切りは生憎と、強制的に魔法の効果を解除するのが得意技だったりする。単体の攻撃力はそこそこだが、攻撃範囲がとにかく広いのと、小回りが利くのがとっても良い感じだ。
「あなたの武器……本当に、厄介だわ……!」
「あ? 今更、何言ってんだよ。成り立ちはちょいと複雑で、事情まみれだが。こいつらはそれぞれ、一級品の魔法道具でもあるんだ。お前さん程度がみみっちく立ち回ったところで、コイツらの攻撃を防ぐのは不可能だぞ」
そんじゃ、次は……大本命の十六夜で行ってみますかね。コイツを前にしたら大抵の相手は、成す術なくあの世行きだ。しかも、魂も残してくれない意地悪付き。
「そ、それ、まさか……あの、魂を食べるって言う……」
「お前さんも十六夜を知ってるんだ? ……あぁ、そうか。そう言や、俺の情報も天使ちゃん達側に渡っていたっけ。だったら、超不本意だな〜……裏切り者にまで、情報を有効活用されるのは」
十六夜の威容を前に、いよいよ怖くなったんだろう。モクモクと呪いを吐き出し始めた妖刀に、アリエルが本格的に怯え始めた。
「魂を取っちまえば、こっちのモンだ。いくら女神様とは言え、復活はできないだろーさ。そんじゃ……」
「マミー、逃げて! 私の事はいいから……お願い、早く逃げて!」
「……あ?」
そうして、十六夜が冗談抜きでヤバい奴だって察知したらしい。左手にぶら下げたままのクソガキから、なんとも健気な「お願い」が飛び出すけれど……。
「何を言っているの、ラディ! あなたを置いて、逃げられないわ!」
「でもッ! 私みたいなのは、また作れるんでしょ? だったら、いいじゃない。……作り直せば」
「そんな訳、ないでしょ⁉︎ ラディはあなただけなのよ。作り直すだなんて、軽々しく言わないで!」
「だけど……!」
……う〜ん、なんだろね。この物凄〜く切なくて、微妙に感動的な感じ。しかも、俺の立ち位置……完璧に悪役なんですけど。
「ねぇ、あなた……」
そんな情景を前に、嫁さんは憐憫を刺激された様子。リッテルに上着の裾をツンツンされて、仕方ないなとため息を吐く。
悪魔的には悪役ポジションはアリだけど……リッテル的にはナシなんだろうな。こんな事で嫁さんに薄情者だって思われるのもつまらないし……何より、この程度の相手を見逃したところで、大した障害にはならない気がする。……いよいよになった時に、改めてバッサリ行けばいいだけだ。
「あぁ、もう……なんつーか。興醒めだなぁ。そんで? お前、ラディって言うんだな? だったら……ほれ、ラディ。サッサと行けよ。マミーはお前を見捨てられないって、言ってるぞ」
「えっ?」
「……気が変わった。俺は弱い者イジメは嫌いでな。ここまで弱っちぃ相手をいたぶるのも、つまらん」
「……」
何かを諦めて、そっと足元にラディを下ろしてやれば。メタリックな見た目の割には、意外と表情豊かなお顔を歪めて見せるものの……マミーが余程恋しいと見えて、解放された後は脇目も振らず、一目散にアリエルの元へ走り出す。
「マミー!」
「あぁ。ラディ、可哀想に……! 天辺に帰ったら、すぐに怪我を治してあげるわね。だから、しばらく我慢できる?」
「うん、大丈夫」
今度は本格的に感動のワンシーンを見せつけられると、もうもう、俺の方は戦意喪失もいいトコロ。……ここは黙って立ち去るとするか。
「それはそうと……どういうつもり?」
「……あ?」
だけど、女神様には俺の行動がどうしても不可解に思えるらしい。ヨシヨシとラディをあやしながらも、俺には疑いの眼差しを向けてくる。
「別にこれと言った理由はねーよ。さっきも言った通り、気が変わっただけだ」
「本当に、それだけ? 油断させておいて、後で攻撃してくる……なんて事はないわよね?」
「まぁ! 主人がそんな卑怯なことをするはず、ないでしょう⁉︎ グリちゃんはとっても真面目で、優しいのよ?」
「……リッテル、そこまでバラす必要はねーぞ。そもそも真面目で優しいとか、悪魔としてはかなりの減点要素なんですけど……?」
まぁ、今更そこを訂正する必要はないか……。どーせ、俺はとっくの昔に悪魔失格っぽいし。どこかの誰かさんみたいに、自分は精霊なんだと割り切っちまった方が気分もいい。
「あ、そうだ。疑われついでに……一応、これだけは言っておこうかな。お前さん、そのままで本当に大丈夫か?」
「……何が、かしら?」
「その冠、とっても嫌な感じがする。魔力の感じからして、きっとそれなりの魔法道具なんだろうけど。……使わない時は外しておいた方がいい。もし、そいつを被ることを強要されているんなら……あっ、これ以上のご親切は野暮かな。その様子だと、言われずとも分かっているんだろーし。ま……いずれにしても、強がるのは程々にしておけ」
「……」
***
「マミー……?」
結局、リッテルを使っても例の大悪魔には歯が立たなかった。それでも、本当に「それ以上は何もしてこなかった」彼と別れた後。アリエルは彼に言われた事を反芻がてら、ゆっくりとグラディウスの廊下を進む。そんな母を心配そうに見上げるラディエルだったが……彼女が今にも泣きそうな顔をしているのを認めると、涙を流せないにしても、つられて悲しくなってしまう。
「……大丈夫よ、ラディ。私は何があっても、あなたも、新しい世界も……全てを愛してみせる」
「だけど……その冠、外せないんだよね? マミーはもしかして、私のせいで……」
「別に大した事はないのよ? ただ、新しい神様の鎖に繋がれただけだから。……あなたが心配する事は、何もないの」
もちろん、アリエルとて強欲の真祖が言いかけた「これ以上のご親切」の中身は理解している。何だかんだでお人好しらしい彼は、鮮やかにアリエルの苦境も見抜いては……それとなく、無理はするなと言ってくれたのだろう。しかし、アリエルはもうグラディウスからは逃げられない。赤い冠を戴いた以上、何がなんでもグラディウスの玉座に座らなければならないのだ。そこには新しい世界への希望も、輝かしい未来もないに違いない。だけど……それでも。
「ラディ。これからは何があっても、ママと一緒に頑張りましょうね。約束できる?」
「うん、約束するわ、マミー。それと……助けに来てくれて、ありがと」
殊の外素直なラディエルの返事に、ようやく微笑みを見せるアリエル。そうして、今の自分は孤独ではないと再認識できれば……そこまで苦痛でもないはずだと、アリエルは「女神であること」の覚悟をし直していた。