22−18 即席の生命体
(えぇと、この辺りかしら……? って、これは一体?)
アリエルの言いつけをしっかり守って、ラディエルが「反応のないエリア」の様子を見に来れば。そこには、床を紫色に染める見慣れない花がびっしりと繁茂していた。そうして、花が咲いている箇所を避けて廊下を辿っていくと……陰湿な廊下に似つかわしくない、陽気な鼻歌が聞こえてくる。しかも、片方は艶のあるテノールだが、もう片方はお世辞にも上手いとは言えない音痴加減で。
「ふんふふ〜ん♪ ふんふふ〜ん♪」
「ふふふ〜♪ うふっふふ〜♪」
恐る恐る、角の影から声のする方を窺えば。そこにはご機嫌な様子で何かの種を蒔いている男女の姿があった。……どうやら、彼らは仲良くこんな所で園芸に勤しんでいるらしい。2人がきっちりとお水を撒いた途端に、ラディエルが辿ってきた紫の花がニョキニョキとグラディウスの床を制圧していく。
(あいつら、誰かしら⁇ しかも、魔力反応がなくなったのは……あの花が原因なのよね、きっと……)
意識を集中してみれば、花が咲いた場から「お城が死んだ」事にも気付くラディエル。そして、足元の光景は美しくはあるものの、明らかに自分達に害を為すものだと理解して……そろりそろりと、その場を離れる。
ラディエルは生意気ではあっても、馬鹿ではない。生みの親と同じように、自分の度量を弁えて、相手との「差」をある程度は図ることができる。それでなくても、ラディエルは別の危機感もしっかりと感じ取っていた。
(……男の方はかなりヤバそう。魔力の質も量も、桁が違うわ……)
グラディウスに花を咲かせている……それだけであれば、2人ともやや間抜けに見える。だが、女の方はともかく……男から醸し出される威圧感と魔力量は、ラディエルにしてみれば異常にしか感じられなかった。……少なくとも、彼はラディエルが単体で勝てる相手ではないだろう。
(とにかく、マミーに報告しなくちゃ……!)
身の危険を感じたら、戻ってきていいと言われていたのも、思い出し。ラディエルはいよいよクルリと背中を向ける。しかし……
「ヒャッ⁉︎」
裸足で意図せず踏みつけてしまった、紫の花に触れた瞬間。まるで仕返しとばかりに、花は「ジュッ」とラディエルの足裏を焦がした。
グラディウスを制圧しつつある紫の花……ミルナエトロラベンダーは魔界育ちの霊薬であると同時に、厳密には神界原産の落とし子である。万能薬に近い効能を発揮する反面、マナ譲りの排他的な性質をしており……光属性への耐性がない者は触れることさえできないし、不用意に触れた者の肌を焦がす程度の凶悪さは持ち合わせている。
「は、はうぅ……」
そして、生まれたばかりのラディエルには魔法やエレメントに対する耐性はなかった。魔力の器は生まれつきの血統に宿るものではあるが、それはあくまで「生身の生物」に限った話。かつての機神族は長い年月を経て精霊化した無機質から昇華するものであり、基本的に魔力の器は後付けである。彼らの魔力の器はローレライの魔力を吸収できて初めて、獲得されるものだった。
もちろん、最初から生粋の魔法生命体(ないし、ベースが魔法道具)であれば話は変わってくるものの。ラディエルは「ベースが機神族」なだけの、即席の生命体。まだまだ「生まれたて」の彼女には、十分な耐性は備わっていない。
「……お前さん、誰だ?」
「ヒャゥッ⁉︎」
ラディエルの短い悲鳴に気づいたのだろう、見れば男がこちらを見下ろしている。そんな不意に上から降ってきた声に、飛び上がってしまうラディエルだったが。……悠長にフーフーと足の裏をさすっている場合ではなかった。
「え、えぇと……あのぅ……」
「……この感じだと、あれか? もしかして、お前さん……」
(バ、バレた……⁉︎)
虎を象っているらしい黒仮面越しに、鋭い視線を投げてくる男。奥で怪しく輝く紫の瞳は、何もかもを見透かすような迫力に満ちていて、ラディエルはただただ焦ることしかできない。
「えぇと……機神族なのは間違いなさそうだけど、そんなに魔力も感じないし……」
「えっと?」
「そうか、そうか。可哀想にな。お前さん、逃げ遅れた機神族だろ? 帰り道、分かるか?」
「あっ、その……」
しかし予想外にも、男に敵意はないらしい。しかも、ラディエルをあろうことか……「迷子」と認識した様子で、先程までの剣呑な視線を引っ込めると、たちまち心配そうな声色で質問を投げてくる。
「どうしたの、あなた」
「うん、コイツ……多分、迷子っぽいな」
「まぁ、そうなの? でも、それも無理はないわよね。……このお城、広い上に複雑ですもの」
「あっ、お姫様基準でも複雑になるんだ、この城」
「えぇ。区画整理もされていないし、似た風景の廊下ばっかりだし……その廊下も無意味に枝分かれしていますし。築城の基礎がなっていません。城は王の住まいでもあるのです。防衛性はもちろんですが、住み易さは外せないポイントなのよ。そして、機能的かつ優雅で美しくなければなりません。そういう意味では、このお城は完璧に不合格だわ」
「そ、そうか……」
よく分からないが、男とお揃いの仮面を着けている女が大きな胸を張って、得意げな顔をし始める。そんな彼女の完璧なプロポーションに喜ぶどころか、及び腰になり始める男だが……ラディエルには男の方が圧倒的な強者に見えたため、彼らの妙な関係性はちょっぴり新鮮だった。
「それで……そのぅ」
「あっ、悪い、悪い。で……お前さん、迷っているんだよな? だったら、出口までは案内してやるよ。って、機神族はローレライから離れるのは不味いんだっけ? どうすっかなぁ……」
「いえ、大丈夫です。……別に、迷子じゃないですし」
「あ? そうだったの? そんじゃ、なんでこんな所に1人でいるんだよ」
「あぅぅ……(言えない。本当は様子を見に来ただなんて、言えない……!)」
しかし……もしかしたら「か弱い機神族」を演出すれば、彼らはラディエルを助けようと、多少の目溢しをしてくれるかも知れない。見た目が幼児体型だったからなのかは、知らないが。彼らにとってラディエルは攻撃対象にはならなかったと同時に、保護対象と見られている模様。
(あっ、だとすれば……お願いすればお花を咲かせるの、やめてくれるかな……)
実際に、彼らが持ち込んだ花はラディエルに害を為しているのだ。意外とお人好しな彼らは、事情を説明すれば大人しく撤退してくれる可能性もある。
「実は……お2人が咲かせているその花、私達に害があって……だから、これ以上はやめてほしいんです……」
「あ? そうなの? ……あぁ、あぁ、本当だ。お前さんの足、コイツのせいだったのか……」
「そ、そうなんですぅ……!」
涙は流せないが、涙声を演出することはできる。そうして、「ウルウル」なんて効果音が聞こえてきそうな語り口で、彼らの説得を試みるラディエル。しかし……。
「私はこのお城で産まれたから、危ないお外の世界に出ちゃダメって、マミーから言われてて……。だけど、退屈だからお城の中で遊んでいたんですぅ。それなのに、このお花が邪魔をして……」
「マミー? それって、要するに……母親ってことか?」
「うん、そうなの。私には、ちゃんとマミーがいて……って、あれ?」
真剣に話を聞いてくれていると思った矢先に、一度引っ込んだはずの鋭い空気を醸し出し始める男。しかも、無言で紫の鞘から武器を抜き始めたが……。
「……リッテル、下がってろ。コイツは迷子じゃなくて、正真正銘の敵兵だ。面倒を見るのは、ナシっぽい」
「あなた、どうしてそんな結論になるの? この子、明らかに困っているじゃない」
「困っているフリをしているだけだろーよ。コイツは今、この城で産まれた……って、言ったろ? 要するに、コイツはローレライ産の機神族じゃなくて、グラディウス産の機神族ってことだ。……ローレライがお城だった時期はないはずだろ?」
「あっ、それもそうね。言われてみれば、確かに……」
どうやら、男の方はお人好しと見せかけて、相当に疑り深い性格でもあった様子。そして、ラディエルは悟るのだ。……やっぱり、難敵は魔力の波長通り、中身も一筋縄ではいかないものなのだと。
(どどどど、どうしよう⁉︎ お城で生まれただなんて、言わなければ良かった!)