22−13 君は、どこまでも君さ
セフィロトを抱えたアリエルが、旗色が悪いとグラディウスへの撤退を余儀なくされている、その頃。グラディウスの外壁上空では、紺碧の鱗を纏った海竜と漆黒の翼を翻す怪鳥が咆哮を交えていた。渦巻く情景や姿形だけを見れば、海竜の方が圧倒的に有利にも思えるが……実際に「押している」のは漆黒の怪鳥・プランシーの方である。
しかしながら、彼の優位性には他ならぬ救済の大天使の思惑が1枚噛んでもいるのだが。……全てを切り離したと錯覚しているプランシーには、ラミュエルの深慮は届かない。
「これが神に選ばれし者の実力というもの。もはや、私は悪魔や精霊という概念からも超越した存在なのです!」
思い上がったセリフと同時に、周囲の機神兵達に号令をかける「何も知らない」プランシー。一方で、彼の無謀な命令にも異を唱えることもなく、従順に従う尖兵達。彼にしてみれば機神兵は仲間ではなく、ただの駒であり、いくらでも使い捨てていい「消耗品」でしかない。
「行きなさい、愚兵共! あの目障りな悪魔を駆逐する以外に、あなた達の役目はないものと心得なさい!」
プランシーの命令は要するに、「差し違えてでも相手を滅せよ」と言う、犠牲を強要するものである。だが、グラディウスの魔力だけで稼働している「新しい機神兵」には行動パターンに伴う思考回路はあっても、魂はない。ただただ、自分の主人となったプランシーの命令に盲目に従うのみだった。
「君は確か……サタンの所の上級悪魔だったと思うけど。そっか。君はそこまで無慈悲になれる程に……とうとう、そっち側に行ってしまったんだね……」
いくら無機質な相手とは言え。プランシーの憤怒とも異なる、非情な振る舞いにリヴァイアタンが呻く。
「……どうして? どうして、このようなことをなさるのですか、プランシー神父。何故、このように残酷なことができるのですか⁉︎」
いくら無制限に沸くとは言え。プランシーの横暴と違わぬ、傲慢な暴虐にラミュエルが嘆く。
「無慈悲で結構、残酷なのは尚も上等ですよ、お二方。お粗末な偽善はもう沢山です、綺麗事は煩わしいだけ。本当に……全てが馬鹿馬鹿しい!」
プランシーが吼えると同時に、眩く閃光。そうして彼の身こそを守っていた衛兵達は跡形もなく消滅するが……それでも、彼女達は主人のための無謀な進行をやめないし、主人ための無償の信仰もやめない。だって、彼女達にはそれしかないのだから。従いたくないなどと言う、陳腐な心情は持ち合わせていない。あるのは無駄がなく、整然としたカラクリだけ。
「ほら、これらは文句1つ言いませんよ。いくら、私が死ねと命じても。いくら、私が不要だと切り捨てても。いくらでも、いくらでも……代わりはいくらでもいるのです! あなた達が朽ちるまで、いつまでも止まらない!」
敢えて、壊れた。敢えて、強くなった。かつての、善良な犠牲者の自分はいない。
吹っ切れて、振り切れたプランシーの号令と同時に、ラディウス砲を無茶苦茶に乱発射してくるグラディウスの尖兵達。だが、その苛烈な攻撃は彼女らの鋼鉄の身をも溶かし、1体が放てる攻撃はもって2、3回がいいところだ。それでも、数にモノを言わせてリヴァイアタンとラミュエルを追い詰めていく。
「ラミュエルさん!」
「承知しています! 生ある者全てを救わん、我は望む! 命ある者全ての守護者とならんことを……ハイネストプリズムウォール、トリプルキャスト!」
「いや、そうじゃなくて! 僕はいいんだよ! お願いだから、君だけでも逃げて……」
リヴァイアタンの空間掌握術も、天使には恩恵を与える事はできない。彼が持ち込めるのは「魔界風の空気」であって、天使達に最適な空間ではないのだ。しかも、悪いことに……リヴァイアタンもラミュエルも、水属性のエレメントを持つ。……風属性を持つプランシーとの相性は最悪だった。
その上で、先程の「重力への介入」を含んだフィールド掌握によって、リヴァイアタンは相当の魔力を消費している。ラミュエルと魔力量を合算しても、海竜の姿を保っていられる時間はそう長くない。
「いいえ……そうは参りませんわ。持てる力の限り……皆様をお守りせねば」
「だけど!」
「私にできることは、この位なのです。それに……ファルシオンがあれば、この先はリヴァイアタン様のご負担にならずに済むでしょう……」
「えっ? ちょ、ちょっと待って! 何をしているの、ラミュエルさんッ⁉︎」
柔らかな雰囲気には似つかわしくない、鋭利な白銀のナイフを取り出すと……ラミュエルは一思いに髪の毛をバッサリと切り落とす。そうして、ファルシオンで絡め取るように掬うと、髪の毛の持つ魔力を神具へと吸収させた。どうやら、ラミュエルはファルシオンを介して「自分のパーツ」を魔力還元しようとしているらしい。
「それと……」
次に……と、今度は躊躇なく1対の翼を落とし、それすらもファルシオンに捧げるラミュエル。天使の翼は魔力の供給器官であると同時に、魔力の塊である。当然ながら、激しい痛みもさることながら……翼ごと魔力を大幅に失った事による、能力低下と階級の強制降格は自ら進んで選ぶものでもない。
「ラミュエルさん……! ごめんよ、僕の力が及ばないばっかりに……!」
「いいえ……そうではありませんわ、リヴァイアタン様。そもそも、私は大天使になれる器ではなかったのです。……私が大天使になったのは、優秀な姉を支えるため。姉の昇格のついでで、大天使になっただけの私には……八翼は相応しくありません。ですが……これだと、リヴァイアタン様のマスターとしては、ますます力不足になってしまいますわね。申し訳、ございません……」
「そんな事はないよ、ベイビー。……君は、どこまでも君さ。翼の数や階級なんか、関係ない」
身の程を弁える、というのは非常に大切な事である。ラミュエルは自身の魔力不足と、リヴァイアタンの消耗とを解決する手段として、翼を落とす選択をアッサリとして見せる。そして、その決断は「大天使に相応しくないから」という自身への過小評価から引き出されたもの。そんなあまりの潔さに、プランシーはかつて天使だった女神の面影を重ねては、不愉快だと顔を歪めていた。
(ふん……これ見よがしに、謙虚ぶらなくてもいいでしょうに)
女神・アリエルは下級天使生活が長かった事もあり、それなりに「自分の等身大」と「自分の限界」とをそこはかとなく理解していた。だが、そんな彼女の思惑を神父は謙虚ではなく、ただの嫌味だと解釈している。
彼女が冠を辞退して見せたのは、遠慮ではない。そんな力は要らないと、驕り高ぶったが故の拒絶だったのだ……と。
(本当に、天使と言うのは……)
どこまでも愚直で、どこまでも高慢だ。
プランシーの頭を、あの赤い冠がおどろおどろしく彩っている。漆黒の羽毛と、真紅の荊冠とが織りなすコントラストは、彼のディテールを更に不気味に引き立てていた。しかも、不気味なのは見た目だけではない。神様に新しい力を授けてもらった事で、プランシーの能力は魔界の真祖に引けを取らないレベルにまで、底上げされている。
「しかし……全くもって、拍子抜けですね。魔界の真祖がこの程度とは」
「そうかい? となると……君は真祖を随分と買い被っていたようだね? 別に僕達は完璧な存在じゃないさ。……配下あっての真祖だし、何もかもが1人でできるようには作られていないよ」
「ほぉ? これはまた……情けない事をおっしゃる。そんな体たらくですから、余計な荷物を抱え込まなければならないのでしょうに。全てを切り離し、1人で戦う事こそが、最善の戦略。役立たずは切り捨ててしまえば、あなたもスッキリしますよ?」
どこか嘲るように口元を歪ませたかと思えば、鋭い視線をラミュエルに注ぐプランシー。確かに「今のラミュエル」は、足手纏いもいいところだろう。降格し、魔力をほとんど消耗した彼女を庇いながらの戦闘は、厳しいものになるに違いない。
「……今のは、僕のベイビーに対する侮辱かい?」
「無論、そうなるでしょうな?」
「だったら、今すぐ撤回してくれ給え。……僕はラミュエルさんを荷物だなんて、思っていない」
しかし、当然ながらリヴァイアタンはラミュエルの魔力不足の原因もきちんと理解している。自分を優先しているがために、彼女がギリギリのところで耐えているのも、よく知っている。
「彼女のおかげで、こうして実力を発揮できるようになっているんだ。悪魔だって、精霊と同じなのさ。天使のベイビー達と協力すれば、潜在能力をキッチリ発揮できるようになる。そして……更なる高みを目指すことができる。そんなパートナーを切り捨てるだなんて、紳士のすることじゃぁないな」
いくら契約してから、そこまでの時間が経っていないとは言え……リヴァイアタンはラミュエルを「理想の相手」だと既に判断している。彼女は魔界の女性達のように奔放過ぎるキライはなさそうだし、大天使の立場もあるせいだろう、しっかりと控えるべき所は控えていた。そして……上級天使になってしまった今でも、救済の天使としての矜持と役目を忘れていない。
だからこそ、リヴァイアタンはプランシーの諫言に乗ることもなければ、却って不信感と不快感を強める。「パートナー」を馬鹿にされて怒らずにいられる程までには、リヴァイアタンは成熟してもいなかったし、ドライでもなかったのだ。