22−8 原始的な抵抗
代理の玉座で、しばらくは退屈と格闘をする羽目になる……そう、思っていたのに。セフィロトがご丁寧に置いていった、退屈凌ぎの鏡面にはアリエルにとって、焦ってしまうと同時に……非常に面白い光景が映し出されていた。
(……さっきの余裕はどこに行ったのかしら?)
グラディウスの管理権を取り戻すために、セフィロトが城内に魔力を充填させては……収集役の機神兵達を再配置したらしいところまでは、アリエルも把握している。しかしながら、それだけでは満足できなかったのか。はたまた、純粋に遊びたくなったのか。あろう事か、セフィロトは自ら外に飛び出しては……新しい「ルートエレメントアップ」の芽を摘もうと、単騎で迎撃に興じていた。だが……その戦果は神様が繰り出していった割には、あまり思わしくない。
(芽を摘むはずが、逆に摘み取られるなんてね。これじゃ、神様も形なし……だわねぇ……)
滑稽な程に慌てに慌て、泣き喚くセフィロトの体躯をパカパカッと軽やかに駆けていくのは白馬……ならぬ、漆黒のロバ。耳の付け根から角を生やし、背中にはコウモリのような羽が付いているのを見ても、ロバの方は悪魔であることは間違いなさそうだ。
(ロバの悪魔……って、あぁ。確か……リルグの魔法の主だったかしら。そうそう、アケーディア……憂鬱の真祖、でしたっけ)
そうして、オーディエルがリルグ鎮圧の「おまけ」で、憂鬱の真祖と契約していたことも思い出すアリエル。しかし……彼の本性は相当に、草食動物のそれらしい。まさか、完成度の高い霊樹の使者がこうも「原始的な抵抗」の前に屈するなんて。
(あぁ〜、あぁ〜……見ていられないわ。どうしようかしら、これは)
無様な神様を見つめながら、仕方ないと首を振りつつ……玉座から降りるアリエル。しかし、それと同時に……床に足を着けた瞬間、何かの違和感が確かに伝わってくる。
「あら? このおかしな感じ……何かしら? しかも、情報がほとんど集まっていない……?」
セフィロトがグラディウスに魔力を再充填してから、それなりの時間が経過している。それでなくても、仕事には慇懃で正確な機神族のこと。可及的速やかに「ローレライの制御権」に関する情報を集めてくるはずだった。それなのに……アリエルに吸い上がってくる情報量は、明らかに少なすぎる。
(グラディウスで、何かが起こっている……? えぇと……)
裸足の裏に意識を向けて、アリエルが深呼吸をすると。彼女の足元を中心に、脈打つようなリズムで光が行ったり来たりと往復し始める。その光の点1つ1つが、アリエルとグラディウスとを行き来する情報の欠片であるが……明らかに、アリエルから放出される光の点の方が多い。
(しかも、ここの領域は何かしら? ……反応がないわ)
その上で、グラディウスの一部分が壊死していることも感じ取ると、これは大変だとアリエルはセフィロトに知らせた方がいいと思案する。間違いない。グラディウスの内部から、何かの崩壊が確かに始まっている。
(伝令役が必要ね。もしかして、今の私だったら……天使を作ることもできるのかしら?)
自分が生み出されたように、女神であれば天使を生み出すことができるのではないか?
ある意味で、突拍子もないひらめきではあるが。今のアリエルには確信こそないけれど、何故か確固たる自信はあった。そうして……さして悩むことなく、アリエルはかつてのマナがそうしたように、新しい天使を作ることに決める。いや、今は悩んでいる暇はない、と言った方が正しいか。
「……意外と、自然にできてしまうものなのね。ただ……」
「……」
魔力の供給源をグラディウスに求めたせいだろうか? 彼女の目の前には確かに新しく生み出された「何か」が存在している。しかし、コテンと無邪気に首を傾げるそれは……明らかに、天使と呼ぶには異質な存在感を放っていた。
(……生み出しておいて、なんだけど……)
ちょっと意識を集中しただけで、本当に新しい命を生み出してしまっては、アリエルはいよいよ困惑していた。しかも赤子を象ったらしい「それ」は無機質な鈍色の肌を持ち、仕草だけが無邪気な分、却って不気味である。
「えぇと……名前をつけてあげなきゃね。どうしようかなぁ。と、言うか……」
この子は「どっち」なのだろう? 男の子? それとも、女の子……?
ただただのっぺりとした見た目からは、どちらの性別なのか、判断が難しい。しかし、天使は一律女性なのだという事を再認識すると、「この子」は女の子なのだとアリエルは強引に割り切る。
「ま、いいわ。いい? あなたはラディエルよ。どう? 素敵でしょ?」
「……ラディ、エル?」
「そう。ラディエル。これからはラディって呼ぶから、よろしくね」
「……ヨロシク……?」
「え、えぇと……」
一応の会話が成り立つ時点で「ラディエル」は見た目は赤子ながらも、一定の知性を持ち得ていると見ていい。意思疎通も、とりあえずはできそうだ。だが、所在なげにプカプカと浮かぶばかりの「彼女」の実力は未知数である。果たして、生まれたばかりの幼な子に「偵察」を任せても良いかとアリエルは思案するが……。
(……意外と簡単に作れたし、別に死んでしまってもいいか……)
正直なところ、アリエルは認めたくなかったのだ。自分が生み出したのが天使とは到底言い難い、あまりに理想からかけ離れた存在だったことを。マナはアリエルを「失敗作」だと定義していたようだが、アリエルもまた、ラディエルを「失敗作」だと定義しようとしている。かつての女神がそうだったように……アリエルも自尊心を保つために、我が子を捨てる決断を下してしまう。
そうして……薄情にも、自ら生み出した相手さえも使い捨てることに決めると、アリエルは早速彼女に指示を出す。グラディウスの外回廊に異常が発生しているので、様子を見てこい……と。しかし、アリエルの指示に対して、意外と柔らかいらしい顔の皮を歪めては……ラディエルが思いもよらぬ反応を示した。
「どうして、私が行かないといけない?」
「えっ?」
「どうして、私が行かないといけないの? あなたが行って来ればいいじゃない」
「はっ……?」
突然、反抗的な事を言ったかと思えば……当然の如く、玉座に幼児体型を鎮めては踏ん反り返るラディエル。しかも、取ってつけたように今一度コクリと首を傾げて見せるが。……アリエルにしてみれば全くもって可愛くないし、いっそのこと憎たらしい。
「何を、偉そうに……! いいこと⁉︎ お前は私の僕なの! そのために生み出してやったんだから、いう事を聞きなさいよ!」
「生み出してやった、ですって? ふん。別に頼んだ覚えはないわよ。かつてのあなたと同じように、捨てられるだけなんて、願い下げ」
「なんですって……?」
知った口を……とアリエルが言いかけたところで、何かを見透かしたようにラディエルがいよいよ不快な笑顔を見せる。そうして、アリエルとしては最も認めたくないし……最も聞きたくない言葉を吐いた。
「分からないの? 私はかつてのあなたの“本性”なの。この醜い姿も、この憎い心も。……全部全部、あなたが母親に募らせていた憤懣そのものじゃない」




