22−5 来ちゃったみたいですけど
真っ白な空間で、一生懸命に空に手を伸ばすのは……新しいユグドラシルになろうとしている新米霊樹と、世界の架け橋になろうとしている新米の使者。だけど、両方ともまだまだ未熟みたいで……思うように力を解放できずにいるらしい。
「ミシェル様、この速度では……」
「うん、ちょっと間に合わないかも知れないね」
一緒に様子を見守っていたザフィールに、改めて「進行がよろしくない」ことを指摘されれば。いくら楽観的なボクでも、おちゃらけた気分にはなれない。
(……どうしたもんかな、これは)
新しいユグドラシルは精一杯、空へ空へと枝を伸ばしているけれど……きっと、魔力が上手く行き渡っていないんだろう。しっかりと天井が開くようにできていた「ラボ」の底から、空を見上げると、まだまだ遠いようで、確実に近づいてきているドラグニールの根が見え始めている。でも、ユグドラシルの方はもう既に枝を伸ばすことさえ限界に達しているみたいで、このままではドラグニールを上手く受け入れられないだけではなく、取り込まれてしまう可能性も考えられそうだ。
(仕方ない、ここはドラグニールにはもう少し待ってもらうよう、伝えてみようかな……? あっ、でも……それもダメっぽいな……)
だけど、ドラグニールに待ってもらえる猶予も、あまりないみたい。一緒に降りてきた竜族達が防御魔法を展開しているけれど、そろそろグラディウスの猛攻を防ぎきれなくなっている。どうやら……グラディウスは本格的にこちらを潰すつもりのようだ。
「もぅ! アドラメレクの奴らは何をしているのよ! そのための軍隊でしょうに!」
「落ち着いて、アーニャ。彼らは彼らで、手一杯みたいなのよ。……防衛対象はドラグニールだけではありませんから」
「それはそうだけど……あぁ! 本当に、もどかしいわ!」
アーニャが苛立つのも分かるし、ネデルが諫める理由も分かる。魔界随一の防衛能力を誇ると言う、憤怒の軍隊。その口上通りであれば、ドラグニールの懐にまでに攻撃が届いているのは「情けない」事になるのかも知れない。アーニャが「何をしているんだ」と憤るのは、ご尤も。
だけど、ネデルの言う通り、彼らの防衛対象はドラグニールだけじゃない。アドラメレク達は必死に人間界そのものを守ろうと、広範囲の防御魔法を展開していると聞いている。そもそも、ドラグニールをピンポイントで守ろうとしているわけじゃないのだから、ドラグニールの守護は竜族に任せてしまおう……と言うのが、本当のところだろう。
(にしたって……攻撃は激しさを増している。こっちが急がないといけないのは、間違いない……みたいだなぁ。だけど、これ以上はシルヴィアとクシヒメ様に無理をさせるわけにはいかない……)
因みに、ネデルとアーニャには万が一のことも想定して、こちらに来てもらっている。もちろん、その万が一は絶対に防がなければならないのだけど。……シルヴィアから魂が離脱してしまった場合は、天使よりも悪魔の方が頼りになる。
何でも、悪魔は魂を魔法道具なしで見極めることができるらしい。ボク達は魂は転送装置越しじゃないと、魂を捕捉する事はできないから、その場ですぐに魂を見つける事はできなかったりする。それに……アーニャは戦力としても申し分ない、上級悪魔だ。いざ魂を探さなければならなくなっても、しっかりと見つけてくれるだろうし、多少の荒事混じりでもキッチリ対応してくれるに違いない。
(それに……ユグドラシルを死守するだけでいいのなら、体制は申し分ない……か)
アーニャと仲がいいらしいネデルは、救済部門の上級天使。特に空間隔絶系統の魔法に長けていて、マジックインヴィジョンを彼女程に長期展開できる天使はそうそういない。その上で、ドラグニールの婆様も相当の防御魔法を使えるそうで。……いざとなったら、一緒にシルヴィアを守ると約束してくれている。
「しかし……ふぅむ、これではいくら大主様が加減したとて……確実に結合はできぬかもしれん。ここは中継役が必要になりそうじゃな……」
「中継役、ですか? ドラグニール様」
「うむ。大主様の魔力を誘導し、ユグドラシルへと注ぐ中継点があれば、より素早く、確実に……そして、シルヴィアへの負担を軽減する事もできよう。……どれ、仕方あるまいな。ここは婆様が……」
一肌脱ぐか……と、言いかけたところで、聞き覚えのある元気な女の子の声が響いてくる。そうして、声がする方を見上げると。頭上に真っ白なドラゴンと、真っ黒なドラゴンが、慌てた様子で降りてくるところだった。
「あれは……えっ? もしかして、エルノアちゃんに……ギノ君かな?」
「なんと! 何を血迷ったことをしておるのじゃ! 竜女帝がこんな所に降りてくるなんぞ、自殺行為じゃろうて!」
あっ、そう言えば……そんな話もあったね。エルノアちゃんが脱皮を乗り越えて、ドラゴンプリエステスになった……のは、ルシエルからも報告が上がっていたけど。そうか、ついでに竜女帝にもなっていたんだっけ。
「って、そうじゃなくて! ど、どうします、婆様。エルノアちゃん……こっちに来ちゃったみたいですけど」
「どうするも、こうするもないでしょうに。折角、来てくれたチビすけには悪いけど。ここは大人しく帰ってもらうしかないじゃない」
「そうじゃな。こんな所で竜女帝を失うわけにもいかん。しかし……困ったのぅ。竜界はまだ遥か上空に残されたまま故、帰るのも難儀じゃぞ」
「そ、そうでしたか……」
だけど、そんなことを話しているボク達の思惑を他所に、目の前に降り立ったエルノアちゃんは真っ先にユグドラシルの方へ走り寄っていく。って、ちょっと待ってよ。まずは事情の説明が先なんじゃ……?
「す、すみません……。勝手にやってきた上に、説明もしないで。でも……エルが言うには、相当の緊急事態みたいで……」
「緊急事態……?」
きっと、ちょっぴり勝手なエルノアちゃんの行動を説明するつもりなんだろう。竜女帝様がボク達を無視した格好になったのを、一緒にやってきたギノ君が健気にフォローし始めた。
「お久しぶりです……ミシェル様に、ドラグニール様と……それに、ザフィ先生にネッドさんとアーニャさん……」
「別に、律儀に全員の名前を呼ばなくてもいいわさ。で? どうしてエルノアちゃんまで、こっちに来ちゃったの?」
メガネをクイっと上げながら、ザフィールが質問を投げれば。さも申し訳なさそうに、鱗だらけの顔を萎れさせて、ギノ君がきちんと答える。
「エルが言うには、ユグドラシルとピキちゃんが無理をしているから、応援が必要だ……ってことみたいなんです。エルはユグドラシルと鱗を“交換こ”している事もあって、個別に意思疎通をできるらしくて。それで、お手伝いを頼まれたんだそうです……」
「となると……ユグドラシル自身も、今の状況がよくないと自覚しているという事になるかの? しかも、お手伝い……とな?」
「はい。ユグドラシルから、魔力を分けてほしいとお願いがあったみたいです。このままじゃ、シルヴィアちゃんの体がもたないと……」
なんて事だろう。シルヴィアちゃんの魂の方にばかり、気を取られていたけれど。まさか、体の方にも相当の負荷がかかっているなんて、考えてもいなかった。だけどそんな事……言われなくても、気づくべきだったんだ。クシヒメ様の意思が顕現化している時点で、今のシルヴィアちゃんは体は1つのままなのに、2人分の魂が稼働している事になる。それじゃ、いくら精霊の先祖返りだとは言え……体が耐え切れなくなるのも、分かりきった事じゃないか。