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氷の城  作者: 壱百苑ライタ
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回廊

六、回廊


 二人は塔を出て、今度はアヴニールの先導のもと右へ向かって歩き出した。ここからは回廊も塔と同じ石造りの簡素な造りである。

「それで、これからどうするの? アヴニール」

「そうね、まずは」

 言い終わるよりはるかに先に、アヴニールの腹の虫は豪快に鳴いた。

「腹ごしらえね」

「本当、記憶があろうが無かろうが人って変わらないんだね!」

 パッセは呆れ顔で力強く言った。それにアヴニールは「腹が減っては戦は出来ぬ!」とだけ男らしく答える。

「こんなお姫様絶対に嫌だ」

「そっちこそ、そのネタ引きずり過ぎでしょうが!」

 アヴニールは言いながらムっとして拳を振り上げる。それを見てパッセは「おー怖い!」と拳から逃げるべく走り出す。しかし其の瞬間である、二人は同時にピタリ、動きを止める。

「感じた? パッセ」

「うん、ハッキリと感じたよ」

 そして二人は横目で視線を合わせると、ちょうど二人の横にあった木の扉の両脇に口裏を合わせたように張り付いた。そしてもう一度視線を合わせ。

「突入!」

 二人同時に、両開きになっていた扉をそれぞれに勢いよく開け放った。

「大当たりー!」

 開け放たれたそこは食堂。恐らく駐屯兵用なのだろう、木で出来た椅子や机がいくつも並んでいる。そして石造りのカウンターの奥に、二人が先ほど感じ取った良い匂いの発生源―――キッチンは、あった。

 二人はうきうきしながら食堂へ入ると、其の足でそそくさとキッチンへ向かう。

「私たちって運が良いわね、早速何か作ってあげる!」

「そうだね! て、アヴニールちょっと待って何するって?」

「何って料理よ? 大丈夫、料理は体で覚えてるから!」

 言ってアヴニールが腕まくりをしたと同時、パッセは今までに無いほど全力でアヴニールを後ろから羽交い絞めに取り押さえた。

「…………なに?」

「これだけは教えておいてあげる。アヴニールが体で覚えている料理は、ない!」

「え? 何それ私って本当にお姫様なの? 料理したことない系の?」

「それは無い、でもアヴニールが作れる料理もない」

「パッセくん何時になく目がマジなんですけれど」

 無理やりに首を後ろに曲げて見たパッセは笑っていなかった。アヴニールはそれを見てぽりぽりと頬をかく。

「駄目?」

「今此処で死にたいの?」

 パッセの顔は未だ真剣であった。アヴニールはその顔を見ると静かにまくっていた袖を下ろし、それからパッセが自分を取り押さえている腕をとんとんと叩いた。

「分かった作らない」

「よし」

 パッセはアヴニールを開放すると、「それじゃあアヴニールは大人しく食堂で待ってて」とその背中を押してキッチンから追い出した。

「ちょっと、待っててって………」

「僕がちゃちゃっと作っちゃうから、アヴニールはぼーっとしててよ」

 そしてそれだけ言い残し、パッセはせっせとキッチンへ戻って行ってしまった。

 食堂に取り残されたアヴニールは、仕方なくキッチンに一番近いテーブルに腰を掛けると、それから本当にぼうっとし始める。

「………て、本当にぼうっとしてどうするの、私」

 とは言えやる事もないので暇である。アヴニールは何とはなしにポケットに入れた銀の鍵を取り出して、それをくるくると指先で弄び始めた。持ってはいるものの、何処の鍵だかさっぱり分からない。

「ここは部屋が多すぎるしなぁ」

 全ての扉に差して確認していたら、時間がいくらあっても足りないというもの。

 アヴニールは小さく溜息を吐くと、その鍵を再びポケットにしまって、それから何とはなしに食堂を見渡す。

 見渡した壁に、不思議な絵が掛かっているのを見つけ、アヴニールは思わずそれに目を留めた。

 駐屯兵用の食堂に絵画が飾られているだけでも変わっているというのに、其の絵がまた只管に変わっている。

 そこに描かれていたのは、ただの黒い鍵穴のような点だけなのである。

 他は全て、真っ白なキャンパス。けれどもその白は、キャンパスの地ではなく良く見れば真っ白な絵の具で塗り潰されているようだ。アヴニールは立ち上がりその絵に近づいた。そしてよくよく絵を見つめる。その絵はどうやら、真っ白い絵の具で何かの絵が塗り潰されているようである。そして、その黒い点が描かれているとおもった場所は、白い絵の具が塗られていないだけで、其の形はまさに――――

「鍵穴?」

 アヴニールはハっとした。それからポケットに入れた銀の鍵を取り出す。

「まさか、まさかのまさかだけど」

 アヴニールは恐る恐る、銀の鍵を絵画の鍵穴に近づける。

 そして、ゴリと。

「――――うん、ですよね」

 鍵穴は絵画を削っただけでハマる訳もなく。アヴニールは情けなく溜息を吐くと「期待した私が馬鹿でした」と座っていた席に戻る。

 それから微かにキッチンから香り始めた良い匂いに「あぁお腹すいた」と呟きながら、背もたれに深く腰掛けて再びその絵画に目をやった。

「――――嘘」

 アヴニールは絶句した。

 先ほどまで真っ白だった絵画に、椅子に座って深く腰掛ける若い女が描かれている。

 その服装には覚えがあった。

 まさか。

 アヴニールは右手を上げた。

 絵画の女は、左手を上げる。

 アヴニールはウインクをした。

 絵画の女はウインクをする。

 アヴニールは有りっ丈の変な顔をした。

 絵画の女は、世にも奇妙な表情になる。

「あはははははは!」

 其の顔が余りに面白くてアヴニールが指を差して大笑いをした瞬間である。

「あ」

 椅子が、後ろに横転した。

 凄まじい音を立てて、アヴニールは椅子ごと倒れる。その衝撃で頭を打ったアヴニールの意識は、薄れ行く中で絵画を見た。

絵画の女は、椅子に座った侭アヴニールを見て、不気味に笑っていた。




 あの部屋だ、アヴニールはそう思った。小さなログハウス、奥の部屋にはベッドがひとつ、暖炉で火は燃えていて、丸いテーブルに椅子が……今度は一脚。水音もしないしベッドのサイドテーブルに水は置かれていない。

 この間見たものとは微妙に違うが、でも同じ部屋だ。

 ぎぃと、不意に扉が開いた。

 開いた扉から入ってきたのは、少女だった。けれどアヴニールにはその少女に覚えがある。その少女は絵画に描かれていた先ほどの女に似ている。

 つまりその少女は、アヴニール。

「お父さん、お母さん」

 少女はまたそう呟くと、一脚だけある椅子に座りテーブルに突っ伏した。それからすすり泣く声が聞こえてくる。

 アヴニールは思い出した。

 そうだ、自分はあの少女くらいの頃、流行病で父と母を亡くしたのだ。

 あの椅子は本当は三脚あったけれど、誰も座らない椅子を眺めているのが辛くて、納戸に仕舞い込んだ。だから、今は一脚しかない。

 あの頃毎日のようにアヴニールは教会に通って祈りを捧げていた。

 家族を返して。そう、毎日のように祈り続けた。

 孤独が辛くて、悲しくて、苦しかった。

 それは無限に広がる闇のような絶望へと、少しずつ少しずつ少女を手招きする。

 毎日毎時毎分毎秒、否が応にも突きつけられる父と母はもう“いない”という現実。

 “死”ということ。

 逃れようにも逃れられない苦しみ。

 もう、どうしようもない、どうすることも出来ない、こと。




「アヴニール!」

 目を覚ますと、世界はぼんやりと滲んでいた。アヴニールの瞳にはいつの間にか涙が溢れていたのである。そのぼやけた視界は瞬きの度、少しずつ焦点が定まっていく。すると目の前に自分を心配そうに見つめるパッセの顔が見えた。体勢から察するに、膝枕をしていてくれたようである。

それを見た途端、アヴニールはひどく安心した。あぁ、一人じゃなかったのだ。あれは遠い昔、記憶の中の現実。けれど彼がいなかったら、自分はその記憶の中の暗く果てない絶望に、呑み込まれていたかも知れない。

「パッセ」

 その頬に、手を伸ばした。

 パッセは今にも泣きそうな顔でアヴニールを見つめながら、自分の頬に差し伸ばされた手を強く握り締める。

「大丈夫? アヴニール」

「うん、ごめん。大丈夫だよ」

「もう、あんまり心配かけさせないでよ………僕、命がいくつあっても足りないよ」

 パッセは握り締めたアヴニールの手にそっと頬を寄せた。

 その温もりに命を感じ、アヴニールは目を細める。

 あんなにも自分をしつこく追いかけてきていた、孤独という暗闇、それさえも。

「パッセが居れば、大丈夫だよ」

 アヴニールがそう言って微笑むと、パッセは握り締めていたアヴニールの手を不意にぎゅっと、強く強く握り締めた。

「………パッセ?」

 その行動にアヴニールは不思議そうにパッセを見つめる。その瞳に応えるように、パッセは微笑んだ。それから不意に顔をアヴニールに近づけると、其の額に、そっと。

「………!」

 突然額に口付けられたアヴニールは大袈裟に驚いて、上半身を跳ね上がらせた。

 瞬間ごっと、鈍い音が響いて二人はそれぞれに額と唇とを押さえ、悶絶した。

「うぅぅ………何するんだよアヴニール!」

「ご、ごごごごめんなさい! でも、だって、いきなりで驚いたのよ!」

「こんなの、別に驚くことじゃないでしょ!」

「そ、そうかな? え、そうなの? あ、そうか、そうよね」

 そうだ、親愛の情を表す時に頬を寄せ合ったり頬に口付けたり、勿論額に口付けたりなんて習慣として当たり前のことだ。

まして相手は自分より年下でまだまだ子供の少年である。

 それなのに何故自分はあんなにも動揺してしまったのだろう、良い大人にもなって慌てたことが逆に恥ずかしくなり、アヴニールは顔を真っ赤に染め上げた。

 頬が熱い。アヴニールは両頬を押さえ下を向く。

 その様子を見て、パッセも恥ずかしくなったのかこちらも耳まで赤くしてアヴニールに背を向けた。

そのまましばし沈黙が流れる。二人は完全に話し出す機を逸してしまった。

 だが、しかし。

「あ」

 それを破ったのは、アヴニールの豪快に鳴いた腹の虫。

「………ご飯にしますか、お姫様」

「そうしてくださいます?」

 その音にパッセは心底溜息を吐き立ち上がった。

 アヴニールも未だ片手で頬を押さえながら立ち上がり、席に座る。こちらは今の腹の虫が恥ずかしくて赤くなっているのもありそうである。

 そして、程なくしてパッセが運んできたのは、何ともおいしそうに湯気を立てる、ハチミツのかかったパンケーキ。

「はああ!」

「アヴニール、これ好きでしょう?」

 パッセは得意げな笑みを浮かべると、「召し上がれ」と皿に何枚も重ねられたそのパンケーキをアヴニールの前に差し出した。

 アヴニールは目を爛々と輝かせ、「いただきます!」とフォークも持たずに手づかみでそれを食べはじめる。

「………本当、相変わらずだな」

 パッセはそんな動物のようにパンケーキを頬張るアヴニールに思わず苦笑したが、しかしなんとも幸せそうにしているアヴニールを見て、今度はとても優しい笑みを浮かべた。

「好きだよ、アヴニール」

 そして、ぽそりと。

「ん? 何か言った?」

「犬みたいだなぁと思って」

「な、なんですって!?」

 アヴニールは目の前に座るパッセの耳をパンケーキを頬張りながら器用に抓る。

「いだいいだいいだい!」

 そして一通りパンケーキを食べ終わると、アヴニールはふと先ほどの絵画が視界に入り、一瞬だが目を見開いた。

「どうしたの?」

 それに気づいたパッセが耳を摩りながらアヴニールの視線の先を追う。

 其処には、ただ真っ白い絵画が飾られていた。

 鍵穴も何もない、ただ真っ白い。絵画が。

「なんだろう、この額縁。何も飾ってないね」

 それを見てパッセは益々首をかしげていたけれど、アヴニールは一瞬だけ深刻そうに黙り込むと、はっとしてポケットに手を入れる。

 そこにはもう、銀の鍵は存在しなかった。

「どうしたの? アヴニール」

「ん? ううん、なんでもないの」

 パッセは心配そうにアヴニールを見つめた。その視線に気づいて、アヴニールは急ぎ笑顔を繕うと「さぁ、そろそろ行こうか」とパッセの頭を誤魔化すように撫ぜる。

「だから、子ども扱いしないでってば!」

 アヴニールが立ち上がり、パッセも立ち上がりながら頬を膨らます。

 けれどもやっぱりアヴニールは何処か気がそぞろで、「はいはい」と答えただけだった。

「アヴニール………?」

 アヴニールの様子に、パッセは立ち止まり不安そうにアヴニールの後姿を見つめた。

 そんな彼に気づく様子もなく、アヴニールは食堂から外へと出て行ってしまう。

 たったひとりきりになった食堂で、パッセはハっとして自分の両の手を見つめた。

 そして、その手があることを確認すると、ほっと胸を撫で下ろす。

「良かった」

 そこで漸く部屋の外から「パッセー? 何してるのー?」と自分を呼ぶ声がした。

「今行くよ! 待ってー!」

 それに大声で応えると、パッセは駆け足でアヴニールのもとへと向かう。

 誰もいなくなった食堂。

 轟轟と、外で吹雪が吹き荒れる音が響く。

 其の音に共鳴するように、じわじわと――――真っ白いキャンパスが端から黒点に侵され始めた。

 やがて、キャンパスの色は漆黒に染まった。


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