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氷の城  作者: 壱百苑ライタ
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礼拝堂

五、礼拝堂


 パッセを牢から出したアヴニールは、パッセの案内で牢から続く螺旋階段を登っていた。どれくらい登っただろうか、息が切れてきた頃に階段の出口が漸く見える。

「さぁ、出口だよ」

 抜け出したそこは、天井の高い礼拝堂だった。木で出来た長椅子がいくつも列を成して並べられ、真正面に見える祭壇の後ろにはそれは美しいステンドグラスが礼拝堂を幻想的に飾っている。そしてそのステンドグラスには、綺麗な娘が描かれていた。

「あのステンドグラスは聖書のどの部分なのかしら」

 牢獄への入り口は丁度ステンドグラスの真向かいである入り口側、キリスト像の裏に隠れるようにあった。その扉は内開きの扉で、開いていなければそこに扉があるなどとは誰も思わないような造りをしている。

 そんな隠し部屋のような場所に閉じ込められていたのかと思うとアヴニールは思わずぞっとしたが、直ぐに気を取り直して無人の礼拝堂を見渡した。

「こんな立派な礼拝堂なのに、誰もいないなんて………」

「本当に、全く人気が無いね」

 パッセもアヴニールも、辺りを見渡して同じ感想を持ったようである。見渡したそこはそれは立派な建物だった。そんじょそこらの町の教会など比べ物にならない立派な造りで、装飾も細工も全てが壮麗、まるで何処かの城の中にでもあるような大聖堂だ。

 そんな場所に、二人きりしか人が居ない。

「何か、誰もいなくてぞっとするような、独り占め感覚で得したような不思議な気持ちになるわね」

「この状況でなんで得したなんて思うのさ………僕はアヴニールのそういう図々しい性格にぞっとするよ」

 アヴニールはその言葉にむっとしてパッセを睨み付けたが、さらりと無視をされてしまい、パッセは礼拝堂の出入り口へと歩いて行ってしまった。

 仕方なく追いかけたそこには立派な両手開きの大きな扉があり、パッセはそれを開こうとしているようだったので、アヴニールも手伝う。

 ぎぎぎと軋む音をたてて扉が開いた。

 開いた扉の奥にあったのは、外―――ではなく、回廊だった。

「回廊? ということは、ここはお城の中………?」

「見てよアヴニール! 窓の外!」

 パッセがアヴニールの服の裾を引き、指を差した。その指を差した方にアヴニールも視線をやる。

 窓の外は、一寸先も見えないような、激しい吹雪だった。

「吹雪」

「まだ止んでなかったのか」

 パッセは言いながら酷く悲しそうな顔をした。それからアヴニールの手を掴むと、急にその手を引いて歩き始めた。

「パッセ?」

「見てよ、やっぱり誰もいない」

 回廊は左右二手に分かれていた。左は直ぐに曲がり角があり、右手は長く回廊が続いている。パッセは右手方向へと歩を進める。

 とても立派な回廊だった。赤い絨毯が敷かれ左手には転々と大きな窓が。右手にはいくつもの部屋があるのだろう、たくさんの扉が付いている。

 パッセに引かれるままその回廊を歩いた。そして突き当たる。

 そこはまた左手に回廊が続いており、正面には丸い部屋のような空間があった。

「行ってみる?」

 パッセはそこで漸くアヴニールの手を離した。それから丸い部屋の方を指差して聞く。

「そうね、ちょっと気になるし――――もしかしたらこのお屋敷に、私の過去の秘密があるかもしれないものね」

 アヴニールは「探せるだけ探してやるわ」と言いながら部屋へと足を踏み入れた。パッセも続いてその後を追う。

 踏み込んだそこは塔のようだった。先程の回廊とは打って変わって、こちらは石造りの簡素な造りだ。壁にはぐるりと回るように階段が設置され、階段の途中にはところどころ小さな窓のようなものが空いている。アヴニールはそれを知っている。確か矢狭間と呼ばれる主に城などに設置された軍事用のものである。

「やっぱり、此処はお城? とすると私はお姫様………?」

「それだけは無いから安心して」

 アヴニールが振り返った先には満面の笑みのパッセが立って居た。

「それにしても、とりあえず登ってみようかな。ここは塔になっているみたいだし、ちょっとは外の様子が見えるかも」

「いだいいだいいだい!」

 アヴニールはパッセの耳を思い切り抓り終えてから、何食わぬ顔で階段へと歩き出した。パッセは「乱暴者!」と猛抗議したが、さらりと無視され諦めたのか渋々と言った様子でアヴニールの後を追う。

「うーん」

 中ほどまで登ったところで、アヴニールは矢狭間から外を覗き込んだ。

 吹雪が激しく吹き荒れていて、やっぱり外はちらりとも見えない。

 もっと目を凝らして見ようと、思った瞬間である。くらり、一瞬立ちくらみがしたと思ったら、アヴニールの視界はまるで吹雪が広がるように真っ白に染まり上がった。

「アヴニール!」

 そして急に倒れそうになったアヴニールを、慌てて駆けつけたパッセが抱きとめる。

「アヴニール!?」




 小さな礼拝堂で、少女が信心深く手を合わせている。

 ステンドグラスには聖母マリアが描かれ、キリストをその手に抱いていた。

 少女は閉じていた瞳を開き聖母マリアを見上げ、その瞳からは一筋涙が伝っていた。

「父さん、母さん」

 黒い点々が視界を潰して行く。点々と、黒で塗りつぶされていく視界はやがてその黒に呑みこまれ何も見えなくなってしまった。




「アヴニール! 大丈夫!?」

「――――パッセ?」

 目を開くと、アヴニールはいつの間にか階段の途中で倒れこんでしまっていた。その体をパッセが必死にかかえて抱きしめるような形になっている。パッセはとても心配そうにアヴニールを見つめていた。

「そんな顔して、あんたらしくないわねぇ」

 そのパッセを見つめて不意にアヴニールが零した言葉に、パッセは目を見開いた。そして、アヴニール自身もその言葉に驚いたように指先で唇を押さえた。

「思い出したの!?」

パッセの表情が変わる。それはどこか必死で、どこか鬼気迫るような顔だった。アヴニールの肩を掴む手の力がまだ少年だというのに痛いほどに強く、アヴニールは顔を歪ませる。

「パッセ、痛いよ………」

「あ、あ………ごめん。何か、思い出したのかと思って」

「うん、少しだけ昔の記憶を見たよ。でも、思い出したとは少し違うかもしれない」

 アヴニールはパッセの腕から立ち上がると、「ごめんね、ありがとう」とパッセの頭を撫ぜてやった。するとパッセは急激に顔を赤くしたかと思うと、「子ども扱いするなってば!」と急に二階へと駆けて行ってしまった。

「………そんなに怒ることかね。思春期ってやつかしら」

 そのパッセの様子にアヴニールはぽりぽりと頭をかいてから、自分も二階へと歩き出した。そして先程見た自分の記憶を思い出す。

 泣いている少女、聖母マリア様、何よりも、闇に侵されて行く視界。

 その時だった。ぞわり、背筋に今まで感じたことの無い悪寒が走り抜ける。

 何かが、居る。

 そう思ったら、アヴニールの体はまるで金縛りにあったように動けなくなる。

 背後に、何かが居る。


 ずるり


 自分たちが歩いてきたちょうど塔の入り口の辺りだろうか。其処に何かが居る。直感でそう思った。確認をしていないから確証は無い。けれども確実にそれは其処に居る。

 理屈ではなく、そう感じるのだ。


 ずるり


 近づいてきている。それは確実に、ゆっくりと、自分の背後へと。

 アヴニールはごくりと唾を呑んだ。

 その瞬間、その気配はピタリと止まり、そしてアヴニールは再び強烈な悪寒と、そして震え上がるほどの視線を全身に浴びた、ような気がした。


―――見つかった


 そう、思った。

 それなのに、やはりアヴニールの体は動かない。


『 見つけた 』


「アヴニール!!」

 その声は、パッセが呼ぶ声に紛れて確かに聞こえた。何処から響いたのかなんて分からない、それが声なのかも分からない。けれども“あれ”は確かにそう“言った”。

 未だ呆然と動けなくなっているアヴニールの手を掴み、パッセは二階へと駆け上がる。それから直ぐに一階と二階を繋ぐ穴を重い石の蓋で塞いでしまった。その上に更に二階にあった机や花瓶、とにかく重そうなものを沢山乗せて絶対に開かないように塞いでしまう。

「アヴニール! しっかりして!」

 パッセはアヴニールの肩を掴み揺らした。だがアヴニールは心ここに在らずと言った様子で、動かない。パッセはそんなアヴニールの姿を見て悔しそうに眉間に皺を寄せた。

「こんなに早くあいつに見つかるなんて………」

 見れば微かだがアヴニールは震えていた。それを見てパッセは更に悔しそうに眉を潜める。

「アヴニール………」

 まるで自分の言葉など耳に入っていないように、アヴニールは未だ恐怖に震えている。

それを見たパッセは、一度瞳を閉じると空気を静かに、けれどいっぱいに肺に吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。

再び開いたその瞳は、先ほどよりもずっと強い光を宿しているように見えた。それからパッセは力なくしゃがみこんでいるアヴニールの頭をその両腕でそっと抱き寄せる。

「大丈夫だよアヴニール、僕が付いているから、大丈夫だからね」

 パッセのその言葉と抱きしめられた温もり、聞こえてくる心音に、アヴニールは少しずつ自分を縛り付けていた何かが解けていくのを感じた。

 少しずつ、まるで雪が解けるように少しずつ、恐怖や不安が和らいでいく。気がつけば、アヴニールも縋るようにパッセの背に手を回していた。

「パッセ、あいつは………あいつは、何?」

 今はもう不思議とその気配は消えていた。諦めてどこかに行ってしまったのだろうか。そもそもあれは、一体何なのだろうか。

 アヴニールとパッセは、どちらともなく抱きしめ合っていた体を離すと、其の侭の姿勢でしばし沈黙した。パッセは答えない。何か気まずい空気が二人の間を流れた。

 けれど窓の外から吹雪の音が微かに聞こえて、アヴニールの視線がパッセの目を縋るように見つめると、その視線に負けたように、パッセもアヴニールの瞳を見つめ返した

「ごめん、僕にも分からないんだ」

 パッセは、ただ悲しそうな顔で言った。

「だけど、これだけは分かってる。あいつはアヴニールを探してて、きっと何処までも追いかけてくる」

 パッセはそこまで言うと、石の蓋の上に積んだ物をひとつひとつ片付け始めた。その行動にアヴニールは先ほどの恐怖が甦り再び足が竦む。

 ついに石の蓋は顔を出し、アヴニールはごくりと唾を呑みこんだ。

「開けるよ」

 アヴニールがうんと言う前に、その扉は開かれた。

 其処には、先ほどの“奴”の影も形も見当たらず、アヴニールはそれを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。

「大丈夫、そう簡単には見つかったりしないよ。この城は広いしあいつは結構検討違いな所にばっかり行くからさ」

 パッセは手をぱんぱんと払いながら未だにしゃがんでいるアヴニールに手を差し出す。

「行こう、アヴニール」

 差し出された其の手を、アヴニールは不意に見つめた。

 そして何て小さい手なのだろうと、アヴニールは驚愕する。

 そうだ、彼はまだ少年、子供なのだ。

 本来ならば大人である自分が、彼を守ってあげなければいけない立場じゃないか。

 それをまるで少女のように、この手に縋り付いているなんて、なんて情けないことだろう。なんて頼り無く愚かなことだろう。

 そんな事を考えていたら、自然に眉間に皺がよっていたのだろう。パッセは急にアヴニールの眉間を人差し指でぐりぐりと押した。

「ちょ、なっ、何するの!」

「皺が増えるぞ、おばさん」

「な………っ!」

 前言撤回である。

 アヴニールは未だに眉間を押しているパッセの手を思い切り叩くと「さっさと行くわよ!」と立ち上がりズカズカと階段を降り始めた。パッセは払われた手を「いってぇぇ……」と摩っていたが、そのすっかり元気になったアヴニールの後姿を見て、少しだけ満足そうに微笑んだ。

「そうそう、アヴニールはそうでなきゃ」

「何か言った!?」

「何も言ってません、お姫様」

「それはもう言うな!」

 階段を降りる途中である。不意にアヴニールは先ほど自分が覗いた矢狭間で何かがキラリ光ったのを見止め、立ち止まった。

「何かしら、これ」

「何なに? 何かあるの?」

 アヴニールが手を伸ばした其処にあったのは、銀の鍵。

「鍵だ」

「へぇ、何処のだろう。とりあえず持って行ってみたら?」

 パッセの言葉にアヴニールは頷くと、その鍵をポケットにしまった。

「どうせなら何か武器が欲しかったなぁ」

「もしかして闘う気ですかお姫様」

「お姫様が闘っちゃおかしい?」

「アヴニールがお姫様気取りなのがおかしいだいいだいいだいいだい!」

 階段を降り切って、アヴニールはパッセの耳を思い切り抓りながらその塔を再び振り返った。矢狭間からは外の激しい吹雪の様子が見える。

 アヴニールは再び思う。

此処は何処だろう。

私は誰だろう。

此処は本当に、現実なんだろうか。

 吹雪の音が轟轟と聞こえ、一寸先も見えないその世界は、吹雪に閉ざされてまるで世界にこの城しか無いような、この城が、世界の全てであるような。

 それは考えるだけで恐ろしい錯覚のように思え、アヴニールは小さく首を振った。

「さぁ、行こう。私、絶対に記憶を取り戻してみせるわ」

 アヴニールは拳を握り締める。

女の勘が言っている、自分の記憶は全てこの城に、あると。

 そして先ほどの“あれ”と、いつか対峙しなければならない時が来る。


 其の為に、記憶を取り戻さなければならないと。


 その覚悟を決めた時、胸が微かにズキリと痛んだ気がしたけれど、そんな事は気にも留めずにアヴニールは横で痛そうに耳を摩っているパッセを見つめた。


――――そうだ、私は思い出したい


 何よりも、誰よりも、この少年のことを。

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